「遅いよ!」
「ごめん、優莉のデートに夢中になってて」
僕の冗談に、優莉は胸を張る。
不服そうな陽菜も、本気で怒っていないことはわかっている。
「もう星見えてるよ」
「一応言っておくと、掬星台は星を見るところではないから」
優莉が説明する。
手で星を掬えるような絶景が広がっているから、掬星台。
「いや、手で星を掬えるような景色ってなに?」
「すごい明るいってことじゃない?」
「とりあえず行ってみようよ、掬星台」
陽菜の提案に従い、謎のベンチのある場所から、掬星台へ移動する。
掬星台は、「台」とは言っても広場になっている。
開けた場所から見る夜景は、確保された視界の広さに相当する明るさを放つ。
「そういえば、デート対決はどっちの勝ち?」
「優莉の圧勝。陽菜とか適当に歩いてただけじゃん。優莉は自然観察園を紹介してくれたよ」
花は咲いていなかったんだけど。
優莉の方を見ると、少し後ろめたそうにしていた。これまでに見たことのないような姿で、どきりとする。
軽く話している間に、掬星台に立って夜景の方を向く。
「やっぱり夜景は綺麗だね」
手前から奥まで、大小さまざまな光の粒が、隙間なく敷き詰められる。
青い空気の層が光に照らされ、夜の街はぼんやりとした光をまとう。
そして、そんな光と対照的に、闇が広がる部分。そこは海なのだろう。ところどころに、船の物と思われる光が、浮かぶ。
「不思議」
陽菜が呟く。
僕と優莉は、彼女が続きを話すのを待つ。
「この街の光、一つ一つに家庭があって、わたしの家みたいに激甘な家族もいれば、すごく厳しい家族もいる。家族だけじゃない。一人の人も、カップルで同棲してる人も」
それらすべてをまとめて見下ろしていること。それが不思議だと。
なにも言わない。なにも言えない。
ただ、その不思議さに同意して、浸るだけ。
「『思い出を映すのに、カメラのレンズは邪魔すぎる』だっけ」
陽菜の言葉を引用する。
眼前の景色が、まさにカメラのレンズを通すと劣化する、そんな景色だった。
「なにそれ、的確」
優莉が尋ねる。
この言葉が生まれたとき、彼女はいなかった。
「陽菜の言葉だよ」
僕に言われて、彼女は胸を張る。
優莉に対抗しているみたいで、可愛らしい。
「そんなこと言えたんだ、陽菜」
感心したように、優莉は笑う。
僕は幸せだった。
「そういえばわたし、優吾に言わないといけないことがある」
震える声。
優莉の声が震えるのは、初めてだった。
急に指名されて、僕は黙って聞く。
「あなたのことが、好きです」
息を飲む。
僕か、優莉か、はたまた陽菜か。
静寂。
山と、夜景と、空を見て、最後に優莉を見る。
空気に、波を立てようとしたとき。
「待って――わたしも」
静寂に、音が立つ。
「わたしも、優吾くんのことが好き」
世界に、悲しみが生まれた。
僕に、迷いが生まれた。
「……わからない」
吐き出したのは情けない言葉。二人は呆れたりしないと、甘えた結果。
「優莉が好きなのか、陽菜が好きなのか。それとも、本当はどっちも好きじゃなくて、ただの尊敬と憧憬なのかもしれない。もしくは……」
僕は、それを判断できるほど――経験豊富ではなかった。
経験がそれを判断させてくれるか、それすらもわからなかった。
「優莉は、弱いだけの僕が、少しだけでも前に進む、そのきっかけを与えてくれた。陽菜は、優莉が蒔いた成長のための種を、実際に成長させる、その手伝いをしてくれた」
思い出す。
僕を庇った優莉が、かっこよく見えたこと。
陽菜が、海辺で落ち込んでいた僕の隣にいたこと。
優莉を見る。陽菜を見る。
どちらも視線が合って、僕は重圧を感じる。
「優莉のことが大事だって気持ちも、陽菜のことが大事だって気持ちも、どっちも本当だ。けどそれがどういう感情なのか、具体的にはわからない」
優莉は、まっすぐに僕を見る。
その視線はどういう意図を秘めているのだろう。
優柔不断で、どちらも大事だなんてのたまう僕を責めている?
それとも、僕が優莉のことを好きでなくても、僕のことを好きなままでいるよという意思表示?
わからない。わからない。
陽菜はどうだろう。僕のことをどう思っているのか。少なくとも、好意はあると思う。
でもそれが、今のような僕の発言を前に、揺らがないような、失われないような、はっきりとした気持ちなのかは、わからない。
「わたしは、別にどっちかを選ばなくたっていいと思うんだよね。どっかでも話した気がするけど」
陽菜が小さく告げる。
掬星。目の前に立つ、星のような二人を、両方とも掬う。
「確か僕は、一般常識だって言って否定して答えた」
そう答えた理由は、なんだったっけ。
「きっと、二人と付き合っても僕は幸せだと思う。でも、どこかに後ろめたさが残るとも、思う。それはたぶん、陽菜も優莉も同じ」
その後ろめたさは、本当に抱くべきものなのか。
どこから現れたものなのか。
「どうすればいいのか、僕にはわからない。だから、今はこのままでいさせて」
山から身を投げてしまいたいような、気分だった。
二人がどういう表情をしているのか、見ることはできなかった。
二人がなにを望んでいるのか、推察することも、できなかった。
「……じゃあ、山下りよう」
長い長い沈黙ののちに、優莉が切り出す。
僕も陽菜も、従うという選択肢以外がなかった。
「考えたんだけど」
山を下りるケーブル。
ずっと考えた末に、仮の答えを出す。
「僕がどうするかを今決めるには、まだ子供すぎる」
人の少ないケーブルカーの中で、二人は僕を見る。
「だから、大人になったらまた会おう」
「『大人になったら』って?」
「……優莉、成人式はどっちで参加する?」
「千葉に帰って参加する、と思う」
期待した答えが返ってきて、予定通りの話を続ける。
「じゃあ、そこで一度会おう。二人がそれまで待てるなら」
浅い考えで言う。
しかし、よく考えると、あまりにひどい発言だ。青春を過ごす二人に、成人式まで待てだなんて。
「わたしは、待てる。どうせ付き合うような人もいないから」
真っ先に答えたのは、先ほども話した優莉。
「わたしも大丈夫。結局学校は一緒なわけだし、実質優吾くんと付き合ってるようなものだよ」
陽菜もすぐに続く。
少しでも場を和やかにしようと思ったのか、冗談めいたことを言って、小さく笑う。
僕は申し訳なかった。そんなに覚悟のある人が、僕の不手際で待たされることになる。
「絶対に、納得のいく決断をするから。待ってて」
「いいよ。でも、たまにわたしに会いに来て」
ずっと一人はさすがに寂しいから、と優莉が言う。
「もちろん」
山のふもとに下りて、バスに乗る。
「そういえば陽菜、僕たちは今日どこに泊まるの?」
「あ」
失念していた、というような表情で片手で口を塞ぐ。
「そもそも一泊する分のお金はなくない?」
「……まああるんだけど、それを使うと帰れなくなるね」
つまり、帰りの新幹線代ということだろう。
「東京から家まで歩けばいけるか?」
「無理だよ」
陽菜の視線が自然に優莉に向かう。
やめて、その視線移動は別に自然ではないから。
「……いいよ、貸してあげる。あまり高いホテルに泊まらないでね」
「待って、これ僕たちが大阪で高いホテルに……」
固く結んだ口の前に、人差し指を立てる陽菜。
都合が悪いことは口を塞ごうとするな。
「っていうかこれ、うちに泊めてあげた方がいいやつか。陽菜はわたしと同じ部屋で寝るとして……部屋空いてるか、聞いてみる?」
「いやいや、悪いよ」
遠慮気味の陽菜。
僕はすかさず突っ込む。
「どっちにしろお金貸してもらうか部屋貸してもらうかの二択なんだよ。だから優莉の楽な方にしてもらおう」
「その二択で言ったら、部屋貸してあげる方がたぶんわたしは楽」
優莉の感想に、施される側の僕たちは逆らえるはずもない。
僕たちは今晩、優莉の家に泊めてもらうことになった……。
「部屋割りどうする? ここは思い切って、優莉の部屋でわたしと優吾くんが寝て、優莉はソファで……」
「いや図太すぎる。陽菜は申し訳ないって感情ないわけ?」
僕は突っ込む。
優莉も、その提案には否定的だった。
「それはさすがに……。やっぱりわたしの部屋で、三人全員寝よう」
「あんまりよくないと思うけど僕は逆らえない……」
なんで優莉もボケ側なんだ、ツッコミだと思ってたんだけど。
いくら変わったといっても、ボケかツッコミかが変わることはあんまりない。
もしくは陽菜がいるとボケになるみたいな……?
「まあ真面目に決めるなら、わたしと陽菜が同じ部屋で、優吾くんに別のところで寝てもらうのが一番自然かな」
「かしこまりました」
という風に部屋割りが決まり、バスを乗り継いで優莉の家に着いた僕たちはスムーズに就寝した。
「ごめん、優莉のデートに夢中になってて」
僕の冗談に、優莉は胸を張る。
不服そうな陽菜も、本気で怒っていないことはわかっている。
「もう星見えてるよ」
「一応言っておくと、掬星台は星を見るところではないから」
優莉が説明する。
手で星を掬えるような絶景が広がっているから、掬星台。
「いや、手で星を掬えるような景色ってなに?」
「すごい明るいってことじゃない?」
「とりあえず行ってみようよ、掬星台」
陽菜の提案に従い、謎のベンチのある場所から、掬星台へ移動する。
掬星台は、「台」とは言っても広場になっている。
開けた場所から見る夜景は、確保された視界の広さに相当する明るさを放つ。
「そういえば、デート対決はどっちの勝ち?」
「優莉の圧勝。陽菜とか適当に歩いてただけじゃん。優莉は自然観察園を紹介してくれたよ」
花は咲いていなかったんだけど。
優莉の方を見ると、少し後ろめたそうにしていた。これまでに見たことのないような姿で、どきりとする。
軽く話している間に、掬星台に立って夜景の方を向く。
「やっぱり夜景は綺麗だね」
手前から奥まで、大小さまざまな光の粒が、隙間なく敷き詰められる。
青い空気の層が光に照らされ、夜の街はぼんやりとした光をまとう。
そして、そんな光と対照的に、闇が広がる部分。そこは海なのだろう。ところどころに、船の物と思われる光が、浮かぶ。
「不思議」
陽菜が呟く。
僕と優莉は、彼女が続きを話すのを待つ。
「この街の光、一つ一つに家庭があって、わたしの家みたいに激甘な家族もいれば、すごく厳しい家族もいる。家族だけじゃない。一人の人も、カップルで同棲してる人も」
それらすべてをまとめて見下ろしていること。それが不思議だと。
なにも言わない。なにも言えない。
ただ、その不思議さに同意して、浸るだけ。
「『思い出を映すのに、カメラのレンズは邪魔すぎる』だっけ」
陽菜の言葉を引用する。
眼前の景色が、まさにカメラのレンズを通すと劣化する、そんな景色だった。
「なにそれ、的確」
優莉が尋ねる。
この言葉が生まれたとき、彼女はいなかった。
「陽菜の言葉だよ」
僕に言われて、彼女は胸を張る。
優莉に対抗しているみたいで、可愛らしい。
「そんなこと言えたんだ、陽菜」
感心したように、優莉は笑う。
僕は幸せだった。
「そういえばわたし、優吾に言わないといけないことがある」
震える声。
優莉の声が震えるのは、初めてだった。
急に指名されて、僕は黙って聞く。
「あなたのことが、好きです」
息を飲む。
僕か、優莉か、はたまた陽菜か。
静寂。
山と、夜景と、空を見て、最後に優莉を見る。
空気に、波を立てようとしたとき。
「待って――わたしも」
静寂に、音が立つ。
「わたしも、優吾くんのことが好き」
世界に、悲しみが生まれた。
僕に、迷いが生まれた。
「……わからない」
吐き出したのは情けない言葉。二人は呆れたりしないと、甘えた結果。
「優莉が好きなのか、陽菜が好きなのか。それとも、本当はどっちも好きじゃなくて、ただの尊敬と憧憬なのかもしれない。もしくは……」
僕は、それを判断できるほど――経験豊富ではなかった。
経験がそれを判断させてくれるか、それすらもわからなかった。
「優莉は、弱いだけの僕が、少しだけでも前に進む、そのきっかけを与えてくれた。陽菜は、優莉が蒔いた成長のための種を、実際に成長させる、その手伝いをしてくれた」
思い出す。
僕を庇った優莉が、かっこよく見えたこと。
陽菜が、海辺で落ち込んでいた僕の隣にいたこと。
優莉を見る。陽菜を見る。
どちらも視線が合って、僕は重圧を感じる。
「優莉のことが大事だって気持ちも、陽菜のことが大事だって気持ちも、どっちも本当だ。けどそれがどういう感情なのか、具体的にはわからない」
優莉は、まっすぐに僕を見る。
その視線はどういう意図を秘めているのだろう。
優柔不断で、どちらも大事だなんてのたまう僕を責めている?
それとも、僕が優莉のことを好きでなくても、僕のことを好きなままでいるよという意思表示?
わからない。わからない。
陽菜はどうだろう。僕のことをどう思っているのか。少なくとも、好意はあると思う。
でもそれが、今のような僕の発言を前に、揺らがないような、失われないような、はっきりとした気持ちなのかは、わからない。
「わたしは、別にどっちかを選ばなくたっていいと思うんだよね。どっかでも話した気がするけど」
陽菜が小さく告げる。
掬星。目の前に立つ、星のような二人を、両方とも掬う。
「確か僕は、一般常識だって言って否定して答えた」
そう答えた理由は、なんだったっけ。
「きっと、二人と付き合っても僕は幸せだと思う。でも、どこかに後ろめたさが残るとも、思う。それはたぶん、陽菜も優莉も同じ」
その後ろめたさは、本当に抱くべきものなのか。
どこから現れたものなのか。
「どうすればいいのか、僕にはわからない。だから、今はこのままでいさせて」
山から身を投げてしまいたいような、気分だった。
二人がどういう表情をしているのか、見ることはできなかった。
二人がなにを望んでいるのか、推察することも、できなかった。
「……じゃあ、山下りよう」
長い長い沈黙ののちに、優莉が切り出す。
僕も陽菜も、従うという選択肢以外がなかった。
「考えたんだけど」
山を下りるケーブル。
ずっと考えた末に、仮の答えを出す。
「僕がどうするかを今決めるには、まだ子供すぎる」
人の少ないケーブルカーの中で、二人は僕を見る。
「だから、大人になったらまた会おう」
「『大人になったら』って?」
「……優莉、成人式はどっちで参加する?」
「千葉に帰って参加する、と思う」
期待した答えが返ってきて、予定通りの話を続ける。
「じゃあ、そこで一度会おう。二人がそれまで待てるなら」
浅い考えで言う。
しかし、よく考えると、あまりにひどい発言だ。青春を過ごす二人に、成人式まで待てだなんて。
「わたしは、待てる。どうせ付き合うような人もいないから」
真っ先に答えたのは、先ほども話した優莉。
「わたしも大丈夫。結局学校は一緒なわけだし、実質優吾くんと付き合ってるようなものだよ」
陽菜もすぐに続く。
少しでも場を和やかにしようと思ったのか、冗談めいたことを言って、小さく笑う。
僕は申し訳なかった。そんなに覚悟のある人が、僕の不手際で待たされることになる。
「絶対に、納得のいく決断をするから。待ってて」
「いいよ。でも、たまにわたしに会いに来て」
ずっと一人はさすがに寂しいから、と優莉が言う。
「もちろん」
山のふもとに下りて、バスに乗る。
「そういえば陽菜、僕たちは今日どこに泊まるの?」
「あ」
失念していた、というような表情で片手で口を塞ぐ。
「そもそも一泊する分のお金はなくない?」
「……まああるんだけど、それを使うと帰れなくなるね」
つまり、帰りの新幹線代ということだろう。
「東京から家まで歩けばいけるか?」
「無理だよ」
陽菜の視線が自然に優莉に向かう。
やめて、その視線移動は別に自然ではないから。
「……いいよ、貸してあげる。あまり高いホテルに泊まらないでね」
「待って、これ僕たちが大阪で高いホテルに……」
固く結んだ口の前に、人差し指を立てる陽菜。
都合が悪いことは口を塞ごうとするな。
「っていうかこれ、うちに泊めてあげた方がいいやつか。陽菜はわたしと同じ部屋で寝るとして……部屋空いてるか、聞いてみる?」
「いやいや、悪いよ」
遠慮気味の陽菜。
僕はすかさず突っ込む。
「どっちにしろお金貸してもらうか部屋貸してもらうかの二択なんだよ。だから優莉の楽な方にしてもらおう」
「その二択で言ったら、部屋貸してあげる方がたぶんわたしは楽」
優莉の感想に、施される側の僕たちは逆らえるはずもない。
僕たちは今晩、優莉の家に泊めてもらうことになった……。
「部屋割りどうする? ここは思い切って、優莉の部屋でわたしと優吾くんが寝て、優莉はソファで……」
「いや図太すぎる。陽菜は申し訳ないって感情ないわけ?」
僕は突っ込む。
優莉も、その提案には否定的だった。
「それはさすがに……。やっぱりわたしの部屋で、三人全員寝よう」
「あんまりよくないと思うけど僕は逆らえない……」
なんで優莉もボケ側なんだ、ツッコミだと思ってたんだけど。
いくら変わったといっても、ボケかツッコミかが変わることはあんまりない。
もしくは陽菜がいるとボケになるみたいな……?
「まあ真面目に決めるなら、わたしと陽菜が同じ部屋で、優吾くんに別のところで寝てもらうのが一番自然かな」
「かしこまりました」
という風に部屋割りが決まり、バスを乗り継いで優莉の家に着いた僕たちはスムーズに就寝した。



