元ヤンと現役


過疎化の進む区域の、山に囲まれた東方面。
働き口は軒並み最低賃金、客層は時間帯問わず癖の強い町で、なかなかお目にかかれない高待遇な職場がある。
駅前の交番から横断歩道を挟んだはす向かい。達筆なフランス語を目印に提げた、ケーキ屋である。
赤白ピンクを基調にハートやバラやリボンをあしらった店構えは、年中バレンタインのような乙女心をくすぐるムードをアピールしている。

駅前では毎日のようにチンピラがバイクを暴走させているが、そのケーキ屋の近辺にはけっして立ち入らない。
相反する世界観がまるでN極とS極のように弾き合っていた。
扉を開けずとも中から濃密な香りがあふれ、交番勤務の警察の元まで流れつく。そうして自然と店の警備が厳重になったことも、店が清潔であるゆえんだろう。
ケーキ屋はさらにもうひと押し、あえて商品単価を高く設定し客層を選り好み、無法地帯でもティーパーティーができるほどの安全な異世界を独立させた。おかげで賃金も高く、学生アルバイトにも4桁の時給を当たり前に提供できている。

先週から世話になっているアルバイトの少女は、出勤のたび、この恵まれた環境に感極まっていた。
香水とはちがう天然のバニラの香り。フリルいっぱいのエプロンと制服。
ここが治安の悪さで有名な現代の地獄であることを忘れてしまいそうだ。
高校受験に失敗し、この町を抜け出せなかった少女にとって、このバイト先と出会えたことが唯一の救いであった。
商品が売れ残ったら持ち帰っていいのもうれしいポイント。だけど毎回お言葉に甘えていたら太ってしまう。それが少女の最近の悩みだった。

図に乗っていた、と言い換えてもいい。

土曜日の昼前。評判を聞きつけ隣の区から足を運んだマダム御一行が、絶好調な喋りで1時間弱滞在し、最後にさらっと5箱にもおよぶケーキを購入したあとのこと。
平穏な時間もつかの間、赤い枠に囲われた扉が引かれ、また新たに客が来店した。

「あっ、いらっしゃ……い、ま……せ……」

先ほどの疲れが残留した少女の笑顔は、ものの数秒で塵となって消えた。
派手な化粧を上品に掌握していたマダムから一転、(もと)から派手ないかめしい男客だったからだ。

バランスよく余白を残した眉目でありながら、茶を不味く仕立てたような強面。はちみつ色の頭髪は根元がカビていて、毛質に艶がない代わりにシルバーの人工的な光沢があちこちに乱用されてある。
身近な下品の代表格、ヤンキーではないか。
しかもただのヤンキーではない。

(わ、綿貫たまき……!? あたしの初恋、亮くんをいじめてたっていう、あの!?)

ヤンキー界の四天王のひとりに数えられる、別名、東の金鬼。
少女の巣立った東中学で、ともに輩出された世にも凶悪な卒業生である。
学校では今もなお、「本当にあった怖い話」として彼の罪状(エピソード)が数多く言い伝えられているという。

(こいつが怖くて、亮くんの友だちが何人か転校しちゃったんだよね……。うう、可哀想……っ)

実際は、たまきのいじめに加担していたクラスメイトが、報復をおそれて親に泣きつき、一家丸ごと離脱したのだが。
少女をはじめ、町民の多くは、その事実を知らない。
とはいえ、攻撃は最大の防御として、たまきが武力行使したこともまた事実。その一片のみ認知度が異様に高いがために、人々はたまきを絶対的な悪たらしめた。
それこそ、ラブリーできゃわわなケーキ屋とは、生涯無縁だと信じこんでいた。

(なんでここにいるの? なんでふつうに入ってこれるの!?)

線の太い巨体は、ターゲットを絞った店の扉にはサイズが合わず、半ば首を屈めるようにして店に入ってきた。
そう、ついに侵入を許してしまったのだ。今まで磁石の関係性を確固としてきた、毒属性のヤカラを。

彼にとっても地元であるこの町で、迷いこむなんてことはまずありえない。ともすれば、冷やかしかカチコミあたりだろう。
どちらかといえば、そちらのほうが、こんな店お断りだぜ! と敬遠していたはずだった。だから平和にうつつを抜かしていられたのだ。
ここは幸せな箱庭などではなかった。この町はどこまでいってもゴミ山なのだ。
もしも、レジの金を出しやがれと恐喝されたら。ショーケースの端から端まで全部寄越せと強奪されたら。店が気に食わねえんだよ破壊されたら。

(どうしよう……っ)

調理場で予約のホールケーキをせっせと作っている店長にSOS信号を出そうにも、目の前に稀代の鬼が立ちはだかり、棒立ちで死んだふりをするしかなかった。
不幸中の幸いか、彼はショーケースの中身にご執心なようだ。

店長のこだわりで、ケーキ屋の中でも少女趣味に富んだこの店は、本命の商品にもそれが如実に現れている。何十枚ものラブレターをイメージした「想いがあふれてやまないショートケーキ」や満月に見立てた「きれいだねと言ってほしいベイクドチーズケーキ」、上質な粉糖を妖精の粉のようにふりかけた「聖なる夜のおまじないガトーショコラ」などなど。品名に安易に「恋」や「好き」のワードを使っていないのがポエミーでキュンとくる。
鑑賞するだけで気分が上がり、口にすれば天にも昇る。そんなメルヘンワールドは、汚らわしい不良なんかには――無礼と承知で――お世辞にも似合わない。

(似合わないといえば……あたしの落ちたさくら高校に進学したって噂、本当なのかな?)

今は全身黒ずくめの不審な恰好をしているが、いつもはあのかわいい桜色のブレザーを着ているのだろうか。少女は想像して、あまりに不相応でムカついた。顔がいいからぎりぎり見れるけど。

(なんで? なんでこいつが受かってあたしが落ちるの? 不公平! 神様って意地悪!)

おそらく店員が同級生であることにも気づいていない彼に、ぷんぷんと鬱憤を募らせる。
一応客である彼に、さっさと帰れ! と言わんばかりのふくれっ面だったが、ひとたび目が合うと、涙が出る5秒前の泣き顔に豹変した。

「あの……」
「ひ、へいっ」

心と体の矛盾に動揺の波が襲い、とっさに居酒屋のような返事をしてしまう。

「こん中で人気のやつってどれっすか」

度数高めの涙のコンタクトをはめた赤面の店員は、さながら高熱を出した病人である。
が、たまきにとっては日常茶飯事なのでさして気に留めず、平然と定番どころの質問をした。

(な、なんでそんなこと聞くの? も、もしかして謎かけ? 暗喩?)

冷やかしにしては語尾に(笑)の悪ノリはなく、店員や商品を見入る表情は相変わらず無愛想だが、真摯なようにも感じられる。
しかし相手は腐っても、進学校在籍と噂の不良。ずる賢く騙しにかかるなんて造作もないだろう。
ダイエットできない〜などという甘えた考えに耽ていられたころに戻りたい。少女はメイド服のようなエプロンの裾にぎゅっとすがりついた。

「あの?」
「は、はひっ、に、人気の商品でっ……ですね。え、えっと……ち、チョコレート系が人気、で、です、ね。はい」
「……チョコレート系」
「は、はい、そうです。た、たとえば……に、2段目にございます『聖なる夜のおまじないガトーショコラ』や最下段の、で、『デートの待ち合わせはチョコタルト』。それから……その、隣の……『オンリーワン・ザッハトルテ』とか……で、でしょうか……」

元進学校志望の記憶力をもって覚えた商品名は、意地でも噛まずに伝えた。バイト歴1週間でもプライドはあるのだ。

「ふーん。……ならそれで」
「ひゃ、はぃ、それで……そそそそれでぇ!?」
「ああ、それで」
「え、え、あの、それって、えっと、ガトーショコラとチョコタルトとガトーショコラ!?」
「ガトーショコラ2回あったな?」
「しっ、失礼しました! ザッハトルテもでございますですわよね!?」
「……です」

まあせっかくだしガトーショコラは2個で、とさりげなく店員のミスをフォローしたうえで売上にも貢献してくれるたまきに、少女は驚きのあまり言葉づかいを崩壊させた。

(この人、こんなにノリよかったかしら!?)

中学のころは、いつでもどこでも誰にでも喧嘩腰で、ガンをつけては口を利かず、はた迷惑に殺気立っていた。
しかし、今。
不良らしからぬ真面目さ、ヤンキーらしからぬ素直さ、チンピラらしからぬ顔のよさ――は昔からにしろ、つまり、少女の知る「東の金鬼」ではなかった。砂糖ひとつまみ程度ではあるが、明らかに憑き物が取れたように物腰やわらかくなっている。
中学の卒業式から1ヶ月ほどしか経っていないというのに、いったい何があったというのか。
乙女チックな店にいるとおのずとひとつの答えに導かれる。

(さては……アレか。春が来たのか!)

そうだ、今は4月、出会いの季節。
冬になると猫がこたつで丸くなると言うように、百戦錬磨の名ヤンキーも、麗しい春には角が取れるのだろう。

よくよく見てみると、黒一色の私服はシャツとズボンというオーソドックスな組み合わせながら、肩幅の広さや股下の長さを嫌味なく強調し、メリハリのあるボディラインを引き立てている。ボタンやベルトには白をベースとした遊び心ある彩りがあり、単調になりがちなオールブラックコーデに粋な味をもたらしている。
これぞ、おしゃれなデート服。
その反面、ヘアスタイルはちょっとワックス多めでしなっていて、デート準備に気合いが入った様をリアルに感じ取れる。

お相手は? 行き先は? ケーキの意味は?
恋バナ好きの性で、少女のたまりたまった鬱憤はあっさり好奇心に変換される。
かといって私的な会話ができるほどの勇気は自然発生されず、少女はショーケースから該当のケーキを取りながら、あらゆるパターンの妄想を繰り広げた。ケーキのオリジナルのネーミングセンスが、それを健やかに、明るく、捗らせてくれる。

「あ。あと、ペット用のお菓子ってありますか」

ケーキを4つ選びとったと同時に、再び質問を受けた。
妄想のデートがただちにドックランでの散歩コースに様変わりする。

「ぺ、ペット用、ですか? は、はひ……こほん、ご、ございますよ。こ、こちらの、その、クッキーですとか、ど、どうでしょう……。わんちゃんも猫ちゃんも食べられますが……」
「じゃあそれもお願いします」

決断が早い。
ハートとリボンをあしらった袋に詰めた犬猫用クッキー、その名も『君には特別♡無添加クッキー』を含め、計5点のお買い上げ。
会計の際、商品を正式名称で読み上げてもからかう気配なく、ピアスをぶら下げた耳を紅潮させていたくらいだった。持ち帰り用の箱にケーキを入れて渡すと、ちゃんと両手で受け取ってくれた。

「ありがとな、髙橋(タカハシ)さん」
「ありが…………えっ?」

この店では防犯の観点から店員に名札をつけない決まりになっている。
彼は最初からアルバイト店員が同級生だと気づいていたのだ。それでも最後まであえて話に出さなかった。
姓を髙橋という少女は、困惑気味に唖然とたまきを見送った。

意外にデキた不良だ。
もはやここまでくると本当に不良なのかも怪しく思えてくる。

扉をくぐって退店していくたまきの洗練された横顔が、突然、ギギギと軋むように険しくなっていった。
垣間見えてしまった少女は、ひゅっと喉を引く。
あたたかな春風のよぎる妄想が、瞬く間に冷気の立ちこめる地獄絵図に成り下がった。

やっぱり不良だ。
不良以外の何ものでもない。

扉が閉鎖したあとも、たまきの表情は変わらず。外でたわむれていた小鳥たちがぎょっとして飛び立っていった。
凄んだ目つきは、手に抱えるケーキ箱を貫いている。
箱ひとつとっても店のコンセプトに準じ、真っピンクでファンシーな仕上がり。服装からわかるとおり、たまきの趣味ではない。だがその程度のことは店の外装から簡単に予想がつく。
たまきが気にしているのは、外見ではなく中身のほう。

(ケーキ……は、やっぱ重すぎか? いやでも手土産の定番だっていうし。……そう、俺はただ、近所で人気の店があるから寄ってみただけ。俺が、食いたかったから買っただけ。そう。そうだ。だから……)

たまきはうんうんとうなずきながら、無理やり自分を納得させる。
箱から濃厚なチョコレートの香りがたゆたう。

(だから、別に、あいつに会うのが楽しみで浮き足立ってるわけじゃねえ)

駅の改札口へ歩き出したたまきは、無意識に頬をほころばせていた。
奇しくもチョコレートはたまきの大好物。
好きなもののことを考えると、気がゆるんでしまうものだ。
今のたまきならきっと、寝首を掻いてKOできてしまうかもしれない。