元ヤンと現役


――キュゥッ!

どこからか呼び止められた気がして、九は校門の外で振り返った。
西日の照りつける電柱の上で、真っ黒い影が泣いていた。
なんだ、カラスか。九は何ごともなかったかのように走り出した。その背中に乗るリュックが、数十グラム軽くなっていることは、知るよしもなく。

優等生のキャラ付けに役立つダテメガネ。
それは今朝、家を出発する目前。たまきのケガが治っているか気にしていると、ミケが美しい高飛びを披露するついでに振り落としたはずだった。
メガネはミケがくわえていったところで、九の認識は止まっている。
実は、この話には続きがあった。
ミケがまるで悔いるように、玄関に置いていた通学用リュックにそっとメガネを仕舞っていたのだ。

九の知らないイタズラは、きっとまだあるだろう。たとえば、クローゼットの中の服が破けていたり、ピアッサーを猫用トイレの隅に隠していたり。
九のやることなすことにたまきを始めクラスメイトが翻弄されているように、九もまた、ミケという未知数の生命体に引っかき回されていた。
でもどうせ、かわいいからすべて許してしまうのだ。

(ミケ、ごめんな、もう少しだけ留守番がんばってくれ。俺は今からひと勝負やってくっからよ!)

勝負に勝ったあかつきには、キャットタワーを買ってやろう。
決意を固め、九は人通りの多い駅に馳せ参じた。

駐輪場のある駅前の小道に入ると、ひときわ大盛況な店がある。最寄りにある男子校の学ランを着た生徒がこぞって押し寄せている、あの店こそ、あと15分後に面接(タイマン)する会場。全国チェーンのコンビニである。
自動ドアが閉まりきらぬうちにまた開き、聞きなじみのある陽気な音楽がヤクにハマったように乱発される。

九は店前で一旦リュックを下ろし、履歴書があるか確かめる。金曜の夜にクリアファイルに保管したときのまま入っていて、ほっと息をついた。
スマホで時間をチェックしつつ、ロック画面のミケで邪心を払う。健康診断とか身長とか167センチだとか。ツンデレな愛猫の写真で、キュンとお清め。
一部ガラス張りになった店の壁で、簡単に身だしなみを整える。シャツの襟を正し、自前の顔面を近距離で凝視する。なんだか物足りない。

「やっぱメガネなしじゃ、勝率下がっちまうかな……」
「うわ、まじでいんじゃん、西の辰炎」

せめて七三分けはしっかりやっておこうと額にへばりついた前髪を手ぐしでかき分けていると、短いメロディーをバックに横やりが入った。
学ラン集団を引き連れてコンビニを退店した黒マスクの少年が、九の顔に目玉が釘付けになっている。
くたびれた学ランとロールアップしたズボン、前髪を逆立てたツーブロックの髪型。ぺたんこのスクバには、金属バットのグリップ部分が不自然に飛び出していた。

九の元ヤンセンサーが作動する。
同族の臭いがぷんぷんした。

「その制服……ガチでさくら行ってんじゃん。不良やめたのって、高校デビューのためだったんか。草」

1年前からめっきり耳にしなくなった「西の辰炎」の異名に、学ラン集団がざわつく。その隅っこで、必死に息を押し殺している少年を、九は目ざとく発見した。妙にめぐりあわせのある茶髪とそばかす。亮と呼ばれた、あのいじめっ子だった。
東の金鬼と西の辰炎、あのふたりがさくら高校にいる。
その噂を流したのは、他でもない、亮だ。
いじめの続きや九に脅された腹いせでは断じてなく、むしろ九の言いつけを守るためにやったことだった。

――あいつはもう俺のもんだから。手ぇ出すなよ。

誰も手を出すことがないように。
二度と関わらないように。
警鐘のつもりで、自分と近しい人間に情報を渡した。

そのうちのひとりが、黒マスクの少年。亮の入部した野球部の部長だ。
亮の学校の部活は、ガチ勢が極端に少ない。野球部も大学で言うところの飲みサーで、試合記録はほぼゼロに等しく、四六時中遊んでいる。そんなところの部長なんて当然名ばかりで、後輩に教えることといったらもっぱらきわどい火遊びだった。
そんな人だからこそ抑止したくて公表したのだ。

しかし部長はかえって焚きつけられ、西の辰炎を探し始めた。そして、あろうことか鉢合ってしまった。
今日に限ってメガネをしていない九を、亮は恨みがましく思うが、九のシラケた視線がトラウマをジクジクほじり、たまらなくバツが悪い。

(すみませんすみません……! 復讐とかじゃないんです! ほんと、たまたまというか、運命のいたずらというか……。ちくしょうっ、なんで俺ばっかこんな目に……!)
(……あいつ、何してんだ?)

みるみるあとずさり、うしろ歩きの状態で店内に下がっていった亮に、九はただ取るに足らず、呆れているだけだった。
部員が1名、自発的に行方をくらませるなか、部長の関心は、九の悪魔的な美貌に絞りこまれていた。

「2年前、おまえが殺ってくれたこと、忘れたとは言わせねえよ」
「は? 誰」
「……っ、と、とぼけんなよ。西の河川敷に俺を沈めたのはどこのどいつだよ!」
「へえ、あんた、俺に負けたんだ?」
「負……っ、ち、ちげえよ、あれは、おまえに勝ちをゆずったんだ!」
「意味同じだしどっちでもいいけど。負かしたやつの顔、いちいち覚えてねえよ。年表暗記したいし」

黒マスクの下でフガッと鼻腔がひしゃげる。

「ま、まあいいさ。おまえが忘れてても、俺が積年の恨みを晴らせばいい」

(ひと勝負するとは言ったけど、こういうことじゃねえんだよなあ)

勝手にそういう雰囲気にさせられているけれど。
バイトの面接をひかえる九にはもちろんその気はない。面接の予定がなくても、足を洗った身だ、もう拳は振るわない。
この手は、家でミケを抱きしめるために使いたい。

(ミケのこと思い出したらすんげえ会いたくなっちった。うわー、でもなー、こいつら邪魔だし、面接はすっぽかせねえし……。くぅ〜……これがジレンマってやつか?)

別の意味でぎゅうっと拳を握りしめる。
横目に、教室で見たことのある顔ぶれが、そそくさと通り過ぎていった。その中には、たまきや亮と中学が同じ男子も混ざっていた。
九と目が合うと、他人のふりをして目を逸らされる。

(あー……)

九は耳上の髪を刈り取るように両手でこめかみあたりを引っ張った。
堅苦しく調整したヘアスタイルが、みだりに荒れていく。

(キャラの解釈ちがいで、俺だって気づかなかったのか)

九の憶測は、たいてい冷静にぶっ飛んでいる。
学校では優等生キャラでやっているから、不良っぽいやつと一緒にいたら別人だと思うのも無理はない。もしくは、ふつうに視力が悪く、健康診断の結果に抗議しに行くのか。それなら自分もお供させてほしい。
そんなふうに大変無理のある根拠を並べ立てては、意気揚々とクラスメイトに手を振ろうとしていた。
幸か不幸か、部長がカバンから抜き取った金属バットで、九とクラスメイトの間に一線が引かれた。

「……ここっていつから治安悪くなったんだっけ?」

クラスメイトは九に気づかない――ふりをした――まま、駅構内に入っていってしまった。

「東の金鬼と西の辰炎、おまえらのせいだよ」
「東の金鬼――ああ、たまきのことね。……あ? 俺らのせいってこと?」

一拍遅れて理解し、九はかすかに殺気をにじませる。

「責任転嫁はよくねえな」
「せ、せきにんて……?」
「あは。頭よくてごめんな雑魚」
「くっそ……! 相変わらず生意気だなクソチビ」
「チビ言うな、殺すぞ」
「お高くとまった今のおまえに殺れんのか? ああ゛!?」

無鉄砲にバットが暴れ出す。
部長のうしろに群がる下っ端たちも加勢し、辺りはあっという間に殺伐とした戦場と化す。先んじて亮が店内に避難したのは英断だろうか。
九はバットの動きを的確に読みながら、ぶつかり稽古を実践してくる学ランの連中をいなしていく。

「おらおらっ! 受け身ばっかでいいのかよ! 西の辰炎さんよぉ!」

煽ってくるわりに攻撃は単調で、統率も取れていない。逃げるだけなら楽勝だった。
だけど今日は、逃げるに逃げられない。バイトの面接まで、残り10分を切っていた。
ようやく見つけた働き口候補を、しょうもない理由で失うわけにはいかなかった。
とはいえ、手を下さずに10分で片をつけるとなると、番長経験のある九でもさすがに楽勝ではない。自ら防戦一方でい続ける限り、解決の糸口は見えてこない。

(攻撃に転じるしかねえのか? でも……俺は……)

なぜバイトがしたいのか。
なぜさくら高校にいるのか。
なぜ不良を卒業したのか。

ミケの鳴き声が、鼓膜をノックする。
遠い彼方から呼びかけられた気がして、九はコンビニの入口前で振り返った。

「――九っ!」

これも、ミケ? いいや、ちがう。
それにしては、低く硬く、力強い。

九の視界に飛びこんだのは、陽の光をふんだんに吸いこんだ、鮮やかな黄金だった。

「た、たまき!?」

いつになく動揺の色を露出していた。
駐輪場前に現れた、あのビックな出で立ち。どこからどう見ても、東の金鬼と謳われるたまきだ。
多勢の敵を一瞬で上回る存在感。あまつさえ九はすべてを忘れてたまきのほうに駆け寄っていく。
その隙に部長は野球ボールではなく手持ちのバットを振りかざした。ろくに練習していない投球フォームは、ヨボヨボで見るに堪えない。
勢いよく投げ飛ばされたバットは、当然ノーコンで、軌道は九を越え、九の向かう先のたまきを狙っていた。

九の頭上をバットが横切っていく。
トップの髪がしゅんっと下方に萎えていく感触に、九の心身に、昼休み前に身長計に乗った記憶がぶり返す。
ブチッ。血管が切れる音がした。
わざわざ九の上を通っていくバットの柄を、九の手がすかさずつかみかかる。バットの速度に乗って九はその場で二回転し、ぐっと足腰を踏ん張ると、ホームランを打つ気概でバットを手放した。

「うわああっ!!!」
「みんな避けろ……!!」

敵の包囲網が一気にバラけた。
東の金鬼まで乱入したことにより、返ってきた矛の範囲外にいる少年たちも散り散りになっていく。

九がたまきの無事を確認すれば、ちょうど背後に忍び寄っていた部長が目に留まった。
中腰でがんばって来た部長は、ギクリ、と腰を引かした。

「ぬぁっ!?」
「は?」

移動途中だった部長の足は、地味にたまきのいる方角を指していた。
前髪がぱらぱらと垂れた九の顔に、深い陰影が落ちた。

「く、クソ……!!」
「……チッ」

やむを得ず真正面から殴りかかる部長に、舌打ちが降った。たまきの十八番ではあるが、今回はたまきではないことは言うまでもない。
九の瞳は闇の中にあった。
部長が仕掛けた直球の拳が、九に届くことはなかった。それよりうんと速く、九の渾身のパンチが黒マスクにのめりこんでいた。
白目をむいて倒れていく敵の末路に、ハッと九の目にハイライトが戻った。

(あっ、やべ)

あとになってジンジンと伝う痛み。
骨と骨とがきしめいた生々しい衝撃が、少しばかり尾を引いた。
1年ぶりの懐かしい感覚。腕は鈍っていなかったものの、ひどく具合が悪く感じた。

いや、やってしまったことはもうしょうがない。
九は開き直るのが早い。緩慢な歩みでたまきに接近した。

「なんでたまきがここにいんだよ」

やけに泰然としている九に、たまきはやや面食らいながら、肩を大袈裟に下ろした。

「……九を、探しに来たんだよ」
「へ?」
「これ、忘れてったから」

そう言ってカバンのポケットから出されたのは、紛れもなく、九のお気に入りのダテメガネだった。
ここにあるはずもない物、ましてやたまきが持っているなんて摩訶不思議で、九は近くにミケが隠れているのではないかとキョロキョロする。駐輪場に猫が数匹いたが、我が子ほどべっぴんさんではなかった。

「え! え? なんでこれたまきが?」
「さあ? 自習室に落ちてたぞ。リュックのどっかに引っかかってたんじゃねえの?」
「うわあーまじか、やられたー」

ククッとこらえきれなかったように九の喉仏が小躍りする。
九はレンズを夕日にかざしながら、おもむろにプラスチック製のつるを耳にかける。
文化財となり得る宝石に、真っ黒なヴェールがかかったように、天然の輝きがあますところなく秘められた。

「ありがとうな、たまき!」
「べ、別に……」
「気づいてくれて助かったぜ。これでバイトの面接いける!」

それでも、メガネの反射だろうか、たまきはまぶしくて瞼を伏せた。
コンクリートの地面に、汚れた学ランが伸びている。
九の右の手に消えずに残る拳ダコにも、夕焼けの色が伝染(うつ)っていた。

「九、おまえ……」
「ん?」

たまきの視線が慎重に九の元に引き返していく。

「殴ったりして……その……よかったのかよ」
「ああー……へへっ」
「へへっじゃなくて」
「うん、よくはねえんだけど」
「……」

いつもと何ら調子の変わらない、軽快な声色。それがよけいにたまきの胸を締めつける。
包帯を巻いた指にいやな痺れを覚えた。

――あ、今はちげえよ? ミケのこと守らねえとだし。

以前、九はきっぱり断言していた。
過去は過去、今は今。自分の中でけじめがついていた。
たとえ身体に不良の血が流れ続けていても、その小さな手は、もう、人を傷つける道具ではないのだ。
それを使わせてしまった罪は重い。平凡な一般市民を喧嘩に巻き込んだも同然だ。
ごめん、と言うべきか、言っていいものなのか、たまきの薄膜の唇は震えていた。

「でも体が勝手に動いちまったんだよ」

ふと巻き起こる風が、金髪についてきていたひとひらのハートを攫った。
たまきが言いかけた3文字も、ともに連れていかれてしまった。

「守んなきゃって」
「……え?」
「たまきのこと。守らなきゃって思って」

九は手を閉じたり開いたりしながら、ふっ、とおかしそうに一笑する。
どこかで猫が歌っていた。

「変だよな、たまきもけっこうやんちゃしてて、強ぇはずなのに。この間も喧嘩に勝ったって言うし」
「あ、いや、それは……」

絆創膏をはがすようにたまきは顔を掻く。
でもさ、と九はつぶやく。メガネの縁をかすめる頬を、くすぐったほうにゆるめた。

「俺が思ってるより、俺……たまきのこと特別に想ってたっぽいわ」

メガネの影に紛れ、ひっそりと、九の頬山に桜が咲く。

日が長くなってきた、春。
たまきの背よりも高いところから注がれる陽射しは、どんな些細な彩りの変化も際立たせた。

「俺も……俺だって」

たまきは九を見つめた。
よく磨かれたレンズの表面が、万華鏡のようにきらめいていた。
九がどんな目をしているのかは見えなかった。けれど、その色、形、温度まで、たまきにはわかる気がした。そして、自分もきっと同じであろうことも。

――一緒にいたいって、思うんだけどなあ。

さっき、本当は、たまきも思っていた。
もう少し、あと少しだけ、と。
そうでなければこんなところまで追ってきたりしない。

(九の飼い猫には感謝しねえといけねえかもな)

心音にかき立てられ、たまきの目尻に赤みが点す。じわりとこみ上げた水気を、気取られないよう拭った。
人間にしっぽがなくてよかったと、つくづく思い知る。

たまきは凛と背筋を伸ばした。
たしかな一歩で九の前に躍り出る。

「九、下がれ」
「え?」
「あとは俺がやる」

道の両脇で身構える野球部の少年たちを全員、たまきは視野に含めた。
ブレザーとシャツの袖を合わせてまくれば、肌の代わりに綿混紡の包帯があらわになる。試しに手首を回してみた。ポキポキと音は鳴るが、痛みはたいして感じない。いける。

「い、いやでも、俺に売られた喧嘩だし」
「おまえはやめたんだろ、こういうこと」
「……ま、まあ……」
「じゃあ俺に任せろよ」

ブリーチをして傷めた髪、体中にこじ開けた穴、絶えず蝕む傷――ここにいるのは、現役で名を馳せるヤンキーだ。

なりたくてなったわけじゃないし、やめるにやめられず、なあなあで済ませてきてしまったけれど、たまきは今、はじめて、胸を張って言える。
良い子じゃなくてよかった。
散々うしろ指を指されてきた、ふつうではないらしいワルな部分が、誰かのためになるなら。
九のために、生かせるならば。

(いいよ、やってやるよ、鬼だの何だの好きに呼べ)

綿貫たまき。
かつて隣の地区の東側を牛耳った喧嘩番長であり、現在さくら高校で首席という名の王座につく、孤高の帝王。
人呼んで、東の金鬼。
誰が名付けたのか知れない、失礼極まりない二つ名を、受け入れられる日が来るとは、ゆめゆめ考えられなかった。

(やっと見つけた。俺なりの、がんばれる理由)

覚悟を決めた男の拳は、岩をも砕く強さを持つ。
二度三度振るっただけで、部員たちは絶叫しながら駅のほうへ逃げおおせた。元より部長に従っていただけで、戦意は皆無。なのに東西の二枚看板が出揃ってしまい、情状酌量してもらえないか泣きべそをかいていたのである。
逆に、コンビニで雑誌を立ち読みしてやり過ごそうとしていた亮は、捨て置かれた部長の後処理に頭を悩ませるはめになった。

奇跡的に面接時間きっかり、午後4時半。
九はたまきに送り出され、七三メガネの優等生スタイルで店長との面接に挑んだ。

「はじめまして、俺、いえ私は、灰田――」
「すみません不採用で」

開始後、わずか3秒。
店前の一部始終に、スタッフが警察を呼ぶ一歩手前まで騒いでいたらしく、勝負にすらならず、九は丁重に店を追い出された。