バス、バス、ケーブルカー、ロープウェー。
乗り継ぎの先にたどり着いたのは、摩耶山というところだった。
「六甲山の一部なの?」
「そう、だと思う。そもそも『六甲山』っていうのは、一般に六甲山系のことを指してて、摩耶山はそこに属する、から」
つまり、「六甲山」と呼ばれる山々の中の一つが摩耶山。
「六甲山で二番目に高い山なんだよ。『一千万ドルの夜景』なんていうのも、ここの山にある展望台からの景色が言われている」
その展望台は、名を「掬星台」というらしい。
手を伸ばせば星が掬えるような夜景が広がっていることから、「掬星台」。
なんて幸せなことだろう、手を伸ばせば星が掬えるだなんて。
僕たちは、千葉に戻れば、いくら手を伸ばしたところで星には届かない。
「優莉、せっかくだからここでデート対決しよう!」
「どういうこと」
「わたしと優莉、それぞれ優吾くんと二人きりでしばらく過ごして、どっちがよかったか決めてもらう! 優吾くんに選ばれた方が勝ち!」
陽菜が悩みの種を生み出すのにも、もう慣れた。
「……わたしは構わないけど。優吾がいいとは限らない」
「僕は、まあいいよ。それで二人が楽しいなら」
「よし決まり! 先攻じゃんけんしよう、勝った方が選べるってことで」
結果、勝利したのは優莉。
「じゃあ、後攻」
「本当にいいの? 先攻の方が、被ったときの心配は少ないよ!」
「後攻の方が印象に残るから」
どちらが勝っても、それぞれの理論で選択がバラバラになっていただろうことを考えると、面白い。
ひとまず、僕は陽菜に導かれるまま、夕方の摩耶山を歩く。
優莉は、屋根のあるベンチで待機とのこと。
勝手に会いに来て、山まで連れてきておいて、放置とは。
「二人きりになるの、久しぶりだね」
彼女は少し後ろめたさの残る表情で言う。
優莉が着替えている間のことはノーカンだろうか。
「そうだね、むしろここまで来て二人きりになるのかって感想だけど」
「いいのいいの」
「で、話の続きを聞かせてもらおうか」
彼女は深刻な表情でうなずく。
そして、落ち着いた声のトーンで話す。
「わたしの親のせいで優莉が転校した、っていうのは詳しく話すと……」
きっかけは、陽菜が優莉と比較されることがつらいと母親に相談したこと。高校生になるまで言えなかったことを、勇気を出して言った形になる。
はじめは、両親ともに陽菜のことを心配するだけだった。
しかし、学校での出来事を報告するたび、親の心配はエスカレートしていく。
それである日突然、優莉が転校してしまった。
「わたし視点では、こうなんだけど……」
それから彼女は、優莉視点の話をした。
優莉はある日、母から引っ越しの話を聞かされる。
母曰く、父が転勤することになり、自分たちもついていく必要があるのだと。
そしてそれは、陽菜から影響を受けた、父の会社の社長――つまり陽菜の父の決定のせいだと。
「まあ、この転勤っていうのは、わたしのお父さんが仕組んだ……っていうか決めたことなんだけど。わたしがつらいって言うから、優莉を退かそうっていう発想だったみたい」
「ちょっとおかしくない? 陽菜のお父さんってそんなに権力あったの? 娘が傷ついたからって家族ぐるみの付き合いがある人を転校させようって発想になる?」
「うちのお父さん、自分で起業して社長やってるからね……。優莉のお父さんがその会社で働いてるから、お金と権力だけはあるんだよ。で、起業したってことは不可能を可能にする発想力があったってことなんだよね」
「悪い意味で不可能を可能にするなよ」
ただ、そう言われると、突然十万が出てくるのも納得……でき……?
いや、まだちょっと納得できない。
「あと、めっちゃわたしに甘いんだよ。両親ともにありえないくらいの親馬鹿で、十万円急に出てきたのもそういうこと」
「そんなに陽菜に甘くなった理由を逆に知りたいけど」
「わたしも知らない。物心ついたときから激甘だった」
そんな嘘みたいな転校理由あるか……?
「だから、傷ついた優吾くんにわたしが話しかけたのは、マッチポンプってことになるね。わたしは知らなかったんだけど……」
「なんか、僕の感情が根本から塗り替わってるような気がする」
「全部わたしが悪いから、なにも言えない」
直接陽菜が関与したことはなにもないというのに。まるで自分が、優莉を転校させるように仕向けたかのように、語る。
それがどこか――切ない。
陽菜は悪くない。そう言うのは簡単だが、きっとそれは正解じゃない。彼女は、僕にその言葉を求めていない。
「……まあ、僕はいいんだよ。優莉はどう言ってた?」
「優莉も、似たようなこと言ってたよ。『わたしはいい。でも、優吾にも伝えた方がいい』って」
「そっか。……あんまり気にしない方がいい。今はどうにもできないんだから」
結局かけた言葉は、君は悪くないって言っているのと大差ない。
彼女は俯いた。
たぶん、僕の言葉は軽薄で無感情な慰めの言葉だと思われているのだろう。
「……優吾くん」
「うん」
「千葉に帰ったら、優莉のことについて、親と話すつもり。……優吾くんも、ついてきてほしい」
「わかった」
それは一大任務のように思われた。その立場にいるのは僕でいいのか、というのは野暮な疑問なのだろう。
これは陽菜からの信頼の証なのだから。
「そろそろ戻ろうか、山道を歩いただけだけど」
陽菜の提案に僕はうなずいて、同じような景色の道を戻る。
山の中で遭難しないように、話をしながらも道は頭に入れている。
戻った先では、優莉が一人待っていた。
「優莉、遅くなってごめん。帰ってきたよ!」
「お帰り。じゃあ、次はわたしの番」
彼女は元気な声で、帰ってきたばかりの僕の手を引く。
優莉が僕に触れたのは、いつぶりだろう。
もしかしたら、初めてかもしれない。
こちらに手を振る陽菜が、明るい表情を取り繕っているみたいに見えた。
「優莉、待たせてごめん」
「いいよ、デートスポット探してただけだから」
「そういえば、優莉がスマホ持ってるの珍しいね」
「どうだろう、そうかな?」
スマホについて言及してから、気づく。
「連絡先、交換しない?」
「あ、確かに」
そうすれば優吾もつらくない、と続ける。
「ほら、これがわたしのアカウント」
優莉がQRコードを表示させる。
こなれたような手つきに、どきりとする。まるで、何度か連絡先を交換した経験があるみたいな。
「あ、出てきた」
そうして優莉を友達に追加。
しかし、たとえ連絡先を交換したとしても、肝心の言葉は直接伝えたい。でも、上手く口が動かない。
「これで、離れてても連絡できる」
優莉は、満足したように笑う。
見慣れない表情に、幸せが増す。
「それじゃあ優莉、どこに行くのか案内してよ」
「わたしが連れていくのは、摩耶自然観察園ってところ。山道を数分歩くと、山の中に花なんかが咲いてる」
「……なんか、デートスポットのバリエーションが少ないね」
「掬星台を温存したらそのくらいしかないんだよ、ここは。山の中だから」
一応、観光地のはずでは。
彼女に連れられて歩くと、ただの山道でも素敵に感じられる。
「優吾は、いつまで神戸にいるの?」
「わかんない。陽菜が帰るって言うまで、かな」
「学校はどうしたの?」
「普通に無断欠席」
陽菜に誘拐されたんだと、そう言い訳してもよかった。
しかし、最終的に決断したのは僕なわけで、その責任を陽菜に被せるという選択肢はすぐに消えた。
「優吾、君は――」
なにかを言いかける。
言いかけて、口を閉じた。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
その表情から伝わる感情に、見覚えがあった。
僕が優莉に「好きだ」と言えなかった、そのときに近いような気がする。
同じ気持ちならば痛いほどわかるから、共感してしまいそうになった。
だが、急にそんなこと言っても、怪しいだけだ。
そう思って、暗くなった空を見上げる。山の上でも、空はまだまだ遠い。
「無理に今話さなくてもいいよ」
僕には、そう言うことしかできなかった。
優莉は安心したように、でもどこか寂しげに、笑った。光を放つ星を、背にして。
木製の通路を歩く。
時折、花が一面に広がるゾーンがある。
「……失敗した」
「どういうこと?」
「この時期だと、全然花が咲いてない。なんなら雪すら積もってる」
優莉に言われて周りを見渡すと、確かに青々とした植物の中で花の色は見当たらない。
暗い影の中に、雪と思しき影すら見つかる。
「なるほど。ありえないくらい寒いとは思ってたけど、花はまだ咲いてないか」
「ごめん。……戻ろうか」
暗くて寒い林の中で、来た道を戻る。
隣の優莉が手を握ってくれたので、手だけは温かかった。
乗り継ぎの先にたどり着いたのは、摩耶山というところだった。
「六甲山の一部なの?」
「そう、だと思う。そもそも『六甲山』っていうのは、一般に六甲山系のことを指してて、摩耶山はそこに属する、から」
つまり、「六甲山」と呼ばれる山々の中の一つが摩耶山。
「六甲山で二番目に高い山なんだよ。『一千万ドルの夜景』なんていうのも、ここの山にある展望台からの景色が言われている」
その展望台は、名を「掬星台」というらしい。
手を伸ばせば星が掬えるような夜景が広がっていることから、「掬星台」。
なんて幸せなことだろう、手を伸ばせば星が掬えるだなんて。
僕たちは、千葉に戻れば、いくら手を伸ばしたところで星には届かない。
「優莉、せっかくだからここでデート対決しよう!」
「どういうこと」
「わたしと優莉、それぞれ優吾くんと二人きりでしばらく過ごして、どっちがよかったか決めてもらう! 優吾くんに選ばれた方が勝ち!」
陽菜が悩みの種を生み出すのにも、もう慣れた。
「……わたしは構わないけど。優吾がいいとは限らない」
「僕は、まあいいよ。それで二人が楽しいなら」
「よし決まり! 先攻じゃんけんしよう、勝った方が選べるってことで」
結果、勝利したのは優莉。
「じゃあ、後攻」
「本当にいいの? 先攻の方が、被ったときの心配は少ないよ!」
「後攻の方が印象に残るから」
どちらが勝っても、それぞれの理論で選択がバラバラになっていただろうことを考えると、面白い。
ひとまず、僕は陽菜に導かれるまま、夕方の摩耶山を歩く。
優莉は、屋根のあるベンチで待機とのこと。
勝手に会いに来て、山まで連れてきておいて、放置とは。
「二人きりになるの、久しぶりだね」
彼女は少し後ろめたさの残る表情で言う。
優莉が着替えている間のことはノーカンだろうか。
「そうだね、むしろここまで来て二人きりになるのかって感想だけど」
「いいのいいの」
「で、話の続きを聞かせてもらおうか」
彼女は深刻な表情でうなずく。
そして、落ち着いた声のトーンで話す。
「わたしの親のせいで優莉が転校した、っていうのは詳しく話すと……」
きっかけは、陽菜が優莉と比較されることがつらいと母親に相談したこと。高校生になるまで言えなかったことを、勇気を出して言った形になる。
はじめは、両親ともに陽菜のことを心配するだけだった。
しかし、学校での出来事を報告するたび、親の心配はエスカレートしていく。
それである日突然、優莉が転校してしまった。
「わたし視点では、こうなんだけど……」
それから彼女は、優莉視点の話をした。
優莉はある日、母から引っ越しの話を聞かされる。
母曰く、父が転勤することになり、自分たちもついていく必要があるのだと。
そしてそれは、陽菜から影響を受けた、父の会社の社長――つまり陽菜の父の決定のせいだと。
「まあ、この転勤っていうのは、わたしのお父さんが仕組んだ……っていうか決めたことなんだけど。わたしがつらいって言うから、優莉を退かそうっていう発想だったみたい」
「ちょっとおかしくない? 陽菜のお父さんってそんなに権力あったの? 娘が傷ついたからって家族ぐるみの付き合いがある人を転校させようって発想になる?」
「うちのお父さん、自分で起業して社長やってるからね……。優莉のお父さんがその会社で働いてるから、お金と権力だけはあるんだよ。で、起業したってことは不可能を可能にする発想力があったってことなんだよね」
「悪い意味で不可能を可能にするなよ」
ただ、そう言われると、突然十万が出てくるのも納得……でき……?
いや、まだちょっと納得できない。
「あと、めっちゃわたしに甘いんだよ。両親ともにありえないくらいの親馬鹿で、十万円急に出てきたのもそういうこと」
「そんなに陽菜に甘くなった理由を逆に知りたいけど」
「わたしも知らない。物心ついたときから激甘だった」
そんな嘘みたいな転校理由あるか……?
「だから、傷ついた優吾くんにわたしが話しかけたのは、マッチポンプってことになるね。わたしは知らなかったんだけど……」
「なんか、僕の感情が根本から塗り替わってるような気がする」
「全部わたしが悪いから、なにも言えない」
直接陽菜が関与したことはなにもないというのに。まるで自分が、優莉を転校させるように仕向けたかのように、語る。
それがどこか――切ない。
陽菜は悪くない。そう言うのは簡単だが、きっとそれは正解じゃない。彼女は、僕にその言葉を求めていない。
「……まあ、僕はいいんだよ。優莉はどう言ってた?」
「優莉も、似たようなこと言ってたよ。『わたしはいい。でも、優吾にも伝えた方がいい』って」
「そっか。……あんまり気にしない方がいい。今はどうにもできないんだから」
結局かけた言葉は、君は悪くないって言っているのと大差ない。
彼女は俯いた。
たぶん、僕の言葉は軽薄で無感情な慰めの言葉だと思われているのだろう。
「……優吾くん」
「うん」
「千葉に帰ったら、優莉のことについて、親と話すつもり。……優吾くんも、ついてきてほしい」
「わかった」
それは一大任務のように思われた。その立場にいるのは僕でいいのか、というのは野暮な疑問なのだろう。
これは陽菜からの信頼の証なのだから。
「そろそろ戻ろうか、山道を歩いただけだけど」
陽菜の提案に僕はうなずいて、同じような景色の道を戻る。
山の中で遭難しないように、話をしながらも道は頭に入れている。
戻った先では、優莉が一人待っていた。
「優莉、遅くなってごめん。帰ってきたよ!」
「お帰り。じゃあ、次はわたしの番」
彼女は元気な声で、帰ってきたばかりの僕の手を引く。
優莉が僕に触れたのは、いつぶりだろう。
もしかしたら、初めてかもしれない。
こちらに手を振る陽菜が、明るい表情を取り繕っているみたいに見えた。
「優莉、待たせてごめん」
「いいよ、デートスポット探してただけだから」
「そういえば、優莉がスマホ持ってるの珍しいね」
「どうだろう、そうかな?」
スマホについて言及してから、気づく。
「連絡先、交換しない?」
「あ、確かに」
そうすれば優吾もつらくない、と続ける。
「ほら、これがわたしのアカウント」
優莉がQRコードを表示させる。
こなれたような手つきに、どきりとする。まるで、何度か連絡先を交換した経験があるみたいな。
「あ、出てきた」
そうして優莉を友達に追加。
しかし、たとえ連絡先を交換したとしても、肝心の言葉は直接伝えたい。でも、上手く口が動かない。
「これで、離れてても連絡できる」
優莉は、満足したように笑う。
見慣れない表情に、幸せが増す。
「それじゃあ優莉、どこに行くのか案内してよ」
「わたしが連れていくのは、摩耶自然観察園ってところ。山道を数分歩くと、山の中に花なんかが咲いてる」
「……なんか、デートスポットのバリエーションが少ないね」
「掬星台を温存したらそのくらいしかないんだよ、ここは。山の中だから」
一応、観光地のはずでは。
彼女に連れられて歩くと、ただの山道でも素敵に感じられる。
「優吾は、いつまで神戸にいるの?」
「わかんない。陽菜が帰るって言うまで、かな」
「学校はどうしたの?」
「普通に無断欠席」
陽菜に誘拐されたんだと、そう言い訳してもよかった。
しかし、最終的に決断したのは僕なわけで、その責任を陽菜に被せるという選択肢はすぐに消えた。
「優吾、君は――」
なにかを言いかける。
言いかけて、口を閉じた。
「どうしたの?」
「……なんでもない」
その表情から伝わる感情に、見覚えがあった。
僕が優莉に「好きだ」と言えなかった、そのときに近いような気がする。
同じ気持ちならば痛いほどわかるから、共感してしまいそうになった。
だが、急にそんなこと言っても、怪しいだけだ。
そう思って、暗くなった空を見上げる。山の上でも、空はまだまだ遠い。
「無理に今話さなくてもいいよ」
僕には、そう言うことしかできなかった。
優莉は安心したように、でもどこか寂しげに、笑った。光を放つ星を、背にして。
木製の通路を歩く。
時折、花が一面に広がるゾーンがある。
「……失敗した」
「どういうこと?」
「この時期だと、全然花が咲いてない。なんなら雪すら積もってる」
優莉に言われて周りを見渡すと、確かに青々とした植物の中で花の色は見当たらない。
暗い影の中に、雪と思しき影すら見つかる。
「なるほど。ありえないくらい寒いとは思ってたけど、花はまだ咲いてないか」
「ごめん。……戻ろうか」
暗くて寒い林の中で、来た道を戻る。
隣の優莉が手を握ってくれたので、手だけは温かかった。



