和寿に手を引かれてロビーへ行くと、僕はソファに座らされた。和寿は僕の隣に座ると、バイオリンと弓をソファの座面にそっと置いた。その様子を見た僕は、和寿はバイオリンをものすごく大事にしてるんだな、と、泣きながらも感心していた。
和寿は僕に、何で泣いているのか訊かなかった。ただ、さっきまでバイオリンの顎あてに置いていたハンカチを、裏返しにしてから渡してきた。
「ごめん。これしかないんだ。拭きなよ」
「でも……」
「いいから。気にするな」
真剣な顔をした和寿は、遠慮する僕の手元にハンカチを差し出してくる。僕はためらいながらも頷き、ハンカチを受け取った。そして、遠慮なく拭かせてもらった。あっという間に絞れるくらいになってしまい、一体どれだけ涙は出てくるのだろう、と呆れていた。
数分で落ち着いたものの、自分の行動が急に恥ずかしくなって、俯いた。
「和寿、ごめん」
小さな声で謝罪すると、和寿は僕の肩に手を回し、軽く叩いた。
「何、謝ってんだ? オレさ、今、感動してるんだけど。めっちゃくちゃ感動してるんだけど。さっきのおまえの涙はさ、オレの音楽を聴いて何か感じてくれたから、だろ?」
僕は深く頷き、
「何だかわからないんだけど、すごく、すごく感動して、鳥肌立っちゃって。最初から最後まで。上手く言えないけど。そしたら、涙が止まらなくなっちゃって。すごく恥ずかしい」
和寿は、僕の頭を撫でながら優しく微笑んだ。
「ありがとう。オレは、本当に嬉しい。なあ、ワタル。音楽ってすごいよな。オレ、プロになる。絶対になる。それで、世の中にこんな素敵な音楽があるんだって教えてあげたい。何だかわからないのに出る涙って、本当の、心の奥から出てきた涙だろう。オレは、その力を信じる」
和寿は正面を向いたまま僕の頭を撫で続け、熱く語った。が、急に声の調子を変えて、
「そうだ。ワタル。プロのピアニストになってくれないか? そうしたら、一緒に演奏活動出来るだろ?」
「プロ? いや、ごめん。それは無理かな。だって僕、プロになりたいのかどうかもわからなくなってて」
大学に入ってから、素晴らしい演奏をする人たちの存在を知らされた。そんな中で自分はプロになれるのだろうか。その人たちに勝って、プロになろうと思えるだろうか。全くわからなくなってしまっていたのだ。
「プロにならないのか?」
「なりたいのか、なれるのか、わからなくなってるんだ」
「なってくれたら、最高なんだけどな。ま、いいや。おまえがプロのピアニストになってくれないなら、それはそれで仕方ない。オレは、無伴奏の曲ばっかり弾くことにするよ」
「え? 無伴奏の曲ばっかり?」
驚く僕に和寿は声を上げて笑い、
「冗談に決まってるだろ。ワタル、素直だなー」
「冗談か。びっくりした」
簡単に信じてしまった自分がおかしくて、笑ってしまった。和寿は、また僕の頭を優しく撫でると、
「今日は来てくれてありがとう。本当にありがとう。嬉しかった」
真面目な顔になってそう言うと、和寿は立ち上がり、
「ここで待っててくれ。楽器をケースにしまわないと」
ソファに置いていた楽器を大事そうに持ち上げると、ケースが置いてある場所へと向かっていった。
触れられた肩と髪に、彼の感触が残っていた。
和寿は僕に、何で泣いているのか訊かなかった。ただ、さっきまでバイオリンの顎あてに置いていたハンカチを、裏返しにしてから渡してきた。
「ごめん。これしかないんだ。拭きなよ」
「でも……」
「いいから。気にするな」
真剣な顔をした和寿は、遠慮する僕の手元にハンカチを差し出してくる。僕はためらいながらも頷き、ハンカチを受け取った。そして、遠慮なく拭かせてもらった。あっという間に絞れるくらいになってしまい、一体どれだけ涙は出てくるのだろう、と呆れていた。
数分で落ち着いたものの、自分の行動が急に恥ずかしくなって、俯いた。
「和寿、ごめん」
小さな声で謝罪すると、和寿は僕の肩に手を回し、軽く叩いた。
「何、謝ってんだ? オレさ、今、感動してるんだけど。めっちゃくちゃ感動してるんだけど。さっきのおまえの涙はさ、オレの音楽を聴いて何か感じてくれたから、だろ?」
僕は深く頷き、
「何だかわからないんだけど、すごく、すごく感動して、鳥肌立っちゃって。最初から最後まで。上手く言えないけど。そしたら、涙が止まらなくなっちゃって。すごく恥ずかしい」
和寿は、僕の頭を撫でながら優しく微笑んだ。
「ありがとう。オレは、本当に嬉しい。なあ、ワタル。音楽ってすごいよな。オレ、プロになる。絶対になる。それで、世の中にこんな素敵な音楽があるんだって教えてあげたい。何だかわからないのに出る涙って、本当の、心の奥から出てきた涙だろう。オレは、その力を信じる」
和寿は正面を向いたまま僕の頭を撫で続け、熱く語った。が、急に声の調子を変えて、
「そうだ。ワタル。プロのピアニストになってくれないか? そうしたら、一緒に演奏活動出来るだろ?」
「プロ? いや、ごめん。それは無理かな。だって僕、プロになりたいのかどうかもわからなくなってて」
大学に入ってから、素晴らしい演奏をする人たちの存在を知らされた。そんな中で自分はプロになれるのだろうか。その人たちに勝って、プロになろうと思えるだろうか。全くわからなくなってしまっていたのだ。
「プロにならないのか?」
「なりたいのか、なれるのか、わからなくなってるんだ」
「なってくれたら、最高なんだけどな。ま、いいや。おまえがプロのピアニストになってくれないなら、それはそれで仕方ない。オレは、無伴奏の曲ばっかり弾くことにするよ」
「え? 無伴奏の曲ばっかり?」
驚く僕に和寿は声を上げて笑い、
「冗談に決まってるだろ。ワタル、素直だなー」
「冗談か。びっくりした」
簡単に信じてしまった自分がおかしくて、笑ってしまった。和寿は、また僕の頭を優しく撫でると、
「今日は来てくれてありがとう。本当にありがとう。嬉しかった」
真面目な顔になってそう言うと、和寿は立ち上がり、
「ここで待っててくれ。楽器をケースにしまわないと」
ソファに置いていた楽器を大事そうに持ち上げると、ケースが置いてある場所へと向かっていった。
触れられた肩と髪に、彼の感触が残っていた。

