がちゃり。
 鍵の音。
 陽菜が、縦長のドアノブを引いて、ゆっくりと扉を開ける。

「陽菜? お帰り!」

 陽菜に少し似ながらも、優しさを加えたような声。
 きっと、彼女の母のものだろう。
 陽菜は靴を脱ぎ、一人玄関から上がっていく。
 僕はおろおろして、その場に棒立ちする。

「ただいま。お父さんいる?」

「今はいないけど……呼ぼうか?」

「いや、いいよ。待つから。あと、友達連れてきたんだけど、上げてもいい?」

「いいよ」

 玄関に戻ってきた陽菜に手招きされて、靴を脱いで家に上がる。
 甘やかすのを辞めさせるために親の甘さを生かすというのに疑問を感じざるを得ない。
 だが、そこを指摘すると進展ができなくなってしまうので、なにも言うまい。

 陽菜の部屋に上がる前に、陽菜の母をちらりと見る。
 とても、陽菜に似た人だった。
 一瞬立ち止まった後、陽菜の部屋に入る。

「結構、物のある部屋だね」

 陽菜に案内されて部屋に入った最初の感想がそれだった。

「僕や優莉なんかは本当になにもないけど、陽菜は生活感があっていい」

「それ、褒めてるかちょっと怪しくない?」

 言われて、褒めるところを探そうと部屋を見渡してみる。
 物のある部屋とは言ったが、ある程度整理されていて、一般的な高校生はこういう部屋なんだろうと思わされる。

「……みんなでゲームできるのはいいね」

「ああ、このゲーム機ね。一緒にやる? 格ゲーとレースゲームあるよ」

 陽菜の父が帰ってくるまでしばらく時間があるらしい。
 素直に同意する。
 格ゲーかレース、僕はどちらでもよかったので、陽菜の希望から最初は格ゲーをやることに決定した。

「そんな武闘派なんだ。女子ってあんまりそういうイメージないけど」

「スローライフはあんまり盛り上がんないじゃん?」

「だから格ゲーとレースゲーム、と」

 陽菜がコントローラーを操作して、ソフトを開く。
 僕には平然ともう一つのコントローラーが手渡される。

「うちは金持ちで激甘の家庭だから、コントローラー二個あるんだよね」

「もう驚かないよ」

「格ゲーはDLCも全部買ってある」

「別に驚かないけど、それなんか意味ある? 誰とやるの?」

 僕の疑問を聞いて、彼女はうんうんうなずく。

「優吾くんはそう思うかもしれないけど、実はわたしは友達が多いんだよね」

「ああ、かたっぱしから家に呼ぶタイプなんだね。僕は仲のいい人しか家に呼ばないタイプだから」

 この距離感も、陽菜の特有のものなのだろう。
 もしかしたら、僕との距離感がおかしかったのも、元来のものなのかもしれない。

 会話しながらコントローラーを操作して、対戦を始めてみる。

「もしかして優吾くん、このゲーム初めて?」

 手元のコントローラーをかちゃかちゃやりながら、陽菜が尋ねる。

「うん。そもそもうちにゲームがないから」

「買ってくれなかったってこと? ……そういうわけでは、なさそうだよね」

 単純に、僕はあまりゲームに興味のある子供ではなかったというだけだ。
 しかし、それを口に出すほど余裕がない。負けそう。

「わたしもあんまり興味なかったんだけどね。お父さんが買ってきてくれたから、やった方がいいだろうし。友達とも盛り上がるし」

「付き合いのためのゲームってこと?」

 陽菜の大変さを想像すると、後ろめたくなる。

 とりあえず初めての対戦には負けて、コントローラーをその場に置いた。

「今失礼なこと考えなかった!?」

「そんなことないよ。どういうこと?」

「他人のことばっかり考えて惨め、とか」

「思ってない。むしろ尊敬してるよ」

「……そういうことにしとく」

 まだまだ不服そうな表情の陽菜に、二戦目を提案すると、彼女はやる気満々でコントローラーを握りしめる。
 初心者をぼこぼこにして楽しいのだろうか。
 そんな疑問を頭の片隅に置いたまま、大人しくぼこぼこにされる。
 陽菜は満足したみたいだった。

「初心者をぼこぼこにして満足してるなんて、陽菜は性格が悪いね」

「優吾くんならわたしがいなくても上手くなるのかなって思って」

「一人で勝手に上手くなるのは僕には無理だよ、教えてもらわないと」

 そうやって愚痴をこぼしながら、三戦目に突入する。

「わたしも教えられるほど上手くないよ」

「いいんだよ、陽菜のやり方で。少なくとも今より上手くなるから」

 三戦目も一瞬で敗北。
 今のところ、ほとんど成長が見られない。

「しょうがない。わたしが教えてあげよう」

 そこからは、急に陽菜の格ゲー講座が始まった。
 予想だにしていなかった流れだが、緊張は徐々にほぐれてきていて、いい方向に進んでいるのは確かだ。

「……こうやって他人の部屋で人を待ってると、優莉の部屋で優莉を待ってたことと重なる」

 格ゲー講座を受けながら、突然と呟く。
 脈絡のない言葉ながら、陽菜は真剣に考える。

「確かに、似てるね。わたしは自分の部屋だからそんな感覚はなかったけど」

 彼女はそう言って、優莉の部屋でやったように、自分の部屋を見渡す。
 部屋の様相は、陽菜の部屋と優莉の部屋で大違いだ。

「外、暗くなってきたけど……陽菜のお父さんは、まだ帰ってこない?」

 内心、こんなに夢中になってゲームをやっていたことに驚く。
 僕の問いかけに、陽菜は虚空を見上げてから視線を僕に戻して、答える。

「たぶんね。お父さん、いっつも夜遅くに帰ってくるから」

 そう言うのを聞いて、これが陽菜に必要以上に甘い原因の一つなんだろうな、と漠然と思う。
 なかなか帰れない贖罪として、陽菜の期待になんでも応えようとするから、甘くなってしまう。

「休日もたまにしかいなくて、ちょっと寂しかったな。わがままも言っちゃったから、今みたいになったのかも」

 彼女も同じ考察にたどり着いたらしい。
 気づけば、コントローラーを操作する手が止まっていた。

「優吾くん、夜ご飯食べていく?」

「……断ってここで帰っても仕方ない。ありがたくいただくつもり」

「おお、そんなに意志強いんだ。嬉しいな」

 陽菜が笑う。
 いつになく素直に、感情を口に出す。

「決めたことは、最後までやり遂げる。優莉はそういう人だよ。……臨機応変さもあるけど」

「今はうちでご飯食べるのが最善だと思ったってことだよね」

 無言でうなずく。
 陽菜は「待ってて」と言い残して部屋を出て、なにやら陽菜の母と話をしたみたいだった。たぶん、僕の夕食についてだろう。

 しばらくして部屋に戻ってきて、僕に話しかける。

「せっかくだから、わたしとお母さんと一緒に食べようよ。どういう人か知っといた方が
楽だろうし」

 陽菜の親と一緒にご飯を食べるとか、そんなん親に挨拶しに来たみたいなものじゃん。
 なんて思いつつ、同意する。

「でも、そんなに急に決めていいの? 一応話はしたみたいだけど……夕食ならもう作ってるんじゃない?」

「大丈夫、今日のメニューはカレーらしいから。そろそろカレーの匂いがするころじゃない?」

 論理の通っていない論理を聞かされて、さすがに質問を続ける。

「カレーなら大丈夫っていうのはどういうこと?」

「お母さんはいつもカレーを多めにつくる習性があるからね」

「それ、明日の負担を減らすために二食分作ってるんだと思うよ……」

「いいんだよ、なんも言われないから」

 なんというか、陽菜が甘やかされてきたことが垣間見える。

「だから、ご飯ができるまでレースゲームやろう!」

「格ゲーは?」

「飽きたし勝てなくなってきたから」

「……」

 僕はそれ以上抵抗せずコントローラーを握った。