「入場料五百円、良心的だね」

「ちょっと僕は動物園の相場がわからないけど。良心的なの?」

「わたしも動物園の相場はわからないや。カラオケのときとかはけっこう高かった印象があるからさ」

 天王寺動物園、新世界ゲートから入場。

「新世界っていう地名の仰々しさもさることながら、動物園のゲートという言葉と組み合わさることで、新世界につながるゲートみたいになってる。その値段と、入場料五百円を対比すると、いかにもお手頃な新世界だね」

「それ誰に言ってるの?」

「……僕はそういう人なの。それで、大坂さんはどんな動物が好きなわけ?」

「この近くだったら……あ、ペンギン見たい! ペンギン、可愛くない?」

「うーん、まあ確かに? よちよち歩きのところとか、大坂さんと雰囲気似てるよね」

「ちがーう、そうじゃない! ていうかわたしと似てるってなに!?」

 僕の若干のボケに、大坂さんが綺麗にツッコむ。
 なかなかうまくいったと思うけど、お笑いの本場・大阪で戦えるかと言われると、たぶん無理だろう。

「わあ、大阪のペンギンも、千葉とほとんど同じだね」

「そりゃそうだよ、突然関西弁で喋りだしたりはしないと思う」

「え、それ面白い。関西弁のペンギン見てみたいかも。……っていうかほら、ペンギン実際に見たら可愛くない?」

「最近の若い女性で問題なのは、様々なプラスの感情を表す語彙が少ないことなんだろうね。そのせいで、『可愛い』という言葉で表現する範囲が広くなりすぎてしまって、具体性が欠けているように思えるんだ」

「……冷静な分析するのやめない? こういうのは雰囲気を楽しむものなんだよ」

 満面の笑みのまま、僕に優しく声をかける。
 その余裕ある仕草が、優莉とは違う方向性でまたお姉さんみたいだ。

「それに、最初にわたし言ったじゃん。語彙力ないから国語は苦手なんだって」

 ここでまさかの伏線回収。
 それで僕は語彙力よりも、伏線力の方が大事なんだと思い知らされて、大人しくペンギンを愛でる方向性にシフトする。

「そうだね、ペンギンは可愛いよ。とても愛らしい」

「おお、語彙力ってそういうことなんだ」

「なんで話を戻しちゃったんだ」

 素直に大坂さんの指摘に従ったのに。

「ちょっと感動したよね」

「愛らしいっていう語彙ごときで?」

「似てる語彙で言うと、優吾くんは愛おしいよ」

 謎の不意打ちに、思考が一時停止。
 ……。
 大坂さんの語彙力を考慮して、一旦仮の結論を導き出す。

「本当に意味わかってるのかな」

「もちろん。優吾くんを大切にしたい、ずっと一緒にいたい、そういう意味」

「なんで僕より説明上手いんだ。というか急にどうしたの、プロポーズ?」

 困惑する僕の言葉に、彼女は意味ありげに笑って――。

「どうだろね?」

 もう僕は思考を放棄して、ペンギンが檻の中で生きるのをぼーっと眺めることしかできなかった。



 熊の圧倒的存在感に惹かれ、猿の嘘みたいな挙動に大笑いして、蝙蝠の不気味さに肩を震わせた。
 極彩色の孔雀も、鮮やかなフラミンゴも、あまりの綺麗さに顔を見合わせた。
 気づけば、夕暮れ。

「もう、五時か」

「最後にライオンだけ見たい!」

「大坂さんは元気すぎる……まあ、ライオンは定番だし一応見ておこうか」

「君ぃ、ちっちゃいころの純粋な心はどこに置いてきたの?」

「優莉が全部持って行った」

「嘘、元からないでしょ」

「ひどい」

「優莉ってああ見えて結構純粋な人だよね~」

 そうやって喋りながら歩いた先に、鎮座していた――百獣の王が。
 夕日とライオンの構図が、すごく綺麗だ。

「やっぱりライオンはかっこいいね。無性に惹きつけられる強さがある」

「大坂さんも詩的なんじゃん」

 無性に惹きつけられる、なんて表現、日常生活ではめったに使わない。

「じゃあそろそろ動物園、出ますか」

「そうだね。今日ここから新幹線に乗って新神戸に行くなら、早くしないとたどり着かない」

「そう、言い忘れてたけど、今日は大阪に泊まろうと思うんだ。どう?」

 突然のカミングアウト、なんとなく一泊で帰れないような気はしていたけれど、実際に言葉にされたときの戸惑いはけっこうある。
 ただまあ、今から予定を変えようなんて言ったって、沈みゆく夕陽を見る限りもう遅いのだろう。

「なんかもう、それでいいんじゃないかな……」

「ふふ、狙い通り」

「あ、そうなんだ」

 こうやって諦めることまで読まれていたなんて、もうショックでしかない。

「で、今日泊まる宿は決めてるわけ? もう夕方だし、今からチェックインできる場所なんてそう多くないと思うけど」

「今から当日予約をして、適当なビジネスホテルに泊まる予定だよ」

 そう言って早速スマホを操作する。
 大坂さんは、無茶苦茶を言っているように見えてしっかり行動力があるから逆に質が悪い。

「お、予約取れたよ」

 そうやって僕に見せつけられた画面は、大人二名一部屋。

「今日は、『なんとなくそんな気がしてた』の連続だよ。なんのためにお金を持ってきたと思ってるの?」

「残念。二泊するのに優吾くんの貯金で足りるかな? どっちかはわたしと同じ部屋に泊まらないといけないんだよ」

「今日は別の部屋に泊まってから、明日のことは明日考えるよ」

 優莉もたぶんそうやって気を遣っただろう。
 これを気遣いと呼ぶのかわからないけど。

「まあ、いいや。明日覚悟してなよ」

「いいや、明日もちゃんと違う部屋取るから」

「意地張らないでよね。とりあえず、さっきの予約はキャンセルしとくね」

 そうやってスマホに視線を戻して、何度かタップしたあと、急に手の動きを止めてスマホ画面を凝視する。

「……そういえば、キャンセル料って概念忘れてた。宿泊代の百パーセントをキャンセル料として払わないといけないらしい」

「!?」

 咄嗟に大坂さんの目を見る。にやあ、と口角が上がる。
 まさか彼女、これを狙って……!?
 なんという狡猾な罠、そもそも回避方法がなかった。

「大坂さんはそういうの憧れてるかもしれないけど、僕にとってはリスクしかないんだよ? 確認取らずに予約してから事後報告って……」

「……ごめん。怒ってる?」

「そんなんで社会でやっていけると思っているのか? 俺が就職したころなんて……」

「うざい大人メドレー? よかった、怒ってないんだね」

「怒ってはいないけど、不満はあるよ」

 そう伝えると、大坂さんは顔に本気の反省を浮かべる。

「仕方ないから、早く荷物を預けない?」

「確かに、わたしたち今すごい大荷物だもんね」

「いや、大坂さんだけだよ」

 僕は日帰り旅行(のつもり)で必要最低限のものしか持ってきていないので、それほど大荷物ではない。
 しかし、大坂さんは二泊する旅行を想定していたのだろうか、たぶん着替えなんかも入っている。なんなら旅行用の容量が大きいバッグを背負っている。

「あ、そういえば優吾くんの着替えも買わないといけないんだよね?」

「そうだね、今日の服を明日使うこともできるけど」

「あとは着た服を持ち帰るための鞄も必要か」

「うん、荷物置いてからまた買い物しよう」

 僕の提案にうなずいて、大坂さんは歩き出す。

「そういえば、通天閣の中も行きたいけど、それは明日でいいかな?」

「今日はもう閉まってるんじゃない?」

「いや、八時までやってるよ。でも、夜景は神戸に取っておきたくて」

 そういえば、六甲山からの夜景は一千万ドルの夜景なんて言われているんだっけ。
 え、もしかして登山するつもりなのかな。