「一応、思い出し泣きっていう言葉も使われてるみたいだね」

 目的のファミレスに着いて早々、僕は「思い出し泣き」について検索した。

「いや、まああんまり興味ないけどね?」

「なんだよ、せっかく調べたっていうのに。失礼な話だ」

 冗談めいた風に言う。
 彼女は正確にそれを受け取ったのか、同じく冗談めいた風に笑って答える。

「ごめんね?」

 ああ、冗談はこうやって言うのか。
 こんなこと、優莉には教わらなかった。彼女はそういう人だったから。
 でも、今日の半日、彼女といたおかげで……わかった。少なくない数の、そういう経験とか教えとか、優莉には教わらなかったようなことを。
 伝えたい。君のおかげで、僕はまた少し成長できた。

「じゃ、注文しようか」

 店に入る際、席に設置されたQRコードからオーダーするように指示された。少し前まではオーダー用紙に記入していたのに、時代の流れだろうか。
 そんなおじいちゃんみたいな独想。

「へえ、QRコードになったんだ」

 大坂さんも同じ発想みたいだった。僕たちは、やっぱり仲良くなれそうだ。
 たぶん、大坂さんもこちらの考えに気づいたのだろう。二人で小さく笑い合う。

「それにしても、平日のこの時間帯にファミレス寄ることないから、新鮮だね」

「そうだね。僕も、この時間帯は一回だけ」

「それ、優莉関係?」

「いいや、その前」

 そこでようやく、大坂さんが自然に優莉の名前を出していることに気づいて……彼女の目を見る。優莉は彼女にとってトラウマのようなもの、だと思っていたのだけれど。

「……たぶん、誤解されてるような気がする」

「人の心を読むのやめてくれる?」

 お互い正しく認識していないような。

「話せる? 僕は、知りたい。大坂さんのこと」

「なに、告白?」

「どうだろうね」

 実際のところ、それが告白と、受け取られてもいい。……彼女と出会って一日未満、そんなことを考え始めるくらい、彼女に惹きつけられていた。
 そう、太陽みたいだった。流れ星とは違って、いつでも見られる、そんな安心感。根拠はないのに、そんな風に感じられた。
 気づけば、胸を痛める星の欠片は、消えてしまっていた、みたいだった。胸が、痛まない。いつぶりだろう、胸が痛まないんだ。

「じゃあ、話すよ。大したことじゃない。優吾くんの言葉を借りるなら、『ありふれた話』」

「かまわない」

 僕の、つまらない、ありふれた話を親身に聞いてくれた。それは紛れもない、大坂さんだったから。
 それに、ただ純粋に、彼女の話を、気持ちを、聞いてみたかった。

「ごくごく幸せな、一般家庭。そこに、一人の女の子が生まれました。一方そのころ、別の家庭でも、女の子が一人生まれました」

 自然な話し口。童話を聴いているみたいに、情景が脳内に浮かぶ。

「二つの家庭は、縁がありました。母親同士が友達だったのです。その縁から、二人の女の子は、よく一緒に遊んでいたといいます」

 予想が、そこで確信になる。大坂さんと、優莉の話だ。
 僕は大坂さんの話だけではなく、優莉の話にも興味があった。

「それから、二人の女の子はすくすく育ちました。しかし、二人が幼稚園に入って……いつも仲の良かった二人は、よく比べられるようになりました。陽菜は、優莉より泣き虫だ。優莉は陽菜より背が高い。陽菜は優莉より歌が上手い」

 もう、十年以上も前のことだろうに……当時の彼女の感情が、まるで今も苦しんでいるかのように、鮮明に伝わる。
 ――いや、実際彼女はきっと、今も苦しんでいる。彼女は、優莉と違うということ。

「優莉は()()()に、『気にしなくていいよ、わたしと陽菜は違う』と、そう言いました」

 当時のことを思い出して、だろうか。いつの間にか、視点が三人称から、一人称に変わったみたいだった。

「でも、わたしはそれが……嫌味みたいに、聞こえました。それで、優莉の救いの手を……突っぱねて、優莉から……離れて、みんなに笑顔を振りまいて、自分が優莉より強いって、誇示するために」

 いつの間にか、それは独白へと変わっていた。
 僕は、感情を振り回されながら、彼女に心を移し入れながら、ただ聴く。

「そんな日々の中でわたしたちは大きくなって、優莉は……三か月前、突然転校した。親の事情って言ってたかな、それは優吾くんも知ってると思うけど……」

 物語に没入していたら、急に話を振られ、現実に戻る。
 優莉は、確かに親の事情と言って転校した。詳しい事情を伝えてくれないのが、少し不服に感じていた、ような気がする。

「とにかく、優莉が転校して……わたしは、想像以上に、釈然としなかった。心のどこかでは、優莉が敵じゃないってこと、わかってたからなんだろうね。そんな複雑な心情をどうにかしようって、学校へ行く道の途中で、目的地なく歩き回ってから、学校に行く。それが日常になってたとき、砂浜で、体育座りする優吾くんを見かけた」

 僕が、話に登場した。

「私服だったから、最初は変な人もいるもんだなあと思って近づいてみたら、案外知ってる人で……もしかしたら、優莉となにか関係があったのかもしれない、って」

 結局、その予感は当たったわけだ。
 彼女が見つけたのは、優莉に人生を狂わされた、同族だった。

「ビンゴ、だったよね。当時のわたしの好奇心のせいで、いろいろと複雑なことになって、優吾くんを傷つけて、わたしも傷ついた」

「後悔、してる?」

「そんなわけ、ないじゃん」

 あまりにも自然で、ずっと前からそんな表情をしていたように、笑う。

「どう? ありふれた話でしょ?」

「そうだね。僕の話といい勝負だ」

 どれだけありふれた話でも、彼女の感情を、身に受けながら聴くと――どうしても、感情移入する。
 比較されて育って、自己肯定感を下げられ続けて、自分でも下げ続けてしまって……どれだけ苦しかっただろう。僕には想像もできない。
 彼女がクラスで一大派閥を形成して、僕みたいな人がはじき出されるようになったのは、仕方ないことだと、今なら許せてしまう。僕が外されて一人になったおかげで、優莉に出会えたから、というのもあるとは思うけど。
 ただ、駆け巡る感情の中、一つ確かなのは、今の彼女は解放されている、ということだった。

「いい勝負って言っても、さすがにわたしの方がありふれてる、でしょ」

「どうだろう? 転校が原因で別れる人くらい、どこにでもいると思うけど」

 そこで思考の矢印が再び僕自身を向く。
 そう、これはみんな経験する苦しみ。僕だけが特別苦しいわけじゃない。

「そういえば、わたし優吾くんからはまだ抽象的な話しか聞いてないかも。わたしがいない間の優莉と優吾くん、気になる」

「……優莉は、たぶん大坂さんのイメージ通り、だったと思うけど。面白いことはないと思うよ」

「それもう聞き飽きたって。つまらないから話さないっていうの、禁止にしよう」

 同じ言葉で、何回も言い淀んでしまう。抽象的な話で誤魔化して時間を稼ぐ。そのくらい、僕は彼女との日々に自信がない。彼女との日々での、僕の過ごし方に自信がない。
 ずっと誰かに言えなかったことと、優莉だけにに伝えたかったこと。どちらも、言おうと思っていたのに、先延ばしにして、結局言えなかった。
 こんなに格好悪いことはない。流れ星に三回願い事を唱えようとして、結局一回目すら言い切れなかった、みたいなそんな感覚。

「僕から見た優莉との日々は、いわば後悔の日々だ」

 僕が話す気になったからか、それとも話への興味か――顔いっぱいに、笑顔を浮かべていた。
 優莉の神秘的な空気と対照的に、明るく溌溂とした、笑顔だった。