同時刻、九はすでに最寄り駅に着いていた。
駅員もいない淡白な構内からスプレーで落書きされた商店街へ、鼻歌まじりに移動する。
店前や脇道でたむろしている少年少女は、髪や眉や爪の一部がなかったり制服が改造されたり、もれなく柄が悪い。
身だしなみをしっかりしているタイプの人は、はじめからこんなところに寄り道しない。
町にひとつずつそろった小中高は、右から順に不良校、不良校、不良校。校則はあってないようなもので、クラスメイトが全員そろう日は年に数回あるかないか。学級崩壊は日常茶飯事。
そんな底辺の地域で、放課後を満喫できるのは不良くらいだった。
不良の反対要素を溶かして固めたような格好の九が、のこのこ歩けば、とりわけ目立つのも必然だ。
「おいあれ」
「見かけねえ顔だな」
「あの制服、さくらのじゃね?」
「まじ? なんでこんなとこにいんだよ」
「絡んでくださいって言ってるようなもんじゃんな」
喧嘩番長だったころから1年もの時が経ち、風貌も180度変わっているために、あの少年が灰田九であることに誰も気づかない。
「お望みどおりいってやるか。おーい、そこのガリ勉くーん」
「あっ、どうもっ」
遠くからからかうヤカラたちに、九は後頭部をさすってほほえんだ。
「……なんでちょっとうれしそうなんだ?」
(あは、ガリ勉だって。褒められちった。やっぱいいことすると連鎖するもんだな〜)
ドン引きして距離を取る周りをよそに、自習帰りの達成感をメガネにこめ、通学路を闊歩していく。
物で釣る作戦は何の役にも立たなかったが、勉強の礼として、たまきをいじめていたという昨日の3人組に釘を刺したのは、我ながら英断だったと、九は自画自賛する。
元より借りを作るのは性に合わない。けれどそれを差し引いても、他人のために行動した帰りというのはとても清々しいものだった。喧嘩で圧勝したときとはまるで比べものにならない。
花弁を巻き上げる春風を、肩で切って歩いた。
「ただいまミケ!」
九が玄関の扉を開けると、そこは殺風景だった。親がいないのはいいとして、ミケは今日気分が向かない日だったようだ。
リビングでは、カーテンの隙間からこぼれる昏いひだまりに、やわらかな弧が垂れていた。
ひなたぼっこに夢中なミケに、九は堂々と足音を立てて帰宅を知らせる。リュックとブレザーを投げ捨て、名をささやいてようやく、とんがり山の耳と黄金の猫目がおっとり揺れた。
「ミケ〜いい子にしてたか〜?」
「……」
「俺もまじいい子だったぜ。はじめて人助けってやつやったんだ」
「……キゥッ」
どこか行こうとするミケに、待て待て、と力づくで抱きかかえにいく。それでも腕から抜け出そうとして、九はぎゅうっと抱きしめた。
「たまきと因縁あるやつがいて、俺がそれとなく縁切りしてきたんだ」
「キュ……」
「あ、手は出してねえよ? 俺はもう不良じゃねえ、頭のキレる優等生だからな!」
「キュゥゥ……ッ」
束縛されたミケのほうが手を上げる。シャッと九の手首に爪がかすった。
細く腫れた線が、しわのように重なる古傷を上書きした。
「ありゃ、またやっちった」
まるで自傷行為にも似た爪痕は、九とミケ独自の「体当たりコミュニケーション」であり、九は痛くもかゆくもない。
むしろもっとじゃれ合いたくて、手のひらでミケの顎を包み、5本の指で両頬を揉みしだく。九のは何もしなくてもでろんでろんにほぐれている。
ミケは傷つけた詫びのつもりか、ばたつかせていた手足を丸くした。そんなところもツボで、九は目にも止まらぬ早さでスマホのカメラ機能に永久保存した。
「ミケは今日もかわいいなあ!」
「キュゥ」
九の記念すべき初の人助けはたまきであるが、助けるという行為自体は、ミケのときがはじめてだった。
それから、九の手は傷つけるためではなく、愛でるためのものに生まれ変わった。
ミケにケガをさせられても、100倍返ししようなどとはもちろん思わない。
もう喧嘩はしない。
夢を追いかけ、愛が勝つ時代の到来。
季節は、桜満開の春である。



