元ヤンと現役


――ピンポーン。

ありふれたインターホンの音が、一室にこだました。
キュウゥ、と人のものではない甲高い声が、機械的な音階に乗せてハモる。
玄関口から聴こえる無機物と人外による不自然な調べに、リビングダイニングにいる唯一の聴衆、白いTシャツにほとんど色の抜けたジーパンを着た九が、顔を上げた。

親はわざわざインターホンを鳴らさないし、近所の人は怯えて滅多に近づいてこない。
来訪者は必然的に限られる。

人のものではない短い毛を絡め取っていたコロコロとした粘着質の掃除道具をキッチンの奥に捨て置き、急ぎ足で玄関へ移動する。
殺風景な入口の前では、身長の止まった九よりも格段に成長期である、体つきのふくよかなミケが、室内側を向いてたたずんでいた。九を見据え、手足をぴんとそろえ、キュゥ、キュゥ、と声を上げる。
危険を知らせる門番さながらのミケに、九はスマホのカメラアプリを起動しかけ――ピンポーン。二度目のインターホンで正気に戻る。危険なのは、ミケの魅力のほうである。
九がドアノブに手をかけると、ミケが足に引っつき、吠え続けた。九の足には粘着力などないはずだが、ミケはぴたりと離れない。
この重さは、きっと愛だ。
九は大事に足を運びながら、ドアスコープも覗かずに扉を開けた。

来訪者は必然的に限られる――たったひとりに。

「いらっしゃい、たまき! 待ってたぜ!」
「……よお」

昼下がりの太陽を無に返す、真っ黒な装いをしたたまきが、そこにいた。

予想どおり。正確に言うと、約束どおり。
本日、土曜日は、たまきの出張家庭教師サービスデー。少し気が早く定期テストの対策に、九の家で勉強会を催す約束を果たす日なのだった。

九はダテメガネをかけていないすっぴんにノーセットの黒髪という完全オフの恰好で、たまきを中に迎え入れた。

「何もなく来れた?」
「駅から一本道なのに迷うかよ」
「いやそれもだけど」
「え?」
「ここらへん暇人多いじゃん? いちいち遊びに付き合ってたら日が暮れちまうな〜って、ちょっと心配してたんだよ」
「あー……まあ、少しは絡まれたけど」
「やっぱりか〜」
「でも俺の顔見たら、けっこうあっさり引いてったから。平気」
「そ? だるかったら全然ぶちのめしちゃっていいからな!」

よその町だからって遠慮すんなよ、とまるでアットホームな口ぶりだが、言っていることは物騒極まりない。しつこいやつには俺の名前出せば一発だから、と九なりの手厚いもてなしに、たまきは若干引き気味である。

西の不良たちは、予期せぬ東のトップの来襲に、わざわざ休日の学校に集まって作戦会議を始めるほど騒然としていたが、 当の本人が西の元番長とひとつ屋根の下にいることは知るよしもなかった。……知らないほうが幸せなこともある。

「あ、そうだ、こ、コレ」

たまきが靴を脱ぐ前。肩にななめがけしている黒のカバンとは別に持つ、ピンクの小さめな手荷物を、たった今思い出しましたと言わんばかりに九に差し出した。

「え、それイマドキのファッションアイテムじゃなかったの?」
「ちげえよ」

たまきのキャラにもコーディネートにもパンチがあり、さっすがたまきおっしゃれ〜と思っていたのに。
鳩が豆鉄砲を食らったような顔になる九に、たまきは呆れ半分に口をもごもごとこわばらせた。

「じゃあそれ何なの?」
「……け、ケーキ」
「ケーキ!?」
「ここに来る途中たまたま寄って、そう、たまたま。俺ん家の近くで。うまいって噂で。それで。まあ、ついでに。……よければ……ご家族と食べたりなんかしたりしてくれ」

早口でまくしたて、家に上がる動作の片手間に、九の胸下にズイッとロゴの書かれた箱の側面を押し付ける。

「えー! まじかようれしー!」
「あくまでついでだから、ついで」
「悪いな、気ぃ遣わせて。本当は俺のほうがたまきに尽くさねえとなのに」
「え……いや、なんで」
「いつも助けてもらってんじゃん? 勉強見てくれたり、あ、あと、この前のコンビニでの一件も」
「……あれは……その、面接、残念だったな……」
「あはは、いいのいいの。結果出んの早すぎて悲しくもなんともなかったから」

たまきが懸念しているのは、バイト不採用の結果だけではない。
あのとき偶然通りかかったクラスメイトに、九が西の辰炎だと知られてしまったことにこそ、心を痛めていた。
九自身は秘密にしていた覚えはないが、クラスメイトの接し方は露骨に変わった。あれほどもてはやされていた九のクラスでの立場が危ぶまれつつある。

「今日も、この間も、たまきがいてくれてよかった!」

当の本人に危機感がまるでないことが、たまきをさらに悩ませる。
クラスメイトに距離を取られても頓着しないくせに、たまきには今まで以上に懐いている。九とたまきの机の間隔は、日に日に狭まっていた。
九は今のように出し惜しみせず気持ちを伝える。君さえいればそれでいい――たまきを含む周囲には、そんな執着ボイスにも聞こえ、内心大パニック。元ヤンバレしても九の翻弄は留まることを知らない。

「やっぱ何かお返しを……肩たたき券100回分とか?」
「いらねえよ。俺は……好きで、やってることだから」
「……たまき」
「な、なんだよ」
「いつもまじでありがとう!」

無邪気に両手を上げて喜ぶ九に、たまきはこそばゆそうに頬を掻く。指先のわずかな摩擦で、頬の熱が燃え盛った。
九は紙製の箱を受け取ってすぐ、くんかくんかと行儀悪く鼻を近づける。箱にしみこんだ、深みのあるカカオの香り。

「もしかして中身チョコケーキ?」
「あ、ああ。人気だって店員が」
「最高! 俺、大好き!」
「……チョコが?」
「そう、チョコレート!」
「…………俺も」
「うめえよな、チョコ!」
「……ああ」

その場で持ち手を崩して中身を確認した九は、4つもあるケーキ、しかもそのすべてにチョコが使用されていることに興奮を示した。
早く食べたい。勉強よりもまずはこれだ。
昼食を食べたあとだというのに、九の別腹は容赦なく渇望していた。

「うち親いねえから俺らで食おうぜ!」
「えっ」

うきうきでリビングに行こうとする九に、たまきは脱いだ靴をそろえる体勢のまま制止をかけた。

「い、いないって……」
「あ、いるけどいない、って意味な。いてもいなくても変わらねえっつうか、いるだけ迷惑っつうか」
「は、はあ……」

たまきは曖昧に返事するも、心身の緊張は増していく。

(てことは今、ふたりきり……?)

玄関にはたしかに、たまきの黒い革靴の他に、使い古されたスニーカーしかなかった。
鍵の閉まった扉。充満していく、ほろ甘い空気。

「キュゥー!!」

異論を唱えるように水を差したのは、第三の声。
たまきがドキッとして目を向けば、九の足と合体した三毛猫が牙をひけらかしていた。

「っ!? い、いつからそこに……!?」

そんなところにひそんでいたなんて。あまりに九がふつうに歩いていたから、今の今まで気づかなかった。

「あっ、そっか、会うのははじめてだっけ?」

ケーキ箱を小脇に抱えた九は、空いてる手でミケの頭を撫でた。先端の黒い尻尾がしなやかに回る。

「こいつがミケ。実物のがやっぱかわいいっしょ?」
「……あ、ああ……」
「んで、ミケ。あいつがたまきだよ。仲良くな」
「お、おじゃまします……」
「キ、ゥ……ッ」

ケーキ箱の中に猫用クッキーもあることをたまきが伝えると、九はさっきよりもうれしそうに破顔した。ミケよかったなあ、と背を丸めて語りかける声色は糖分過剰で、たまきは胸を焼いた。
気安く飼い主を呼び捨てにするミケは、たまきを一瞥し、ニヤリと目を眇めた。

(……喧嘩を売られている気がする)

静かに火花を散らす一人と一匹。
その真ん中に挟まれた九は、のんきに腹の虫を鳴らした。

腹が減ってはなんとやら。
別段三者とも空腹ではなかったが、甘味の口になった九のわがままを却下できる者はここにはいない。
ミケは我先に九をキッチンへ連れて行こうとし、たまきも負けじと九の隣をキープした。

「なんかふたり仲いいな……?」
「は? どこが」
「キュ〜?」
「ほら。ちょっと嫉妬~」
「……」
「……ゥゥ」

冗談交じりにつぶやく九に、たまきもミケもなんとも言えない顔をしていた。