元ヤンと現役


まだ半数以上の教室が消灯している、静謐な朝。
3階の最奥にこしらえる教室も同様ほの暗く、一番乗りした女子生徒が、どこか優越感なるものを湧かせながら電気のスイッチを切り替える。
LEDライトが点灯する……よりも早く、窓際後方の角にぽつんと明かりが差す。人魂のように浮いたそれに、女子生徒はぎょっと壁にへばりつく。涙目になりながらおそるおそる目を凝らした。
怪しい光を放つそれは、鈍い金色をした、髪の毛だ。
なんだー髪かー、と流しかけたところ、稀に見る色合いにつと我に返る。
ぱっと電灯が稼働すると、先ほどにも増して涙腺が荒ぶり出した。

やつだ。
そこにやつはいる。

まるで台所でGと遭遇したように、電気も点けずにいた先客を見た。
いっそ人魂であったほうが、実体がない分、まだ害がなかったかもしれない。
何せその先客、底知れない攻撃性を持つ男。金髪長身イケメンと属性てんこもりな不良、綿貫たまきなのだから。

全身から雷鳴のとどろく彼は、入学初日からブイブイ言わせ、1-Aに精神的な被害をおよぼした。
顔も見たくないと思うこと数知れず。昨日撮ったクラス写真は、配布されたら直視せず、見るときは半目で慎重にいこうとクラスメイト一同誓いを立てた。

とても良く言えば、不良の鑑。
でありながら、今のところ遅刻欠席はなし。ましてや、登校時間はいつもきまって朝礼開始15分前。サボり常習犯な不良のパブリックイメージを覆す規則正しさだ。

それがどうだろう、4日目にしてその規則性が崩されたではないか。
女子生徒は黒板の上にかけられたアナログ時計を確認する。まだ8時なりたて。朝礼まで1時間もある。自分と同じく予習のために早く来たならまだしも、たまきの机にはシャーペンさえ置かれていない。
いったいどんな心境の変化だろう。

とにもかくにも、女子生徒はカバンを盾に身を護った。許可なく電気を点けたこと、不用意にひとりの時間を邪魔したこと、もしかしたら呼吸していることすら、不良の逆鱗に触れかねない。
睨み・舌打ち・ため息・脅し、どれが襲いかかってもおかしくなかった。

だが蓋を開けてみれば、小鳥のさえずりのほか何もなく、のどかな朝が延長した。
そもそも、電気のスイッチは許可制ではないし、教室は学校の所有だし、何も悪いことはしていないのだから責められる筋合いもない。わずか3日で確立された従属関係が、常識感覚を狂わせていた。

お咎めなしなのはもちろん喜ばしいが、今までとちがうとそれはそれで不安になる。
女子生徒は意を決して、ちらっとたまきのほうをうかがった。
いつもは人の目に過敏ですぐに殺気立つたまきは、今日はどこか上の空だった。
実際に窓の向こうの青ざめた天空を眺め、ぼーっとしている。おそらく2人目の入室者に気づいてすらいない。教室の電気についても念頭から抜け落ちていただろうことが、容易に推察できた。

4日目のこの異変の多さ。
昨日何かあったのだろうか。でも何が? 知る手立てがない。
女子生徒はせっかく早起きしたのに、まったく予習が手がつかなかった。

その後、クラスメイトが続々と登校してきても、たまきは変わらずたそがれていた。
全体的に覇気がなく、たまに手のひらに落ちる瞳は、空の色を染み込ませたように瑞々しい。
クラスメイトはみな、にわかに信じがたく、黒板前にて緊急ミーティングが開かれた。

「え、ちょ、何? 何かあった?」
「あれ本当に俺たちの知ってる、東の金鬼(ヤンキー)!?」
「剣山だと思ったらハリネズミでしたーってくらいちがうくない!?」
「最初からずっとあんな調子だよ……逆に怖い」
「何か悩みごとかな? 不良も、一応人間だものね……」
「眠いんじゃねえの? 睡魔には物理攻撃効かねえし」
「じゃあなんで朝イチでいるのよ」
「やっぱり昨日何かあったんじゃない? 駅で騒ぎがあったって聞いたよ」
「気になる……けど聞きに行く勇気は、私には……」

円陣を組んでひそひそと話し込む最中、

「何が気になるって?」

メガネをかけた顔が、文字どおり首を突っ込んだ。
渦巻き模様のレンズをはめこんだメガネに、クラスメイト一同、息を合わせて叫ぶ。

「は、灰田くん!!」

キタ、救世主!
垢抜けない小兵なナリをしていながら、器のでかさはクラス一、いや日本一とも言える男。たまきの隣の席をかれこれ3日間勤め上げている、灰田九のご出勤だ。
彼がいれば百人力。他力本願な活路に心苦しさはあるものの不安解消にはこれしかない。
お勤めご苦労様です! とクラスメイトが足並みそろえて頭を下げる――一歩手前、空の青さに浸っていたたまきの眼が、急にグワッと前方に振られた。
鬼のツノがにょきっと生えたように覚醒した面貌に、多くのクラスメイトの口から魂が抜けていく。

「あっ、たまき!」

しかし、対たまきのスペシャリストにかかれば、スマイル(¥0(プライスレス))で鬼退治できる。
決まりが悪そうに目を逸らしたたまきに、追撃するかのごとく、九は挨拶もなしに近寄った。

「昨日はごめんなー?」

黒板前から身動き取れずにいるクラスメイトは、耳をピクリと疼かせる。
昨日。それは今まさに物議を醸していたトピックではないか。

「話したいことあったんだけど、つい居眠りしちまって。電車ってなんでああも寝やすいんだろうな? 起きたらもうおまえいないし」

九は自席にリュックを放ってすぐ、たまきの机に両手をついた。

「だから今日こそ言う! 俺さ、おまえに――」

まるで告白でもしかねない気迫に、オーディエンスは胸を熱くさせる。
肝心の受け手の目線は、新品同然の机の上にあった。
艷めく木目に突如咲いた、端の赤らむ白肌の手に、たまきは5枚の花びらで成る可憐な桜を連想する。

「ちっちゃ……」

口が滑り、あっ、となる。
九も思わず「あ!?」が出た。

「おまっ、人が気にしてることを……!」

傍から見れば、ヤンキーに盾突く陰キャの図。
周囲はさっと肝を冷やした。

(灰田くんストップーーー!!!)
(何を言われたのかわからないけど、ここはこらえて! 命を無駄にしちゃだめよ!)
(怖いもの知らずにもほどがある……!)
(ああ……この教室はもうすぐ血の海になるんだろうね……)
(さっきまであの不良に動きがなかったのは、いわゆる嵐の前の静けさってやつだったのかな……)
(今日まで他人任せにしすぎた罰かもしれねえな……悪かったよ、灰田……)
(せめて今のうちに降伏してくれ、後生だから)
(謝って済めばいいけど……)
(クラス全員で土下座でもしようか。みんな一緒なら怖くないよ。嘘、怖い。超怖い)

やっぱり、今日も今日とて荒れ模様。寒暖差が激しく、ブレザー一枚では耐えがたい。
クラスメイトが熱心に合掌しても、頼みの綱である九に引く気は見られなかった。

「今言ったのはこの口か? あぁ?」

九は利き手でたまきの両頬をがっつりつかみ、無理やり自分のほうに顔を向かせた。
この状況でたまきは真顔でいる。
クラスメイトはこの世の終わりを悟った。

「自分が背ぇでかいからっていい気になんなよこんにゃろ」

九はかまわずアクセルを踏み続ける。
至近距離で突き合わせた顔、ぐんと下降させた声色。どうやら先ほどの発言を身長のことだと勘違いしていた。

「い、いや、ちっ……」
「ん? もっぺん言わせる気か?」
「……」

花のようにかわいらしい外形に、無数に秘められた棘。
だんだんと深くのめりこんでいく。
たまきは口をつぐんだ。というか、ホールドされた顎がびくともしない。

(……不良やめたんじゃねえのかよ)

元ヤンの名残を肌に感じ、たまきはなんとも言えない気まずさがあった。
教室を血の海にするとしたら、それはたまきではなく、かつて西の辰炎と警告されていた九のほうだ。
だがここで下手に抵抗したら、罪は一手に現役のたまきにおよぶだろう。あらぬ誤解を生むのは極力避けたい。

それに、一応、失言をした自覚はある。
例のちっちゃい発言。誓って故意ではないし、悪意もない。ただ、昨日のことを思い返していただけだ。
そしたら昨日のキーマンの呼び声が聞こえてつい、サンタを待ちわびた子どもみたいなリアクションを取ったり、仲良しでもないのにつないだあの手が視界に入ってふと、第一の感想をリフレインしたりしてしまった。
どんな顔をすればいいのか、何と言えばいいのか、わからなかった。とりあえず失言の非を認めようにも喋らせてくれないし。

たまきの視覚にドアップで映る九の顔は、そのほとんどをメガネが占めている。
素顔を知ってしまったたまきには、メガネ越しにどうしても人相書きの絵がよぎった。

あの顔がきっかけで、昨日は早めに帰宅できたと言っても過言ではない。
そのおかげでストレスは少なく、ひさしぶりに8時間ぐっすり熟睡したし、今朝も目覚まし時計が鳴る前に起床できた。
だからだろうか、特に過去を隠しているわけでもないのなら、メガネなんかしなくてもいいと思ってしまう。どうせダテだろうし。

そっちのほうが好みとかではなく。
断じて。

生粋の“顔はこだわらない”派であるたまきは、意識なく黒縁の飾りを睨んでいると、ふっと顔下にかかる力がゆるんでいった。代わりにムニムニとたいして弾力もない頬をつままれる。

「いいし別に。ミケよりでかけりゃそれで」

タコの口になるたまきにつられ、九の唇もつんと尖る。
あらやだかわいい。
と思ったのは、三途の川を渡りかけたクラスメイトのうち真っ先に息を吹き返した、本日2番目の登校者である女子生徒だ。リアルでも目覚めが早かったのが祟ったのか、窓辺で雨降って地固まる光景を天国と見紛えた。
だって、先入観なく見たら、あんなの実質イチャコラだろう。

「……ミケ?」

されるがままのたまきが問うたのは、九の行動ではなく言葉のほうだった。昨日電車でそんな寝言を聞いたような記憶が、うっすらと浮き上がったためだ。
すると九の手がまた勢いをつけた。グイッと顎を持ち上られ、今でさえ近い距離がメガネの当たるすれすれまで引き寄せられる。

「気になる!?」

レンズの壁があってないようなものだった。
ぱっちりと開かれた瞳の、その細かな色の変化までありありと伝わる。
たまきは自分の心音が変わったのがわかった。何かのスイッチが作動したのだろうか。音の鳴りが身体を盛り上げる。

「写真あるよ。見る?」

九の握力上昇が止まらない。
頬の痛みにハッとして、たまきは九を押し返した。思いのほか強度な衝撃が加わってしまい、あわてて九の身を案じるが、当人はといえば涼しげにたたずんでいる。引きはがされた利き手を華麗にひるがえし、ズボンのポケットからスマホを取り出してみせた。

「はー、しゃーねえなー。いいよ、見せてやるよ。特別だぞ?」

九も変なスイッチが入ったようで、たまきを置いてけぼりにして話をどんどん進めていく。

「んー、どの写真がいいかな」
「い、いや……」
「まあ待てって。今選んでっから」
「な、何……」
「ミケのベストショット、見せてやるよ」
「だからミケって……」
「どれもめっちゃかわいいんだけどな!」
「……」

スマホとにらめっこする九は、たまきと話しているようで話していない。
先ほどまであれほどたまきに釘をつけていた目は、今はすっかりスマホの向こうにいる「ミケ」に骨抜きにされている。
たまきは眉をひそめ、反対方向の窓側へ首をねじった。

「……いい」
「あっ、これなんかいいかも!」
「いらねえっつってんだろ!」

語気を燃やして言い放ち、今日初の舌打ちをこぼす。
1-Aの教室だけ湿度が著しく低下していく。
マイペースな九も、さすがにスマホから顔を上げた。

「なにカリカリしてんの?」

(知らねえよ。おまえのせいだよ)

左右の脳で矛盾を生じさせながら、たまきは乾いた唇の皮を剥ぐように歯を立てた。
こころなしか胃がムカムカした。起きたのが早すぎて腹が空いていなかったから朝食を抜いてきたのだが、それがいけなかったのかもしれない。
食欲があるかと言われればそうではない。けれど空っぽな体内は何かに手を伸ばそうとしていた。

トン、と机に影が落ちた。
横目に見てみれば、そこには青と白に配色された紙パックが忽然と置かれていた。

「は……? 何、これ」
「牛乳」

見ればわかることを、九が真面目に答える。
200mlのそれにもちゃんと明記されてある。丸文字のフォントで「牛乳」と。
たまきが知りたいのはそういうことではない。

「それやるよ。よく舌打ちしてるし、カルシウム不足かもよ?」
「……」

その紙パックの牛乳は、九のリュックであたためられていたものらしい。
なぜ当たり前のようにそれをを持ち運んでいるのか。新入生テストでオール満点を取ったたまきでも、そのリュックが四次元ポケットでない限り、説明がつかなかった。

「で、これが俺の分」

黒いリュックからもうひとつ同じ紙パックが出てきた。なんだかんだ言いながら、九はやっぱり身長を気にしていた。
たまきは自分を心配してのことかと自惚れかけた意識をすぐに粉砕した。所詮、ただのついでだ。1個おまけでもらったのだろうと新たに仮説を提げる。
それでももらえるものはありがたくもらっておく。たまきは牛乳パックを手に取った。

「あと、こっちはミケの分!」

ベコッ。
3個目の出現に、たまきの手にある紙製のそれが内側に大きくへこんだ。付属のストローを刺したあとだったら大惨事になっていただろう。

「なんかうまそうだったからついでに買っておいたんだー」
「……へえ」

つまり、たまきのは、ついでのついでということ。
だとしても、もらえる事実に変わりはない。だけどいい気もしなかった。
隣でぺらぺらと紙パックの猫のイラストがかわいいだの、甘めな味らしくてミケも気に入るだの、どうでもいいことばかり語る九に、たまきは静かに牛乳パックを絞めていく。

(ミケミケって、まじで誰だよそいつ。猫みたいな名前しやがって)

まさか本当に三毛猫にミケと名付けているとは思いもよらず、たまきは九の惚気を拒絶するように中身の詰まった牛乳パックをストローでめった刺しにした。濁った液体が数滴、手元に飛び散る。
ほのかにぬるく、濃密な跡。感触は返り血とさほど変わらない。
ストローをつけたあとも、たまきはしばらく口をつけなかった。

(うーん……また勉強の相談しそびれちまったな)

九はうなじあたりを掻きながら、右手にスマホ、左手に牛乳を2個握りしめる。
愛猫だらけを保存したスマホの画面には、最近のお気に入りの寝顔ショットが写っていた。それを見て癒されながら、人猫兼用の牛乳をひとつリュックに戻し、もうひとつをごくごく飲み始める。

(先にごきげん取っておくのもありかと思ったけど……やっぱ安物じゃだめかー)

九は不良時代から基本的に手段を選ばない性格だ。
今回も、実は、私情のために物で釣る気満々だった。いろんな意味で甘い。