玄関を出て工房を覗くと、和寿の伯父さんが作業をしていた。声を掛けると手を止めて、
「ああ、吉隅くん。話はもう、終わったんですか」
僕が頷くと、
「今、タクシーを呼びますね」
作業台の隅に置かれていたスマホを手に取ると、伯父さんはタクシー会社に電話してくれた。通話を終えると伯父さんは、僕に軽く頭を下げ、
「お茶も出さないで、すみませんでしたね。実は和ちゃんの母親から言われたんですよ。吉隅くんが来たらそのまま部屋に通して、二人きりにしてあげてって。だから、言われた通りにしたわけです。私としては、お茶くらい出したかったんですけどね。妻は社交的な性格で、ここにいたら必ずあなたに構うと思いましたから、本当の理由は伝えずに友達と出掛けてくるよう言いました。外出も好きですから、嬉しそうに出掛けていきました」
そう言って、伯父さんは楽しそうに笑った。僕は笑うどころではなかった。お母さんは、あんな様子の僕を見たんだから、何かを察してくれたのだろう。それはありがたいけれど、つまり何を察してくれたのだ? 僕が和寿を好き。それがわかってしまったということだろう。恥ずかしい。でも、どうしていいのかわからない。
「あと、十分くらいで来るそうです。タクシーが来るまで、良かったら工房の中を見て行きませんか? 和ちゃんも、ここに来てすぐ私が仕事しているのを見に来ましたよ。黙って見てました。本当に何も言わずに、ただ私の仕事を見てました。そして、風邪を引きました」
僕は、つい笑ってしまった。伯父さんの口調が、あまりにも淡々としていたから、悲しみよりも笑いを誘ったのだ。笑えてよかったと思った。
「あの……本当にいいんですか? ありがとうございます。見させてください。和寿くんが弦楽器工房を見に行くって言っていたので、興味が湧いて、僕も見てみたいと思っていました」
伯父さんの言葉に甘えて、工房内を見回った。様々な状態のバイオリンがそこにあった。こうしてあの楽器は作られていくのだと、感動を覚えた。そして、それらを見ている内にふと思いついて、伯父さんの方を向いた。
「もしかして、和寿くんのバイオリンはここで作られたんですか?」
僕が問うと伯父さんは頷き、
「そう。和ちゃんがフルサイズのバイオリンを持てる身長になった時ね、お父さんに連れられてここに来たんです。それで、お父さんは和ちゃんに楽器を選ばせました。それが、今使っているバイオリン。たぶん和ちゃんは知らないと思うけど、あれは、あの時この工房で一番出来が良くて、一番値段の高いバイオリンだったんです。いろいろ弾いた後に、これって言って。耳がいいんですね、和ちゃんは。あれを選んだ時、この子はプロになるかもしれない、と思ったんです。親馬鹿でしょう。いや。私は親じゃないけれどね、子供のように思ってるんですよ。うちには子供がいないんでね。でも、本当にそう思ったんです。そして、今でもそう信じているんです」
手を休めずにそう告げた。伯父さんの言葉に僕は深く頷き、
「僕もそう思っています。和寿くんのバイオリンの音色は、世界中の人に聴かせた方がいいと思うんです。和寿くんの無伴奏ソナタを聴いて、僕は号泣しました。心の奥深くに、何か強く訴えてくるようなそんな圧倒的な演奏で……あんな音を聴いたのは、ほとんど初めてでした。それで僕、あの時、思ったんです。彼は世界に出た方がいいって。それが、僕たちの関係を変えてしまうとしても、そうしなければいけないと……そう思ったんです」
言って、自分で傷ついた。さっきまでの幸福感が消えていくようだった。が、すぐに思い直した。
その日が来るまでは仲良しでいよう。世界に出たから二度と会えない、ということはないだろう。この先、様々な人と出会って、彼が他の人を好きになってしまったとしても、自分はずっと和寿を好きでいよう。それでいい。
言い聞かせると、心は落ち着き、幸福な気持ちが戻ってきた。
「たとえ世界に出たとしても、和ちゃんと友達でいてくださいね。和ちゃんもそれを望んでいると思います」
伯父さんは作業の手を止めて、僕の肩を軽く叩いた。僕が頷くと、伯父さんも笑顔で頷いた。
その時、車が入ってくる音がして、クラクションが鳴った。伯父さんは、外の方へ目をやってから僕の方へ向き、
「来たようですね。気を付けてお帰りなさい」
「ありがとうございました」
心を込めて言うと、僕は工房を後にした。
「ああ、吉隅くん。話はもう、終わったんですか」
僕が頷くと、
「今、タクシーを呼びますね」
作業台の隅に置かれていたスマホを手に取ると、伯父さんはタクシー会社に電話してくれた。通話を終えると伯父さんは、僕に軽く頭を下げ、
「お茶も出さないで、すみませんでしたね。実は和ちゃんの母親から言われたんですよ。吉隅くんが来たらそのまま部屋に通して、二人きりにしてあげてって。だから、言われた通りにしたわけです。私としては、お茶くらい出したかったんですけどね。妻は社交的な性格で、ここにいたら必ずあなたに構うと思いましたから、本当の理由は伝えずに友達と出掛けてくるよう言いました。外出も好きですから、嬉しそうに出掛けていきました」
そう言って、伯父さんは楽しそうに笑った。僕は笑うどころではなかった。お母さんは、あんな様子の僕を見たんだから、何かを察してくれたのだろう。それはありがたいけれど、つまり何を察してくれたのだ? 僕が和寿を好き。それがわかってしまったということだろう。恥ずかしい。でも、どうしていいのかわからない。
「あと、十分くらいで来るそうです。タクシーが来るまで、良かったら工房の中を見て行きませんか? 和ちゃんも、ここに来てすぐ私が仕事しているのを見に来ましたよ。黙って見てました。本当に何も言わずに、ただ私の仕事を見てました。そして、風邪を引きました」
僕は、つい笑ってしまった。伯父さんの口調が、あまりにも淡々としていたから、悲しみよりも笑いを誘ったのだ。笑えてよかったと思った。
「あの……本当にいいんですか? ありがとうございます。見させてください。和寿くんが弦楽器工房を見に行くって言っていたので、興味が湧いて、僕も見てみたいと思っていました」
伯父さんの言葉に甘えて、工房内を見回った。様々な状態のバイオリンがそこにあった。こうしてあの楽器は作られていくのだと、感動を覚えた。そして、それらを見ている内にふと思いついて、伯父さんの方を向いた。
「もしかして、和寿くんのバイオリンはここで作られたんですか?」
僕が問うと伯父さんは頷き、
「そう。和ちゃんがフルサイズのバイオリンを持てる身長になった時ね、お父さんに連れられてここに来たんです。それで、お父さんは和ちゃんに楽器を選ばせました。それが、今使っているバイオリン。たぶん和ちゃんは知らないと思うけど、あれは、あの時この工房で一番出来が良くて、一番値段の高いバイオリンだったんです。いろいろ弾いた後に、これって言って。耳がいいんですね、和ちゃんは。あれを選んだ時、この子はプロになるかもしれない、と思ったんです。親馬鹿でしょう。いや。私は親じゃないけれどね、子供のように思ってるんですよ。うちには子供がいないんでね。でも、本当にそう思ったんです。そして、今でもそう信じているんです」
手を休めずにそう告げた。伯父さんの言葉に僕は深く頷き、
「僕もそう思っています。和寿くんのバイオリンの音色は、世界中の人に聴かせた方がいいと思うんです。和寿くんの無伴奏ソナタを聴いて、僕は号泣しました。心の奥深くに、何か強く訴えてくるようなそんな圧倒的な演奏で……あんな音を聴いたのは、ほとんど初めてでした。それで僕、あの時、思ったんです。彼は世界に出た方がいいって。それが、僕たちの関係を変えてしまうとしても、そうしなければいけないと……そう思ったんです」
言って、自分で傷ついた。さっきまでの幸福感が消えていくようだった。が、すぐに思い直した。
その日が来るまでは仲良しでいよう。世界に出たから二度と会えない、ということはないだろう。この先、様々な人と出会って、彼が他の人を好きになってしまったとしても、自分はずっと和寿を好きでいよう。それでいい。
言い聞かせると、心は落ち着き、幸福な気持ちが戻ってきた。
「たとえ世界に出たとしても、和ちゃんと友達でいてくださいね。和ちゃんもそれを望んでいると思います」
伯父さんは作業の手を止めて、僕の肩を軽く叩いた。僕が頷くと、伯父さんも笑顔で頷いた。
その時、車が入ってくる音がして、クラクションが鳴った。伯父さんは、外の方へ目をやってから僕の方へ向き、
「来たようですね。気を付けてお帰りなさい」
「ありがとうございました」
心を込めて言うと、僕は工房を後にした。

