外は眩しかった。
カーテンを開けて広がる、知らない景色。
「大坂……陽菜、夜遅くまで粘りすぎだよ」
一度苗字で呼んでしまいそうになって、結局フルネームで呼んだみたいになる。
陽菜はそれがツボに入ったのか、けらけら笑っていた。
「大丈夫大丈夫、学校ないんだから」
既に高く昇った朝日を浴びる。
時刻は十時を回っている。いくら学校がないといえども、習慣化されたものが失われると少し不安だ。
というか、学校がないなんて言っても無断欠席してるだけなんだけど。
「そうじゃん、学校。陽菜、学校のこと忘れてるでしょ」
「え? 今週は無断欠席だから」
「それはそれで問題なんだけど、一回置いといて。無断欠席なのは僕たちだけだよ、優莉は普通に学校」
「あ」
普通に昼間から優莉に会いに行こうとしていたけれど、もちろん会えない。
「先に神戸に行ってそっちを観光するか、もう少し大阪を観光してから新幹線に乗るか」
「神戸ってなんかお洒落そうだし、そっちに行きたいかも。大阪残るんだったら通天閣行きたいけど、お金がないし……」
「僕も神戸に行くのは賛成。少しでも優莉の近くに行きたい」
二人合意して、荷物をまとめる。どちらにせよ午前の間にホテルを出ることに変わりはない。
それから部屋を出て、陽菜がチェックアウトの手続きをする様子を見守る。
「じゃあ、駅行こうか」
陽菜に声をかけられて、外に出る。
心なしか、空がいつもより明るい気がする。
「寒いね、もう春なのに」
「優吾くんまあまあ薄着だからね」
「家に帰るより先に朝が来るなんて、想定してなかったから」
「上着貸そうか?」
「いいよ、陽菜が寒くなったとき返すために脱がないといけないのがつらい。それに、そもそも入らないし」
断った僕に、陽菜はにやりと笑う。
こういう表情をしているとき、大抵ろくでもないことが提案される。僕は学んだ。
「じゃあ、わたしで暖かくなる?」
そう提案して、僕の反応も待たずに身を寄せる。
密着していて、暖かいといえば暖かいんだけど……。
「……僕、優莉のことが好きだって言わなかったっけ?」
「言ってたね。わたしは? わたしのことは好きじゃないの?」
「そりゃあ好きだよ、優しいし、つらいとき近くにいてくれたし」
「それ、恋愛じゃなくて友愛の話でしょ」
指摘されて、なにも言えない。
わからない。
もしかしたら優莉に抱くこの感情も、本当は恋情なんかじゃなくて、ただの憧憬だって可能性もある。そうしたら、陽菜と身を寄せ合うことになんの問題もないのかも。
「ねえ、好きになれるのは一人だけって、誰が決めたの?」
「誰が決めたとかそれ以前に、一般常識」
「……一般常識って、身近な人の心より大切?」
「陽菜は、どうしてそんなに僕に拘るの」
「言ったでしょ、素直に気持ちを吐き出せる人が優吾くんしかいないから」
昨日、僕がお湯を沸かしている間に、優莉が言っていたことだ。
「誰でもよかったんじゃん」
「今は優吾くんじゃないと駄目」
「都合のいいやつめ」
「状況は変わるものだからね」
そう言って、彼女は瞑目する。
「で、わたしのことは、恋愛的に好きにはなってくれないの?」
話を逸らしても駄目だった。
考えながら歩く。
ホームに着く。
新幹線が来るまではまだ少し時間があって、待合席に座る。
「……正直に言うと、ちょっとずつ惹かれ始めてる自分がいる」
彼女は、瞑った目を開いて、輝かせる。
「でも、陽菜のことが好きだって、胸を張って言うためには、優莉への失恋を引きずらないようにならなきゃいけない」
僕も目を瞑る。
そうすると、どうしても優莉との記憶が脳内を駆け巡る。
そのくらい優莉との記憶が大切で、そのくらい優莉との記憶を引きずっている。
いや、これから優莉に会ったとして、神戸で一人暮らしを始めたら、優莉との恋は実るかもしれない。
「ちょっとぐらい、引きずっててもいいんじゃない?」
「そうかもしれない。でも、このままだと陽菜に重ねてしまう。優莉の記憶を」
それは、不誠実な気がした。
なぜなら、陽菜自身を見ているわけではないから。
好きだって心から言えるには、陽菜自身と向き合わないといけない。
「それに、ずっと優莉と比べられるのは、陽菜も嫌だろ」
「……やっぱり優吾くんは、優しいよ」
「そういうわけじゃない。自己満足」
それだけ吐き捨てて、自嘲。
「……」
「……」
昨日の疲れがまだ残っていて、二人並んで静かに座る。
沈黙が苦じゃなくなったのは、いつからだろう。
旅行が始まってから? あるいは、もっと前なのかもしれない。
考え込んでいると、時間が早く過ぎて、新幹線が速くホームに乗り込む。
「昨日ぶりの新幹線だね」
「こんなに高頻度で新幹線に乗ること、なかなかないよ」
空いている二人席を探しながら、一応不満げに口にしておく。
しかし、それがただのポーズだということは陽菜にはちゃんと伝わったみたいだ。彼女はにこっと笑って、僕の手を引く。
「朝の大阪、やっぱりちょっと綺麗に見える」
あまりにも豊かな感性で、陽菜が呟く。
その、不意に零れたような呟きに惹かれて、横顔を覗く。
幸福の模範解答みたいな、表情だった。
それがあまりにも綺麗で、眼窩の硝子玉に焼き付ける。
「千葉も変わらないと思うけど」
「ほら、千葉にいるときより自由に感じない?」
確かに、地元というのは往々にして窮屈だというのは、聞く。
それに比べれば幾分か自由で、広い街だと感じられる。
だから、うなずく。
「ここからまた新しい街に行くんだと思うと、期待で胸が高まるばかりだね」
「どうだろう。優莉がこの場所で新幹線に乗っていたとき、期待はあったのかな」
「……優莉は、ああ見えて親密な人のことを大切に思うタイプだよ」
陽菜は答えこそ言わなかったが、大きなヒントを出した。
「優莉の気持ちを想像すると、素直に期待に胸を高鳴らせることができない」
「優しすぎるのも、考え物かもね」
そう言って笑った陽菜は、なにか苦いものを噛み潰したような、そういう表情をしていた。
僕は不思議に思ったけれど、優莉のことを思い出しているんだろうと無理やりに納得した。
「じゃあ僕、ちょっと寝るね。優莉とは万全の状態で会いたいから」
「いや、もう着くよ」
「そっか、一駅だもんね。寝るチャンスないのはちょっとまずいかも」
「昨日も新幹線で寝てたのに、また寝るの?」
「そりゃあ陽菜に深夜三時まで起こされてたからね」
その睡眠時間を具体的に語ると、およそ七時間。
それで十分な人もいるかもしれないが、僕は違う。
あと一時間、できれば二時間は寝たい。
「十時まで寝てたんだからいいじゃん」
「僕はロングスリーパーなの」
「へえ、そうなんだ」
「適当に言ったんだけどね」
僕の発言に、ジト目。
「ほら、言ってる間に新神戸だよ」
まだ長いトンネルの中を走っているが、次は新神戸だという案内が電光板を流れている。
「トンネル、長っ」
「これが六甲山なんじゃない?」
「ああ、確かに新神戸近くの山って言ったら六甲山かも」
新幹線は、ただしばらく長すぎるトンネルを走っていた。
窓の外を見てもずっと暗闇だった。……しばらく走った先に、トンネルの外の光が差し込む。
「トンネル抜けたね。さすがにもう着くのかな」
「いや、もしかしたらそう思わせてまだまだ遠いっていうフェイントなのかもしれない!」
「それがフェイントだったとして、JR西日本にはなんのメリットがあるの?」
冷静にツッコんだ僕に、彼女は茶化すように笑った。
そして新神戸に着いて、新幹線のドアが開く。
「おお、涼しい!」
「山が近いから、かもね」
新幹線の方を向くと、その奥に山が見えた。
「こういう山を見ると、神戸に来たって感じがする!」
「千葉は、山ないもんね……」
最高標高は、四百メートル弱の県です。
カーテンを開けて広がる、知らない景色。
「大坂……陽菜、夜遅くまで粘りすぎだよ」
一度苗字で呼んでしまいそうになって、結局フルネームで呼んだみたいになる。
陽菜はそれがツボに入ったのか、けらけら笑っていた。
「大丈夫大丈夫、学校ないんだから」
既に高く昇った朝日を浴びる。
時刻は十時を回っている。いくら学校がないといえども、習慣化されたものが失われると少し不安だ。
というか、学校がないなんて言っても無断欠席してるだけなんだけど。
「そうじゃん、学校。陽菜、学校のこと忘れてるでしょ」
「え? 今週は無断欠席だから」
「それはそれで問題なんだけど、一回置いといて。無断欠席なのは僕たちだけだよ、優莉は普通に学校」
「あ」
普通に昼間から優莉に会いに行こうとしていたけれど、もちろん会えない。
「先に神戸に行ってそっちを観光するか、もう少し大阪を観光してから新幹線に乗るか」
「神戸ってなんかお洒落そうだし、そっちに行きたいかも。大阪残るんだったら通天閣行きたいけど、お金がないし……」
「僕も神戸に行くのは賛成。少しでも優莉の近くに行きたい」
二人合意して、荷物をまとめる。どちらにせよ午前の間にホテルを出ることに変わりはない。
それから部屋を出て、陽菜がチェックアウトの手続きをする様子を見守る。
「じゃあ、駅行こうか」
陽菜に声をかけられて、外に出る。
心なしか、空がいつもより明るい気がする。
「寒いね、もう春なのに」
「優吾くんまあまあ薄着だからね」
「家に帰るより先に朝が来るなんて、想定してなかったから」
「上着貸そうか?」
「いいよ、陽菜が寒くなったとき返すために脱がないといけないのがつらい。それに、そもそも入らないし」
断った僕に、陽菜はにやりと笑う。
こういう表情をしているとき、大抵ろくでもないことが提案される。僕は学んだ。
「じゃあ、わたしで暖かくなる?」
そう提案して、僕の反応も待たずに身を寄せる。
密着していて、暖かいといえば暖かいんだけど……。
「……僕、優莉のことが好きだって言わなかったっけ?」
「言ってたね。わたしは? わたしのことは好きじゃないの?」
「そりゃあ好きだよ、優しいし、つらいとき近くにいてくれたし」
「それ、恋愛じゃなくて友愛の話でしょ」
指摘されて、なにも言えない。
わからない。
もしかしたら優莉に抱くこの感情も、本当は恋情なんかじゃなくて、ただの憧憬だって可能性もある。そうしたら、陽菜と身を寄せ合うことになんの問題もないのかも。
「ねえ、好きになれるのは一人だけって、誰が決めたの?」
「誰が決めたとかそれ以前に、一般常識」
「……一般常識って、身近な人の心より大切?」
「陽菜は、どうしてそんなに僕に拘るの」
「言ったでしょ、素直に気持ちを吐き出せる人が優吾くんしかいないから」
昨日、僕がお湯を沸かしている間に、優莉が言っていたことだ。
「誰でもよかったんじゃん」
「今は優吾くんじゃないと駄目」
「都合のいいやつめ」
「状況は変わるものだからね」
そう言って、彼女は瞑目する。
「で、わたしのことは、恋愛的に好きにはなってくれないの?」
話を逸らしても駄目だった。
考えながら歩く。
ホームに着く。
新幹線が来るまではまだ少し時間があって、待合席に座る。
「……正直に言うと、ちょっとずつ惹かれ始めてる自分がいる」
彼女は、瞑った目を開いて、輝かせる。
「でも、陽菜のことが好きだって、胸を張って言うためには、優莉への失恋を引きずらないようにならなきゃいけない」
僕も目を瞑る。
そうすると、どうしても優莉との記憶が脳内を駆け巡る。
そのくらい優莉との記憶が大切で、そのくらい優莉との記憶を引きずっている。
いや、これから優莉に会ったとして、神戸で一人暮らしを始めたら、優莉との恋は実るかもしれない。
「ちょっとぐらい、引きずっててもいいんじゃない?」
「そうかもしれない。でも、このままだと陽菜に重ねてしまう。優莉の記憶を」
それは、不誠実な気がした。
なぜなら、陽菜自身を見ているわけではないから。
好きだって心から言えるには、陽菜自身と向き合わないといけない。
「それに、ずっと優莉と比べられるのは、陽菜も嫌だろ」
「……やっぱり優吾くんは、優しいよ」
「そういうわけじゃない。自己満足」
それだけ吐き捨てて、自嘲。
「……」
「……」
昨日の疲れがまだ残っていて、二人並んで静かに座る。
沈黙が苦じゃなくなったのは、いつからだろう。
旅行が始まってから? あるいは、もっと前なのかもしれない。
考え込んでいると、時間が早く過ぎて、新幹線が速くホームに乗り込む。
「昨日ぶりの新幹線だね」
「こんなに高頻度で新幹線に乗ること、なかなかないよ」
空いている二人席を探しながら、一応不満げに口にしておく。
しかし、それがただのポーズだということは陽菜にはちゃんと伝わったみたいだ。彼女はにこっと笑って、僕の手を引く。
「朝の大阪、やっぱりちょっと綺麗に見える」
あまりにも豊かな感性で、陽菜が呟く。
その、不意に零れたような呟きに惹かれて、横顔を覗く。
幸福の模範解答みたいな、表情だった。
それがあまりにも綺麗で、眼窩の硝子玉に焼き付ける。
「千葉も変わらないと思うけど」
「ほら、千葉にいるときより自由に感じない?」
確かに、地元というのは往々にして窮屈だというのは、聞く。
それに比べれば幾分か自由で、広い街だと感じられる。
だから、うなずく。
「ここからまた新しい街に行くんだと思うと、期待で胸が高まるばかりだね」
「どうだろう。優莉がこの場所で新幹線に乗っていたとき、期待はあったのかな」
「……優莉は、ああ見えて親密な人のことを大切に思うタイプだよ」
陽菜は答えこそ言わなかったが、大きなヒントを出した。
「優莉の気持ちを想像すると、素直に期待に胸を高鳴らせることができない」
「優しすぎるのも、考え物かもね」
そう言って笑った陽菜は、なにか苦いものを噛み潰したような、そういう表情をしていた。
僕は不思議に思ったけれど、優莉のことを思い出しているんだろうと無理やりに納得した。
「じゃあ僕、ちょっと寝るね。優莉とは万全の状態で会いたいから」
「いや、もう着くよ」
「そっか、一駅だもんね。寝るチャンスないのはちょっとまずいかも」
「昨日も新幹線で寝てたのに、また寝るの?」
「そりゃあ陽菜に深夜三時まで起こされてたからね」
その睡眠時間を具体的に語ると、およそ七時間。
それで十分な人もいるかもしれないが、僕は違う。
あと一時間、できれば二時間は寝たい。
「十時まで寝てたんだからいいじゃん」
「僕はロングスリーパーなの」
「へえ、そうなんだ」
「適当に言ったんだけどね」
僕の発言に、ジト目。
「ほら、言ってる間に新神戸だよ」
まだ長いトンネルの中を走っているが、次は新神戸だという案内が電光板を流れている。
「トンネル、長っ」
「これが六甲山なんじゃない?」
「ああ、確かに新神戸近くの山って言ったら六甲山かも」
新幹線は、ただしばらく長すぎるトンネルを走っていた。
窓の外を見てもずっと暗闇だった。……しばらく走った先に、トンネルの外の光が差し込む。
「トンネル抜けたね。さすがにもう着くのかな」
「いや、もしかしたらそう思わせてまだまだ遠いっていうフェイントなのかもしれない!」
「それがフェイントだったとして、JR西日本にはなんのメリットがあるの?」
冷静にツッコんだ僕に、彼女は茶化すように笑った。
そして新神戸に着いて、新幹線のドアが開く。
「おお、涼しい!」
「山が近いから、かもね」
新幹線の方を向くと、その奥に山が見えた。
「こういう山を見ると、神戸に来たって感じがする!」
「千葉は、山ないもんね……」
最高標高は、四百メートル弱の県です。



