「おー、けっこういい部屋。さすが高かっただけあるね」
「え、高かったの? 聞いてないんだけど」
「まあ、ちょっとだけね。一泊七千円」
「そこそこ高いな……」
しかし、部屋を見渡すと、なかなか存在感の強いダブルベッドに、広めの机、そして充実したアメニティとユニットバス。ベッドの向かう側の壁には大きなテレビも見られる。
なるほど、七千円するのも納得の設備である。
「当然、ダブルベッドしかないわけなんだけど。もちろん僕は床で寝るよ」
「駄目だよ。今夜床で寝るなら、今から買いに行く服はありえないくらいダサいファッションにするからね」
「……わかったよ、じゃあお風呂で寝る」
「ダサいファッション」
「ごめんなさい、ベッドで寝ます」
なんというか、全部大坂さんに助けられてここまで来たから仕方ないんだけど、彼女の握る権力が大きすぎるような。
とはいえもちろん逆らえない。
「じゃあ、荷物も置いたし服買いに行こうか」
うなずいて、玄関の方に行く。
「旅行先で服を買うなんて人生初だ」
「よっぽどのアクシデントがないと服を買おうって発想にはならないだろうし、そんなんもんだよ」
よっぽどのアクシデントに巻き込まれていることを主張しようと思った。
既に解決した話に言及することになりそうで、やっぱりやめる。
「で、僕にはなにが似合うんだろうね?」
「よく服とか買ってるんじゃないの?」
「いくら見た目を意識するようになっても、私服は使う機会がないからほぼ持ってない。昨日着てたやつと今日着てるやつ、くらいかな」
「制服の着こなしだけ意識しちゃったパターンね」
「そもそも優莉とはほぼ外で会ってないからね」
「あれ、図書館の話は?」
「それは、数少ない例外」
図書館で会ったときに、一気に距離を詰めた……僕の中では、優莉との関係の、大切な記憶。
星に例えるなら、一番高密度の、核。
大切に、思い出す。
優莉に、初めて遊びに誘われた。
学校の図書室で話すくらいでは、これ以上仲良くなることは期待できなかったので、ちょうどいい。
『でも、向かう先が図書館っていうのは不満だけど』
『なんで。多くの本が集められた場所、いわば知の宝庫なんだけど』
「知の宝庫」という言葉に、詩的な表現の正解を感じて、こういう言葉遣いができるようになりたいと、曖昧に思う。
それを優莉に伝えると、彼女はこう言った。
『語彙力を上げるには、本を読むのが一番。だから図書館に誘った。……君、そう言うの好きでしょ』
『そうだね。ありがとう』
ちゃんと僕のことを考えてくれていた。それが嬉しくて、語彙力を失う。「ありがとう」しか言えなくなる。
それから優莉におすすめの本を尋ねて、探すのを手伝ってもらったりして、その日はハードカバーの本を二冊読んだ。
『優莉。……今日は、ありがとう。おかげで楽しかったよ』
『他人に薦められた本を読んで楽しかったなら、自分のおかげ』
それだけ言って、優莉は僕に背を向ける。
夕暮れの空が眩しいのか、それとも優莉が眩しいのか。
『なんかあったら気軽に話して。なにもなかったら話しかけなくていい』
『なにもなくて話しかけてもいいんだよね?』
即座に返した僕に、優莉は背を向けたまま考え込む。
『……いいよ』
それだけ言って立ち去った彼女に、僕は近づきたいと思った。
「まあいいや、明日優莉に会いに行くんだから、わたしが最高のファッションをアドバイスしてあげる」
「本当に助かるよ、せっかくだしおしゃれな格好で行きたかったんだ」
と、言いながら来た場所はユニクロ。
一瞬不満が脳裏を過ぎったが、よく考えたら大金借りてるのにそんな贅沢な服なんて買っていられないので、異論は全くない。
「ユニクロでも十分いいもの買えるからね」
「そうだよね、ユニクロを舐めてたよ」
そうやって話しながら大坂さんが手際よく選んだ服は、よく見かけるような……いわゆる量産型?
量産型ど真ん中の僕の髪型と相まって、もう立派な量産高校生だった。
「これ結構いいね、似合ってるよ」
「なんで量産されるかって、似合う幅が広いからだろうしね」
その後、適当に選んだ鞄も購入。
かかった時間は、三十分足らず。
女子の買い物は長いと往々にして耳にするが、自分のことじゃないからすぐに済んだのだろうか?
「なんでそんなぽかんとしてんの? あ、そっか。早く買い物が終わったから?」
「そう、だけど……なんでわかった」
「わたしは買い物のとき全然迷わないタイプだからね。あらかじめ買うもの決めてるんだ。なんでわかったか、は……まあここ二日めっちゃ濃かったし、距離すごい近くなったから。なんとなく」
「なるほど、簡潔でわかりやすい。よく頭いいって言われない?」
「よく落ちこぼれって言われるよ、優等生の路線は優莉に譲ったから」
ここしばらく、大坂さんが優莉の話題を出す機会が増えた気がする。
僕は勝手にタブーだと思っていたけれど、そういうわけじゃなく、比較しなければ大丈夫なのかもしれない。
「あくまで譲った、ってことにするんだね」
「そうだよ。その代わり優莉にはないコミュニティを作り上げたんだから」
「うんうん、すごいすごい」
「まあ、そんなもの虚構なんだけどね」
目が笑っているので、たぶん冗談だとは思うんだけど……。
「反応に困るから、急に闇堕ちするのやめない?」
「いやあ、優莉と優吾くんの仲を見せられたら、わたしのコミュニティが本物なんて言えないよ」
――現代日本の恐怖だね、なんて、どこかで聞いたことのある言葉を吐いて、笑った。
そこに、わずかな弱さがにじみ出ていた。
「今はせっかく旅行に来てるんだから、そんなことはともかく明日の予定立てようよ」
「……そうだね、ありがとう」
「朝は大阪? 優莉に会いに行くのは確定だよね。あとは、六甲山から夜景見たいんだっけ」
「優莉が楽しみすぎて、大阪になんていてられない。優莉には最初に会いに行きたいな。それで、一緒に六甲山の夜景を見る」
「じゃあ、通天閣の中に入るってことはないのか」
「ちょっと今回はパスかな、また来たときに一緒に行こう!」
「優莉の家から六甲山はどのくらいかかるの?」
「電車とバスとケーブルカーで一時間半くらい。値段は千五百円しないくらいだよ」
今まで残金のことはほとんど気にせずにここまで来たけど、お金は無限じゃないし、この旅行の財源は大坂さんの母親がくれたお金だと聞いている。
いくら甘いと言えども、さすがにそんな大金を娘に渡すとは思えない。
「そんなにお金の余裕ある?」
「まあ、余裕はない。ここまでに使った分と、これから使う予定のお金、合わせたら予算ギリギリになるから」
「ちなみに予算っていうのは……?」
「十万」
「じゅっ……!?」
「なに? 肉が焼けた音?」
「そういうボケいらないから」
手で彼女を制すジェスチャー。
そして少し考えこむ。
平日に旅行に行くと言われてぽっと十万円を出せる家庭が、出す家庭がどこにあるのか。
それに、大坂さんがたまに漂わせている切なげな雰囲気。
それら踏まえた上での結論は――。
「もしかして大坂さん、余命が短い?」
核心を突くような、質問。
「恋愛小説の読みすぎだよ。わたしは至って健康で、余命宣告もされてないし、自分の死期がわかったりもしない」
違った。
じゃあどうなってるんだよ。
考えながら歩くうちに、再びホテルに戻ってくる。
部屋に入ってすぐ、大坂さんは荷物を置いて立ち上がる。
「わたしお風呂行ってくるね」
「あ、うん」
思考を整理する時間をくれたのか、面倒くさそうだから逃げたのか……。
一応、前者として受け取っておく。
しかしまあ、それを含めて考えると、親が常軌を逸して大坂さんに甘いという説しか浮かばない。
え、本当に?
「スマホの充電器、持ってないな……」
やることがないのでスマホをいじろうと思って、Wi-Fiにつないでから気づく。
充電はなんだかんだ残りニ十パーセントほどあって、そりゃあ少しは使えるのだけれど、結局それでは明日使えなくなる。
一応、大坂さんは充電器を持っているはず。ただ、他人の鞄を勝手に物色するのは気が引ける。
「声をかけようにもお風呂入っちゃったしな……」
でも、スマホが使えないのは困る。非常に困る。
最悪の場合、大坂さんを頼ればいい気がするけど、たぶんすごく不便だ。
逡巡の末立ち上がり、ユニットバスのドアをノック三回。
「優吾くん? どうしたの、覗き? とりあえず、中入っていいよ。カーテンあるから」
風呂場の声はよく響く。
そんな中、大声で覗きとか言わないでほしい。
ただ、大坂さんの指示には従い、ユニットバスのトイレの部分に入る。
「覗きではない。僕今スマホの充電がなくて、充電器借りたいんだ」
「あれ、優吾くんってわたしと同じ機種?」
「うん、だからその機種の充電器、持ってたら貸してほしい」
「わかった、鞄の、正面から見た右側のちっちゃいところに入ってるから使っていいよ」
「ありがとう」
感謝だけ告げて、浴室を後にする。
かなり難易度の高いミッションだったがなんとかクリアできてよかったです。
「え、高かったの? 聞いてないんだけど」
「まあ、ちょっとだけね。一泊七千円」
「そこそこ高いな……」
しかし、部屋を見渡すと、なかなか存在感の強いダブルベッドに、広めの机、そして充実したアメニティとユニットバス。ベッドの向かう側の壁には大きなテレビも見られる。
なるほど、七千円するのも納得の設備である。
「当然、ダブルベッドしかないわけなんだけど。もちろん僕は床で寝るよ」
「駄目だよ。今夜床で寝るなら、今から買いに行く服はありえないくらいダサいファッションにするからね」
「……わかったよ、じゃあお風呂で寝る」
「ダサいファッション」
「ごめんなさい、ベッドで寝ます」
なんというか、全部大坂さんに助けられてここまで来たから仕方ないんだけど、彼女の握る権力が大きすぎるような。
とはいえもちろん逆らえない。
「じゃあ、荷物も置いたし服買いに行こうか」
うなずいて、玄関の方に行く。
「旅行先で服を買うなんて人生初だ」
「よっぽどのアクシデントがないと服を買おうって発想にはならないだろうし、そんなんもんだよ」
よっぽどのアクシデントに巻き込まれていることを主張しようと思った。
既に解決した話に言及することになりそうで、やっぱりやめる。
「で、僕にはなにが似合うんだろうね?」
「よく服とか買ってるんじゃないの?」
「いくら見た目を意識するようになっても、私服は使う機会がないからほぼ持ってない。昨日着てたやつと今日着てるやつ、くらいかな」
「制服の着こなしだけ意識しちゃったパターンね」
「そもそも優莉とはほぼ外で会ってないからね」
「あれ、図書館の話は?」
「それは、数少ない例外」
図書館で会ったときに、一気に距離を詰めた……僕の中では、優莉との関係の、大切な記憶。
星に例えるなら、一番高密度の、核。
大切に、思い出す。
優莉に、初めて遊びに誘われた。
学校の図書室で話すくらいでは、これ以上仲良くなることは期待できなかったので、ちょうどいい。
『でも、向かう先が図書館っていうのは不満だけど』
『なんで。多くの本が集められた場所、いわば知の宝庫なんだけど』
「知の宝庫」という言葉に、詩的な表現の正解を感じて、こういう言葉遣いができるようになりたいと、曖昧に思う。
それを優莉に伝えると、彼女はこう言った。
『語彙力を上げるには、本を読むのが一番。だから図書館に誘った。……君、そう言うの好きでしょ』
『そうだね。ありがとう』
ちゃんと僕のことを考えてくれていた。それが嬉しくて、語彙力を失う。「ありがとう」しか言えなくなる。
それから優莉におすすめの本を尋ねて、探すのを手伝ってもらったりして、その日はハードカバーの本を二冊読んだ。
『優莉。……今日は、ありがとう。おかげで楽しかったよ』
『他人に薦められた本を読んで楽しかったなら、自分のおかげ』
それだけ言って、優莉は僕に背を向ける。
夕暮れの空が眩しいのか、それとも優莉が眩しいのか。
『なんかあったら気軽に話して。なにもなかったら話しかけなくていい』
『なにもなくて話しかけてもいいんだよね?』
即座に返した僕に、優莉は背を向けたまま考え込む。
『……いいよ』
それだけ言って立ち去った彼女に、僕は近づきたいと思った。
「まあいいや、明日優莉に会いに行くんだから、わたしが最高のファッションをアドバイスしてあげる」
「本当に助かるよ、せっかくだしおしゃれな格好で行きたかったんだ」
と、言いながら来た場所はユニクロ。
一瞬不満が脳裏を過ぎったが、よく考えたら大金借りてるのにそんな贅沢な服なんて買っていられないので、異論は全くない。
「ユニクロでも十分いいもの買えるからね」
「そうだよね、ユニクロを舐めてたよ」
そうやって話しながら大坂さんが手際よく選んだ服は、よく見かけるような……いわゆる量産型?
量産型ど真ん中の僕の髪型と相まって、もう立派な量産高校生だった。
「これ結構いいね、似合ってるよ」
「なんで量産されるかって、似合う幅が広いからだろうしね」
その後、適当に選んだ鞄も購入。
かかった時間は、三十分足らず。
女子の買い物は長いと往々にして耳にするが、自分のことじゃないからすぐに済んだのだろうか?
「なんでそんなぽかんとしてんの? あ、そっか。早く買い物が終わったから?」
「そう、だけど……なんでわかった」
「わたしは買い物のとき全然迷わないタイプだからね。あらかじめ買うもの決めてるんだ。なんでわかったか、は……まあここ二日めっちゃ濃かったし、距離すごい近くなったから。なんとなく」
「なるほど、簡潔でわかりやすい。よく頭いいって言われない?」
「よく落ちこぼれって言われるよ、優等生の路線は優莉に譲ったから」
ここしばらく、大坂さんが優莉の話題を出す機会が増えた気がする。
僕は勝手にタブーだと思っていたけれど、そういうわけじゃなく、比較しなければ大丈夫なのかもしれない。
「あくまで譲った、ってことにするんだね」
「そうだよ。その代わり優莉にはないコミュニティを作り上げたんだから」
「うんうん、すごいすごい」
「まあ、そんなもの虚構なんだけどね」
目が笑っているので、たぶん冗談だとは思うんだけど……。
「反応に困るから、急に闇堕ちするのやめない?」
「いやあ、優莉と優吾くんの仲を見せられたら、わたしのコミュニティが本物なんて言えないよ」
――現代日本の恐怖だね、なんて、どこかで聞いたことのある言葉を吐いて、笑った。
そこに、わずかな弱さがにじみ出ていた。
「今はせっかく旅行に来てるんだから、そんなことはともかく明日の予定立てようよ」
「……そうだね、ありがとう」
「朝は大阪? 優莉に会いに行くのは確定だよね。あとは、六甲山から夜景見たいんだっけ」
「優莉が楽しみすぎて、大阪になんていてられない。優莉には最初に会いに行きたいな。それで、一緒に六甲山の夜景を見る」
「じゃあ、通天閣の中に入るってことはないのか」
「ちょっと今回はパスかな、また来たときに一緒に行こう!」
「優莉の家から六甲山はどのくらいかかるの?」
「電車とバスとケーブルカーで一時間半くらい。値段は千五百円しないくらいだよ」
今まで残金のことはほとんど気にせずにここまで来たけど、お金は無限じゃないし、この旅行の財源は大坂さんの母親がくれたお金だと聞いている。
いくら甘いと言えども、さすがにそんな大金を娘に渡すとは思えない。
「そんなにお金の余裕ある?」
「まあ、余裕はない。ここまでに使った分と、これから使う予定のお金、合わせたら予算ギリギリになるから」
「ちなみに予算っていうのは……?」
「十万」
「じゅっ……!?」
「なに? 肉が焼けた音?」
「そういうボケいらないから」
手で彼女を制すジェスチャー。
そして少し考えこむ。
平日に旅行に行くと言われてぽっと十万円を出せる家庭が、出す家庭がどこにあるのか。
それに、大坂さんがたまに漂わせている切なげな雰囲気。
それら踏まえた上での結論は――。
「もしかして大坂さん、余命が短い?」
核心を突くような、質問。
「恋愛小説の読みすぎだよ。わたしは至って健康で、余命宣告もされてないし、自分の死期がわかったりもしない」
違った。
じゃあどうなってるんだよ。
考えながら歩くうちに、再びホテルに戻ってくる。
部屋に入ってすぐ、大坂さんは荷物を置いて立ち上がる。
「わたしお風呂行ってくるね」
「あ、うん」
思考を整理する時間をくれたのか、面倒くさそうだから逃げたのか……。
一応、前者として受け取っておく。
しかしまあ、それを含めて考えると、親が常軌を逸して大坂さんに甘いという説しか浮かばない。
え、本当に?
「スマホの充電器、持ってないな……」
やることがないのでスマホをいじろうと思って、Wi-Fiにつないでから気づく。
充電はなんだかんだ残りニ十パーセントほどあって、そりゃあ少しは使えるのだけれど、結局それでは明日使えなくなる。
一応、大坂さんは充電器を持っているはず。ただ、他人の鞄を勝手に物色するのは気が引ける。
「声をかけようにもお風呂入っちゃったしな……」
でも、スマホが使えないのは困る。非常に困る。
最悪の場合、大坂さんを頼ればいい気がするけど、たぶんすごく不便だ。
逡巡の末立ち上がり、ユニットバスのドアをノック三回。
「優吾くん? どうしたの、覗き? とりあえず、中入っていいよ。カーテンあるから」
風呂場の声はよく響く。
そんな中、大声で覗きとか言わないでほしい。
ただ、大坂さんの指示には従い、ユニットバスのトイレの部分に入る。
「覗きではない。僕今スマホの充電がなくて、充電器借りたいんだ」
「あれ、優吾くんってわたしと同じ機種?」
「うん、だからその機種の充電器、持ってたら貸してほしい」
「わかった、鞄の、正面から見た右側のちっちゃいところに入ってるから使っていいよ」
「ありがとう」
感謝だけ告げて、浴室を後にする。
かなり難易度の高いミッションだったがなんとかクリアできてよかったです。



