新入生テストとは。
その名のとおり、新入生の学力を測るためのテストのこと。
さくら高校では入学式の翌日に実施される。
教科は英数国の3教科。中学課程の復習がメインだが、春休みに課せられた宿題も出題範囲に含まれる。
成績にも影響するらしい。
いわば新入生格付けチェック。
偏差値65オーバーの名門校が独自に作成した試練は、受験戦争の解放感を、持つ価値無しと切り捨てにかかる。
いまだかつて全問正解した真の一流はいないというが――
「なんとこのクラスに、新入生テストでオール満点という偉業を成し遂げた者がいる!」
――満を持して現れてしまったようだ。
担任の先生による発表に、1-Aの教室はわっとボルテージを急上昇させた。
入学式、新入生テストと連日イベント目白押しで、入学から3日経った本日も、午後イチにクラス写真の撮影という大事な予定がある。現在は、その撮影の順番待ちを兼ね、ホームルームをしている最中であった。
新年度にありがちなイベント疲れがたたっているのは、何も生徒だけでなく、どちらかというと計画進行を任されている先生のほうが重症だ。
にもかかわらず、たった1日で200名近い生徒の採点を終わらせた仕事の早さ、時間管理の上手さに、九は声を上げて感心した。さすがさくら高校、教師陣も有能だ。
「おおー、先生シゴデキー」
(絶対今そこじゃねえだろ)
拍手する対象がひとりちがうことに、九の隣の席であるたまき以外は気づかない。
ふたりを除く1-Aの生徒が騒いでいるのは、テスト3科目満点という前代未聞の快挙を受けてのことだとは言うまでもない。
九ももちろん驚きはしたものの、確実に自分ではないのでたいして気持ちが乗らなかった。ノーベル賞を日本人が受賞したのをニュースで聞いたときと同じ感覚だ。なんかすごいけど現実味がなく、なんとなくで祝う。九の場合、1年前までニュースもまともに見てこなかったけれど。
(あっ、でも、オール満点採ったやつに勉強教えてもらったらいいんじゃね!? あのゲキムズなテストを全問正解したんなら、わかんねえことねえだろ!)
新入生テストでは時間が足りず全問解くことすら叶わなかった九は、さも天才的なひらめきを思いついたようにニヤリとほくそ笑む。キャラ作りのメガネが光ってなかなかに怪しい。
横目に盗み見ていたたまきは、少しばかり窓側に身をずらした。
(百面相……?)
ふつうではないと感じてはいたが、やっぱりどこかおかしいのかもしれない。
入学して3日経っても、九が何を考えているのか、たまきはさっぱりつかめなかった。どこにでもいそうな容姿との差に風邪を引きそうになる。
こんなタイプははじめてで、変に意識してしまう。
沸騰中の話題にはちっとも反応しないのに。
「テスト合計300点、堂々の1位となったのは……!」
20代後半、学生時代はサッカー部だったという熱血漢な担任は、盛り上げ上手で、自分のことより生徒の疲労を吹き飛ばす。
そのおかげか、もったいぶって言葉を切ったとき、ひそかに生唾を飲みこんだ音はあまり目立たなかった。
「し、出席番号30番、わた……」
――ガタンッ。
息継ぎの増えた担任の声にかぶせ、物音が響く。
楽しい空気が一転、目の覚める静けさに包まれた。
今まで無反応だったたまきが、突然椅子を引きずって立ち上がったのだ。
「綿貫、た、たまき……くん……」
担任が口角を引きつらせて名をこぼす。
教室に整列した30個目の椅子。それが、たまきの座する、窓際の奥の席だった。
たまきは知っていた。自分がテストで好成績を収めることを。
まさか3教科満点とまでは想像していなかったが、とりたてて騒ぐほどではなかった。
実際に自分を代名する番号が呼ばれ、逆にげんなりしてしまった。不可抗力にも雰囲気をぶち壊しにする未来が、目に見えていたからだ。
さっさと済ませようと気持ち早足で前に行く。
180センチを超えるたまきが、席と席の間の狭い通路を通ると、その近辺に自席を所有するクラスメイトは巨大な怪獣に襲われているような激震を被る。
教壇横に着いたたまきを、担任は努めて明るく迎えた。
「は、はい、おめでとう、わ、綿貫くん」
額に汗を浮かべた愛想笑いは、なんともまあ不格好で見るに耐えず、たまきの整った顔面は冷ややかに陰った。
(こうなることは先生もわかってたろうに、受け持ちのクラスで快挙を上げたのがそんなにうれしかったのか。それか、僕は公平ですよアピールか?)
最終的に腫れ物に触るような扱いをするなら、最初からしないでほしかった。常日頃慣れてはいるが、苦痛であることに変わりはないのだ。
成績表を奪うようにして受け取ると、間髪入れず踵を返した。
「さ、さあっ、みんな、は、拍手……!」
とってつけたような担任のかけ声に、たまきはため息が出た。
クラスメイトは顔を見合せながらおそるおそる手を叩く。
パチ、パチ、パチパチ……。
そぞろに波打つ拍手の音。ないほうがまだマシに思える。
形だけの賞賛より、心からの不信感のほうがはるかに勝っていた。
(オール100はすごい、けど……)
(あのヤンキーが? 「東の金鬼」って呼ばれてんのに?)
(信じられない……)
(カンニングしたんじゃないの?)
(今年の新入生テスト、過去最高の難易度って噂だったじゃん)
(1教科満点取るのもひと苦労なのに)
(3教科全部? それって可能?)
(問題用紙パクったりしてねえよな……?)
(ここにいるのも裏口入学だったりして)
疑心暗鬼になるクラスメイトは、金髪とピアスを盛った強面に、いかようにも悪い方向に想像できた。
疑いの目を表立って見せていない……つもり。
けれど、いやな慣れのあるたまきには丸見えだった。
(はあ……うざ。テスト、手を抜けばよかったかな)
新入生テストでの未曾有の結果に、不正はない。
教師陣による鉄壁のデータ管理と試験監督で、それは証明されている。
……とはいえど、教師陣の中にもたまきの見た目に騙されかけた人が何人か――担任含め――いた。
が、実のところ、たまきの過去の実績に黙らされた。
入試でもたまきは首席だったのだ。入学式での新入生代表挨拶を推薦入学者が担当したために、その事実を知る生徒はいない。
中学でもテストの順位は常に1桁だったという記録が残っている。このような大々的な順位発表の文化が中学にはなく、やはり生徒側に知る術はなかったようだが。
不良でなければ、通知表はオール5だったにちがいなかった。
おわかりいただけただろうか。
そう、たまきは、外見にそぐわず頭がすばらしく良いのである。――どこかの誰かさんとはちがって。
それでもやっぱり外見の強度には逆らえず、基本タフな担任は小鹿のように震えてしまい、教室にはびこる誤解を解くこともままならない。
シゴデキともてはやしていた九とは反対の評価を、たまきは抱きつつあった。
たまきが目で周りを舐めれば、数多の視線がさっと逃げていく。
冷水を浴びたようにこわばった姿。自然消滅していく拍手。
1位と印字された成績表が、ぐしゃりと折れた。
早く席に戻るのが吉だと前を向き直すと、誰かと目が合った。
(え……)
たまきは瞬きを数回繰り返した。
光に反射してよく見えないが、たしかに今、目が、合っている。
それも怪しみ、煙たがり、忌み嫌う目ではない。
きらきらとした効果音が聞こえてきそうな、無邪気に澄んだ眼差し。
惜しみなく送ってくるのは、隣の席である九だ。
(ラッキーーー!!)
九はたまきをガン見しながら、机の下でガッツポーズをつくった。
たまきと距離を縮めて勉強を教えてもらえたらな〜と安易に考えていた手前、元ヤンの経験上、不良はみな総じておつむが弱く、漫画に出てくるようなクレバーな参謀タイプは絶滅危惧種にある傾向があった。
平たく言うと、九もクラスメイトと同様、見てくれに騙され、たまきのこともあわや同類認定しかけていたのである。
ところがどっこい。
裏切られた。いい意味で。
(まあ同類だったらそれはそれで、切磋琢磨して競争しよっかなって思ってたけど……おいおいまじかよ。俺の隣がテストオール満点ですってよミケさん! すごくね!? 俺にもとうとうツキが回ってきたようだぜ!)
わからないところがあれば、隣の席の特権で授業中でもかまわず聞きに行こう。九は熱い握りこぶしにそう誓う。
相談相手は安心と信頼の実績を誇る、いわば勉強のプロフェッショナル。解決能力は教師陣に負けずとも劣らないはずだ。
正直、職員室に直接伺いを立てたほうが内申的にも得策だ。それでもあまり教師を頼る気になれなかった九は、彗星のごとく現れたイカした秀才同級生を、全身全霊で崇めたてまつった。
天高く昇った太陽の日差しが、まるで後光のようにたまきを照らす。金髪の相乗効果でよりまぶしく見えた。
(な、なんだあの目……ヤる気か?)
古臭いレンズを盾に、目を逸らさないどころか睨むように細められていく様に、たまきは反射的に身構えた。
あれは、喧嘩を売られるときしか見ない目つきだ。
(きらめいて見えたのはメガネだったんだ、きっとそうだ、そうにちがいない。だって……俺に何の敵意もないなんて、そんなこと、あるわけ……でも……)
IQが高いわりに鬱屈した偏見により、ポジティブな発想に至らないのは、クラスメイトとの数少ない共通点といえるだろう。
たまきの脳裏に、あの日――九と初対面した入学日がよみがえる。思い返せばあのとき、九の目にいやらしさは感じなかった。
今だってそう。
あの日からずっと、九だけが唯一、逃げも隠れもせず、たまきと向き合っている。
敵対する以外に何の意図があるというのか。皆目見当もつかなかった。
たまきは混乱のあまり自分から目を背け、自席に集中力を全振りした。
「そ、それじゃあみんなの分も、名簿順に配るぞー!」
たまきが席に着いたと同時に、担任が開き直って、手に持つ成績表の束を見せびらかした。つられてクラスメイトも、いやそうに、それでいてうれしそうに返事をする。
異例の名簿繰り上げでターンを終えたたまきは、テスト結果が印字されただけの紙ゴミを机の上に放り捨て、周囲を遮断するように窓の外を眺めた。
だがしかし、窓ガラスに九の顔がばっちり写りこみ、独りにさせてくれない。
しかも見間違いでなければ、真正面の顔。すなわち、たまきのいるほうを向いている。ちょっとホラーチックで、たまきは振り返れなかった。
窓に反映される九の顔が、どんどん大きくなっていく。椅子ごと接近しているのが気配でわかった。
「なあ。テスト満点ってまじ?」
ド直球に話しかけてくるとは思わず、たまきは喉を詰まらせた。
うんともすんとも言えずにいると、九はしれっと無許可でたまきの成績表を見やった。
「まじじゃん! すげえな!」
一点の曇りなく褒めちぎる声色。
その声と変わらない温度の表情が、窓ガラスに描かれる。
月並みのやさしさでも、免疫のないたまきには、100点のテストより断然価値があった。
「隣の席がたまきでよかったー!」
こみ上げる熱の衝動につられ、たまきは声のする真反対の方向へ顔を向けた。
窓越しに見えたあどけない笑顔が、思いのほか間近にあり、心臓がドッと膨らむ。
なぜかピアスが両耳とも熱く感じた。
「よ、よかったってなん――」
「はい次、出席番号24!」
「あっ、俺だ。はいはーい!」
もごもごと紡いだたまきの問いかけは、むなしくも打ち消されてしまう。
成績表を受け取りに九はさくっと席を立った。
九のテストの結果は打って変わって散々だろう。自己採点済みで、ある程度予想はついている。
しかし、今、九の足取りはスキップしそうなくらい軽かった。
(はあ、学年首位が隣の席にいる安心感たるや。ミケと雰囲気似てて、ダブルで俺得だ)
しめしめと口角を突き上げる。
その顔がたまき視点ではさぞ幸せそうに映った。
性根は、勉強を教えてもらいたいという自分勝手な欲に従順な、単純な子どもだ。
どれだけ知識や経験を培ったとて、正確に読み解くのは難しい。
「出席番号24! 24番! えーと……はい、だ……灰田、くん……」
「はい、俺です、灰田九です」
「おっ……お、おう、来たか」
成績表の上、出席番号の記された右隣の名前欄に目を通した担任は、呼びかける声をふたたび淀ませた。正面にひょっこり現れた九に、一歩あとずさる始末。
野暮ったい髪型とメガネに忍ばせた、飄々とした素顔に、担任はぞくりと背中を凍らせた。
灰田九。その名が隣の地区を大いに脅かしていた噂は、入学前の段階で教師陣に周知されていた。
だから現在進行形でグレているたまきとセットで1-Aに入れ、席を隣に仕組んだ。お互いがお互いの抑止力になるように。
-×-=+。方程式はやはり正しく、ふたりでいるほうがプラスに効いている節がある。
しかし、ひとたび式を崩し単体になったとき、マイナスはどこまでもマイナスだった。負のオーラが腹の中からしみ出ている。
思い込みの産物だとわかっていても、担任の疲れた心にはクるものがあった。自分よりも年下に、受け持ちの生徒に、気後れしてはいけない、いけない、と逆らうほどどつぼにはまっていく。
「ちょっとセンセー」
どこかからかうように話しかける九に、担任は営業スマイルのまま固まった。
すでに過半数に成績表が行き届き、それぞれ一喜一憂してにぎわっている教室で、九の声は埋もれ、近くにいる担任しか拾えない。
「そんな怯えないでくださいよー。ひどいなー」
ギクリと担任は顎を引く。
教卓に両肘をついた九は、下からその二重顎を見つめた。
「まったくもう。俺たち生徒の前っすよ?」
メガネのフレームの奥に、ぎょろりと上擦る黒目。
「俺たち」――仲間意識の芽生えたたまきの分もプラスして、牽制しに来ている。
そう受け取った担任は、棒読みの笑いを機械的に吐き出した。サッカーで鍛えた肉体がひとたまりもなく力をなくし、10本の指で確実に支えていた九の成績表をひらりと落とす。
成績表の紙が教卓につく前に、九の手がそれを鮮やかにかっさらった。
最低な順位を隠すように細切れの紙を握ると、九はそっけなく担任のそばを離れた。
(先生、好ききらいわかりやすすぎ。クラスのみんながいるとこであんま顔に出すなよなー。そりゃ、俺、クラス最下位っすけど)
九に裏はない。
言葉のとおりの意味で愚痴っただけだった。
成績表をキャッチする直前に、持ち前の動体視力でクラス順位を確認できてしまい、好感を持たれない理由を察した。
覚悟はしていたが、いろんな意味で少し落ち込んだ。
(……けど!)
顔を上げた先に、明るい未来がある。きんきらきんの、髪の毛とともに。
あれは、1等賞の色だ。
(俺の隣にはたまきがいる!)
全員分成績表を配り終えたあたりでちょうど出番の来たクラス写真の撮影では、九の笑顔がピカイチ写りがよかった。



