元ヤンと現役


休み明けの登校日ほど憂鬱なときはない。
地元の憧れであるさくら高校の生徒も、例外ではなかった。
1週間前、入学式に浮かれていた新1年生は、かつてのときめきをすっかり褪せさせてくさくさしている。
校門のそばで連日花吹雪にガチっていた桜の木は、老体を酷使し、ずいぶんとわびしい姿になった。元気だったころの面影が、地面にぽつぽつと埋まっている。

月曜日の逆風で、きっと世の中の景気も悪い。
月の字を起源にしているくらいだから、せめてもう少し夜更かしさせてくれてもいいだろうに。そんなふうに暴論に耽る生徒ほど、散った花びらを踏むのに躊躇がなかった。

おはよう、おはざす、おっはー、グモニン、アンニョン――十人十色な声かけが生徒玄関に飛び交うが、どこもかしこもいまいちぱっとしない。
来たばかりなのにもう帰りたそうな、あるいは眠りたそうな顔が渋滞している。
そんななかでも挨拶を欠かさないのが、さくら高校クオリティーであろう。

学校全体がそんな状況なら、華々しい入学日の時点で心が折れた1-Aは、果たしてどうなってしまうのか。

活気が低迷した本校舎3階、立ち並ぶ教室の最後尾。
開放された該当のホームは、案外、言うほど暗くなかった。
他クラスよりも断然空気が澄んでいる。日直がちゃんと窓を開けて換気しているおかげだ――と言いたいところだが、あいにくそれはどこにでもあてはまることだ。

1-Aにしかない特徴といえば、やはり、例のヤンキーだろう。
さくら高校で最初で最後――であってほしい――のヤンキーのプレッシャーは、月曜日という概念によるストレスをワンパンで打ちのめすのだ。
しかしその法則でいくと、どちらにせよメランコリックであるのが筋だが、まだヤンキーは登校前なので挨拶は声に出してできるし、しょうもない話で笑いも起きる。
たとえ登校してきたとしても、すべてが無効化されることはない。むしろちょっと早く来てほしい気持ちが、今日の1-Aの生徒にはあった。

(だって……気になるでしょう! メガネ男子とイケメンヤンキーの続きが!)
(俺の所有物って公言してからどうなったんだよ、あのふたり)
(灰田くんのプロポーズよかったなあ。『俺の人生にずっといてほしい、唯一無二のスペシャルな存在だぜベイベー』なんて……きゃっ、大胆!)
(突然ペットの話が始まったときはびっくりしたぜ)
(ミケ、だっけ? かわいいんだろうな。ぜひわたしたちにも癒しをおすそ分けしてほしいし、できれば写真はエアドロで全体共有が望ましい……だがしかし!)
(今はふたりの関係性が知りたくて、夜しか眠れない!)
(結局、仲良いの? 友だちなの? 舎弟なの?)
(付き合ってるの!? 付き合ってないの!?)
(金曜の6限、ふたりで一緒に遅刻してきた理由を、30字以内で述べよ)

不良は怖いけど、青春ドラマは大好物な生徒たち。
まるで月9を視聴する気分で、眠気も鬱も跳ね返し、青い春の訪れを待っていた。

時計の長針が「9」を刺した。
後方の入口から履き潰された上履きが侵す。
モデル顔負けのスタイルのよさ、ギャルのネイルくらい飾り気のある耳、勝ち気な猫のような歩き方。
みなさんお待ちかね、イケメンとヤンキーを両立させるたまきの登場だ。

教室中の視線が束になって注がれる。
鬼とおそれられる彼にも、さくら高校の生徒たるもの、「おはようございます」「今日もよろしくお願いします」と気持ちをこめて、まずは目礼から――

(――と思っていたときもありました)

結論、失敗。
原因、最大の長所といえる美貌に傷。傷。傷。

(傷だらけじゃねえか!!!)
(な、な、なんで!? せっかくのイケメンが台無しじゃない!)
(不良といえば喧嘩。……なんてわかりやすいマジカルバナナ)
(やばすぎ……)
(うわ、ブレザーの袖とかズボンの裾から包帯がはみ出てる。右手の人差し指なんか漫画みたいな巻き方してんじゃん。ひょっとして超重傷……?)
(指のは昨日からしてたような気もするけど……大丈夫なのかな。学校じゃなくて病院に行くべきじゃない?)
(あんなボロボロになるまで喧嘩してたってこと? 不良こっわ)
(東の金鬼でああなら、喧嘩相手は……ひええ)
(高校でも不登校者出す気か、あいつ……っ)

青春ドラマは好きだけど、やっぱり不良がおぞましい。
今にも血の匂いが漂ってきそうな生々しい傷の数々は、目にも心臓にも悪い。
先週とはちがうんだぞと奮っていたのに、このザマ。少しは耐性がついた気がしていたが……気のせいだったらしい。

教室の空気がどんより消沈していく。
いつもどおりといえばそうなのだが。いつもより格段に心の余裕があった手前、ショックも大きい。
こうなってくると、今日が月曜日であることもいやになってくる。
遅効性の毒にやられ、室内に響くのは時間を刻む音だけだった。

長針が一周しようとするかしないかの瀬戸際。
とある男子生徒が、滑り込みでやってきた。

「はー、間ぁに合ったー! おはよー!」
「あぁ、おは……っ!?」

ごく自然な挨拶に意識なく応じかけたクラスメイトは、ハッと覚醒した。
視界に入った姿かたちに、一同の目玉が飛び出ていた。

崩れた黒髪をすくい上げ、覗くおでこ、にじむ汗。
凛とした二重幅の下に転がる、濡れた漆黒の瞳。
切れ気味の息から香るフェロモン。
ブレザーのはだけた、性別不詳感のある華奢な体つき。それでいて頭は小さく、腰の位置は高く、理想的なバランスをしている。

罪に問われかねない魔性の美しさだった。
眺めているだけで、胸がリンゴン鐘を打ち鳴らす。

あんなイケメン、このクラスにいただろうか。
クラスメイト全員、身に覚えがない。イケメンといえば例のヤンキーくらいのはずだ。
彼の場合、イケメンはイケメンだが、美男子や色男の表現のほうがしっくりくる。
誰もが食い入るように胸元の名札を凝視した。

――灰田九。

なんとびっくり、その3文字が象られているではないか。

(は、灰田ぁぁああ!?!?)
(うっそーー!! 本当にあの灰田くん!? メガネ取ったら3の目をしてるんじゃなかったんだ!?)
(いやいやメガネだけでこんな変わる!?)
(なんでそんなすげえもん隠し持ってたんだよ、もったいねえ)
(1週間遅れの高校デビュー!?)
(リアルドラマ展開……!!)
(かわいさとかっこよさと美しさが黄金比率で融合している! 天然記念物よ! 国宝よ!)
(う、裏切り者……! 勝手に非モテ同盟を組んだ気でいたのに……! 除名だ除名! モテ散らかしてしまえ!)
(……あの顔……どこかで……?)

九の仰天チェンジは、傷だらけのたまきをはるかに上回るインパクトがあった。気落ちしていた心がぴかぴかに塗り替えられるほど。
不良がケガを負うシチュエーションは、いわば1+1=2くらい常識的なことだが、クラス1の地味男の劇的ビフォーアフターは、王道でありながらサプライズ性がとんでもなく強く、感動の余韻がいつまでも続いた。
若干1名、たまきと同中出身の男子は、悶々としているようだが。

素顔を露呈させた九が自席につくと、チャイムとともに担任の先生が入室してきた。
先生も窓際隅にいるふたりの変わり具合にぎょっとしつつも、なんとか朝礼開始の号令をかける。
起立、礼、着席。その命をすべてガン無視している猛者がいた。たまきである。
身なりからすでにルールに反した男ではあるが、今回のこれはわざとではない。単に聞いていなかっただけだ。メガネなしの九に、脳を焦がしてしまったせいで。

「お、おま……九……その顔……メガネは……」

先生が話し始めても、たまきは隣の席しか見ない。というより、九以外に目がいかない。
ごくりと生唾を飲んだ。
たしかに以前、メガネをしなくてもいいだろうと考えたことがあったが、だからって、昨日の今日でタイミングが悪すぎる。

「俺がクソダサメガネヤローって言ったから……」

昨日はクソもヤローもついていなかったが。
それには気づかずに、九はピンポイントでメガネというワードだけに食いついた。

「あーメガネ? それがさー、家出る前、ミケに取られちまったんだよ」
「……へえ」

たまきは即座に前に向き直した。心配して損した。
愚痴なのか惚気なのかわからない話を、九はかまわずに続ける。

「最近ミケが冷てえんだよなあ」
「……」
「たまきの話ばっかしてるからか?」
「……ふーん」

机の下でたまきの靴がぶらぶらし始める。

「メガネ取ったのもヤキモチだったんかなあ」
「……そう思うなら、そうなんじゃねえの」
「やっぱそうかー」
「うん」

たまきは横目でそっと隣を覗いた。
憂いを帯びた横顔は、まるで恋わずらい。
ガラスで蓋されていない目元は、くるんとしたまつ毛が羽のように広がる。

たまきの他にもチラチラと色めき立った眼差しが、九の顔面を往来していた。
真横に不良がいるとわかっていても心が惹かれてしまう。
九のギャップは底なし沼だ。穴場スポットでがらんとしていたはずの沼に、怒涛の勢いで片足が突っ込まれていく。
その様がたまきには、共感はできるが滑稽で、どうでもいいけれど気に入らなかった。
モヤッとして思わず、たまきは九の顔面に右手を振りかざす。
手のひらが九の小顔を包み隠す、すんでのところで、反射神経のよい九は蚊を叩くようにその手を払い落とす。

「イッ……」

先週の体育で突き指した指に、瞬間的に痛みが突き抜ける。
たまきは舌打ちする1秒前のようなうめき声をこぼした。

ケガした日の夜に渋々冷えピタをはがし、冷感タイプの湿布を代用した人差し指は、九が手当てしたときの原形を維持している。
手の肌をすべてかき消せるくらい長かった包帯で、関節が完全に曲がらなくなるまで分厚く絞めあげたものの、しょせん布切れ、突然の衝撃には弱いらしい。

「あ、わりーわりー。いきなり来るから加減できなかったわ」
「……い、いや……俺も、悪い」

九が反省しているのは力加減の点に限り。
実際、先に手を出したのはたまきだし、痛覚が再発したのは自業自得だ。
ただ、その間に、周囲の九への視線が散ったので、たまきはすべてよしとする。

「つか、たまき、なんか傷増えてね?」
「……今さらかよ」

一貫してミケの話しかしなかった九が、ようやくたまきの状態に視点を移した。
輪郭のきれいな頬や額には絆創膏が貼ってあり、手足には右の人差し指と同じような処置をしてある。それらでは覆いきれない擦り傷や痣も何箇所か見受けられた。
見た目ほどひどくはなく、日常生活に支障はない。いつもの時間に登校できているのがその証拠。

「だいぶ派手にやったな。あ、まさかまたこの前のあいつらか?」

九の目が据わっていくのがわかり、たまきはあわてて手を振り、またイタタと痛みをこらえるはめになった。

「ち、ちげえよ。あいつらとはあれ以来会ってない」
「そ? ならいいけど」

つぶらな瞳がぱっと瞬く。
約束破ってたらどうしようかと思った、とやけに明るく歌う九に、たまきの内臓がリズムを取った。

「喧嘩売った? 買った?」
「えっと……売り買いというより、遭遇した、みてえな」
「あー、はいはい、ばったりパターンね。あるある。目ぇ合って即開戦で、スピード勝負なのよな」
「まあ……たしかに? 目が合っちまって、すぐにやんねえとって」

話は噛み合っているようで、噛み合っていない。たまきが故意的に仕向けたことだ。
本当のことを打ち明けたくなかった。
この傷が、車に轢かれそうになった野良猫を助けたときにできたものだと。
愛玩動物になんか興味なかったのに、ことあるごとに九がミケミケ言うから、つい猫に意識が向く身体になり、気づいたら道路に飛び出した猫を庇い、道路をスライディングしていた。おかげで全身ボロボロ。
要は、九の影響でこうなったのだと、そう伝えるのはなんとなく癪というか、気恥ずかしいというか。喧嘩のせいにしておいたほうが都合がよかった。

「相手、手強かった?」
「あ、ああ……土俵がちがうというか」

強いも何も、大型トラックだ。腕っぷしに自信があっても、ひとりではさすがに太刀打ちできまい。

「勝った?」
「勝ったといや勝った……か」

猫にもトラック運転手にもケガはなく、たいして騒ぎにならずに済んだ。たまきが体張った甲斐があった。

「男前になったな、たまき」

たまきの傷のない鼻先を、九は指先でつついた。
ちょん、と触れた点と点。
まだクリスマスではないのにトナカイのモノマネを始めたたまきに、九はまなじりをゆるりと下げた。

「そ……お……だ……っ」

そう言うおまえもだろうが!
と、たまきは対抗しようとしたが、口が回らず。代わりに、空の口腔をクワッと開け、九の指を噛む気で八重歯を光らせた。
おおっと危ねぇ、と九は颯爽と手を引き戻す。

「俺の手までやられたら、たまきの分の板書もやれなくなんぞ。いいのか?」
「え……」

たまきの口が無防備に開きっぱなしになる。
笑みを描く九は、メガネがないと妙に意地悪く見え、たまきは左手でピアスをいじりながら目を泳がせた。

「い、いや、別にいい。いらねえ」
「本当か〜? 今ならタダだぜ?」
「……。教科書読んでりゃ、だいたいわかる」
「え!? 読むだけで!? まじかよ! すっげー!」

小学生のテンションで俺も言ってみてえー! かっけー! と矢継ぎ早に褒めちぎる。
朝礼そっちのけで私語しているのがモロバレだ。幸い、先生は恐れをなして、面と向かって叱ってはこない。

「じゃあじゃあっ、この化学式とかもわかんの!?」

九はリュックから化学の教科書を引っ張り出した。折れ目のついたページには、今日扱う範囲が載っていた。

「ああ、これは……」
「わかんだ!? 教えて教えて!」
「……いいけど」
「まぁじ助かる!」

午後の健康診断について連絡事項が周知されるなか、堂々と内職を始める。先生の話よりもこっちのほうが急を要する。何せ、化学はこのあとすぐ、1時間目に設定されている。
たまきは椅子を右寄りに、九は机を左寄りに近づけた。
メガネがないと視界良好で、九はいつもよりすらすらと問題の意味を汲み取れた。

(このままメガネがねえほうが……いや! やっぱだめだ!)

実際、理解度向上はメガネの有無によらず、あくまでたまきの教えあってこそなのだが。
ガキンチョな思考はどんどん、どんどん、あさっての方向に走り過ぎていく。

(あのダテメガネは要る、絶対要る! 今日なんかすんげえジロジロ見られてるし。たぶん俺のキャラ崩壊にびっくりしてんだろみんな。俺の作戦、地味にうまくいってたんだな!)

顔面偏差値<実際の偏差値。
九にとって、容姿の善し悪しは体格に集約している。実用性を鑑みて、背が高いことに越したことはない。
したがって自己評価は、総じて“並”の判定。身長や学力に関しても相違ない。いやはや自分に甘いのか、厳しいのか。
ちなみに、ミケは“(測定不能)”である。かわいいは正義、かわいいは無限大。