「さすがにたこ焼きの匂いはしないでしょ……。少なくともわたしはわかんない」

「いいや僕にはわかる、ほんのりと粉の匂いが!」

「なに粉の匂いって、せめてソースの匂いじゃない? というか珍しいね、優吾くんがこんなにテンション上がるの」

 そう言って、大坂さんは笑みを零す。
 僕自身、こんなにハイになっている理由はわからない。

「ただ、なんか、嬉しいんだ」

 無理やり言葉にしようとして、意味の分からない文脈が生まれる。
 でも、その感覚は大坂さんには伝わったみたいだった。

「わたしも、嬉しいよ。二人だけでここまで来られて、なんか大人になった気がする。わたしの場合、優莉を越えたみたいな、そんな気分なの」

「僕も、同じ感じ。ちょっと違うのは、僕の場合は優莉のおかげで大人になって、それを実感してるのが嬉しい」

 心の中にある星の欠片が、喜びの悲鳴を上げる。星の力で成長したんだと。
 もはや、僅かな痛みすらも感じられなかった。

「例えるなら、月面に初めて降り立ったアームストロング氏が……」

「あ、いや。そういうのはいいです」

「あ、はい」

「大阪まで来てテンションを上げても、結局詩的なところは変わらないんだね」

 皮肉めいたように、でもそれが幸せなことであるかのように、大切に笑い合う。

「で、道頓堀行きたいんだったら電車に乗るんだっけ、なに線?」

「御堂筋線。すっごい名前じゃない?」

「まあ響きはけっこう特徴的、かな?」

 そうやって喋りながら、道を間違えないように慎重に構内案内を見て、在来線のりばへ向かう。
 新大阪駅だけあって、東京駅ほどではないものの大規模な駅だった。
 人もなかなかいるが、混んでいるというほどではない。

「こうやって地下鉄に乗ってみると、日常に戻るよね。これまでいろいろと違うところばっかりだったけど、地下が暗いところは変わらない」

「でも僕、地下鉄とか結構わくわくするんだよね。暗闇を切り開いてる感じがして」

「そうなんだ。まあ、言われてみたら確かに、楽しいかも?」

 大坂さんが言った。それで言葉を切って、暗闇を見る。
 ちょっと怖いと思った。
 知らないうちに消えてしまいそうで。知らない場所に消えてしまいそうで。
 でも、彼女をずっと見ると、そんなことはないみたいだった。
 やっぱり彼女は、一本道を歩いてる。寄り道しながらも、前に。
 ……その一本道が、どこに続いているのかはわからないけど。

「どうしたの、急に真剣な顔して。……もしかして、つらい?」

 言われて、昨日まで胸が痛かったことを思い出す。刺さった星の欠片が疼いていたことを思い出す。
 今となれば、すっかり忘れてしまった。
 思い出しても優莉と会える安心感で、もう星の欠片は痛まない、みたいだった。

「大坂さんのおかげで、今はもう辛くない」

 そう、優莉に会えるのは彼女のおかげ。
 彼女が優莉と幼馴染だったこと、彼女が誘ってくれたこと、彼女の親がお金を出してくれたこと。
 どれか欠けていたら、僕は優莉に会えなかった。
 大坂さんが星の欠片に触れること。
 最初はもちろん怖かったけど、今はこんなに楽になった。

「だから、ありがとう。……なんか、しんみりしちゃったね。そろそろ着くよ」

「『ありがとう』なんて言いたいのは、わたしの方だよ。降りよっか」

 電車から降りて、改札を通って駅を出る。
 グリコサインへ、徒歩。国道沿いをひたすら歩く。

「とりあえず、せっかくの大阪、楽しもう!」

「そうだね。……って言っても、国道沿いはやっぱり特別目立つものはないね」

 雑談とともに、どこかで見たことがあるような景色を歩く。とはいってもさほど時間の経たないうちに、左折。

「この商店街みたいなところ、なんかいい!」

「うちの近くにある商店街より、かなり大規模だ」

「知ってる店もけっこうあるね……ちょっと安心」

 商店街も、歩いて抜ける。
 たどり着いた先は、少し開けた道だった。

「わ、でっかいカニ!」

「本当だ」

 カニが、僕らに背を向けて、壁にくっついていた。
 もちろん生きているカニではなくて、あくまで模型だけど。
 自慢げに赤い甲羅を見せつけるその姿が、なんだか少し滑稽だ。

「待ってこの橋、見たことあるかも! 行こう行こう!」

 なんて言って、大坂さんは元気に駆けだす。
 朝早くに起きて、昼ごはんもまだ食べていないのに、よくあんなに元気に走れるなあ。

「わあ、グリコだあ!」

 僕もゆっくり歩いていく。感動の先取りをさせられたんだけど……。
 彼女は橋の方に行ってから、来た道を振り返って、右の方を見ていた。
 同じところを見ると、例のグリコ。

「実際見ると、結構大きいね」

「自撮りするよ! ほら写って、3、2、1!」

 言い終わると同時に、シャッター音。
 僕の笑顔は完璧に完成してはいなかった。

「優吾くんは、このくらいの笑顔がちょうどいいや」

 写真を確認する大坂さんが、そんなことを言う。ちょっと舐めてない?

「さあ、お昼ご飯食べよう!」

「そうだね、僕はお好み焼きが食べたい」

「おお、あの優吾くんがこんなにはっきり意思を表明するなんて。やっぱり旅行の力すごいね」

「大坂さんはなにか食べたいもの、あるの?」

「お好み焼きって言われたから、もうその気分になっちゃった」

 二人そろって、道頓堀の美味しいお好み焼き屋を探す。
 そこで、ちょうどいいお店を見つけたので、僕たちはその店で昼食を。

「千円から二千円、まあ旅行の昼ごはんだったら普通ってところか」

「さっきのカニのお店、五千円ぐらいするらしいよ」

「たっか。帰れなくなりそう」



「で、次は通天閣行こう!」

「ここまで来た御堂筋線にそのまま乗ればいいみたい。動物園前駅が最寄りだね」

 昼食を食べ終わった僕らは、そうやって話しながらなんば駅に戻る。

「動物園あるの?」

「天王寺動物園ってのがあるらしい。行く? 大坂さん動物好きだっけ」

「行こう! わたし動物結構好きだよ!」

 元気のいい返事が眩しい。

「まあ女子は大体動物好きだよね」

「そんなんだからモテないんだよ」

「モテなくても優莉さえいればいいんですぅ」

「優吾くんも言うようになったね、結構腹立つよそれ……!」

 僕の心が軽くなるのと比例して、大坂さんとのやり取りも軽くなっていく。
 それは、僕がより良くなっているのと同時に、なにか大切なものも置いてきてしまったような、そんな喪失感を抱える。

「優莉だけじゃなく、大坂さんにも影響されてきた、ってところかな」

「え、それわたしが腹立つって言ってる!?」

 仰天した大坂さんを横目に、なんば駅から歩いてきた道を戻る。
 一度見た道といえども、見落としていたものが見つかったりして、案外楽しい。
 そうやって風景に見とれながら歩くこと五分足らず、先ほど見た景色の中に先ほど見た駅が現れる。
 先ほど見たホームで先ほど見た車両を待って、同じ方向へ、二駅。

「わ、動物の写真!」

 地下鉄の柱に、草原にたたずむ動物の写真。
 大坂さんが目を輝かせる一方、僕もやっぱり期待が高まっていた。

「通天閣もいいけど、やっぱり先に動物園行こうか?」

「うん、行きたい!」

 ここから天王寺動物園の入口へは、徒歩で五分くらいかかるみたいだった。

「動物園前を名乗っておいて徒歩五分とは、これ如何に」

 しかし実際、地下鉄から地上に上がってみると、もうすぐ近くに通天閣。

「あ、こんな感じなのか」

「めっちゃエモい! これ動物園から通天閣見れるんじゃない!?」

 期待にはしゃぐ大坂さんが、初見よりも幼かった。

「まあ、見えるだろうね」

「なんか冷めてる! もっと共感してくれてもいいのに」

「無理にでも共感した方がいい?」

 大坂さんは、ぶんぶんと首を横に振った。