23時のクリシェ

 小野は特に、長期的な視野で人生設計をしていない。ただただ、その瞬間の楽しさを享受していたいだけだった。
 「なんか、小野くんと一緒にいると安心する。先の見えないこれからの人生も、どうにかちゃんと生きていける気がして」
 「そう? ありがとう」
 五十嵐がポツポツと温かな言葉を紡ぎ、小野は素直に受け入れる。そこまで重く考えて口にした訳ではないから真に受けないでね、と補足しようか迷ったが、小野は結局何も言わなかった。嘘くさい誉め言葉に煽てられる楽しさを台無しにするのは忍びなかった。
 小野と五十嵐は何も言わず、しばらく目を合わせて微笑んでいた。
 「こんにちは、ふたりですけど大丈夫ですか?」
 玄関の扉が開き、友人同士とおぼしきフリーの男性客が2人来店した。ドアの隙間から、タバコと金木犀の香りの混じった風が吹き込む。
 「もちろん。ぜひぜひどうぞ」
 小野はスタッフとして客を迎え入れ、手早く入店の手続きを済ませる。そうして小野と五十嵐と客ふたりの4人で麻雀が始まる。
 客や五十嵐と愛想よく会話をしながら、小野は頭の片隅で五十嵐との未来に思いを馳せる。じっくりと時間をかけて、慎重に馳せてみる。
 馳せては見たものの、特に思い浮かぶ景色はなかった。だって五十嵐との共通の過去がない。思い出がない。仕方がないからこれから作り出そう、と小野は思った。
 結論のない空想に耽っているうちに、麻雀は先に進んでいく。小野の親番のリーチで、フリー客のひとりが小野の欲しかった”白”の牌を捨てる。小野は見逃さずに自分の手元の牌をすべて倒し、自分の勝ちを宣言する。
 「ロン。ごめんなさいね、僕ばかり配牌がいいばかりに、いきなり跳満で上がっちゃって」
 今月中にでも五十嵐の所属する劇場に足を運ぼう。小野はそう思いながら、客から点棒を奪い取って笑った。