「いやあ、まさか優吾くんと音楽の趣味が一緒なんて思わなかったよ」

「マイナーだと思ってたから、嬉しい」

 彼女が僕の過去を尋ねた。そのときから、少し不穏な空気を感じていた。
 どうやら、杞憂みたいだった。共通の趣味が見つかって、むしろ関係はより良くなっている。

「それじゃあ、次どこ行く? 学校が終わるまではまだ四、五時間あるけど……」

 僕が決める。そうするための、自然なパス。成長の一歩目。
 あの星の落ちた場所を追う。そうなってしまうのは、仕方ないことだった。

「僕と"あの人"の、出会いの話か、別れの話。聞くなら、どっちがいい?」

 別に、その話をすると決まるわけじゃない。ただ、これから行きたい場所を、選べなかったから。
 でも、もちろんなにも言わずにそれが伝わることはなく。

「出会いの話!」

 大坂さんは、僕の話を楽しみにしているみたいだった。
 別に楽しむものでもないけどな、と思いつつ、心の底ではちょっと喜んでいる自分がいる。

「それなら、図書館。図書館に、行きたい」

 ここから少しだけ離れたところに、市民図書館がある。学校からはさほど近くはない。

「図書館? なにするの?」

「大切な思い出が、あって」

「お、出会いの思い出?」

 大坂さんは、少し声を落ち着かせて訊く。

「……正確には、ちょっと違うんだけど。まあでも、ほぼそんなもんだよ。大切な思い出。まだ、忘れたくないんだ」

 自然に口から出たその言葉が、不思議なくらいに言い得て妙だった。
 忘れられない、なんて言うわけじゃない。そんな無責任じゃなく、ただ望んで背負っている。
 その意味が大坂さんに伝わったのか。それはわからないが、大切な思い出だって、伝わったみたいだった。

「気が向いたら、わたしにも聞かせてよ」

「わかった。きっと聞かせる」

 笑ってそれだけ言って、歩き出す。徒歩だと十分くらいかかるだろうか。
 そんな取り留めないことを考えて、自然に笑える自分に気づく。

「優吾くん、本当に自然に笑うようになったよね」

 同じことに、大坂さんも気づいたみたいで。
 それはあなたのおかげです、なんて言おうか迷うくらいには、僕を変えてくれた。
 でも、そんなこと言えるくらいの勇気はまだなくて、だからただ一言。

「――ありがとう」

 知らぬ間に、道は下り坂になっていた。

「そういえば、優吾くんはいつも学校で誰と喋ってるの?」

 僅か、星の欠片が重みを増す。
 少し前なら、きっと即答していただろう。
 僕がゆらぐ、この一瞬だけで失言を感じ取ったのか、大坂さんは口を押さえる。

「ごめん、一番辛いところだよね、ごめん」

 二度も謝るくらいに、取り乱している。

「別に、いいよ。そんなに気にしてない」

 確かな恩人に、そんな罪悪感を抱かせるのは、逆にこっちが心苦しい。
 しかし、気にしていないなんて言ったところで、それが真実だとは思われないみたいだった。
 こういうときに、僕の悪いところが出る。単に経験がなくて、どうしたらいいかわからない。慌ててしまう。そのまま、罪悪感を彼女に溶かしてしまう。

「たぶん、どんな質問してもこんなもんだから……気にしてたら、きりがない」

 普通に説得するんじゃ駄目みたいだった。手遅れかもしれないが、少し方向を変えて指摘してみる。

「……そっか。じゃあ、いつも学校では誰と喋ってる?」

 再び行われた質問。しかし、どちらにせよ僕は返す言葉を持ち合わせていなかった。
 なぜなら、"あの人"との距離が大きく離れてしまってから、いつも一人で過ごしているから。

「あんまり、喋ってない」

 あまりにも寂しい回答。それ以外になんとも言えない。

「じゃあさ、学校でも話しかけていい? わたし、優吾くんにめっちゃ興味出てきた!」

 大坂さんは……友達も多いのに、わざわざ僕に話しかけるなんて、物好きだ。
 僕は、孤立しているというよりは、距離を取られている。そこに話しかけたら、どうなるだろう。
 もしかして、大坂さんは気づいていないのか。

「ねえ、大坂さん」

「うん、なに?」

「実は僕、周りから距離取られてるんだけど……」

「そうだね」

「あ、意図的に避けられてるって意味だよ」

「うん、わかってるよ」

 ん? このままいくと、僕が意図的に避けられてるのには気づいていたけど、放っておいたってことに……。
 まあ、もともとそんなものだったっけ。"あの人"がちょっと異質だっただけ。

「ごめんね、気づいてたのに助けてあげなくて」

「いや、それはいいんだけど。今更僕に学校で話しかけられると、大坂さんにも被害があるんじゃ?」

「それは別にいいよ。新しいものを得るには、古いものを捨てなきゃいけない。取捨選択だよ」

 納得できる話だけど、違和感。
 これまで得てきたものは、僕に話しかけるというためだけに捨てられるようなものだったのか?
 少し混乱しながらも、ひとまず理屈では納得する。いつの間にか下り坂は終わっていた。

「そんな大切な優吾くんに質問。君が言う"あの人"って――」

 思考を妨害する、痛み。
 胸に刺さった星の欠片が、過去最大の痛みを、放つ。痛い。

優莉(ゆうり)ちゃんのこと?」

 何度も何度も、聞いた名前。何度も何度も、心臓が脈を打つ。
 星の欠片が爆ぜる。数多の疑問。最終的に残ったのは、ただ単純。

「どうして」

 かろうじて口を滑った言葉。
 身体機能に溺れる中で、大坂さんの救いはない。

「簡単だよ。直近でこの学校を離れたのは、あの人だけだから」

 そうだ。そうだった。
 彼女の転校。
 多くの人の印象に残ることでは、なかった。だから考慮の外に置いていた。
 でも、実際転校は頻繁に起こることじゃない。覚えていてもおかしくない。

「わたし、さ。あの人とは、ちょっとだけ因縁があるんだよね」

 歩きながら言う。さほど派手な言葉ではなかった。
 でも確実に、すこしの、感情が込められていた。

 陰り。

 そうだ、あの陰り。
 まだ砂浜にいたときの、あのやり場のない怒り。あれは、僕に対する怒りであって、僕に対する怒りではなかった。

「しょうがないこと、なんだけどね」

 ああ、あの切ない笑顔は。つまり、こういうことだったんだ。
 諦観に染まる。すこし、すこしずつ。
 つまり、こんな笑顔を生み出してしまう。そういう存在が、いわゆる悪だって。
 でも、彼女が悪だと、到底思えない。

「だから意味ないよ、なにを恨んだって、なにも変わらない」

「"あの人"は、そうやって諦めることを許すような人じゃ、なかった」

 星の記憶。もちろん胸が痛い。
 それも、エゴだったのか――彼女は、唇を噛む。歩くのをやめて、立ち止まる。僕の言葉は、逆効果だった。

「ごめん、ちょっと、空気悪くしちゃって」

「僕にできることなら、手伝う」

 でも、涙。
 なにを言ったって、すべて意図とは反転する。
 まるで、星の光が反射するみたいに。

「っ、ごめん。しばらく、喋らないでほしい」

 彼女の言葉、心の奥からの声に、僕は俯いて、深く呼吸した。