「それで、なにから話せばいい?」
「……じゃあ、さわりから聞くよ。優吾は、陽菜と付き合ってるの?」
「優莉がそれを聞いてくるなんて、意外だ」
僕の中で、優莉は恋愛事情にはあまり興味がないようなイメージがあった。
それが勝手な印象だったのか、それともここ最近変わったのか。
「……付き合ってはいない、と思う。少なくとも僕にそういうつもりはない」
「そう。よかった」
よかった。
その言葉が耳に引っかかる。
まるで、僕と陽菜が付き合っていると不都合があるみたいだ。
「あとは、どうしてこんなに急に陽菜と仲良くなったかも知りたい。わたしの知る優吾だったら、ありえない」
「わからん」
「え?」
「わかんないんだよ、僕も知らないうちに一気に距離詰められて、気づけば一緒に神戸旅行……」
「確かに陽菜は人間関係得意なイメージあるけど、想像以上だ……」
そう言って、優莉は震えあがる。
冗談めいたその仕草が、優莉らしくないと思えると同時に、素敵だ。
「ああ、そうだ。優吾からもわたしになにか言うこととかあれば、聞くよ」
ここで、絶好の機会が訪れる。
元はといえば、優莉に言えなかった気持ちを伝えるためにここまで来た。
だから、今度こそ、優莉に「好きだ」って……。
「……あ。そういえば、どうして転校することになったの? 僕からしてみれば急だったから、気になってた」
駄目だった。
再会していきなり好きだなんて言うのは、僕にはまだまだハードルが高い。
「その話か。……あとで陽菜に話すから、陽菜から聞いてほしい。話すかどうか、わたしが決められるものじゃない」
優莉の転校理由なのに、陽菜を通す必要がある。それが気にかかった。
しかし、それを聞いても答えられないような気がして、黙り込む。
「他にはなにかある?」
「……」
好きだ。そう言おうとして、やっぱり口をつぐむ。
突然好きだなんて言ったら変じゃないだろうか。今の関係性が壊れてしまわないか。
もうとっくに乗り越えたはずの疑念が、復活していた。
「ないか、じゃあ戻ろう」
「……そうだね」
星を目の前にすると、願いを口にしようと思えない。
たぶんそういうものなのだろう。眼前に広がる光景が、僕にとってはあまりにも大きくて。
「久しぶりに会えて、わたしは嬉しかった」
「優莉がこんなに素直に感情を言葉にするなんて、珍しい」
「そう? ……言われてみれば、ちょっと素直になったかもしれない、とは思うけど」
「あんまり自覚ないのか……。じゃあ、理由とか聞いてもわからないか」
「うん、ごめん。優吾は、最近どう?」
「……まあ、僕は優莉がいないと駄目だよ。そう思わされる日々だ」
僕が答える。
彼女は、悲痛さと笑顔が混じったような複雑な表情をした。
僕には、独立してほしいと思っているのだろう。
「大人すぎるのも考え物だから、悪いとは言わない。今日をきっかけに、是非落ち着いてほしいとは思ってるけど」
「あ、そういうことか。優莉が素直になったのは、悪い意味で大人っぽさがなくなってるからだ」
「なんか、わたしたち両方、進んでるんだか戻ってるんだかわからない」
自分たちに呆れたように話す優莉は、変わらず大人っぽさを抱えている。
「そう、だね。どっちにしても、また会いに来るよ」
「嬉しい」
はっきりと笑顔を浮かべる優莉は、前よりも子供っぽさが増している。
来た道を戻るうちに、見たことのある部屋番に着く。
優莉の家に入り、彼女は自身の部屋の扉を開ける。
「お、来た来た。遅いよ、暇だったんだから」
「うるさい、文句言うな。陽菜と話してくるから、悪いけど優吾は少し待ってて」
「わかった」
「優吾くんにだけ丁寧じゃない?」
「その話もするから。ほらついてきて」
ばたばたと慌ただしく二人は家を出た。
その二人の顔には笑みが浮かんでいて、きっとこうやって育ってきたんだろうと容易に想像できる。
結局僕は一人取り残された。
一人考える。
優莉との再会は、思っていたほどの一瞬感動はなく、しかしそれでも心が動く。
この場所にいれば優莉と話せるという感覚が、不思議だ。優莉と会えない、そうやってあんなに苦闘していたのに。
じわじわと、幸せになっていく。
「やること、無いな」
取り残されていた陽菜もこんな気持ちだったのだろうか。
あまりにもやることがないので、戻ってきたら優莉に話したいことを考えておくくらいしかできない。
まず、優莉のことが好きだということを――。
今の僕は、優莉のことが好きなのか?
「……」
もちろん、人間的に優莉のことが好きで、尊敬していることに間違いはない。
ただ、僕は彼女に恋をしている、のか?
今朝も浮かんだ疑念が、再び浮上する。
もしかしたら僕が本当に好きなのは陽菜で、優莉への気持ちはただの敬意なのかもしれない。
僕は、それを否定する方法を知らない。
溜息。
こんな感情、優莉にも陽菜にも相談できやしない。自分で解決しなくてはいけない。
じっと考え込む。
「わたしから陽菜に聞きたいことは、三つ」
優莉に連れ出され、提示される。
なにを聞きたいのか、わたしにも大方予想はつくけど。
「一つ目、なんで平日に来たの? 無駄に休む意味もないし、わたしの都合がつかないリスクもあるでしょ」
それに答えるには、少々語彙力が足りなかった。
「曖昧でもいいから」
わたしに気遣う優莉は、わたしの心の中なんてお見通しなのだろう。昔からそうだった。
「なんだかんだ言って、いつかわたしが優莉みたいに大人になることとか、そのために学校で教育を受けてることとか、なんか息苦しくって。大人しく耐えられるような気が、しなかった」
うまく言葉にできない。
そしてなにより、うまく言葉にしてしまうと、この感情が消えてしまいような錯覚がする。
「……わたしにはわからない。でも、優吾にはすごくよくわかる感覚だと思う」
自分にはわからないのに、気を遣って優吾くんならわかる、なんて言ってくれる。
そういう優しさも、全部わたしにはなかったものだ。
わたしが人に優しいのも、優莉の真似事だ。
惨めで、涙が溢れて、止まらない。
「二つ目の質問にも関連するけど……陽菜が優吾とこんなに急に仲良くなったことに、関係あるのかな」
「……」
自分でもわからない。
ただなんとなく、優吾くんとわたしは同じなんだって感覚があった。
さっき溢れ始めたばかりの涙が、徐々に勢いを増していく。
たぶん、どちらも優莉の後追いをしているからだろう。
それゆえに、やっぱり似たような悩みもあったのかもしれない。
「二つ目は、陽菜と優吾がどうしてこんなに急に仲良くなったのか、ってこと」
「……わたしにもわからない。一つ確かなのは、優莉の影響がすごく強いこと。優莉がいなかったら、わたしはそもそも優吾くんに話しかけていなかっただろうし、優吾くんはそもそもあの海にいなかったと思う」
涙混じりで優莉に伝える。
この気持ちは、一口に言い表せるものだろうか。
「それは、三つ目の質問とも関係があるね。……どうして海で出会ったの? そして、どうしてそこから仲良くなったの?」
「優吾くんが海にいた理由は知らない。ただ優莉がいなくなったから、海で黄昏てたんだと思うけど」
そこで、一度涙を抑える。
このままではわたしの言葉は聞くに堪えないものになってしまう。
「それで、どうしてそこから仲良くなったの?」
わたしが落ち着いたのを確認して、優莉は続けて尋ねた。
その答えは明確に持っている。
「優吾くんが優莉と話しているの、何回かだけ見たことあったから……関係あるのかもしれない、って思って話しかけたのが始まり」
優莉はうなずいて聞く。
「それから、優莉のことを知るつもりで、そのこととか聞いてたんだけど……」
思い出す。
知りたい、とか言って切り出して、彼は傷ついていただろうか。
「わたしが苦しそうだって、見抜かれた」
「苦しそう?」
「優莉に劣等感があったのもそうだし、中途半端な関係のまま優莉が転校しちゃったのもあって、心の奥底では苦しかったんだろうね」
自分でも気づいてなかったけど、と付け足す。
いま改めて考えてみると、優吾くんは本当にすごい。自分ですら気づいていなかったような痛みに気づくなんて。
「わたしは優しい」みたいな面をしていて、本当に優しかったのは優吾くんだった。
「それでわたしが自滅したりとかいろいろあったんだけど……そうだな、いろいろあったから仲良くなったのかもしれない」
「曖昧。……まあ、それでいいのかも」
優莉が、わたしに同意して笑った。
「大体、わかったよ。陽菜も優吾も、ちょろいってこと」
「本当にわかってる?」
「……よくわかったよ。二人の日々は、ずっと濃い」
なにと比べて、なのかは認識できなかった。
「で、そんな陽菜につらい話とつらい話を用意したんだけど、どっちから聞く?」
「同じじゃん」
優莉がつらい話だなんて言うくらいだから、とても不安だ。
「じゃあまず一つ目。わたしの転校理由について、なにか聞いてる?」
「いや、親の都合としか聞いてないけど」
「……実は、仕事の都合なんだよね」
仕事の都合。
複雑な言葉だ。
わたしのお父さんは、若いころに起業して成功した。
今の職業は、起業し、成長して大手となった教育サービスの会社の社長だ。
優莉のお父さんの仕事は、わたしのお父さんの会社の、千葉にある本校舎の副校長だ。
「どうやら社長の権限で、神戸の支社に飛ばされたらしいね」
「え」
嫌な予感が脳裏を駆け巡る。
お父さんは、どうして優莉のお父さんを神戸に飛ばしたのか。
「優莉、わたしと比較されてばっかりでつらいって、親に伝えたことがあったりしない?」
そのとき、鮮明に思い浮かぶのは、わたしと優莉を比べた大人たちの顔。
そして、お母さんに泣きつく、高校生とはいってもまだまだ幼い自分。
あのとき、優莉と比べられるのがつらい、なんてお母さんに相談したのが悪かったんだ。
つまり、わたしのせいだ。
「え、え……」
「わたしは、陽菜が悪いと思ってない。親が勝手にやったことでしょ」
「え、いや……。わたしがつらいって言ったばっかりに……」
「陽菜の親がありえないくらい陽菜に甘い。わたしも知ってたことだけど、これは予想してなかった。陽菜が予想できなかったのも仕方ないこと」
せっかく優莉がフォローしてくれるのに、少しも刺さらない。
全部、わたしが悪いんだ。
優吾くんが優莉と引き離されたのも、わたしが苦しいのも、全部わたしのせいなんだ。
「陽菜。落ち着いて」
首を横に振る。
暴れてしまいたい。暴れてしまいそうだ。
「大丈夫、わたしは気にしてないから」
そう言われても、どうしようもなかった。
自分の感情を、自分で止められない。
「大丈夫」
幼いころ、何度も聞いたような声。
そうだ、あのころも優莉はよくわたしをなだめてくれた。
「優莉。……ごめん」
「いいよ。わたしはいい。でも、優吾にも伝えた方がいい」
優莉の言葉に徐々に落ち着きを取り戻す。
「気持ちがまだ整理できてないかもしれないけど、時間もないし次の話をするね」
わたしの思考が落ち着きを取り戻してきたとき、優莉が仕切り直す。
「陽菜は、優吾くんのことどう思っているの?」
つらい話と聞いてはいたけれど、案外普通の話だった。
優莉が恋愛の話をするのは少し珍しいが、女子高生になったということだろう。
「……わたしは、好きだよ。優吾くんのこと」
「そっか。出会って三日目だっけ? それごときでわたしに勝てると思わない方がいいよ」
「もしかして、優莉……」
「わたしも優吾のことが好き。……素直に伝えられるかは、わからないけど」
優莉が、これまでに見たことのないような、乙女な表情を見せる。
わたしより綺麗な顔立ちで、わたしよりすらっとしたスタイルで、わたしより高い身長で、そんな表情されてしまっては、少しの勝ち目すらもなくなってしまうではないか。
「しかも、両思いだし」
ほんの小さな声で呟く。
優吾くんは優莉のことをあんなにも愛していて、優莉も優吾くんのことが好きだと言っている。
「陽菜、なんか言った?」
「……なんでもない」
少し意地悪いかもしれないけど、隠させてほしい。
こんなこと知らせてしまったら、抵抗の余地なく敗北を喫するだろうから。
「まあいいや、陽菜からわたしになにか話したいことがあれば、聞くよ」
「いいよ、特にない」
「じゃあ戻ろうか、優吾も待ってるだろうし」
そうやって家へと戻る優莉の姿は、夫が待つ家に帰る妻のそれと同じだった。
「優吾、長引いてごめん」
優莉が僕に声をかける。
気づけば、二人は帰ってきていた。思考するのに集中しすぎていたのだろう。
時計を見ると、二人が出発してから小一時間が経っていた。
「……ああ、いや、大丈夫。随分長く話してたね」
「優莉ったら、優吾くんのことばっかり話してたよ」
「陽菜、それは言わないで」
「ごめん、もう言っちゃった」
はっちゃけるように笑う陽菜。困惑を浮かべる優莉。
きっと、二人はそういう関係なのだろう。それがしっくりくる。
しかし、気のせいだろうか、二人ともさっきより少し暗いような気がした。
「で、優莉、優吾くん! 一緒に六甲山からの夜景を見たいんだ!」
話の流れを壊すようにして陽菜が言った。
僕も優莉も、あまり積極的に話すタイプではないので、ちょうどいい方向転換だ。
「わたしは、優吾も来るなら行く」
「僕はせっかくだし行くよ」
一千万ドルの夜景ともいわれる景色を、見ないで帰ってしまうというのはもったいない。
僕たちは、外出の準備をした。
「……わたし着替えたいから、二人出ていって」
優莉が切り出す。
思わず陽菜の方を見ると、彼女はにやりと笑った。
「わかった」
「えー一緒に着替えようよ」
「陽菜、それ普通にセクハラだよ」
一緒に着替えようと抵抗する陽菜を、部屋の外に引きずり出す。
僕が陽菜を引っ張り出したのを確認して、優莉が部屋の扉を閉める。
「そういや、陽菜に聞きたいことがあったんだ」
「なに?」
思い出すのは、公園で優莉と二人で話したこと。
優莉が転校した理由は、陽菜に聞けと言っていた。
次にいつ二人きりになれるかわからないから、今聞いておこうか。
「優莉がどうして転校したのか、聞きたい」
「そっか。優莉は、話してないんだ」
「うん。陽菜に聞いてって言われて」
それはきっと、優莉の事情に陽菜のことが関係するから。
「……それ、聞いちゃうか。知りたい?」
一気に真剣な空気感に変わる。
それが気まずくて、優莉の部屋の扉をじっと見る。
だが、知りたいということは事実だった。
「知りたい」
「わたしせい、なんだよね」
陽菜の表情に、影。
衝撃の告白と予想外の理由に、僕の思考が乱れる。
「ど、どういうこと?」
「正確にはわたしの親のせい、なんだけど……」
そこまで話したところで、部屋から優莉が姿を現す。
「待たせてごめん、行こうか」
おそらく僕たちの話は聞こえていなかったのだろう。陽菜が詳しく話そうとした内容は、遮られる。
僕は陽菜とアイコンタクトを取る。目で、話は後で聞くと伝える。
「夜景だったら、摩耶山の掬星台が有名だって聞く」
「わたしよくわかんないから、優莉が案内してよ!」
「了解」
相変わらず陽菜には素っ気ないままで、でも快く引き受ける。
「とりあえず、バスに乗るよ。バスを乗り継いで、そのあとケーブルとロープウェー」
「本格的に山って感じがする。風情があっていいね」
優莉の説明に心躍る。
ふと陽菜の方を見ると、彼女も同様に期待しているのだろう。さっき見かけた表情の陰りは、跡形もなくなっていた。
「……じゃあ、さわりから聞くよ。優吾は、陽菜と付き合ってるの?」
「優莉がそれを聞いてくるなんて、意外だ」
僕の中で、優莉は恋愛事情にはあまり興味がないようなイメージがあった。
それが勝手な印象だったのか、それともここ最近変わったのか。
「……付き合ってはいない、と思う。少なくとも僕にそういうつもりはない」
「そう。よかった」
よかった。
その言葉が耳に引っかかる。
まるで、僕と陽菜が付き合っていると不都合があるみたいだ。
「あとは、どうしてこんなに急に陽菜と仲良くなったかも知りたい。わたしの知る優吾だったら、ありえない」
「わからん」
「え?」
「わかんないんだよ、僕も知らないうちに一気に距離詰められて、気づけば一緒に神戸旅行……」
「確かに陽菜は人間関係得意なイメージあるけど、想像以上だ……」
そう言って、優莉は震えあがる。
冗談めいたその仕草が、優莉らしくないと思えると同時に、素敵だ。
「ああ、そうだ。優吾からもわたしになにか言うこととかあれば、聞くよ」
ここで、絶好の機会が訪れる。
元はといえば、優莉に言えなかった気持ちを伝えるためにここまで来た。
だから、今度こそ、優莉に「好きだ」って……。
「……あ。そういえば、どうして転校することになったの? 僕からしてみれば急だったから、気になってた」
駄目だった。
再会していきなり好きだなんて言うのは、僕にはまだまだハードルが高い。
「その話か。……あとで陽菜に話すから、陽菜から聞いてほしい。話すかどうか、わたしが決められるものじゃない」
優莉の転校理由なのに、陽菜を通す必要がある。それが気にかかった。
しかし、それを聞いても答えられないような気がして、黙り込む。
「他にはなにかある?」
「……」
好きだ。そう言おうとして、やっぱり口をつぐむ。
突然好きだなんて言ったら変じゃないだろうか。今の関係性が壊れてしまわないか。
もうとっくに乗り越えたはずの疑念が、復活していた。
「ないか、じゃあ戻ろう」
「……そうだね」
星を目の前にすると、願いを口にしようと思えない。
たぶんそういうものなのだろう。眼前に広がる光景が、僕にとってはあまりにも大きくて。
「久しぶりに会えて、わたしは嬉しかった」
「優莉がこんなに素直に感情を言葉にするなんて、珍しい」
「そう? ……言われてみれば、ちょっと素直になったかもしれない、とは思うけど」
「あんまり自覚ないのか……。じゃあ、理由とか聞いてもわからないか」
「うん、ごめん。優吾は、最近どう?」
「……まあ、僕は優莉がいないと駄目だよ。そう思わされる日々だ」
僕が答える。
彼女は、悲痛さと笑顔が混じったような複雑な表情をした。
僕には、独立してほしいと思っているのだろう。
「大人すぎるのも考え物だから、悪いとは言わない。今日をきっかけに、是非落ち着いてほしいとは思ってるけど」
「あ、そういうことか。優莉が素直になったのは、悪い意味で大人っぽさがなくなってるからだ」
「なんか、わたしたち両方、進んでるんだか戻ってるんだかわからない」
自分たちに呆れたように話す優莉は、変わらず大人っぽさを抱えている。
「そう、だね。どっちにしても、また会いに来るよ」
「嬉しい」
はっきりと笑顔を浮かべる優莉は、前よりも子供っぽさが増している。
来た道を戻るうちに、見たことのある部屋番に着く。
優莉の家に入り、彼女は自身の部屋の扉を開ける。
「お、来た来た。遅いよ、暇だったんだから」
「うるさい、文句言うな。陽菜と話してくるから、悪いけど優吾は少し待ってて」
「わかった」
「優吾くんにだけ丁寧じゃない?」
「その話もするから。ほらついてきて」
ばたばたと慌ただしく二人は家を出た。
その二人の顔には笑みが浮かんでいて、きっとこうやって育ってきたんだろうと容易に想像できる。
結局僕は一人取り残された。
一人考える。
優莉との再会は、思っていたほどの一瞬感動はなく、しかしそれでも心が動く。
この場所にいれば優莉と話せるという感覚が、不思議だ。優莉と会えない、そうやってあんなに苦闘していたのに。
じわじわと、幸せになっていく。
「やること、無いな」
取り残されていた陽菜もこんな気持ちだったのだろうか。
あまりにもやることがないので、戻ってきたら優莉に話したいことを考えておくくらいしかできない。
まず、優莉のことが好きだということを――。
今の僕は、優莉のことが好きなのか?
「……」
もちろん、人間的に優莉のことが好きで、尊敬していることに間違いはない。
ただ、僕は彼女に恋をしている、のか?
今朝も浮かんだ疑念が、再び浮上する。
もしかしたら僕が本当に好きなのは陽菜で、優莉への気持ちはただの敬意なのかもしれない。
僕は、それを否定する方法を知らない。
溜息。
こんな感情、優莉にも陽菜にも相談できやしない。自分で解決しなくてはいけない。
じっと考え込む。
「わたしから陽菜に聞きたいことは、三つ」
優莉に連れ出され、提示される。
なにを聞きたいのか、わたしにも大方予想はつくけど。
「一つ目、なんで平日に来たの? 無駄に休む意味もないし、わたしの都合がつかないリスクもあるでしょ」
それに答えるには、少々語彙力が足りなかった。
「曖昧でもいいから」
わたしに気遣う優莉は、わたしの心の中なんてお見通しなのだろう。昔からそうだった。
「なんだかんだ言って、いつかわたしが優莉みたいに大人になることとか、そのために学校で教育を受けてることとか、なんか息苦しくって。大人しく耐えられるような気が、しなかった」
うまく言葉にできない。
そしてなにより、うまく言葉にしてしまうと、この感情が消えてしまいような錯覚がする。
「……わたしにはわからない。でも、優吾にはすごくよくわかる感覚だと思う」
自分にはわからないのに、気を遣って優吾くんならわかる、なんて言ってくれる。
そういう優しさも、全部わたしにはなかったものだ。
わたしが人に優しいのも、優莉の真似事だ。
惨めで、涙が溢れて、止まらない。
「二つ目の質問にも関連するけど……陽菜が優吾とこんなに急に仲良くなったことに、関係あるのかな」
「……」
自分でもわからない。
ただなんとなく、優吾くんとわたしは同じなんだって感覚があった。
さっき溢れ始めたばかりの涙が、徐々に勢いを増していく。
たぶん、どちらも優莉の後追いをしているからだろう。
それゆえに、やっぱり似たような悩みもあったのかもしれない。
「二つ目は、陽菜と優吾がどうしてこんなに急に仲良くなったのか、ってこと」
「……わたしにもわからない。一つ確かなのは、優莉の影響がすごく強いこと。優莉がいなかったら、わたしはそもそも優吾くんに話しかけていなかっただろうし、優吾くんはそもそもあの海にいなかったと思う」
涙混じりで優莉に伝える。
この気持ちは、一口に言い表せるものだろうか。
「それは、三つ目の質問とも関係があるね。……どうして海で出会ったの? そして、どうしてそこから仲良くなったの?」
「優吾くんが海にいた理由は知らない。ただ優莉がいなくなったから、海で黄昏てたんだと思うけど」
そこで、一度涙を抑える。
このままではわたしの言葉は聞くに堪えないものになってしまう。
「それで、どうしてそこから仲良くなったの?」
わたしが落ち着いたのを確認して、優莉は続けて尋ねた。
その答えは明確に持っている。
「優吾くんが優莉と話しているの、何回かだけ見たことあったから……関係あるのかもしれない、って思って話しかけたのが始まり」
優莉はうなずいて聞く。
「それから、優莉のことを知るつもりで、そのこととか聞いてたんだけど……」
思い出す。
知りたい、とか言って切り出して、彼は傷ついていただろうか。
「わたしが苦しそうだって、見抜かれた」
「苦しそう?」
「優莉に劣等感があったのもそうだし、中途半端な関係のまま優莉が転校しちゃったのもあって、心の奥底では苦しかったんだろうね」
自分でも気づいてなかったけど、と付け足す。
いま改めて考えてみると、優吾くんは本当にすごい。自分ですら気づいていなかったような痛みに気づくなんて。
「わたしは優しい」みたいな面をしていて、本当に優しかったのは優吾くんだった。
「それでわたしが自滅したりとかいろいろあったんだけど……そうだな、いろいろあったから仲良くなったのかもしれない」
「曖昧。……まあ、それでいいのかも」
優莉が、わたしに同意して笑った。
「大体、わかったよ。陽菜も優吾も、ちょろいってこと」
「本当にわかってる?」
「……よくわかったよ。二人の日々は、ずっと濃い」
なにと比べて、なのかは認識できなかった。
「で、そんな陽菜につらい話とつらい話を用意したんだけど、どっちから聞く?」
「同じじゃん」
優莉がつらい話だなんて言うくらいだから、とても不安だ。
「じゃあまず一つ目。わたしの転校理由について、なにか聞いてる?」
「いや、親の都合としか聞いてないけど」
「……実は、仕事の都合なんだよね」
仕事の都合。
複雑な言葉だ。
わたしのお父さんは、若いころに起業して成功した。
今の職業は、起業し、成長して大手となった教育サービスの会社の社長だ。
優莉のお父さんの仕事は、わたしのお父さんの会社の、千葉にある本校舎の副校長だ。
「どうやら社長の権限で、神戸の支社に飛ばされたらしいね」
「え」
嫌な予感が脳裏を駆け巡る。
お父さんは、どうして優莉のお父さんを神戸に飛ばしたのか。
「優莉、わたしと比較されてばっかりでつらいって、親に伝えたことがあったりしない?」
そのとき、鮮明に思い浮かぶのは、わたしと優莉を比べた大人たちの顔。
そして、お母さんに泣きつく、高校生とはいってもまだまだ幼い自分。
あのとき、優莉と比べられるのがつらい、なんてお母さんに相談したのが悪かったんだ。
つまり、わたしのせいだ。
「え、え……」
「わたしは、陽菜が悪いと思ってない。親が勝手にやったことでしょ」
「え、いや……。わたしがつらいって言ったばっかりに……」
「陽菜の親がありえないくらい陽菜に甘い。わたしも知ってたことだけど、これは予想してなかった。陽菜が予想できなかったのも仕方ないこと」
せっかく優莉がフォローしてくれるのに、少しも刺さらない。
全部、わたしが悪いんだ。
優吾くんが優莉と引き離されたのも、わたしが苦しいのも、全部わたしのせいなんだ。
「陽菜。落ち着いて」
首を横に振る。
暴れてしまいたい。暴れてしまいそうだ。
「大丈夫、わたしは気にしてないから」
そう言われても、どうしようもなかった。
自分の感情を、自分で止められない。
「大丈夫」
幼いころ、何度も聞いたような声。
そうだ、あのころも優莉はよくわたしをなだめてくれた。
「優莉。……ごめん」
「いいよ。わたしはいい。でも、優吾にも伝えた方がいい」
優莉の言葉に徐々に落ち着きを取り戻す。
「気持ちがまだ整理できてないかもしれないけど、時間もないし次の話をするね」
わたしの思考が落ち着きを取り戻してきたとき、優莉が仕切り直す。
「陽菜は、優吾くんのことどう思っているの?」
つらい話と聞いてはいたけれど、案外普通の話だった。
優莉が恋愛の話をするのは少し珍しいが、女子高生になったということだろう。
「……わたしは、好きだよ。優吾くんのこと」
「そっか。出会って三日目だっけ? それごときでわたしに勝てると思わない方がいいよ」
「もしかして、優莉……」
「わたしも優吾のことが好き。……素直に伝えられるかは、わからないけど」
優莉が、これまでに見たことのないような、乙女な表情を見せる。
わたしより綺麗な顔立ちで、わたしよりすらっとしたスタイルで、わたしより高い身長で、そんな表情されてしまっては、少しの勝ち目すらもなくなってしまうではないか。
「しかも、両思いだし」
ほんの小さな声で呟く。
優吾くんは優莉のことをあんなにも愛していて、優莉も優吾くんのことが好きだと言っている。
「陽菜、なんか言った?」
「……なんでもない」
少し意地悪いかもしれないけど、隠させてほしい。
こんなこと知らせてしまったら、抵抗の余地なく敗北を喫するだろうから。
「まあいいや、陽菜からわたしになにか話したいことがあれば、聞くよ」
「いいよ、特にない」
「じゃあ戻ろうか、優吾も待ってるだろうし」
そうやって家へと戻る優莉の姿は、夫が待つ家に帰る妻のそれと同じだった。
「優吾、長引いてごめん」
優莉が僕に声をかける。
気づけば、二人は帰ってきていた。思考するのに集中しすぎていたのだろう。
時計を見ると、二人が出発してから小一時間が経っていた。
「……ああ、いや、大丈夫。随分長く話してたね」
「優莉ったら、優吾くんのことばっかり話してたよ」
「陽菜、それは言わないで」
「ごめん、もう言っちゃった」
はっちゃけるように笑う陽菜。困惑を浮かべる優莉。
きっと、二人はそういう関係なのだろう。それがしっくりくる。
しかし、気のせいだろうか、二人ともさっきより少し暗いような気がした。
「で、優莉、優吾くん! 一緒に六甲山からの夜景を見たいんだ!」
話の流れを壊すようにして陽菜が言った。
僕も優莉も、あまり積極的に話すタイプではないので、ちょうどいい方向転換だ。
「わたしは、優吾も来るなら行く」
「僕はせっかくだし行くよ」
一千万ドルの夜景ともいわれる景色を、見ないで帰ってしまうというのはもったいない。
僕たちは、外出の準備をした。
「……わたし着替えたいから、二人出ていって」
優莉が切り出す。
思わず陽菜の方を見ると、彼女はにやりと笑った。
「わかった」
「えー一緒に着替えようよ」
「陽菜、それ普通にセクハラだよ」
一緒に着替えようと抵抗する陽菜を、部屋の外に引きずり出す。
僕が陽菜を引っ張り出したのを確認して、優莉が部屋の扉を閉める。
「そういや、陽菜に聞きたいことがあったんだ」
「なに?」
思い出すのは、公園で優莉と二人で話したこと。
優莉が転校した理由は、陽菜に聞けと言っていた。
次にいつ二人きりになれるかわからないから、今聞いておこうか。
「優莉がどうして転校したのか、聞きたい」
「そっか。優莉は、話してないんだ」
「うん。陽菜に聞いてって言われて」
それはきっと、優莉の事情に陽菜のことが関係するから。
「……それ、聞いちゃうか。知りたい?」
一気に真剣な空気感に変わる。
それが気まずくて、優莉の部屋の扉をじっと見る。
だが、知りたいということは事実だった。
「知りたい」
「わたしせい、なんだよね」
陽菜の表情に、影。
衝撃の告白と予想外の理由に、僕の思考が乱れる。
「ど、どういうこと?」
「正確にはわたしの親のせい、なんだけど……」
そこまで話したところで、部屋から優莉が姿を現す。
「待たせてごめん、行こうか」
おそらく僕たちの話は聞こえていなかったのだろう。陽菜が詳しく話そうとした内容は、遮られる。
僕は陽菜とアイコンタクトを取る。目で、話は後で聞くと伝える。
「夜景だったら、摩耶山の掬星台が有名だって聞く」
「わたしよくわかんないから、優莉が案内してよ!」
「了解」
相変わらず陽菜には素っ気ないままで、でも快く引き受ける。
「とりあえず、バスに乗るよ。バスを乗り継いで、そのあとケーブルとロープウェー」
「本格的に山って感じがする。風情があっていいね」
優莉の説明に心躍る。
ふと陽菜の方を見ると、彼女も同様に期待しているのだろう。さっき見かけた表情の陰りは、跡形もなくなっていた。



