「ビルも高ければ山も高い。お高くとまった街だね、新神戸」

「ちょっと上手いこと言うの、やめてよ」

 大きな道の両側に立ち並ぶビル。駅を挟んで反対側には、六甲山がそびえる。
 また、違う街。

「この辺に、優莉がいるんだよね」

「まあ、優莉の家までは、もうちょっと電車に乗るんだけどね。五駅乗ってニ十分歩く」

「もしかして優莉の家、立地悪い……? 最寄り駅までニ十分?」

「いや、最寄りはまた別の駅なんだけど。乗り換えが必要だから」

 乗り換えすると、どうしても費用がかさんでしまう。そのためなら、ニ十分歩くくらいはわけない。

「でも、夕方までは新神戸とか神戸で観光する予定!」

「観光するお金はないのに?」

「いや、この辺にはすごい滝があるらしい」

 滝。

「え、滝?」

 お金がないから滝を観光するとはどういうことだろう。
 僕は彼女に疑いの視線を向ける。もしかして全く無計画……。
 彼女は慌てて首を横に振る。

「ただの滝じゃない。日本三大神滝(にほんさんだいしんたき)の一つであり、日本の滝百選にも選ばれてるからね」

「滝界最強ってわけね」

 滝の中で順位付けされたとて、どう反応すればいいかわからないんだけど。
 しかし、ここまで言ったとはいえ、滝を眺めるという行為はたぶん僕の好きな行為だと思う。
 それこそ、海を眺めるのに近いものがあるだろう。

「こう、滝を眺めるって考えると、海を眺めてた優吾くんと出会ったことを思い出すよ」

 彼女も同じことを思っていたらしい。

「で、その滝っていうのはどこにあるわけ?」

布引(ぬのびき)の滝っていう滝なんだけど、駅の一階から案内が出てると思う」

「じゃあとりあえず一回に下りようか」

 二人、前後に並んでエスカレーターに乗る。
 関西の、エスカレーターで右側に立つ文化にも、もう慣れてきた。

「地下っぽい空気だけど、これが一階なんだね」

「来たことないからわかんないけど、たぶんそう。布引の滝への案内もあるし」

「特徴的だから、次来たときも迷うことはなさそう」

 看板の矢印に従って歩く。
 自然豊かな空気と、古めかしい家が、駅反対側の大都会と、対照的だ。

「……わたし、この空気好きだな」

「僕も。旅行っていう非日常の中に、さらに非日常がある」

 道が、徐々に山道に変わっていく。木が多くなっていく。

「日常からどんどん遠ざかっていくような感覚が、心地いいよ」

「なんで連続で詩的なこと言うの? そんなこと普段考えないから疲れるんだけど……」

「訓練だよ訓練」

 話ながら歩いているうちになにかを見つけて、突然彼女は大声を出した。

「見て! あれ、滝じゃん!」

 レンガで出来たアーチ橋。その上に立って川の流れを見ると、上流に滝が見られる。

「布引の滝って、四つの滝から構成されてるんだって。だから、あれはそのうちの一つ。雌滝(めんたき)っていうらしい」

「それ、まるで」

「ああ、詩的なことは今はもういいや」

 言葉にするより目に焼き付けた方が幸せだから、と彼女は言った。
 そう言われて、僕も同じように思った。

「だからわたし、写真とかも本当はあんまり好きじゃない。思い出を映すのに、カメラのレンズは邪魔すぎるから」

「なにその詩的カウンター。ずるい」

「やっぱり優吾くんは詩的なことを言うのが目的になってるからね。なにを伝えたいかが大事なんだよ」

 可愛らしいドヤ顔と裏腹に、その言葉は的を射ていた。

「……で、その四つの滝は全部見に行くわけ?」

「その予定。往復三十分前後のハイキングになるみたい」

「いいじゃん、ちょうどいい距離だ」

 僕は貧弱なので一時間歩くとかそういうのはきついが、三十分程度ならなんとかなりそうだ。

「あと、もうちょっと歩くとみはらし展望台っていうのがあるらしいよ」

「もうちょっとってどのくらい?」

「駅から片道三十分になるくらい」

「ほな倍やないか」

 せっかく関西にいるので、唐突だが関西弁のツッコミを試してみる。
 あまりにも似非関西弁の匂いが強かったので、たぶんもうやらない。
 ただ、陽菜には大うけだったみたいだ。あっはっは、なんて陽気に笑っている。

「まあいいや。展望台、結構気になるから見に行こう」

「優吾くんならそう言うと思ってた」

 いつもの笑顔を見せつけて、歩き始める。

「勝手な人だ」

「でもやっぱり、自然っていうのはいいものだよ」

 陽菜に言われて周りを見渡す。
 視界の大半を覆う深緑(しんりょく)も、時々光が差し込んで見える新緑(しんりょく)も、睡眠不足の目に優しい。

 それからは、しばらく無言で歩いた。
 話題がないというわけじゃない。無理に話をしなくても、陽菜なら大丈夫だという安心感があった。

「あ、待って待って。一回ストップ。そこ覗くと、川見えるじゃん?」

 陽菜が僕を止めて、山道の脇、木々の間から川を覗く。
 落差は小さいが、水が落ちて泡立つ、滝と呼ぶには十分な段差がそこにはあった。

「川の流れと一緒に、鼓を打つような激しい音が聞こえるでしょ?」

「そう言うからには、たぶん鼓滝(つつみだき)って名前なんだろうな。僕には水の音にしか聞こえないよ」

 ぐちぐち言いながら歩く。
 そうして歩いていった先には、誰が見てもわかる滝が鎮座している。
 その正面には、休憩用と思われるベンチが設置されていた。

「これは……雄滝(おんたき)かな。で、下流の方に夫婦滝(めおとたき)

「ああ、二段構造になってるのか」

「川の水も大変だよね、滝を抜けたと思ったらまた滝なんて」

 感受性豊かな感想に、思わず笑みが溢れる。

「今、感心したでしょ! ま、当然だよね」

「してない」

 素直に受け入れるのは癪だからとりあえず否定するけど、彼女は変わらず笑っている。

「……ところで、結構歩いたし、ちょっと休憩していかない?」

「まだ十五分くらいしか経ってないよ……。でも、次どこで休憩できるかわかんないし、休憩しようか」

「否定から入るとモテないよ」

 陽菜の指摘。
 僕はさほど気にしなかった。

「陽菜はなんとも思ってないでしょ?」

「……そうだけど」

「モテることは、そんなに大事じゃない」

「おお、さすが優吾くん」

「陽菜が不快になったなら謝るよ。ごめん」

 陽菜は無言で首を横に振って、そのまま滝を眺める。
 春の昼前、まだまだひんやりとした空気。滝のマイナスイオンだろうか。
 それでも、隣に座る陽菜は暖かかった。
 そうやって、隣に座る人の存在を認識しながら、しばらく滝を眺める。

「さあて、そろそろ続き行きますか」

 陽菜が切り出したころには、僕はこの滝――雄滝が、名残惜しくなってきていた。
 しかし、このままずっとここにいては仕方がない。それはわかっていたので、抵抗なく立ち上がる。

「これで布引の滝は全部見終わったね、あとは展望台に向けて歩くだけだ」

 雄滝から少し上ったところに茶屋が位置する。
 滝の音を聴きながら飲食が楽しめる茶屋。

「お金がないから、悪いけど今回はパスね」

「仕方ないね。なんとなくそんな気はしてた」

 ところどころで会話を挟みながら、山道をまた登っていく。
 雄滝から五分と少し。
 木々の隙間から覗く街並みが、眩しい。

「わ、神戸の街並みだ」

「向こうには海も見えるね。……神戸は昔から、港町として栄えているんだよね」

 立ち並ぶ建造物と、時々差し込まれる高層ビル。
 薄く青みがかった遠くの景色には、藍の海や、その向こうの大阪すら望める。

「この中に優莉の家があって、優莉はこの街で過ごしてる」

 陽菜が、感傷的に囁く。

「優莉がいる。そう思うだけで、他人事だったこの街が自分事に思える」

「……そうだね」

 珍しく、陽菜が素直に同意した。