「わたし上がったから、優吾くんもお風呂入っていいよ。……あ、でもお湯流しちゃったからもう一回入れ直さないと駄目かも」

「わかった。充電器、ありがとう」

「どういたしまして」

 謙遜の言葉を返して、浴室へ向かう優吾くんを見る。
 お湯を入れ直しているみたいだった。
 シャワーと湯舟が一体になっているので、身体を洗ったら湯舟のお湯が汚れてしまう。先に身体を洗った場合は、お湯が溜まるのを待つ間すごく寒い。
 ……優吾くんが、そのことに気づいてればいいけど。

「服を脱ぐ前に気づいてよかった……」

 そう漏らしながら、ゆっくりわたしの方に戻ってくる。
 ずっと立ちっぱなしにさせるわけにもいかず、声をかける。

「今お湯沸かしてるんだね。隣どうぞ」

「ありがとう」

「いやあ、長い一日だったね。なんなら今日がまだまだ続くような気もしてるよ」

「誰のせいでこんなに長い一日になったんだか」

「でも、優莉と会えるのは嬉しいでしょ?」

 わたしの無理な質問に、優吾くんは複雑そうな表情をする。
 そうだろう、もとはと言えば今日優莉と会うつもりで来たんだろうから。
 でも、そのことには気づいていないふりをする。
 夜だからだろうか、ぺらぺらと話したくなる。

「わたしも、嬉しいんだ。優吾くんみたいに関係の薄い人じゃなきゃ、気持ちを素直に吐き出すなんてできなかった」

「……僕じゃなくてもよかったじゃん」

「そうだよ。その中でも、わたしと同じように落ち込んだ気持ちの君が、ちょうどよかっただけ」

 図星を指されて後ろめたくて、露悪的に語る。
 しかし、それでも優吾くんは納得したようにうなずく。
 そんな優吾くんにもっと後ろめたくなって、今度は正直に。

「今となっては、君じゃなきゃいけないんだけどね」

 彼は真剣な目をしていた。
 そしてわたしの言葉にうなずく。

「大坂さんも大概、詩的だね」

「わたしも、詩的な表現の味がわかってきたんじゃない?」

 素直な気持ちを語ることは避けたのだろうか。
 帰ってきたのはわたしを茶化すような言葉だけど、嬉しかった。大概詩的だと言われて、優吾くんに近づけたように思えたから。

「……お風呂見てくる」

 わたしが素直に嬉しそうな反応をしたから、恥ずかしくなったのだろう。優吾くんはその場を立ち去る。
 優しいのにまっすぐになれないところが、優莉みたいだった。

「お湯沸いてたから、お風呂入るね」

 遠くから声が聞こえる。
 実際のところわたしは暴走しすぎていた気がするし、ちょうどいい。
 優吾くんには、お風呂でゆっくりくつろいでもらおう。


「で、結局二人は付き合ってたわけ?」

 お風呂上がりの大坂さんの問い。
 あまりに突然だったので、とっさにとぼける。

「なんのこと?」

「優吾くんと優莉。付き合ってたの?」

 そう言われると判断に困る。
 距離感はカップルのそれだったような気もするが……。

「そういうわけではない、はず。少なくともはっきり言葉にしたことはない」

「優吾くんが優莉のことを好きだってことも?」

「……後悔の日々だ、って話覚えてる?」

「覚えてる」

 確か、最初にその話をしたのは、出会った初日。
 行く先に困ってたどり着いたファミレスで、伏線回収をしないのは大罪だなんて言われたっけ。

「優莉に、好きだって言えなかったこと。それが一番大きな後悔、なんだよ」

 伝えたかった。好きだって、直接言いたかった。
 でも、どこかで勘違いしていた、これからいくつでも機会はある、なんて。
 そうやって、優莉が転校してしまうことを知って、それでも直前まで先延ばしにして。
 結局、彼女がお別れを伝えたときも、終ぞ口にすることはできなかった。

「一回だけでも会いたいって思っていたのは、それだけでも伝えたかったから」

 他にも言いたいことはあった。
 頼りたいことはあった。
 だけど、そのなによりも、ただ好きだと伝えたかった。
 あなたは僕の光なんだと、星なんだと、そう言いたかった。

「だから、本当に嬉しかった。大坂さんが、優莉に会いに行くって言ったとき」

「優莉に好きだって伝えて、そうしたら付き合うの?」

 どうだろうか。
 大坂さんと優莉の間で揺れるこの気持ちは、ちゃんと決断できるだろうか、と想像してみる。

「……たぶん。今から神戸で一人暮らしを始めてでも、優莉と付き合いたい。少なくとも、優莉といつでも会える距離にいたい」

 言葉にしてしまうと、どうしても薄っぺらいけど……。
 その道を選んだ自分の、未来を想像する。
 きっと、学校に行って、それ以外の時間はすべて日銭を稼ぐのに当てる、そういう日々になるだろう。
 そうだとしても、すべてを賭けても、優莉と一緒にいられるような、そういう道を選びたい。

「羨ましいよ、本当に。……優吾くんにこんなに想われてるなんて」

 彼女の言葉に、言葉以上の深い意味が込められていて――。
 僕は、自分事だとは少しも思えなかった。
 その意味の重さを受け止めるには、僕はまだまだ大人になっていなかった。その重力に耐えられるほどの質量が、まだなかった。

「なんか、重い空気にしちゃったね。明日で全部、決着付けるから」

「大坂さんも、なにか優莉に言いたいことが?」

「……まあ、近からず遠からず。あと、『大坂さん』じゃなくて『陽菜』って呼んでいいよ」

「今更呼び方を変えるのは、なんか……」

「まだ出会って二日目なのに?」

 確かに。
 どれだけ濃い日を過ごそうとも、まだ出会って二日目だ。二日目だから、呼び方を変えるに遅いなんてことはない。
 そもそも、呼び方を変えるのに遅いなんてタイミングは存在しないんだけど。

「……陽菜さん」

「なんでさん付け?」

「そりゃ、大坂さんって呼んでたんだから」

「でも優莉は呼び捨てじゃん」

 なにこれ、匂わせ?
 しかし、優莉とは比べられないくらい、大坂さん――陽菜との距離が近くて、陽菜の存在が大きいのは、また事実だ。

「いやいや、大坂さんは僕のことくん付けで呼ぶじゃん」

「その方が可愛いからそうしてるだけ。だから、呼び捨てでいいよ」

「じゃあ、陽菜」

「合格。ちょうどいいし、今日はもう寝ようか」

「夜ご飯は?」

 さっきお風呂に行っていいか聞かれ、咄嗟にいいと答えてしまったが、よく考えれば夕食がまだだ。
 お金を使いすぎるのも考え物だが、節約のために夕食を抜くというのは、少なくとも健康的ではなかった。

「……やっぱりほしいよね?」

「うん。あんまり外には出たくないけど、僕としては夜ご飯が優先」

「そんな優吾くんに朗報。このホテル、高めのホテルだから、ロビーにコンビニがあるんだよね」

 まさか、こういう状況になることを予想して高いホテルを取ったのか……?
 一瞬そう思ってしまったが、これを予想していたなら、服を買った帰りに夕食を買っていたような気もするのでたぶん違う。

「僕買ってこようか?」

「いや、なんで一人で行こうとするの。一緒に行こうよ、せっかくなんだから」

「そっか。……そうだよね、一緒に行こう」

 二人でエレベーターに乗る。
 ホテルのエレベーターなんて、朝と夜が一番混む。
 それはここも例外ではなく、むしろコンビニがある分、その傾向はより顕著に表れているように思えた。

「わたし、もっと静かなの想像してたんだけど……」

「仕方ない。これはこれでいいじゃん」

 そうやっていちいち口に出すのは、自分に言い聞かせているからだろうか。

「優吾くんなに食べる?」

「うーん……。せっかく大阪にいるんだから、たこ焼き……それだと粉ものばっかり食べてるなあ」

「でもわたしはたこ焼きにしようかな、大阪にいるときくらい、粉ものいっぱい食べてもいいだろうし。あとはお菓子とかも買いたい」

「それ、お金は大丈夫なの?」

「安心して、親からもらった分以外に、お小遣いも持ってきてるから。大した額じゃないけど、お菓子くらいは買えるよ。一緒に食べよ」

 大阪のたこ焼きとか、お菓子を一緒に食べるとか、僕とは縁がなかったものがすぐ近くにあるのが、やっぱり不思議だ。
 夜の引き込まれるような優しい眠気も相まって、非日常のオンパレードに押しつぶされそうだ。

「冷静に考えてさ」

「うん」

「コンビニでたこ焼き買ったら、大阪かどうかは関係ないんじゃないの?」

「そこはほら、雰囲気を味わうんだよ。優吾くんもしかして苦手?」

「まあ、苦手かも」

「とりあえずお菓子買おう、ポテチ一番おっきいやつ二袋!」

 そうやって言いながら、特大サイズのポテチ二袋を両手に持つ。
 小顔効果ってやつなのか、なんだから大坂さんが……陽菜がかわいらしい。

「そんなに食べれないでしょ……」

「いいじゃん、ロマンロマン」

「くっ、将来の僕のお財布が……」

「今が楽しければいいじゃん?」

 僕が知る限り、そんな考えなのは陽菜くらいなんだけど。