そして、学園祭から五ヶ月。季節は春になった。
思い返せば、あれは何だったんだろうというようなことが、なくはなかった。でも、まさか告白されるなんて、全く思ってもみなかった。
新たな学年になり、これからますます精進していこう、と心が弾んでいたのに、どうしてこうなったのだろう。
『最近、ずっと考えてたんだけど』
『オレは、おまえのことが好きなのかもしれない』
和寿に言われた言葉が、頭の中でぐるぐるしている。
いつもとは違う空気を纏っていた和寿。合わせでは、今までしたことがないような箇所で、何度もミスをした。それが、あれのせいなのか?
『オレは、おまえのことが好きなのかもしれない』
和寿の心の迷いが、あの音だったのだろうか。
和寿を救うには、僕が和寿を好きだと言ってしまえばいい。が、さっきの言葉を信じていいのかもわからない。異性としか付き合ったことのない和寿が、同性の僕を好きになったりするんだろうか。それは、あり得ないような気がする。
信じたい。でも、信じ切るのは難しい。一時の気の迷いとしか思えないじゃないか。
いつか和寿がそのことに気が付いて、「ごめん。勘違いだった」なんて謝られたりしたら、僕の心は完全に壊れてしまうだろう。
──好きなのに……。
相手の気持ちを受け入れられない僕は、不幸な心の持ち主だと思う。でも、信じて裏切られるのは耐えられない。
こんな想いは消えてしまえと願う。でも、それも出来ない。僕たちは、平行線を辿るしかない。
──どうすれば僕たちは救われるんだろう……。
呆然と立ち尽くしていると、僕を呼ぶ声がした。よく知っているその声のした方へ振り向くと、やはり宝生先生だった。僕のそばへ来ると先生は、僕の肩をポンと叩いた。
「どうしたんですか。何か問題が起きましたか」
「問題……問題。そうですね。そうかもしれません」
「そうかもしれない? それは、どういうことでしょう?」
「和寿に……告白されてしまいました。でも、僕は彼の気持ちを信じられないんです。だって、今まで異性しか好きになったことがない人ですよ? 何で僕を好きなんでしょう? そんなことって、あり得るんでしょうか? 僕にはわかりません」
「そうですか」
言ってしまったものの、僕は何故先生にこんな悩みを打ち明けてしまったのかと、早くも後悔し始めていた。でも、言ってしまったものは、取り返しがつかない。
「油利木くんには困ったものです。僕の愛弟子をこんなに悩ませて。だから僕はあの時……いえ。何でもありません」
「何でもなくないですよね?」
「何でもありませんよ」
「言ってください」
先生は、ためらうように俯いたが、すぐに顔を上げ、
「あの時、僕は君と彼が組むことを反対しようとしました。音楽的な相性がいいのは、聴いたらわかります。でも、君が彼を見る目が気になりました」
先生が溜息を吐いた。
「君は彼に恋愛感情を持ったようでした。でも、彼が君にそういう感情を持っているようには思えません。そうであるならば、いくら君が彼を想っても救われない。辛い思いをするくらいなら、組まない方がいいのではないかと、そう思いました。でも、まさか、油利木くんが君を好きになってしまうとは……」
あの時のあの先生の表情は、そういうことだったのかと、ようやく腑に落ちた。先生に反対されていたら、やめただろうか。いや、そんなことはないか、と思う。僕はやっぱり、彼と音楽を作り出すことを選んだだろう。
「僕は、どうしたらいいんでしょうか。全然わからないんです」
溜息を吐くと、先生は僕をじっと見て、
「君、彼のことが好きなんでしょう?」
「す……」
言えない。好きだなんて口にしてはいけない。
「好きなら、覚悟をするしかないでしょうね。自分の気持ちを認めて、相手の気持ちを受け入れる。出来ますか」
僕は首を振った。出来る気がしない。
「それなら、諦めるしかありませんね。君、それなら出来そうですか」
また首を振った。どっちにも行けないから苦しいのに。
「余計なことを言ったようですね。それでは、また明日」
先生はそう言うと、もう一度僕の肩を叩いてから歩き出した。背中を見送る僕は、悲しいのに泣く気力さえなく、視線が足元に落ちていく。そして、また思う。
──どうしてこんなことになったんだろう。
心は重く、鉛を飲み込んだみたいなんて表現があるけれど、まさにそんな感じだった。こんな気分は、知らないで済むなら知りたくなかった。
これからファルファッラで仕事だというのに、やる気はどうやって起こせばいいのだろう。いっそ、仮病を使って休んでしまおうか。そんなことを思ったけれど、すぐにもう一人の自分が、否、と言う。ここで逃げたら、もう、ピアノを弾けなくなるかもしれない。
──ダメだ。行こう。
決心してファルファッラへ向かった。ドアを開けるといつものように、店長が笑顔で迎えてくれた。僕は無理矢理微笑んで挨拶をすると、更衣室に向かった。着替えを済ませて鏡を見る。そこには、悲愴な顔をした僕が映っていた。大きな溜息を吐かずにはいられなかった。
思い返せば、あれは何だったんだろうというようなことが、なくはなかった。でも、まさか告白されるなんて、全く思ってもみなかった。
新たな学年になり、これからますます精進していこう、と心が弾んでいたのに、どうしてこうなったのだろう。
『最近、ずっと考えてたんだけど』
『オレは、おまえのことが好きなのかもしれない』
和寿に言われた言葉が、頭の中でぐるぐるしている。
いつもとは違う空気を纏っていた和寿。合わせでは、今までしたことがないような箇所で、何度もミスをした。それが、あれのせいなのか?
『オレは、おまえのことが好きなのかもしれない』
和寿の心の迷いが、あの音だったのだろうか。
和寿を救うには、僕が和寿を好きだと言ってしまえばいい。が、さっきの言葉を信じていいのかもわからない。異性としか付き合ったことのない和寿が、同性の僕を好きになったりするんだろうか。それは、あり得ないような気がする。
信じたい。でも、信じ切るのは難しい。一時の気の迷いとしか思えないじゃないか。
いつか和寿がそのことに気が付いて、「ごめん。勘違いだった」なんて謝られたりしたら、僕の心は完全に壊れてしまうだろう。
──好きなのに……。
相手の気持ちを受け入れられない僕は、不幸な心の持ち主だと思う。でも、信じて裏切られるのは耐えられない。
こんな想いは消えてしまえと願う。でも、それも出来ない。僕たちは、平行線を辿るしかない。
──どうすれば僕たちは救われるんだろう……。
呆然と立ち尽くしていると、僕を呼ぶ声がした。よく知っているその声のした方へ振り向くと、やはり宝生先生だった。僕のそばへ来ると先生は、僕の肩をポンと叩いた。
「どうしたんですか。何か問題が起きましたか」
「問題……問題。そうですね。そうかもしれません」
「そうかもしれない? それは、どういうことでしょう?」
「和寿に……告白されてしまいました。でも、僕は彼の気持ちを信じられないんです。だって、今まで異性しか好きになったことがない人ですよ? 何で僕を好きなんでしょう? そんなことって、あり得るんでしょうか? 僕にはわかりません」
「そうですか」
言ってしまったものの、僕は何故先生にこんな悩みを打ち明けてしまったのかと、早くも後悔し始めていた。でも、言ってしまったものは、取り返しがつかない。
「油利木くんには困ったものです。僕の愛弟子をこんなに悩ませて。だから僕はあの時……いえ。何でもありません」
「何でもなくないですよね?」
「何でもありませんよ」
「言ってください」
先生は、ためらうように俯いたが、すぐに顔を上げ、
「あの時、僕は君と彼が組むことを反対しようとしました。音楽的な相性がいいのは、聴いたらわかります。でも、君が彼を見る目が気になりました」
先生が溜息を吐いた。
「君は彼に恋愛感情を持ったようでした。でも、彼が君にそういう感情を持っているようには思えません。そうであるならば、いくら君が彼を想っても救われない。辛い思いをするくらいなら、組まない方がいいのではないかと、そう思いました。でも、まさか、油利木くんが君を好きになってしまうとは……」
あの時のあの先生の表情は、そういうことだったのかと、ようやく腑に落ちた。先生に反対されていたら、やめただろうか。いや、そんなことはないか、と思う。僕はやっぱり、彼と音楽を作り出すことを選んだだろう。
「僕は、どうしたらいいんでしょうか。全然わからないんです」
溜息を吐くと、先生は僕をじっと見て、
「君、彼のことが好きなんでしょう?」
「す……」
言えない。好きだなんて口にしてはいけない。
「好きなら、覚悟をするしかないでしょうね。自分の気持ちを認めて、相手の気持ちを受け入れる。出来ますか」
僕は首を振った。出来る気がしない。
「それなら、諦めるしかありませんね。君、それなら出来そうですか」
また首を振った。どっちにも行けないから苦しいのに。
「余計なことを言ったようですね。それでは、また明日」
先生はそう言うと、もう一度僕の肩を叩いてから歩き出した。背中を見送る僕は、悲しいのに泣く気力さえなく、視線が足元に落ちていく。そして、また思う。
──どうしてこんなことになったんだろう。
心は重く、鉛を飲み込んだみたいなんて表現があるけれど、まさにそんな感じだった。こんな気分は、知らないで済むなら知りたくなかった。
これからファルファッラで仕事だというのに、やる気はどうやって起こせばいいのだろう。いっそ、仮病を使って休んでしまおうか。そんなことを思ったけれど、すぐにもう一人の自分が、否、と言う。ここで逃げたら、もう、ピアノを弾けなくなるかもしれない。
──ダメだ。行こう。
決心してファルファッラへ向かった。ドアを開けるといつものように、店長が笑顔で迎えてくれた。僕は無理矢理微笑んで挨拶をすると、更衣室に向かった。着替えを済ませて鏡を見る。そこには、悲愴な顔をした僕が映っていた。大きな溜息を吐かずにはいられなかった。

