「一日だけ猶予をくれない? 明日まで、真剣に考えてみるから。どうかな?」
和寿は、僕の髪を梳きながら、
「いいよ。一日でも二日でも。前向きに考えてくれるなら、なおさら嬉しい。でも、無理強いは出来ないから。考えようとしてくれているだけで、オレは嬉しい」
「一日で答えを出すから。待ってて」
「わかった。じゃあ、明日学校で」
「うん。真面目に考えた結果を、必ず和寿に伝えるから」
「わかった。じゃあ、今日はこれで解散だ。気を付けて帰るんだぞ」
僕から離れると、和寿は手を振った。僕も振り返した。和寿は笑顔で、それを見て僕の鼓動は、やはり速まってしまう。この人は、どうしてこんなに僕をドキドキさせるんだろう。
歩きながら、これからのことを考える。僕はどうしたいんだろう。また、そこへ戻っていく。考えようと思ったのは、和寿の為だけではない。自分の人生について真剣に考えるのは、当たり前のことじゃないか。
布団に入ってからもずっと考え、朝までろくに眠れなかった。学校で講義を聞いていても、集中出来ていなかった。
昼ごはん中も考え、午後の授業中にようやく自分の考えがまとまった。
和寿と約束していた練習室へ、僕は清々しい気持ちで向かった。和寿は、もう来ていて、僕に気が付くと軽く手を振ってきた。僕は急いで和寿の所まで走って行き、
「ごめん。待たせたね」
「いや。オレも、さっき来たばっかりだよ」
促されて中に入る。和寿はケースを下ろし中から弓を取り出すと、松脂を塗り始めた。今日合わせる予定の曲を小さく口ずさんでいるのを耳にして、本当にいい声だと感心したが、そんなことを考えている場合ではないと思い出した。
──練習が始まったら、きっとこの思いを言えなくなる。今言わなきゃ。
覚悟を決めた。心を落ち着かせる為に、大きく息を吐き出した。そして、お腹に力を入れると和寿に向かい、普段より大きめの声で、「和寿。話があります」と言った。
ピアノの蓋も開けず真顔で声を掛ける僕を見て、和寿は目を見開いて、
「え? もしかして、答えが出たとか?」
「そう。答えが出たんだ。聞いてくれるかい?」
「ああ。聞くよ」
真剣な表情になった和寿に見つめられて緊張が走ったが、言わなきゃと自分に言い聞かせた。
「和寿。僕は……」
覚悟をしたはずなのに、言葉に詰まる。深呼吸を何回かして、心を落ち着かせようと努めた。
和寿は、黙ったまま僕を見つめ、次の言葉を待っているようだった。僕も和寿を見つめ返して、はっきりと告げた。
「和寿。僕は、プロのピアニストを目指します」
僕の宣言に、真顔だった和寿の表情が、みるみる笑顔に変わっていった。和寿は僕をギュッと抱きしめると、叫ぶように言った。
「やった。これで、一緒に演奏していけるんだな。ずーっと」
「そうだけど、でも、違う」
僕の言葉に、和寿の手が緩んだ。
「え……? それはどういう……」
困惑気味の和寿を見つめながら、僕は自分の気持ちを何とかわかってもらおうと口を開いた。
「僕は、君の伴奏だけしたいんじゃなくて、自分の音楽を世の中の人に聞いてもらいたい。だから、君の為だけにピアニストになろうとしてるんじゃないんだ」
少しの沈黙の後、和寿は、「うん。わかったよ」と言った。その表情は、すっきりしたものだった。
「お前の気持ちは、よーくわかった。お前の演奏、すごく好きだから、オレはお前がプロになって演奏会をやる時は、絶対に行く。だけど、オレの演奏会ではお前が伴奏してくれよ。お前の伴奏じゃなきゃ弾けない、とか言うつもりはないけど。お前とやる時が、一番いい演奏になってると思うから。約束してくれるか」
「いいよ。約束する。だけど……」
僕は何だか急に不安になってきて、和寿の目を覗き込むようにして見ながら、
「あの……この先、僕たちお別れするかもしれないだろう。その時も、この約束は有効ってこと?」
僕がぼそぼそと言うのを聞いた和寿は、声を上げて笑い出した。
「ワタルくんは、マイナス思考だな。別れないように、ずっと仲良しでいればいいじゃん。でも、もしも別れたとしても、一緒に演奏しよう。別れても、一緒」
からかうように言われて、僕は顔を背けた。
「それは、どんな嫌がらせ? そんな状態で音楽を奏でても、人を感動させられないと思うけど」
「だってさ、オレはお前と演奏したいんだよ。ずっと、一緒に」
「ずっと、一緒に?」
「そう。ずっと」
背けていた顔を和寿の方に向けた。和寿は、いつのまにか真剣な顔になって僕を見ていた。
「ずーっと」
もう一度言ってから、和寿は僕を抱きしめてきた。涙がこぼれ出すのを止められず困った。和寿は僕の髪を梳きながら、
「本当にワタルくんは可愛いな」
囁くように言った。僕は何も言えないまま、ただ泣き続けていた。
和寿は、僕の髪を梳きながら、
「いいよ。一日でも二日でも。前向きに考えてくれるなら、なおさら嬉しい。でも、無理強いは出来ないから。考えようとしてくれているだけで、オレは嬉しい」
「一日で答えを出すから。待ってて」
「わかった。じゃあ、明日学校で」
「うん。真面目に考えた結果を、必ず和寿に伝えるから」
「わかった。じゃあ、今日はこれで解散だ。気を付けて帰るんだぞ」
僕から離れると、和寿は手を振った。僕も振り返した。和寿は笑顔で、それを見て僕の鼓動は、やはり速まってしまう。この人は、どうしてこんなに僕をドキドキさせるんだろう。
歩きながら、これからのことを考える。僕はどうしたいんだろう。また、そこへ戻っていく。考えようと思ったのは、和寿の為だけではない。自分の人生について真剣に考えるのは、当たり前のことじゃないか。
布団に入ってからもずっと考え、朝までろくに眠れなかった。学校で講義を聞いていても、集中出来ていなかった。
昼ごはん中も考え、午後の授業中にようやく自分の考えがまとまった。
和寿と約束していた練習室へ、僕は清々しい気持ちで向かった。和寿は、もう来ていて、僕に気が付くと軽く手を振ってきた。僕は急いで和寿の所まで走って行き、
「ごめん。待たせたね」
「いや。オレも、さっき来たばっかりだよ」
促されて中に入る。和寿はケースを下ろし中から弓を取り出すと、松脂を塗り始めた。今日合わせる予定の曲を小さく口ずさんでいるのを耳にして、本当にいい声だと感心したが、そんなことを考えている場合ではないと思い出した。
──練習が始まったら、きっとこの思いを言えなくなる。今言わなきゃ。
覚悟を決めた。心を落ち着かせる為に、大きく息を吐き出した。そして、お腹に力を入れると和寿に向かい、普段より大きめの声で、「和寿。話があります」と言った。
ピアノの蓋も開けず真顔で声を掛ける僕を見て、和寿は目を見開いて、
「え? もしかして、答えが出たとか?」
「そう。答えが出たんだ。聞いてくれるかい?」
「ああ。聞くよ」
真剣な表情になった和寿に見つめられて緊張が走ったが、言わなきゃと自分に言い聞かせた。
「和寿。僕は……」
覚悟をしたはずなのに、言葉に詰まる。深呼吸を何回かして、心を落ち着かせようと努めた。
和寿は、黙ったまま僕を見つめ、次の言葉を待っているようだった。僕も和寿を見つめ返して、はっきりと告げた。
「和寿。僕は、プロのピアニストを目指します」
僕の宣言に、真顔だった和寿の表情が、みるみる笑顔に変わっていった。和寿は僕をギュッと抱きしめると、叫ぶように言った。
「やった。これで、一緒に演奏していけるんだな。ずーっと」
「そうだけど、でも、違う」
僕の言葉に、和寿の手が緩んだ。
「え……? それはどういう……」
困惑気味の和寿を見つめながら、僕は自分の気持ちを何とかわかってもらおうと口を開いた。
「僕は、君の伴奏だけしたいんじゃなくて、自分の音楽を世の中の人に聞いてもらいたい。だから、君の為だけにピアニストになろうとしてるんじゃないんだ」
少しの沈黙の後、和寿は、「うん。わかったよ」と言った。その表情は、すっきりしたものだった。
「お前の気持ちは、よーくわかった。お前の演奏、すごく好きだから、オレはお前がプロになって演奏会をやる時は、絶対に行く。だけど、オレの演奏会ではお前が伴奏してくれよ。お前の伴奏じゃなきゃ弾けない、とか言うつもりはないけど。お前とやる時が、一番いい演奏になってると思うから。約束してくれるか」
「いいよ。約束する。だけど……」
僕は何だか急に不安になってきて、和寿の目を覗き込むようにして見ながら、
「あの……この先、僕たちお別れするかもしれないだろう。その時も、この約束は有効ってこと?」
僕がぼそぼそと言うのを聞いた和寿は、声を上げて笑い出した。
「ワタルくんは、マイナス思考だな。別れないように、ずっと仲良しでいればいいじゃん。でも、もしも別れたとしても、一緒に演奏しよう。別れても、一緒」
からかうように言われて、僕は顔を背けた。
「それは、どんな嫌がらせ? そんな状態で音楽を奏でても、人を感動させられないと思うけど」
「だってさ、オレはお前と演奏したいんだよ。ずっと、一緒に」
「ずっと、一緒に?」
「そう。ずっと」
背けていた顔を和寿の方に向けた。和寿は、いつのまにか真剣な顔になって僕を見ていた。
「ずーっと」
もう一度言ってから、和寿は僕を抱きしめてきた。涙がこぼれ出すのを止められず困った。和寿は僕の髪を梳きながら、
「本当にワタルくんは可愛いな」
囁くように言った。僕は何も言えないまま、ただ泣き続けていた。

