生活保護を受けはじめてから、数ヶ月。
食事が安定して取れるようになったおかげで、紗英の顔にはほんの少しだけ、血色が戻りはじめていた。

朝、白いご飯と具だくさんの味噌汁。
スーパーの割引シールが貼られたおかずでも、温かい食事があるだけで、心がふっと落ち着く。

「……ちゃんと食べて、生きよう」
そう思える日が、少しずつ増えていた。



春のある日、紗英はハローワークの自動ドアをくぐった。

面談室で担当者が丁寧に話す。

「こちらの企業、事務職で募集が出てまして、未経験可です。どうされます?」

「……お願いします。面接、受けてみたいです」

紹介状を受け取った帰り道、風が少しだけ優しく吹いていた。
かつての自分と違う。今の私は、踏み出している。
その感覚が、紗英の背中を押していた。



面接の日。白いブラウスに、ハローワークで紹介されたリサイクルスーツ。
手持ちのバッグも少しだけきれいに磨いた。

面接官は物腰の柔らかい男性だった。

「……うん、誠実そうだし、やっていけそうですね。ぜひ、来週からお願いします」

「……え?」

「採用です。これから、よろしくお願いしますね」

思わず、その場で涙があふれた。

「ありがとうございます、ありがとうございます……」



だが、勤務初日を目前に控えたある日。
朝から鈍い下腹部の痛みが続いていた。

「風邪かな……」と軽く考えていた紗英だったが、数日前から胸の張りと吐き気も感じていた。

不安が拭えず、近くの婦人科を受診する。

診察室の奥、医師の表情が曇る。

「……妊娠はしてます。ただ、状況が少し良くありません。子宮の中に、胎嚢が確認できないんです。これは、子宮外妊娠の可能性があります」

「……え……?」

頭が真っ白になった。

「このまま進行すると、卵管破裂の恐れがあります。早めの処置が必要です。緊急入院も視野に入れてください」



帰り道、足が震えて、まともに歩けなかった。

「なんで……また、こんな……」

やっと、やっと人生が少しだけ前を向いたと思ったのに。

アパートの小さな部屋に戻ると、採用通知の封筒がポストに届いていた。
紗英はそのまま床に座り込み、封筒を胸に抱えたまま、声もなく泣いた。



その夜、ケースワーカーに電話をかけた。

「……すみません、また、助けてもらうことになるかもしれません……」

「大丈夫ですよ、紗英さん。私たちは、味方ですから」

その言葉が、今の紗英には何よりも温かかった。



彼女の身体は、また一つ大きな痛みを抱えることになる。
けれども、今の紗英には、かつてのように“一人ではない”と感じられる、わずかな支えがあった。

そしてまた、闘いが始まる。
生きることそのものとの、静かで切実な闘いが──。