バイオリンケースを背負った和寿は、さっきと同じように僕の隣に座った。
「今、出演者の写真撮影やってる。それが終わったら解散」
「あれ? 写真撮影、参加しなくていいの?」
僕が問うと、和寿はフッと笑って、
「言っただろ? オレは今年からおまけだって。おまけは写真撮影に参加なんかしなくていいんだよ」
「おまけか。あんなすごい演奏する人が、おまけ? 何か嫌だな、おまけって」
「そうか? オレは別に平気だけど?」
本当に気にしていなそうな和寿の口元には、笑みが浮かんでいた。何だか幸せそうだな、と思った。そして、それを見た僕も、自然と微笑んでいた。和寿が僕を横目で見た。何故か、驚いたような表情になっていた。
「和寿。どうしたの?」
訊かずにはいられなかった。和寿は首を振ると、
「何でもない」
それだけ言って、黙ってしまった。さっきまでの幸福そうな顔が、消えてしまっていた。この一瞬間に何が起きたと言うのだろう。
二人で黙り合っていると、廊下をこちらに向かって歩いてくる人の足音が聞こえた。そちらに目を向けると、開会の挨拶をしていた女性と、背の高い男性がそこにいた。和寿は、二人を見ると笑顔になり、
「お疲れ様でした」
声を掛けた後、
「あの人たち、オレの両親。オレたちの先輩でもある。二人ともあの音大出身だから」
「そうなんだ。あ。僕、謝らなきゃ」
「待て。何を謝るって? さっきも言ったけどさ……」
和寿が僕にそう言っている内に、二人は僕たちの前まで来た。僕は、サッと立ち上がり頭を下げた。
「先程は、すみませんでした。あ。僕は和寿くんの友人で、吉隅ワタルと申します。えっと……」
言葉が出てこなくなった。ちゃんと謝らなきゃいけないのに。
その時、和寿が僕のすぐ横に立った。僕の頭を軽く撫でると、
「わかるよな? ワタルはオレの演奏に、何かを感じてくれて号泣してたんだ。会の邪魔をしようとしたわけじゃない。ワタルを責めるのか? だったらオレを責めてくれ。人を感動させるような演奏するなって」
真面目に言ってるのかと思ったら、最後には笑っていた。お母さんは和寿と一緒に笑い、お父さんはあまり表情の変化はなかったけれど、微かに口元に笑みが浮かんでいた。ちょっとホッとした。
「あの……僕、本当に空気を読まなくてすみません。あんな、立ち上がって泣きながら拍手、とか、ありえませんよね?」
「いいのよ。驚いたけど、感動してくれたってわかったから。ね、あなた」
お母さんがそう言ってお父さんを見ると、お父さんは、「ああ。そうだな」と同意を示してくれた。
「ところで吉隅くん。これからスタッフだけで食事会をするんだけど、一緒にどうかしら?」
「そんな……」
断ろうとしたけれど、結局僕が口にしたのは、
「はい。参加させて頂きます」
「やった。ワタルも参加してくれるのか。すげー嬉しい」
和寿が手放しで喜びを表してくれる。僕も心が弾んだ。
予約していたお店にみんなで行った。僕は自費で何か食べようと思っていたけれど、行くはずだった人が一人来れなくなったから、気にしなくていい、と言われた。
イタリアンのお店で、様々な料理が運ばれてきた。和寿が、オリーブの実を食べた時の嬉しそうな顔が忘れられない。写真に撮りたいくらい、いい顔をしていた。と言うか、そんなにも好きなのか、と感心してしまう。
隣の席に座ったお母さんが、僕に視線を向けてきた。首を傾げると、
「吉隅くん、誰に習ってるの?」
「宝生先生です」
「宝生くんか。それじゃ、あなたも素敵な音色で弾くんでしょうね。あの人は、本当に優秀だから」
「お知り合いですか?」
訊いてしまってから、同じ大学の出身だと聞かされたのを思い出した。お母さんは、特に気にした様子もなく、
「そう。同期なの。でも、私と彼とではレベルが違うけどね。よかったわね、宝生くんに教えてもらえて。たくさん吸収して、いい演奏家になってね」
「は……はい」
返事をしてしまったものの、演奏家になれるのか全くわからない。なりたいのかすら、わからない。困ったものだ。
お母さんは席を立ち、スタッフの方へ行き声を掛けていた。
──僕は、どうしたいんだろう。
ぼんやりと、そんなことを考えていた。
「今、出演者の写真撮影やってる。それが終わったら解散」
「あれ? 写真撮影、参加しなくていいの?」
僕が問うと、和寿はフッと笑って、
「言っただろ? オレは今年からおまけだって。おまけは写真撮影に参加なんかしなくていいんだよ」
「おまけか。あんなすごい演奏する人が、おまけ? 何か嫌だな、おまけって」
「そうか? オレは別に平気だけど?」
本当に気にしていなそうな和寿の口元には、笑みが浮かんでいた。何だか幸せそうだな、と思った。そして、それを見た僕も、自然と微笑んでいた。和寿が僕を横目で見た。何故か、驚いたような表情になっていた。
「和寿。どうしたの?」
訊かずにはいられなかった。和寿は首を振ると、
「何でもない」
それだけ言って、黙ってしまった。さっきまでの幸福そうな顔が、消えてしまっていた。この一瞬間に何が起きたと言うのだろう。
二人で黙り合っていると、廊下をこちらに向かって歩いてくる人の足音が聞こえた。そちらに目を向けると、開会の挨拶をしていた女性と、背の高い男性がそこにいた。和寿は、二人を見ると笑顔になり、
「お疲れ様でした」
声を掛けた後、
「あの人たち、オレの両親。オレたちの先輩でもある。二人ともあの音大出身だから」
「そうなんだ。あ。僕、謝らなきゃ」
「待て。何を謝るって? さっきも言ったけどさ……」
和寿が僕にそう言っている内に、二人は僕たちの前まで来た。僕は、サッと立ち上がり頭を下げた。
「先程は、すみませんでした。あ。僕は和寿くんの友人で、吉隅ワタルと申します。えっと……」
言葉が出てこなくなった。ちゃんと謝らなきゃいけないのに。
その時、和寿が僕のすぐ横に立った。僕の頭を軽く撫でると、
「わかるよな? ワタルはオレの演奏に、何かを感じてくれて号泣してたんだ。会の邪魔をしようとしたわけじゃない。ワタルを責めるのか? だったらオレを責めてくれ。人を感動させるような演奏するなって」
真面目に言ってるのかと思ったら、最後には笑っていた。お母さんは和寿と一緒に笑い、お父さんはあまり表情の変化はなかったけれど、微かに口元に笑みが浮かんでいた。ちょっとホッとした。
「あの……僕、本当に空気を読まなくてすみません。あんな、立ち上がって泣きながら拍手、とか、ありえませんよね?」
「いいのよ。驚いたけど、感動してくれたってわかったから。ね、あなた」
お母さんがそう言ってお父さんを見ると、お父さんは、「ああ。そうだな」と同意を示してくれた。
「ところで吉隅くん。これからスタッフだけで食事会をするんだけど、一緒にどうかしら?」
「そんな……」
断ろうとしたけれど、結局僕が口にしたのは、
「はい。参加させて頂きます」
「やった。ワタルも参加してくれるのか。すげー嬉しい」
和寿が手放しで喜びを表してくれる。僕も心が弾んだ。
予約していたお店にみんなで行った。僕は自費で何か食べようと思っていたけれど、行くはずだった人が一人来れなくなったから、気にしなくていい、と言われた。
イタリアンのお店で、様々な料理が運ばれてきた。和寿が、オリーブの実を食べた時の嬉しそうな顔が忘れられない。写真に撮りたいくらい、いい顔をしていた。と言うか、そんなにも好きなのか、と感心してしまう。
隣の席に座ったお母さんが、僕に視線を向けてきた。首を傾げると、
「吉隅くん、誰に習ってるの?」
「宝生先生です」
「宝生くんか。それじゃ、あなたも素敵な音色で弾くんでしょうね。あの人は、本当に優秀だから」
「お知り合いですか?」
訊いてしまってから、同じ大学の出身だと聞かされたのを思い出した。お母さんは、特に気にした様子もなく、
「そう。同期なの。でも、私と彼とではレベルが違うけどね。よかったわね、宝生くんに教えてもらえて。たくさん吸収して、いい演奏家になってね」
「は……はい」
返事をしてしまったものの、演奏家になれるのか全くわからない。なりたいのかすら、わからない。困ったものだ。
お母さんは席を立ち、スタッフの方へ行き声を掛けていた。
──僕は、どうしたいんだろう。
ぼんやりと、そんなことを考えていた。

