「で、後悔の日々っていうのは? 語り終わったみたいな顔しないでよ」

「あ、そういえばそんなことも言ってた」

「伏線を回収しないのは大罪だからね」

 彼女の指摘で気づいて、納得感がある。伏線を回収しないで完結した作品の作者は、こういう気持ちなんだろう。

「さっき話したみたいなことがあったり、数学の問題を教えてもらったり、現国の解答解説の解釈について議論したり、いろいろあった。なんだけど、大坂さんも知っての通り、今から三か月前……優莉と出会ってからだと、半年経ったとき、優莉が引っ越した」

 思い出したことも付け加えて、話す。
 ここまでは大坂さんも納得して聞く。

「で、僕も一般的な学生なわけで……悩みとか、世間に言いたいこととか、いっぱいあった。優莉に助けられて、それを吐きだせるかと思ったのに……先延ばしにして。結局、言いたかったこと全部、言う前に優莉は転校した」

「それが、後悔? あんな言ってた割に、ちょっと弱いような」

「まあ、もう一つ、言いたかったことがあって……それが一番大事なこと、だったんだけど」

「その内容を聞かないことには、なんとも言えないけど」

 正論。

「……ごめん。まだ出会って初日だから」

 だから、言えない。
 そういうニュアンスは伝わったのやら伝わってないのやら。

「いやいや、クラスメイトなんだから出会って初日ではないでしょ」

「そういう問題じゃなく。これまで話したことなかったし、もうちょっとだけ待ってほしい」

「――待つよ」

 今の大坂さんの印象は、出会って最初の印象からはだいぶ変わってしまった。
 でも、待つよと言った彼女に、朝と同じような優しさを感じ取る。

「……ありがとう」

 しかしそこで話題が尽きる。
 そりゃそうだ、むしろ関係値ゼロの状態からここまで耐えた方がすごい。

「ごめん、わたしちょっとトイレ行ってくる。スマホでも見てて」

 そう言われたので、スマホを開く。
 だからといってやりたいこともなく、ただぼんやりアルバムを開く。

 優莉は写真が好きなタイプではなかった。だから、一枚だけ。転校する直前に、撮らせてくれたツーショット。
 お守り、なんて言っていたけど……結局、これがあっても、大坂さんの力を借りないと、立ち直れなかった。

「ただいま、なにやってた?」

 そう言う大坂さんは、なぜか伝票に触れていた。

「……まあ、ちょっとね」

 僕の返事に、大坂さんは可愛らしく笑う。
 この記憶は、もうちょっとだけ一人で味わわせてほしい。

「しっかし、今日は優吾くんの話聞けないなら、お開きにする?」

 時刻は十三時ごろ。朝から五、六時間くらいは潰しているが、学校が終わる時間よりはまだまだ早い。
 ただ、学校が終わる頃合いまでずっと大坂さんとこうしているのも、どうかと思う。
 なにより、僕には、僕たちには思考を整理する時間が必要だ。

「そうだね、じゃあ今日は解散」

「また明日も、最初に出会った海まで来てね」

「朝?」

「もちろん」

 まあ、いいか。
 昔は早起きが苦手だったが、最近は早く起きるようになった。早く起きるように、なってしまった。
 急に早く起きる癖がついて、時間を持て余していたし、ちょうどいい。

「……明日は、学校行くから」

「ふうん。どうだろうね、わたしは結局行かないに一票」

 ちょっと種を変えて油断を誘ったつもりが、結局話の流れを奪われてしまう。
 さすが、優莉に対抗するためにコミュ力を得ただけある。

「じゃあ、僕はそろそろ」

「先に帰るの? 会計はさすがに、一緒にした方がいいんじゃない?」

「いや、いいよ。僕が払っとく」

 少しかっこつける。
 優莉と出かけたときはこんなことさせてくれなかったし、ちょっと憧れていた。

「と、言うと思ってなんと、わたしがもう払っておきました。帰ろうか」

「え」

「こういうのも、たまには面白いかと思ってね。普段は払ってもらう側だから」

「……理由は本当にそれ?」

「もちろん」

 そうやって彼女は冗談めかして笑った。
 見え透いた嘘の裏にあったのは、彼女の純粋な優しさだけだった。

「じゃあ、わたしはもう帰るね」

「うん」

 それだけ言って、彼女は荷物を持って店を出る。
 僕はその様子を見届けてから、同じように店を出て、家の方へ歩き始める。

「おお、星澤くん」

 少し聞き覚えのある声。声の方を見ると、イケメンがいた。すらりとした身体も、優しげな明るい顔も見覚えがある。
 誰だったっけ、と記憶を探る。そうだ、天野先生だ。一応担任だったっけ。

「どうしたんですか」

「学校サボってるのが先生にバレたのに、冷静だなあ」

「今から焦っても変わらないので」

「その態度。……伊藤さんにそっくりだな」

 伊藤。伊藤優莉。
 苗字は久しく聞いていなかったが、確かに優莉の話。
 しかし、その話がどうこうより先に、どうして先生がそれを知っているのかという疑念の方が気になった。もしくは、単に本心から似ていると思ったのか。

「大坂さんに聞いたんだ。辛そうだったら話を聞いてやってくれ、とも言われてたけど、大丈夫そうだね」

「……自分のことは自分で出来るので」

 わざわざ先生に話を聞いてもらわなくてもいい、と言った。
 実際のところ、大坂さんに全部助けられて、彼女に出会う前まではどうにもなっていなかったのだけれど。
 そんな見栄は、看破されていたみたいで。

「まあ、そういうことにしとく」

「なんですか、それ」

「あんまり詮索しないのも、教師の大事な役目だからね。手を貸さなくても立てるなら、その方がずっといい。そういうことだよ」

「抽象的ですね」

「星澤くんはそういうの好きなんだろう? 大坂さんから聞いてるよ」

 別に好きってわけじゃない。大坂さん、余計なこと言ったな。

「それで、天野先生はどうしてここに?」

「ん? 家が近いからね。困ったらうち来てもいいよ」

「そう言われても、天野先生の家がどこか知らないし、興味もないですよ」

「冗談冗談。生徒を家に呼んだりしたら怒られる気がする。たぶん」

 たぶんってなんだよ、そこら辺のルールはさすがに把握しといてくれよ、と思う。ちゃんと試験を受けて教師になったんだから。

「ま、困ったとき俺を見かけたら話してくれていいよ」

 今なにかに困っているというわけではないけど。親身になってくれる大人がいる、というその保証は、僕を僅か、ほんの僅かだけ安心させるに足りた。

「じゃあ僕は帰りますね」

「今から学校行っても遅くないと思うよ」

「今日は、整理したいことが多すぎるので」

「そっか」

 僕は先生に背を向けた。
 直感的に、天野先生は、このことを学校に報告したりはしないんだろうと思った。