時計を一時間進めて、平日朝の東京駅は、信じられないほどの人でごった返していた。
 さすが日本の中心。ここまで乗ってきた総武線もかなり混んでいたが、その人口密度が、何十倍もの面積の間続いている。

「やっぱりちょっと待ってからの方がよかったんじゃ……!」

「いいじゃん、逆に風情があって」

「ないよ!」

 人の割に静かなのが、現代日本の孤独を表しているようで、怖い。
 とはいえ喋り声が遮られるくらいの音はして、大きめの声で喋らなくてはならないのは、やはり少し面倒だ。

「まあいいや、東海道新幹線ってどっち?」

「あ、調べてなかったんだ……。あっちに案内あるよ」

 大坂さんに声をかけられて辺りを見渡すと、矢印と共に新幹線のイラストが記された案内板が、つり下がっていた。
 僕はそちらを指ゆびさして、歩く向きを変える。
 そんなふうに案内に従って新幹線のりばに向かう。平日にもかかわらず、想像よりも混んでいた。
 平日に旅行する人もいれば、スーツ姿の社会人も見られる。たぶん、仕事で使うんだろう。

「自由席、座れるかな……」

「もうチケット取っちゃったから仕方ないよ。空いてることを祈ろう」

 そうやって改札を通る。
 しかし、出発までは三十分以上あり、まだ一本前の新幹線すらホームに着いていない。

「でも、待合室はまだまだ空席あるね」

 ホームに上がる前の、待合室を見て、彼女は目を輝かせて言う。
 待合室が空いているくらいで喜べるというのは、紛れもなく長所だろう。僕にはできない。
 二つ連続の空席を見つけたので、横に並んで腰かける。
 想像以上に距離が近かったけれど、大坂さんの反対のおじさんの方に体重を傾けることで配慮する。

「ちょっと優吾くん、隣の人に迷惑だから。こっちに寄りかかって」

 うん、薄々気づいてはいた。
 でも僕としては大坂さんの方に身体を寄せるより、知らないおじさんの方に身体を寄せる方が楽だったから、そうしていた。
 ただ、一般的な感性で寛大な許しを出された以上、それを無視することは許されないかと思って大坂さんの方に傾く。

「緊張してる?」

「そういえば大坂さんはそういう人だったね」

 一瞬、優莉はもう少し落ち着いていた、なんて言いかけてやめた。
 考えなくてもわかるほどに、倫理に反していたから。

「で、緊張はしてるの?」

「平日の早朝に、学校を無断欠席して旅行に連れていかれるなんて、緊張しないわけないよ」

「いや、そうじゃなくて」

「僕、昨日親にちょっと怒られたからね?」

「わたしはかなり怒られたよ」

「え、程度の話?」

 なんで怒られたことでマウントを取っているのか。
 しかし、そういうくだらない会話は時として時間を有意義に過ごす、意味のあるものへと変わる。
 どういうことかというと、話が楽しかったのですぐに時間が過ぎたってこと。

「じゃあ、前の新幹線ももう行ったし、ホーム上がろうか」

 あとは自分たちが乗る新幹線が来るのを、待つだけ。
 朝の東京駅は、清々しい空気だった。

「なんか、解放感あるね。息苦しいところから解放されたって感じ」

 大坂さんは、解き放たれたように笑いながら言った。

「そうだね」

 優莉と会うことが目的で、解放されていると同時に、前に進むきっかけになれる。そんな、気がした。

「あ、来たよ! のぞみ!」

 洗練された白の車体を携えて、新幹線がホームに姿を現す。
 なにかの特集で見たように、新幹線の車内清掃が行われる。
 見とれているうちに、清掃が終わって扉が開き、僕たちは中に入って席を探した。

「あ、そっか。始発だもんね、二人並んで座れるか怪しいって心配してたけど、大丈夫そう」

「大坂さんは、窓側か通路側どっちがいい?」

「んー、景色が気になるから窓側!」

 いかにも彼女らしい理由。
 先に腰掛けるのを待ってから、僕も腰を下ろす。

「やっと落ち着けるね」

「あ、待って」

「どうしたの?」

「わたしたち、駅弁買ってないじゃん。昼ごはんなくない?」

 言われて気づく。
 駅弁なんて贅沢なものを買うかはともかくとしても、今から三時間ほどご飯が食べられない……。

「いや、今まだ八時ごろだから、着いてから食べよう」

「確かに」

 一言で納得した。
 僕たちが座席に座った後も、新幹線はしばらく乗客を待った。

「そういえば、途中で大阪とか行きたくない?」

「気持ちはわかるけど、途中下車ってできるの?」

「うーん、どうだろ……」

 大坂さんはかるく呟いてスマホを操作する。

「あ、営業キロが101キロ以上で、乗車券と特急券に分かれてる切符なら途中下車できるみたい」

「つまり?」

「わたしたちは途中下車できる!」

 そうやって満面の笑みで呟く彼女は、既に大阪に寄ることを想定に入れているみたいだった。

「でも大阪観光すると一日じゃ帰れなくなるから、寄らないよ」

「そもそも一日で帰るつもりはないよ?」

「そういえば、大坂さんはそういう人だったね???」

 急にぶっこんでくるのやめないかな。
 彼女の中に、僕が泊まりの旅行を想定していないという考えはないのだろうか。

「宿代ないし、ただでさえ無断欠席してるのに外で泊まるなんて、親に捜索願を出されてもおかしくないし、着替えは持ってないんだけど?」

「宿代はわたしが二人分持ってるし、着替えは向こうに着いてから買えばいいよ。親は、ごめん。自分でなんとかして」

「こんなとこいてられるか! 僕はもう帰るぞ!」

「え、デスゲームで最初に死ぬ参加者?」

 小ボケを挟みながら割と本気で新幹線を降りようと席を立つ。
 抵抗虚しく、出発のアナウンスすらもないうちに、新幹線は最高時速三百キロ目指して加速をし始めましたとさ。

「……出発しちゃったね。もう逃げられないよ」

「品川で降りれば帰れるって発想はないわけ?」

「優吾くんは、それ、やるの? わたし一人置いて」

「……やらない」

 僕の答えが期待通りだったからか、大坂さんは口の端を上げて笑う。
 そんな様子に、僕はもう覚悟を決めて、とことん彼女に付き合うことにした。

「おお! その意気だよ!」

「平然と心を読まないでよ、それに今回だけだからね? ずっと無断欠席は言うまでもなくまずいし、親にもなんて言われるかわからないから」

「まあ、今週は学校に出席できないものと思ってね」

「思ってね、じゃないけどね……。一応、連絡はしとくよ」

 そう言っても、そこには憂鬱な気持ちがあるのと同時に、確実な期待と、なにかが変わる予感もあった。