「優莉が引っ越した理由って、わたしが優莉と比べられてつらいって言ったせいなの?」

 確かな怒りを込めて、両親に向かって吐き出す。
 このくらいしないと、二人はわたしの感情に気づかないのだろう。
 二人は、難儀な人だ。自分たちのやったことによって生まれるわたしの感情から、目を逸らす癖がある。

「そうだよ」

 答えたのはお父さんだった。
 いたずらが大人にバレて怒られるときのような声色だった。
 立場が逆転しているじゃないか、と思ったけど、わたしはお父さんに怒られたことはない。
 それがむしろ切なかった。

「わたしがそれを望んでなかった、っていうのはわかってた……?」

 疑って問いかける。
 自分の両親のことがわからなくなってしまった。二人がどのくらいわたしのことをわかっているのか。

「……」

 沈黙。
 しばしののち、お父さんは首を横に振る。

「そう、だよね……。わたしのためを思ってやったんでしょ」

 今、わたしが抱いている感情は、言葉にするならどう言うのだろう。
 やるせない、というのが、わたしの語彙では一番近い。
 ありがた迷惑ながらも、大輔さんの気持ちも理解できて、真っ向から糾弾するわけにもいかない。そういうどうしようもなさがつらい、というような思い。
 優吾くんならもっとうまく言葉にできるのだろう、と思って、隣を見る。

 彼は真剣な表情でわたしたちの話を聞いていた。
 わたしが彼を見たのに気づくと、彼もこちらを見て、真剣な顔で小さくうなずく。
 落ち込んだ気持ちが、少しだけ取り戻されたような気がした。

「……陽菜は、あのまま優莉ちゃんと一緒に暮らした方がよかったの?」

「それはわからない。だけど、わたしの一時の感情のために、家族一つの人生を変える、その神経がわからない」

 これは、非難というよりも、純粋な疑問だった。
 優吾くんも言っていたけど、わたしが苦しんでいるから、隣の家の家族を引っ越させるという発想には、ならない。

「陽菜は俺たちにとって人生だ。他人の人生より、自分の人生の方が大事なんだ」

 言ってることがわかるのに、言ってる意味がわからない。
 隣の優吾くんは深呼吸をした。

「で、でも……陽菜が優莉ちゃんを呼び戻してほしいなら、呼び戻そうか?」

 今から呼び戻したって、逆に迷惑だろう。
 優莉が帰ってきたって、わたしたちと同じ学校に再び入れるかはわからない。
 ……たぶん、優莉なら大丈夫だろうけど。
 なにより、わたしのために今から優莉を呼び戻すことは、さらにわたしを甘やかすことになる。

「もういいよ、過去は戻らない。だから、お父さんとお母さんに本当に話したいことがもう一つある」

 本当はもう少し話したかった。
 でも、わたしの親の言い訳を、これ以上優吾くんに見せたくないという気持ちが勝つ。

 お父さんは、今度はまっすぐわたしの目を見る。
 お母さんも同様にした。
 優吾くんは、わたしのことを優しい目で見ている。

「これ以上、わたしを甘やかさないでほしい」

 端的に言う。
 二人は、困惑していた。

「どうすればいいかわからないかもしれない。だったら、他の家庭の様子を参考にするとか、先生に話を聞くとか、してほしい」

 頭の中で思い浮かべるのは、優莉や、天野先生。

「これが最後のわがまま」

 わたしはそれだけ言って、椅子を立って部屋に戻る。
 優吾くんは、両親に礼だけして、わたしについてきた。

「……陽菜、すごいよ」

「ありがとう。結構頑張ったからね!」

「本当に、頑張ったよ。僕がいる意味なかったくらいに」

 彼が苦笑する。
 内心はどう思っているのだろう。きっと、自虐するようなことを考えているのだろう。
 彼は、考えすぎる癖がある。

「それは違うよ。優吾くんが隣にいるから、無駄に話が逸れなかった」

「気持ち的な話をするのかと思ったら、そういう話なんだね」

「優吾くんがいなかったら、わたしはお父さんと価値観について延々と話してたからね!」

 彼は再び苦笑する。
 しかし、それは自分への笑みというよりは、わたしの言葉への笑みみたいだった。

「もう遅いし、僕は帰ろうかな。甘やかされたくないんだったら、僕を急に泊めるのも変だし」

「そうだね。エントランスまで送るよ」

 優吾くんは、大きくなった荷物を持つ。
 わたしたちは、両親からの視線を受けながら、玄関まで行って部屋を出る。

「やっぱりこのマンション広くない?」

「金持ちしか住んでないからね」

「じゃあ、優莉の家庭も金持ちだったってことなのか」

「確かに。たぶん、お父さんが高い給料あげてたんでしょ。お母さん同士が元から知り合いだったらしいし」

「なるほどね。……本当は、陽菜の家庭は恵まれているんだとか説教したいけど。今日はそういう感じじゃなさそうだ」

 喋っているうちにエントランスにたどり着いて、わたしは立ち止まる。

「じゃあ、気を付けて」

「陽菜、変なところで気が利くね」

 そう言って彼はマンションから出る。

 わたしは早足で部屋に戻る。

「おかえり。星澤くんは帰ったの?」

 家に戻ってきたわたしを見て、真っ先に声をかけたのはお母さんだった。
 お父さんは、まだまだ衝撃が大きいのだろう。姿が見えない。
 対してお母さんは、洗い物をしている。いつもよりお皿が一人分多い。

「うん。夜遅いし、親が心配するからね」

 告げてから、自分で自分が可笑しく思える。
 だって、親に無断で三日間旅行に連れまわしておきながら、「親が心配するから」なんて。
 優吾くんには、教育の問題でわたしの価値観が歪んでいるのだと思われているけど、実際はわたしのただのわがままだった。

「陽菜お風呂入る? 沸かしとくね」

「自分でやるからいいって」

 いつも通りのやり取り。
 そして、普段通りにわたしがお風呂を沸かす。

 昨日は神戸にいて、優莉の家のお風呂に入った。それが、嘘みたいに、日常に戻っていた。
 ただ少し違うのが、親との距離感。
 今はまだ考えている途中なんだろうけど、いつもわたしを溺愛している二人が少し距離を取る、それだけで少し違和感がある。

「これが、正しい在り方なんだ」

 自分に言い聞かせるように呟く。
 正直、自分でもまだわかっていない。
 これまで通りの家庭でも、大きな問題はこれ以上起こらないかもしれない。

「いいんだよ、自分が決めたことなんだから」

 そこで思い浮かんだのは、優莉の顔だった。
 無意識に呟いた言葉は、優莉が言いそうな言葉だった。