七月になり、明日から夏休みだ。練習の後、和寿と二人で食堂に行き、飲み物を買ってから席に着いた。和寿はバイオリンケースを横に置くと、
「今日も楽しかった」
満足そうに言う。上手くいってもいかなくても、彼の感想はいつもそれだった。僕は紅茶を一口飲んでから、
「それは良かった」
「え? 待てよ。ワタルは楽しくなかったのか?」
頬杖をついて、僕の顔を見ながら訊いてきた。僕は急いで首を振ると、
「違う。楽しくないなんて、そんなことはないけど」
「ないけど、何?」
食い下がってくる和寿。僕はハーッと息を吐き出すと、
「そんなことはないけど。どうしてそんなに訊くんだよ。もう、いいじゃないか」
「よくないでーす」
ふざけた感じで言う和寿。半分怒っていたはずなのに、和寿のその言い方が何だか可愛くて、つい小さく笑ってしまった。和寿は口を尖らせると、
「ワタルくん、オレを笑った?」
「笑ったよ」
近頃僕は、和寿に対してだいぶ敬語を使わないで話せるようになってきていた。和寿はわざとらしく溜息を吐くと、
「あーあ。ワタルに笑われちゃった……」
落ち込んだような口調でそう言うと、和寿は僕を上目遣いで見てきたが、すぐに笑い出した。
「ま、いっか。話は変わるんだけどさ。ワタル、夏休みって何か予定あるの? 実家に帰るとか。今、一人暮らしだよな? 長期の休みだし、やっぱり帰るよな?」
長期休暇だから、実家に帰る? 僕は首を思い切り振ると、
「実家に帰るなんて、全然頭になかったな。そうか。帰るのが普通なのかもね。でも僕、帰らないと思う。ファルファッラでのバイトもするつもりだし」
僕がそう答えると、和寿は目を見開き、
「え? 帰らないのか? 何で?」
「何でって訊かれても……。別に理由はないんだけど。何となくだよ」
──本当に、全く考えもしなかったな。何でだろう?
首を傾げながらそのことについて考えてみたが、やはりわからない。幸い、和寿はそれ以上理由を訊いてくることはなく、
「あ、そうなんだ。じゃあさ、発表会聴きに来てよ。うち、音楽教室やっててさ。父がバイオリンで、母がピアノ。八月の十日なんだけど、どうかな?」
「その頃は、ファルファッラがお盆休みだから大丈夫だと思う。行きたいな。バイオリンとピアノでしょ?」
「そう。一部と二部に分かれてて。一部は小さい生徒さん、二部が中高生。それから、オレ」
「オレ? 和寿も出るんだ? じゃあ、絶対行く。聴きたい」
「やった。来るな? よし。オレ、すげー頑張る。やる気がすげー上がった」
和寿は、笑顔で拳を握った。僕は身を乗り出して、
「それで、和寿。何を弾くの?」
「無伴奏のソナタ。何を弾くかは当日のお楽しみってことで」
「何弾くんだろう? すごく楽しみなんだけど。だってさ、和寿が一人で弾くのを、僕は聞いたことがないんだから。和寿が弾く時、いつも僕は伴奏してるだろう? だから、楽しみすぎるよ。ああ。早くその日になればいいのに」
わくわくし過ぎて、鼓動が速くなっている。
「楽しみだな。早く聞きたい」
そんな言葉を何度も発する僕を見て、和寿が笑い出した。僕はわざと顔をしかめると、
「笑った……」
不満そうに言ってやると、和寿は僕の頭をポンポンと叩き、
「おまえ、テンション高過ぎ」
「だって。だってさ。本当に本当に、すごく楽しみなんだよ」
抗議するように強めに言うと、今度は僕の頭をそっと撫でた。そうされた瞬間、胸がドキンとした。これは、意味を考えてはいけないやつだ、と心の中で自分に言い聞かせる。
和寿は、そんな僕の気持ちなど気付いた様子もなく、僕に笑顔を向けると、
「オレ、頑張るからな。期待してろよ」
そう言って、ようやく飲み物に口をつけた。
「今日も楽しかった」
満足そうに言う。上手くいってもいかなくても、彼の感想はいつもそれだった。僕は紅茶を一口飲んでから、
「それは良かった」
「え? 待てよ。ワタルは楽しくなかったのか?」
頬杖をついて、僕の顔を見ながら訊いてきた。僕は急いで首を振ると、
「違う。楽しくないなんて、そんなことはないけど」
「ないけど、何?」
食い下がってくる和寿。僕はハーッと息を吐き出すと、
「そんなことはないけど。どうしてそんなに訊くんだよ。もう、いいじゃないか」
「よくないでーす」
ふざけた感じで言う和寿。半分怒っていたはずなのに、和寿のその言い方が何だか可愛くて、つい小さく笑ってしまった。和寿は口を尖らせると、
「ワタルくん、オレを笑った?」
「笑ったよ」
近頃僕は、和寿に対してだいぶ敬語を使わないで話せるようになってきていた。和寿はわざとらしく溜息を吐くと、
「あーあ。ワタルに笑われちゃった……」
落ち込んだような口調でそう言うと、和寿は僕を上目遣いで見てきたが、すぐに笑い出した。
「ま、いっか。話は変わるんだけどさ。ワタル、夏休みって何か予定あるの? 実家に帰るとか。今、一人暮らしだよな? 長期の休みだし、やっぱり帰るよな?」
長期休暇だから、実家に帰る? 僕は首を思い切り振ると、
「実家に帰るなんて、全然頭になかったな。そうか。帰るのが普通なのかもね。でも僕、帰らないと思う。ファルファッラでのバイトもするつもりだし」
僕がそう答えると、和寿は目を見開き、
「え? 帰らないのか? 何で?」
「何でって訊かれても……。別に理由はないんだけど。何となくだよ」
──本当に、全く考えもしなかったな。何でだろう?
首を傾げながらそのことについて考えてみたが、やはりわからない。幸い、和寿はそれ以上理由を訊いてくることはなく、
「あ、そうなんだ。じゃあさ、発表会聴きに来てよ。うち、音楽教室やっててさ。父がバイオリンで、母がピアノ。八月の十日なんだけど、どうかな?」
「その頃は、ファルファッラがお盆休みだから大丈夫だと思う。行きたいな。バイオリンとピアノでしょ?」
「そう。一部と二部に分かれてて。一部は小さい生徒さん、二部が中高生。それから、オレ」
「オレ? 和寿も出るんだ? じゃあ、絶対行く。聴きたい」
「やった。来るな? よし。オレ、すげー頑張る。やる気がすげー上がった」
和寿は、笑顔で拳を握った。僕は身を乗り出して、
「それで、和寿。何を弾くの?」
「無伴奏のソナタ。何を弾くかは当日のお楽しみってことで」
「何弾くんだろう? すごく楽しみなんだけど。だってさ、和寿が一人で弾くのを、僕は聞いたことがないんだから。和寿が弾く時、いつも僕は伴奏してるだろう? だから、楽しみすぎるよ。ああ。早くその日になればいいのに」
わくわくし過ぎて、鼓動が速くなっている。
「楽しみだな。早く聞きたい」
そんな言葉を何度も発する僕を見て、和寿が笑い出した。僕はわざと顔をしかめると、
「笑った……」
不満そうに言ってやると、和寿は僕の頭をポンポンと叩き、
「おまえ、テンション高過ぎ」
「だって。だってさ。本当に本当に、すごく楽しみなんだよ」
抗議するように強めに言うと、今度は僕の頭をそっと撫でた。そうされた瞬間、胸がドキンとした。これは、意味を考えてはいけないやつだ、と心の中で自分に言い聞かせる。
和寿は、そんな僕の気持ちなど気付いた様子もなく、僕に笑顔を向けると、
「オレ、頑張るからな。期待してろよ」
そう言って、ようやく飲み物に口をつけた。

