来た道を戻り、バスと電車を乗り継ぎ、新神戸駅から三十分程度。
「着いたよ、ここが優莉の家」
「なるほど、田舎ではないけど、新神戸ほど都会でもない……本当に、住宅街って言い表すのがふさわしいね」
そこは、団地だった。
この中から優莉の部屋を探すのは大変だろうな、と思う。
しかし、まだ昼過ぎ。ちょっと時間がかかるくらいがちょうどいいだろう。
そう思い、僕たちは一緒に優莉の部屋を探す。
「表札が伊藤で、部屋番号も完全一致……。思ったよりも早く見つかったね」
「思ったより早く見つかった弊害として、まだまだ優莉の学校は終わりそうにないんだけど」
そう懸念する僕を横目に、陽菜は普通にインターホンを押す。
「大坂陽菜です。優莉に会いに来ました」
『陽菜ちゃん?』
「あ、愛莉さん! 久しぶりです!」
『今玄関まで行くから、ちょっと待ってて』
「はーい」
陽菜は、優莉の母親と思しき人と仲良さげに話していた。名は、愛莉というのだろう。
「確か、家族ぐるみの付き合いがあるって言ってたっけ」
「そうなんだよね。だから、わたしが生まれたときから知り合いなの」
優莉の母の名前を知っていたのは、そういう理由か。
少し話しながら待っていると、扉が開いて女性が姿を現す。
髪型も服装も、優莉とは似ても似つかない。
ただ、よく似ていると直感で思った。
「陽菜ちゃん、久しぶり。いろいろと聞きたいことあるから、とりあえず中に。隣の男の子も」
そうやって手招きする。
落ち着いた口調もどこか優莉に似ている。
部屋に通されて、ダイニングテーブルに案内される。
「荷物は、まあその辺に置いて」
優莉のお母さんが机の反対側に座ったのを見て、口を開く。
「部屋、綺麗ですね」
「ミニマリストみたいなところあるから」
端的に答える。
それはたぶん、伊藤家に共通した特徴なのだろう。
「じゃあ愛莉さん、とりあえずこの人を紹介しますね。この人は星澤優吾くん、わたしと優莉の……友達です」
「優莉って、陽菜ちゃん以外に友達いたんだ」
ああ、優莉は親からもそんな風に思われているのか。
とはいえ、友達はいなくてもなんとかなるということもわかっているみたいだ。あまり強い感情は見受けられない。
「で、どうして平日のこんな時間に?」
「それはわたしもわかんないです。一応、目的としては優莉に会いにきました」
「そうだよね。優莉が帰ってくるまでしばらくかかるから、優莉の部屋で待ってて」
優莉のお母さんはそう言って席を立ちあがり、玄関と反対側の扉を開く。
そこが優莉の部屋という意味だと察し、僕たちは荷物を持ってそっちに歩く。
「なんもないけど、優莉が帰ってくるまでそこで待ってて」
そう言い残して、優莉の部屋の扉を閉める。
「なんか、優莉の部屋ずっと変わらないなあ」
「そうなの?」
「うん、ベッドと、勉強机と、クローゼットだけ。普段なにしてるのかもわたしにはまったくわかんない、勉強してるところと、本を読んでるところしか見たことない」
言いながら彼女は床に座る。
陽菜の言う通り、優莉には本を読んでいる印象がある。勉強を教えてもらったりもした。
「あ、でも僕は一回だけ優莉とカラオケ行ったことあるよ」
「え? どういう経緯で?」
「普通に優莉から誘われたけど」
そこで、詳しく尋ねられて、初日にいろいろ話したときのように、僕は星が埋まった記憶を掘り起こした。
『図書館はお気に召さなかったようだし、カラオケにでも行こう』
『へえ、優莉カラオケとか行くんだ。意外』
『いや、普段はあまり行かない』
どうやら僕のことを考えてカラオケに行くということを選択肢に入れてくれたみたいだった。
『図書館もまたいずれ行きたいけど……遊びといえばこういうのだよ』
『やっぱりそうなのか』
そこで一度会話が切れてしまう。
優莉は優しい人だが、積極的に会話するタイプではないので、こちらが会話を続ける努力をしなければならない。
『優莉は、普段音楽とか聴くの?』
『あまり聴かない。だから、どこでも聴くような有名なものしか歌わないと思う』
『そっか、なんか想像通りだ』
優莉くらいになると、本が音楽のように聞こえてくるとか言い出しそうだ。
しかし、そこでなにか思い出したかのように優莉が声を上げる。
『昔の知り合いがよく聴いてた曲、何曲か知ってるかも。たぶん有名なやつじゃないと思う』
そこで少し気になる。
優莉の昔の知り合いということは、昔の優莉の様子を知っているのだろう。
どのようにして今の優莉の人格が形成されたのか、気になった。
『どんな人なの? その、昔の知り合いっていうのは』
『可哀想な人だよ。わたしといるとつらそうだった』
そうやって優莉の過去を掘り下げながら、周辺のカラオケを目指す。
店舗に着くころには、僕も優莉も話題が尽きていた。
特に話さなくても心地よい関係性とはいえ、ちょうどいいタイミングで店舗に着いた。
『優莉、学生証持ってる?』
『持ってる』
ありふれた会話と共に部屋に入る。
『じゃあ、わたし先に曲入れる』
そう宣言して、優莉が先に曲を入れる。
有名な曲ではなかったから、僕は知らなかった。
ゆっくりと、切ないリズムが盛り上がる。
しかし、それを歌う優莉は、歌が上手くはないようだ。
真っ先に抱いた感情は、安堵だった。僕もお世辞にも歌が上手いとは言えないから。
『知ってる?』
こちらに視線もやらないまま、優莉が尋ねる。
『知らない』
歌詞が再開する。
掠れた高音も、諦めるわけではない。
第一印象とは裏腹なその必死さに、僕の中の優莉のパーソナリティが深まる。
感心しているうちに、曲は終わった。
『……歌が苦手でも、他に得意なことがあるからいいの』
言い訳、というわけではないみたいだった。
『じゃあ僕も同じだ』
そう言って、僕はどこでも聴くような有名な曲を予約した。
僕が話し終わって、それを聞いた陽菜のツッコミが噴火する。
「あの優莉が? 幼稚園で歌が上手く歌えなくて泣いてた優莉が? 人生でわたしを一度もカラオケに誘ったことない優莉が? ……まあ、話を聞く限り歌が上手くなってたわけじゃないみたいだけど」
「なんか知らない情報あるんだけど」
でもまあ、確かに優莉の歌が上手かったという記憶はない。正直に言うなら下手な方だと思う。
僕とどっちが下手かと問うたときには、ちょっと答えかねる。
「わたしを一度もカラオケに誘ったことがないってこと?」
「いやそれも知らないけど。それは年齢の問題では?」
「中学生のときも誘ってくれなかったし違うでしょ」
「そんなことより、優莉が幼稚園のときの話の方が気になる」
僕の知らない優莉を知れる機会なんて、めったにない。
「ま、優莉はそういうの自分から話すタイプじゃないもんね。どうしても気になるっていうならわたしがいろいろ教えてあげるよ」
陽菜がにやっと笑った。
そこで、がちゃと鍵を開ける音が鳴る。
扉が開く音、「ただいま」と遠い声。
落ち着いたその声が、聞き慣れた声で、消えたとさえ思っていた星の欠片が、歓喜する。
「優莉、帰ってきたんじゃない?」
ひそひそと陽菜が僕に囁く。
近寄る足音。心臓の鼓動が同期する。星の欠片が声を上げる。
部屋のドアが開いた。
僕を見下ろすようにした優莉と目が合い、しばし、硬直。
「……優吾」
細くて長い脚。すらっとして高い身長。綺麗に整った顔つき。
懐かしい、優莉の印象。
毎日見ていた姿が、こんなにも美しく見える。
「優莉。久しぶり」
見惚れながらも、かろうじて声をかける。
優莉の表情は、なんだろう。驚愕? それとも……。
「優吾っ……」
言葉を失う、とはまさにこのことだろう。
彼女はなにも喋れなかった。
「ふうん、わたしのことは気にしてくれないんだ?」
意地悪な声を上げるのは、陽菜だった。
「陽菜も。ごめん、陽菜。でも、二人とも、どうしてここに。そもそも会ったことなかったんじゃ」
静かな口調はそのままに、混乱を露わにする。
「まあまあ、荷物置きなよ。詳しいことはまた話すから」
「図々しいな、優莉の部屋なんだよここ」
優莉が荷物を置いて、ベッドに座る。
「じゃあ一つずつ聞いていく。まず、なんでいるの。平日だよ」
「そりゃあもう、わたしにとっては学校より優莉の方が大切だからね」
「休日を待ってから来たらよかったのに」
正論に頭を殴られたような気分だ。
「優吾くん誘ったら来るって言ってたから」
「僕に休日を待つって発想はなかった」
「優吾ってそんなに頭悪かったっけ、陽菜だけだったような」
ナチュラルに言葉でぶん殴ってくるじゃないか、優莉にそんな印象はなかった。
だが、陽菜の前では素を出せるとか、そういう話なのかもしれない。
「じゃあ次。二人はどこで知り合ったの」
「海」
ごく端的に、陽菜が返答。
「なるほど、海ね。は? 海?」
一瞬納得したようなそぶりを見せた優莉に、これだけで伝わるなんて幼馴染の絆は強いなあなんて思いかけたが、全然そんなことはなかった。
当然優莉もなんで海で知り合ったのか理解できないらしい。
「海でどういう出会い方をするわけ? なに一つわからないから全部説明して」
「僕が砂浜でぼーっとしていたところに、陽菜が話しかけてきた。三日前の出来事だね」
「なるほど、三日前ね。は? 三日前?」
一瞬納得したようなそぶりを見せた優莉の常識を疑いかけたが、普通に驚いていた。安心した。
さすがの優莉も、三日間でこんなに距離を詰められないということはわかるようだ。
「なんで三日目で旅行してるの」
「正確には二日目から旅行してたけどね」
「なるほど、二日目ね。もう驚かないよ」
「ちなみに同じベッドで寝たよ」
「陽菜、それは言わない方が……」
「は?」
急にぶっこむ陽菜。嘘じゃないことを確定してしまう僕。
そして、季節外れの冷房を疑わせるくらいに、部屋を寒くさせた優莉。
「説明させればさせるほど、謎が増えていくんだけど。陽菜、優吾になにもしてないよね?」
「普通逆じゃない?」
「優吾はいいの、なにもしないだろうから」
「安心してよ、わたしも優吾くんもなにもしてないから」
優莉はそこで一旦息をつく。
まだまだ疑問はあっただろうが、ここで整理するのだろう。
「なんか、もうわかんないから一人ずつ話そう。優吾、ついてきて」
ベッドに腰掛けていたところを優莉は立ち上がり、制服のまま玄関に向かう。
「陽菜は、まあスマホでも使っといて」
「雑じゃない!?」
「また後で話を聞くから」
僕はただ優莉のあとをついていく。
知らない街でも、優莉の姿があるだけで安心する。
「どこに行くの?」
「近くに、ちっちゃい公園がある。そこならゆっくり話せると思う」
「なるほどね。もう三か月だし、周辺の施設は把握してるのか」
「まあ大体」
「なんか新鮮。知らない街で、知らない制服の優莉と話すんだから」
そうやって無駄話をする一方で、心の中では優莉への感情が大きくなっていく。
言えなかったことを、言える機会が訪れた。その幸福が育っていく。
「着いた、この公園。ベンチがあるから、座って話そう」
「わかった」
的確に場をリードする優莉は、陽菜みたいで……いや、逆か。あくまで陽菜が、優莉の後追い。
僕は、考えながらベンチに横並びで座る。
「まずはありがとう、わざわざ会いに来てくれて」
「え、今日好き?」
「なにそれ」
「あ、知らないか。『今日、好きになりました。』っていう、中高生に人気の恋愛リアリティーショーだよ、高校生だけが出演できる」
「で、それがどうして急に出てくるの」
「今日好きで告白されたときに、『まずはありがとう』って前置きしてから振ることが多いんだよ。で、それがネットとかでよく使われてるって感じ」
「へえ、知らなかった」
「これ、馬鹿正直に説明するの恥ずかしいし、たぶん意味ないな……」
わざわざ説明しておいて僕は一人呟く。
「まあ、いいよ、気にしなくて……」
「相変わらず締まらないね、優吾は」
「着いたよ、ここが優莉の家」
「なるほど、田舎ではないけど、新神戸ほど都会でもない……本当に、住宅街って言い表すのがふさわしいね」
そこは、団地だった。
この中から優莉の部屋を探すのは大変だろうな、と思う。
しかし、まだ昼過ぎ。ちょっと時間がかかるくらいがちょうどいいだろう。
そう思い、僕たちは一緒に優莉の部屋を探す。
「表札が伊藤で、部屋番号も完全一致……。思ったよりも早く見つかったね」
「思ったより早く見つかった弊害として、まだまだ優莉の学校は終わりそうにないんだけど」
そう懸念する僕を横目に、陽菜は普通にインターホンを押す。
「大坂陽菜です。優莉に会いに来ました」
『陽菜ちゃん?』
「あ、愛莉さん! 久しぶりです!」
『今玄関まで行くから、ちょっと待ってて』
「はーい」
陽菜は、優莉の母親と思しき人と仲良さげに話していた。名は、愛莉というのだろう。
「確か、家族ぐるみの付き合いがあるって言ってたっけ」
「そうなんだよね。だから、わたしが生まれたときから知り合いなの」
優莉の母の名前を知っていたのは、そういう理由か。
少し話しながら待っていると、扉が開いて女性が姿を現す。
髪型も服装も、優莉とは似ても似つかない。
ただ、よく似ていると直感で思った。
「陽菜ちゃん、久しぶり。いろいろと聞きたいことあるから、とりあえず中に。隣の男の子も」
そうやって手招きする。
落ち着いた口調もどこか優莉に似ている。
部屋に通されて、ダイニングテーブルに案内される。
「荷物は、まあその辺に置いて」
優莉のお母さんが机の反対側に座ったのを見て、口を開く。
「部屋、綺麗ですね」
「ミニマリストみたいなところあるから」
端的に答える。
それはたぶん、伊藤家に共通した特徴なのだろう。
「じゃあ愛莉さん、とりあえずこの人を紹介しますね。この人は星澤優吾くん、わたしと優莉の……友達です」
「優莉って、陽菜ちゃん以外に友達いたんだ」
ああ、優莉は親からもそんな風に思われているのか。
とはいえ、友達はいなくてもなんとかなるということもわかっているみたいだ。あまり強い感情は見受けられない。
「で、どうして平日のこんな時間に?」
「それはわたしもわかんないです。一応、目的としては優莉に会いにきました」
「そうだよね。優莉が帰ってくるまでしばらくかかるから、優莉の部屋で待ってて」
優莉のお母さんはそう言って席を立ちあがり、玄関と反対側の扉を開く。
そこが優莉の部屋という意味だと察し、僕たちは荷物を持ってそっちに歩く。
「なんもないけど、優莉が帰ってくるまでそこで待ってて」
そう言い残して、優莉の部屋の扉を閉める。
「なんか、優莉の部屋ずっと変わらないなあ」
「そうなの?」
「うん、ベッドと、勉強机と、クローゼットだけ。普段なにしてるのかもわたしにはまったくわかんない、勉強してるところと、本を読んでるところしか見たことない」
言いながら彼女は床に座る。
陽菜の言う通り、優莉には本を読んでいる印象がある。勉強を教えてもらったりもした。
「あ、でも僕は一回だけ優莉とカラオケ行ったことあるよ」
「え? どういう経緯で?」
「普通に優莉から誘われたけど」
そこで、詳しく尋ねられて、初日にいろいろ話したときのように、僕は星が埋まった記憶を掘り起こした。
『図書館はお気に召さなかったようだし、カラオケにでも行こう』
『へえ、優莉カラオケとか行くんだ。意外』
『いや、普段はあまり行かない』
どうやら僕のことを考えてカラオケに行くということを選択肢に入れてくれたみたいだった。
『図書館もまたいずれ行きたいけど……遊びといえばこういうのだよ』
『やっぱりそうなのか』
そこで一度会話が切れてしまう。
優莉は優しい人だが、積極的に会話するタイプではないので、こちらが会話を続ける努力をしなければならない。
『優莉は、普段音楽とか聴くの?』
『あまり聴かない。だから、どこでも聴くような有名なものしか歌わないと思う』
『そっか、なんか想像通りだ』
優莉くらいになると、本が音楽のように聞こえてくるとか言い出しそうだ。
しかし、そこでなにか思い出したかのように優莉が声を上げる。
『昔の知り合いがよく聴いてた曲、何曲か知ってるかも。たぶん有名なやつじゃないと思う』
そこで少し気になる。
優莉の昔の知り合いということは、昔の優莉の様子を知っているのだろう。
どのようにして今の優莉の人格が形成されたのか、気になった。
『どんな人なの? その、昔の知り合いっていうのは』
『可哀想な人だよ。わたしといるとつらそうだった』
そうやって優莉の過去を掘り下げながら、周辺のカラオケを目指す。
店舗に着くころには、僕も優莉も話題が尽きていた。
特に話さなくても心地よい関係性とはいえ、ちょうどいいタイミングで店舗に着いた。
『優莉、学生証持ってる?』
『持ってる』
ありふれた会話と共に部屋に入る。
『じゃあ、わたし先に曲入れる』
そう宣言して、優莉が先に曲を入れる。
有名な曲ではなかったから、僕は知らなかった。
ゆっくりと、切ないリズムが盛り上がる。
しかし、それを歌う優莉は、歌が上手くはないようだ。
真っ先に抱いた感情は、安堵だった。僕もお世辞にも歌が上手いとは言えないから。
『知ってる?』
こちらに視線もやらないまま、優莉が尋ねる。
『知らない』
歌詞が再開する。
掠れた高音も、諦めるわけではない。
第一印象とは裏腹なその必死さに、僕の中の優莉のパーソナリティが深まる。
感心しているうちに、曲は終わった。
『……歌が苦手でも、他に得意なことがあるからいいの』
言い訳、というわけではないみたいだった。
『じゃあ僕も同じだ』
そう言って、僕はどこでも聴くような有名な曲を予約した。
僕が話し終わって、それを聞いた陽菜のツッコミが噴火する。
「あの優莉が? 幼稚園で歌が上手く歌えなくて泣いてた優莉が? 人生でわたしを一度もカラオケに誘ったことない優莉が? ……まあ、話を聞く限り歌が上手くなってたわけじゃないみたいだけど」
「なんか知らない情報あるんだけど」
でもまあ、確かに優莉の歌が上手かったという記憶はない。正直に言うなら下手な方だと思う。
僕とどっちが下手かと問うたときには、ちょっと答えかねる。
「わたしを一度もカラオケに誘ったことがないってこと?」
「いやそれも知らないけど。それは年齢の問題では?」
「中学生のときも誘ってくれなかったし違うでしょ」
「そんなことより、優莉が幼稚園のときの話の方が気になる」
僕の知らない優莉を知れる機会なんて、めったにない。
「ま、優莉はそういうの自分から話すタイプじゃないもんね。どうしても気になるっていうならわたしがいろいろ教えてあげるよ」
陽菜がにやっと笑った。
そこで、がちゃと鍵を開ける音が鳴る。
扉が開く音、「ただいま」と遠い声。
落ち着いたその声が、聞き慣れた声で、消えたとさえ思っていた星の欠片が、歓喜する。
「優莉、帰ってきたんじゃない?」
ひそひそと陽菜が僕に囁く。
近寄る足音。心臓の鼓動が同期する。星の欠片が声を上げる。
部屋のドアが開いた。
僕を見下ろすようにした優莉と目が合い、しばし、硬直。
「……優吾」
細くて長い脚。すらっとして高い身長。綺麗に整った顔つき。
懐かしい、優莉の印象。
毎日見ていた姿が、こんなにも美しく見える。
「優莉。久しぶり」
見惚れながらも、かろうじて声をかける。
優莉の表情は、なんだろう。驚愕? それとも……。
「優吾っ……」
言葉を失う、とはまさにこのことだろう。
彼女はなにも喋れなかった。
「ふうん、わたしのことは気にしてくれないんだ?」
意地悪な声を上げるのは、陽菜だった。
「陽菜も。ごめん、陽菜。でも、二人とも、どうしてここに。そもそも会ったことなかったんじゃ」
静かな口調はそのままに、混乱を露わにする。
「まあまあ、荷物置きなよ。詳しいことはまた話すから」
「図々しいな、優莉の部屋なんだよここ」
優莉が荷物を置いて、ベッドに座る。
「じゃあ一つずつ聞いていく。まず、なんでいるの。平日だよ」
「そりゃあもう、わたしにとっては学校より優莉の方が大切だからね」
「休日を待ってから来たらよかったのに」
正論に頭を殴られたような気分だ。
「優吾くん誘ったら来るって言ってたから」
「僕に休日を待つって発想はなかった」
「優吾ってそんなに頭悪かったっけ、陽菜だけだったような」
ナチュラルに言葉でぶん殴ってくるじゃないか、優莉にそんな印象はなかった。
だが、陽菜の前では素を出せるとか、そういう話なのかもしれない。
「じゃあ次。二人はどこで知り合ったの」
「海」
ごく端的に、陽菜が返答。
「なるほど、海ね。は? 海?」
一瞬納得したようなそぶりを見せた優莉に、これだけで伝わるなんて幼馴染の絆は強いなあなんて思いかけたが、全然そんなことはなかった。
当然優莉もなんで海で知り合ったのか理解できないらしい。
「海でどういう出会い方をするわけ? なに一つわからないから全部説明して」
「僕が砂浜でぼーっとしていたところに、陽菜が話しかけてきた。三日前の出来事だね」
「なるほど、三日前ね。は? 三日前?」
一瞬納得したようなそぶりを見せた優莉の常識を疑いかけたが、普通に驚いていた。安心した。
さすがの優莉も、三日間でこんなに距離を詰められないということはわかるようだ。
「なんで三日目で旅行してるの」
「正確には二日目から旅行してたけどね」
「なるほど、二日目ね。もう驚かないよ」
「ちなみに同じベッドで寝たよ」
「陽菜、それは言わない方が……」
「は?」
急にぶっこむ陽菜。嘘じゃないことを確定してしまう僕。
そして、季節外れの冷房を疑わせるくらいに、部屋を寒くさせた優莉。
「説明させればさせるほど、謎が増えていくんだけど。陽菜、優吾になにもしてないよね?」
「普通逆じゃない?」
「優吾はいいの、なにもしないだろうから」
「安心してよ、わたしも優吾くんもなにもしてないから」
優莉はそこで一旦息をつく。
まだまだ疑問はあっただろうが、ここで整理するのだろう。
「なんか、もうわかんないから一人ずつ話そう。優吾、ついてきて」
ベッドに腰掛けていたところを優莉は立ち上がり、制服のまま玄関に向かう。
「陽菜は、まあスマホでも使っといて」
「雑じゃない!?」
「また後で話を聞くから」
僕はただ優莉のあとをついていく。
知らない街でも、優莉の姿があるだけで安心する。
「どこに行くの?」
「近くに、ちっちゃい公園がある。そこならゆっくり話せると思う」
「なるほどね。もう三か月だし、周辺の施設は把握してるのか」
「まあ大体」
「なんか新鮮。知らない街で、知らない制服の優莉と話すんだから」
そうやって無駄話をする一方で、心の中では優莉への感情が大きくなっていく。
言えなかったことを、言える機会が訪れた。その幸福が育っていく。
「着いた、この公園。ベンチがあるから、座って話そう」
「わかった」
的確に場をリードする優莉は、陽菜みたいで……いや、逆か。あくまで陽菜が、優莉の後追い。
僕は、考えながらベンチに横並びで座る。
「まずはありがとう、わざわざ会いに来てくれて」
「え、今日好き?」
「なにそれ」
「あ、知らないか。『今日、好きになりました。』っていう、中高生に人気の恋愛リアリティーショーだよ、高校生だけが出演できる」
「で、それがどうして急に出てくるの」
「今日好きで告白されたときに、『まずはありがとう』って前置きしてから振ることが多いんだよ。で、それがネットとかでよく使われてるって感じ」
「へえ、知らなかった」
「これ、馬鹿正直に説明するの恥ずかしいし、たぶん意味ないな……」
わざわざ説明しておいて僕は一人呟く。
「まあ、いいよ、気にしなくて……」
「相変わらず締まらないね、優吾は」



