元ヤンと現役



九は、1年前まで悪名高い不良だった。

元々、生まれ育った町が、治安の悪さで有名なところだった。
さくら高校のような名門校を誇る都市は、比較的に生活水準が高く、住みたいランキングにも常に上位にランクインしている。しかしエリアを一歩外れると、追いやられたかのように一気にランクが下がる。
その底辺に位置づけられる地区の西の町に、九は産まれた。あげく親ガチャにも失敗。ヤンキー街道まっしぐらになるのは必然といえた。

気まぐれに髪色を変え、耳に穴を開け、学校をサボり、喧嘩を買っては売り、自分の身体をボロボロになるまで痛めつける日々。
そうして中学に上がるころには、誰も手をつけられなくなっていた。学校のネット掲示板には「この顔を見たらご用心!」と九の人相書きが出回っていたほどだ。

そんな生活を続けていた、とある早春の日のこと。
いつものように柄の悪いヤカラに絡まれ、殴るなり蹴るなりして全滅させたあと。家路についた九は、アパートの自室が点灯していることに気づくや、玄関に血反吐を吐き捨て、来た道を引き返した。
空はもう真っ暗で、まばらに星が散っていた。
立ち寄った近場の公園には、人っ子ひとりいなかった。
鳥のフンがアートっぽくこびりついたベンチに寝そべり、羊の代わりに星を数える。いっこうに睡魔は来ず、口腔内にしみる鉄の味が濃くなるばかりだった。

「家には親がいるから帰りたくねえし、公園で寝る以外にすることねえし、でも寝れねえし……はーあ、どうしよっかなあ」

錆びついたブランコやジャングルジムを、満足に楽しめる年齢はとうに越してしまった。
どうしたもんかと身をよじる。凍てついた風が傷口に障った。春先といえど夜はまだ寒い。これからさらに冷えこんでいくだろう。

「暇だし、どっか風よけのある場所でも探しに行くか」

途方に暮れた九は、とりあえずベンチから起き上がった。
ギシリと木製の板が軋み、砂埃が立つ。

「――キュゥ」

そのとき、名前を呼ばれた。……気がした。

「え?」
「キュゥ……キュゥ……」
「え??」

モスキート音ほどに甲高く、それでいて風音で簡単に消え入るか細い声。それでも夜のしじまの中では、クリアに聞き取れた。空耳でもなければ、幽霊の類でもなさそうだ。
泣き声にも似たその小さな短音は、九しかいない公園の一角に繰り返し響いた。

九は暇つぶしがてら音の出どころをたどってみる。どうやらベンチの下から音が鳴っているようだ。
屈んで覗いてみれば、キューウ、と呼び留められた。

ダンボールに入った、小さな猫に。

「……は? 猫?」
「キュゥ」

あれか、捨て猫ってやつか。
はじめて遭遇した九は、なんとなく他人ごとのように思えなかった。
キュゥと鳴くたびに弱まっていく声。やせ細った胴体はぷるぷると震え、ダンボールの下に敷かれた新聞紙でかろうじて暖を取っていた。
どこにでも毒親というのはいるものだ。
人も猫もたいして変わらない。

「……にしたって、わざわざこんな見つかりづらい場所に置くこたぁねえのになぁ」

九はダンボールをつかみ、引っ張り出した。微妙にやわらかい感触が手に伝う。ダンボールは水気を吸い、くたびれつつあった。
そういえばその日は午前中、雨が降っていた。

「あー……なるほどね。どっかの親切な誰かが、雨よけにそこに入れてやったのか」

んでその人はまるっと拾ってやりはしなかった、と。
合点がいった九に、正解と言わんばかりに猫が鳴いた。
ダンボールの中には猫と新聞紙以外に何も入っていなかった。ベンチで雨はよけられても、飢えからは逃れられない。せいぜいそこらへんの水や草でしのぐしかないが、どうせいずれ毒に当たって終いだ。

「俺も何度腹痛に耐えてきたことか……。なんで生きてんだろうな」

地面に尻をつきカラカラ笑う九を、猫はただじっと見つめた。
今夜の月みたいに半分欠けた、緑がかった金色の目。
逆立った白い毛に点在する、色素の薄い黒や茶のまだら模様。
いわゆる三毛猫という種類にあたる。

「あっ、三毛猫ってたしかオスがちょーめずらしいんじゃなかったっけ」

オスなら高値で売れるかも。そしたらこいつも新しい飼い主が見つかってウィンウィンじゃん。
見え透いた下心で猫を抱きかかえる。

「……なんだ、メスか」

ペチ。

「いてっ」

肉球が力なく九の頬を叩いた。
こころなしか猫の顔が険しくなっている。

「ご、ごめんて。女の子にすることじゃねえよな。うん。失礼しましたー」

あわててダンボールに戻そうとすれば、またペチペチ当たられた。
いったいどうしてほしいんだ。
困り果てていると、猫は九の手をすり抜け、あぐらをかく足元にうずくまった。

「え、ちょ、立てないんですけど」
「……キュゥ」
「その鳴き方もやめてくんね? 俺の名前に似てて気まずいんだけど。猫ならふつうニャーだろ」
「キューゥ」
「なんもやめてくんねえじゃん」

こうなったら無理やりどかすしかない。
手を伸ばすと、対抗するように猫の舌が伸びた。
喧嘩帰りで生傷だらけの手の甲を、ざらついた舌先に舐められる。

「……傷、治そうとしてくれてんの?」

消毒もせず放置していた傷口に、獣臭い唾液が混ざる。傷口からじわりと赤色がにじみ出て、すぐに手を引っこめた。
猫は名残惜しそうに自分の足を舐め、そして九の太ももに身をすり寄らせた。

「キュ……キィユゥ」
「……」
「キュゥゥ」
「……俺と、来たいの?」

観念して問えば、垂れた三角の耳がピコン! と跳ねた。人語を理解しているとしか思えない反応速度である。

「まあ、別にいいけどさ……」
「キッ、キュウ!」
「俺んち、まじ最悪だよ?」
「キューゥ」

猫は太ももからふところあたりまでのぼり、ぐったりもたれかかった。
後悔しても知らねえぞと脅しても離れる気配はなく、泥だらけの学ランにどんどん毛を貼りつける。

九は仕方なく猫を抱きかかえたまま公園で夜を明かした。
朝になったらスーパーに行き、稼いだ金――喧嘩の賭銭――で水とキャットフードを買った。わざと時間をかけて家に帰ると、明かりはすべて消えていて、安心して中に入れた。

猫は九の部屋で飼うことにした。
親にいちいち報告はしなかった。あまり家に長居しないし、端から関心もないことはわかりきっていたから。

(それに……長くは持たねえよどうせ)

水を注いだ皿に顔を突っこむ猫を、九はどこか冷めた目で見ていた。
視線に気づいた猫は、ゆっくり近づいてくる。うしろ足を引きずりながら。
汚れの目立つ白い毛にところどころ付着した赤い血。九のがついてしまった……というわけではなさそうだった。
体重も軽く、軽すぎて、いなくなっても気づかなそうで。実は、家につくまでちょっとひやひやしていたのだ。

いつどうなってもおかしくない。
九の行為は傍から見れば単なる偽善だった。
いや、気まぐれに拾っておいて、適切な療養は施さないのだから、かえってたちが悪い。
所詮、墓の場所が移っただけに過ぎなかった。
それなのに刷り込まれた雛鳥のように懐く猫を、バカみたいに思っていた。

猫との共同生活は想像以上に面倒だった。
家で髪を染めていれば染料に猫の手が伸び、耳たぶの穴を拡張しようとすればピアッサーをくわえて逃げられ、寝坊したまま学校に行かずにいれば口うるさく鳴かれ、喧嘩帰りは決まって傷を舐められた。
実の親にもそんなにかまわれたことのない九は、今までにない疲労感に振り回された。だからといっていやな感じはなく、ふしぎと毎晩よく眠れた。

1週間が経ったころ。
実態のつかめない疲労を発散させるように喧嘩に明け暮れ、ひさしぶりに朝帰りになった。
くたくたになって玄関を上がり、ふと違和感が浮かぶ。いつもなら九の部屋の扉をガリガリ引っ掻く音と、キュゥキュゥと鳴く声が聞こえるのに、その日は物音ひとつしなかった。

(……まさか)

急いで自室に駆けこんだ。
九の脱ぎ捨てた服のそばに、ぽつん、と毛むくじゃらな塊があった。
猫だ。
服の裾に頭を置き、横たわった猫は、目を閉じたままぴくりとも動かない。衰弱した体は呼吸するのがやっとの状態で、九の帰宅にも気づいていなかった。

長くは持たない。
そんなことわかっていた。わかったうえで拾った。意味なんかない。傷をほったらかしにしていたのも、そう。
同じように考えていた。傷だらけの自分と。

でも。

いざそうなると頭が真っ白になった。
血の気がすっと下がり、視界がぼやけていく。
たった7日、一緒にいただけなのに。
その日はやけに傷口がひりついた。

気づいたときには、脱力した猫を床に落ちた服ごとすくい上げ、病院へ向かっていた。

「ごめん……ごめんな」

道中、走りながら何度も、呂律の回らない言葉をこぼしていた。
自分で自分の感情がわからなかった。
猫を抱く腕はいつになく震えていた。

地元の動物病院は、早朝に悪い噂の耐えない不良が来たことにはじめこそ警戒したものの、猫の容態に気づくなりすぐに診察を始めた。
注射がどうの栄養がどうのと説明してくれたはいいが、九は半分も理解できず、最後に大丈夫と言われてようやくほっと肩の荷を下ろせた。

特に重傷だったらしい足のケガの治療を終え、1時間ほど待合室でひとり座っていると、どこからか聞き覚えのある声が届いた。

「キュゥ……」

ハッとして立ち上がった九を、獣医の先生が入院室に案内した。
そこには、ついさっき目を覚ましたばかりだという猫が待っていた。

「キュッウ」

ケージの中で安静にしていなければいけないのに、今すぐにでも飛んでいきたそうに喉を鳴らし、しっぽを振る。
バカな猫だと、九はしみじみ思った。

(でもそれはお互い様か)

春。
出会いの季節。
公園の桜が、芽吹き始める。

(俺……もっとおまえといたいみたい)

そのとき、九は心に決めた。――そうだ、獣医になろう!
そうすれば猫をちょっとは長生きさせてあげられる。そう信じてのことだった。
九もたいがい単純(バカ)な男だ。

猫が退院してからというもの、一念発起して勉強に打ち込んだ。
中学3年生になる九は、受験生でもある。
獣医とはつまり医者なので、偏差値は高ければ高いほどいいにちがいない! といういかにも頭の悪い考えで進路を決め、片っ端から問題集を解きまくった。
三度の喧嘩より英語のリスニング、数学の定理、現代文の解読。そして、たまの猫休憩。
幸い、今まで学習らしい学習をしてこなかった九の脳みそは、スポンジのようになんでも吸収した。

そうしているうちに髪は地毛に戻り、ピアスホールは埋まり、授業は毎回出席し、絡まれる頻度は減り、猫への愛情が育まれ――自然とヤンキー街道を抜け出したのだった。