夏休みに入ると佐久間と泉が合う頻度はぐんと少なくなる。
 今までは部活動以外にも移動教室の合間や、佐久間のクラスが体育で体育館へ移動する時にも顔を見ることがあったが、夏休みは部活動でしか顔を合わせることはない。
 矢を放つ射場と的のある的場に屋根はあるものの、ほぼ外競技であるこの弓道場にエアコンはない。吹き込む風は熱風で、的場へと続く矢取道には直射日光が降り注ぐ。そして弓道場内は酷く蒸す。
 後ろの控えに置かれている小さな扇風機の頼りない風を休憩の度に部員たちがこぞって浴びに来ていた。
 佐久間と泉も汗を滴らせながら部活動に勤しんでいた。
 部活動だけでなく、二人は練習の合間を見て腕に腕章を付けると首からデジカメを下げて弓道場の外へと出る。
 弓道部だけでなく他の部活も皆夏休み中も活動している。二人は手分けして夏休みも練習中の部活動の撮影をしていた。
 男子部員が多数在籍している陸上部は泉の担当だ。
 トラックの外側、部員たちの邪魔にならない位置から泉は撮影をしていた。
 女子部員、男子部員ともにバランスよく在籍する陸上部は男女共に仲良くやっているという良いアピールになりうるかもしれない。泉はそう思いながら撮影を続けていた。
 撮影をしていると被写体の一人がふいにこちらへとどんどん近づいてくるのがレンズ越しに見えた。泉はカメラから顔を上げる。
 カメラから顔を外すと陸上部の彼はすぐ目の前まで来ていた。
「お前」
「は、はい!」
 男子生徒の人数はあまりにも少ないので泉は全員の名前と顔を知っていた。特に今目の前にいる二年生は三人しか男子がいないためよく知っている。茶色の短髪にこんがりと日焼けした彼は佐久間と同じ二年の千葉だ。体育祭で佐久間を睨みつけ、舌打ちしていたことはまだ記憶に新しい。
「お前最近よく佐久間と一緒に入る奴だろ」
「えっと、同じ弓道部部員の一年、泉です」
 自己紹介をしてしっかりと頭を下げると舌打ちする音が聞こえた。
「お前あんまりあいつと一緒にいない方がいいぞ。おかしくなるから」
「え?」
 千葉はそう言うと元の位置へと駆け足で戻って行ってしまった。彼の言ったことの意味を問いたくても陸上選手の彼の足を追いかけることもできず、泉の手は宙を掻くだけだった。





 佐久間を夏祭りに誘ったのはいつもの女子グループだった。
「八月二十日の夜六時に神社の鳥居前集合ね」
 参加の有無を問うのではなく、日時と場所を指定されただけのメッセージを見て佐久間は笑う。女子からのその雑な扱いに佐久間は居心地の良さを感じていた。
 了解、と次々と送られてくるスタンプに続いて佐久間も、了解、とスタンプを返す。
 浴衣一緒に買いに行こう、ヘアメどうする、と流れてくるメッセージをぼうっと見つめながら佐久間はふと泉のことを思い出していた。

 薫くんも夏祭りに行くのかな。
 誰と? 
 自分と同じようにクラスメイトの女子たちと一緒に行ったりするのだろうか。

 彼の連絡先は知っているが、連絡を取ったことはなかった。
 せっかくの夏休みなので女の子と仲良くなる機会を設けてあげた方がいいのか。そう思いつつも先日、紹介は気が引ける、と言っていた彼を思い出す。
 それなら突然夏祭りに誘うのはさすがにお節介が過ぎる気がして、佐久間は泉の連絡先を探す手を止めた。



 夏祭り当日。待ち合わせの時間通り鳥居前にいる佐久間の元に女子たちが続々と集まってきていた。皆可愛らしい浴衣を着て、髪型もメイクもネイルも普段以上に気合が入っている。その姿を見て佐久間は丁寧に一人ひとり褒めていった。
「由比に褒められると自己肯定感増すよね」
「由比ちゃんも浴衣着てくればよかったのに」
 可愛く着飾った女子たちが佐久間を囲んで歩き出す。
 可愛い女子たちを侍らせるイケメンは嫌でも目立つ。露天商の主人にそのことを茶化されながらも佐久間は彼女たちとのお祭りを楽しんでいた。
 お祭りも中盤に差し掛かり、彼女たちがかき氷のシロップ掛けに夢中になっているのを佐久間は後ろで見つめていた。その時、人ごみの中に泉を見つけた。
 紺色の浴衣を着た泉に声を掛けようと手を上げた瞬間、彼の隣に並んでいる女の子の姿が目に入った。
 その姿を見て佐久間は静かに手を下ろした。
 泉の隣で彼女は仄かに頬を赤らめ、笑顔を浮かべていた。泉も微笑み、二人は楽しそう話していた。
 佐久間に気付くことなく二人は人ごみの中に紛れてしまった。
 二人はとても仲が良さそうに見えた。泉から気になる女の子について聞いたことはないが、もしかしたらたった今彼に彼女ができたのかもしれない。もうそうだとしたら早々に佐久間はお役御免だ。
 泉は背も低くないし、真面目で、優しく、弓道も上手い。そんな彼を女子たちが放っておくはずがない。
 思えば自分に初めての恋人が出来たのも夏休みだった。新しいクラスに慣れ、長期休みに入った今頃が恋人を作る最初の頃合いなのかもしれない。





 夏休みが明けて初めての部活の日、佐久間はようやく泉に夏祭り話を切り出した。それは何本か弓を引き終わり、いつも通り弓道場の外に二人並んで腰かけた時だった。
「薫くん、夏祭りの時一緒にいた子とはどうなった?」
 突然の夏祭りの話題に薫は口に含んでいたスポーツ飲料に咽る。慌ててそれを飲み下すと、けほけほと数回咳き込む。
「な、なんでそれを……」
 佐久間には夏祭りの話を一切していなかったはずだ。それがまるでその場を見ていたかのような言葉に泉は覆わず大声を上げてしまった。
「俺もいつもの子たちと一緒に行っててさ、たまたま薫くんを見つけたんだよね」
「そう、だったんですね」
 ペットボトルの蓋を締めた泉は大きなため息をつく。彼は目に見えて落ち込んでいた。
「……あの子とは何もないですよ。俺もクラスの子たちと一緒に行っただけで二人きりじゃなかったですし。その……」
 続いて何か言いたげな泉の顔を佐久間が覗き込む。
「それで?」
 佐久間が先を促してやると泉は観念したように続きを話し始めた。
「……京之介が好きだから協力してほしいって言われました」
「そう、だったんだ」
 不機嫌そうに唇を曲げる泉の姿に佐久間は内心ほっとする自分がいることに気が付いた。


 自分は恋人ができないように男を遠ざけているというのに、いざ泉に彼女が出来るとなると焦っているのだろうか。


「夏休みはその子に協力して京之介と出掛ける計画立てて……」
「結局その子はどうなったんだ?」
 その質問は至極自然だ。そう問われることを泉も分かっていただろうに、いざ問われると泉は眉間に皺を寄せ、きゅっと唇を尖らせた。
「京之介と付き合うことになりました」
「それはよかった」
 おめでとう、と言って佐久間は拍手をする。その隣にいるのは悔しそうな表情を浮かべる泉だ。
「薫くんは彼女のことが好きだったの?」
 佐久間の問いに泉は、うーん、と唸ると頭を左に傾けた。
「特別気になっていたわけではないんですけど、俺も話しかけられた時はさすがに期待しました」
 泉の素直な言葉を聞いて佐久間は声を上げて笑う。佐久間があまりにも笑うのでいよいよ泉が強く、由比先輩、と諫めるほどだった。
「どんまい。これからも頑張って行こうな」
 そう言うと佐久間は泉の肩に腕を回した。しかし肩に回した腕は泉によって直ぐに外されてしまう。
「由比先輩、そういうところですよ」
 また魔性が出てます、と言われて佐久間は渋々腕を引っ込めた。





 二年の教室から体育館へ移動するには必ず一年の教室の前を通る。佐久間は女子たちの話に耳を傾けながら、一年二組の教室の中を覗き込んでいた。
 夏休み前はこのクラスの男子たちの定位置は窓際の一番後ろだったので、そちらに目を向ければ男子たちと話す泉を見ることができていた。しかし夏休みが明けると教室内に泉を探すことが困難になっていた。
 男子の定位置であったはずの窓際一番後ろに彼らの姿がない。視線を彷徨わせて教室内を漫勉なく見るとようやく彼らの姿を見つけた。女子たちに混じって彼らは楽しく話をしているところだった。
 夏祭りの件もあってか随分と女子たちと打ち解けることができたらしい。特に夏祭りから付き合い始めたという、泉が一緒にいた女子と背の高い京之介はとても仲睦まじそうに見えた。
 その時、女子と話している泉と佐久間の目が合った。男嫌いと言われている佐久間と泉が公衆の面前で会話をするには周囲の目があるし、それぞれこの後の授業もある。とりあえず挨拶だけしておこう、と佐久間は泉に向かってひらひらと手を振った。すると泉は話していた女子に断りを入れるとこちらに向かってきた。
「由比先輩!」
 佐久間に駆け寄ってくる泉を見て佐久間の取り巻きも泉を見る。彼女たちは面白いおもちゃを見つけたかのように目を輝かせて泉を輪の中に引き寄せた。
「由比の男嫌いセンサーが反応しない子じゃん」
「薫くんっていうの? 可愛い名前~」
「可愛い~」
 いつも佐久間を取り囲む女子たちにまさか自分も囲まれるとは思っていなかった泉はどうすればわからず佐久間に助けを求める視線を送っていた。以前よりも女子に慣れたとはいっても佐久間を囲む女子は泉が普段クラスや部活で接している女子たちよりもずっと押しの強い子たちだ。そんな彼女たちにもみくちゃにされて泉はたじたじになっているようだった。
「えっと……あのっ、由比先輩……!」
 元々由比との距離も近い彼女たちだが、面白がってか初めて話す泉との距離もずっと近い。泉が何も言わないのをいいことに勝手に腕を組み、頭を撫で、べたべたと触れている。
「薫くん」
 佐久間は泉の腕を引っ張ると自分の方へと引き寄せて彼女たちの輪の真ん中から泉を救い出した。泉を引き寄せると同時に彼からは彼女たちの甘い香水の移り香が匂った。いつもは泉から匂うはずのない香りに佐久間は不意に眉間に皺を寄せた。
「え! なに!? マジで佐久間の男嫌い解消された?」
 きゃあきゃあと甲高い声を上げて盛り上がる彼女に佐久間は小さなため息をついて見せる。
「薫くんはいいの」
 また泉に触れてこようとする彼女たちの手から守るように佐久間は泉を抱き締める。
 あの男嫌いの佐久間由比が、女子たちは驚き面白がって携帯端末のカメラを掲げた。
 しかしその佐久間の所作に一番驚いたのは泉だった。抱きしめてきた佐久間からは彼女たちとはまた違う爽やかな香水の香りがする。
 温かい佐久間の腕の中と佐久間の香りに泉は心臓をドキドキと高鳴らせた。
 このままでは佐久間に早鐘を打つ心臓の音を聞かれてしまう、と泉はぎゅっと強く両目を瞑った。
 その時予鈴が鳴った。
「佐久間、行くよ~」
 バタバタと急ぎ足で体育館へと向かう女子たちに急かされ、佐久間は泉の身体を解放した。お陰で泉は佐久間に心臓の音を聞かれずに済み、泉はほっと胸を撫でおろす。
「薫くん、またね」
 ばいばい、と言って佐久間は泉に向かって手を振ると彼女たちに続いて体育館の方へと去っていってしまった。その背中を泉はじっと見送る。
「おい、泉……だっけ?」
「え?」
 突然背後から名前を呼ばれ、泉が振り返るとそこには二年の千葉が立っていた。
「千葉、先輩……」
「お前、この前忠告してやっただろ。佐久間には気を付けろって」
「えっと……」
 千葉が言う、この前、を泉は思い返す。あれは確か夏休み中の話だ。確か彼は、佐久間と一緒にいるとおかしくなる、と泉に言っていたはずだ。その言葉の意味を問いただそうとした頃には彼は部活へと戻ってしまい、泉はすっかり聞きそびれていたのだ。
「あの、おかしくなるってどういう意味ですか」
 泉の質問に千葉は、ふん、と鼻で笑った。
「あいつといると変な気分になるんだ。まるで自分があいつを好きみたいな気持ちになる」
 言いながら千葉はその時のことを思い出したようで、チッと舌打ちをついて見せた。
「気持ちが悪い」
「気持ち悪くなんてないです!」
 千葉が吐いた言葉に泉は咄嗟に大声で反論を返した。
 泉の大声に、騒がしかった自分のクラスがしんと静まり返る。無音になったことで泉は我に返る。そして教室の方に視線を送るとクラスメイトの皆が不思議そうな目でこちらを見ていることに気が付いた。続いて千葉に視線を戻すと彼もまた突然の大声と反論に驚いているようだった。
「あ……えっと……」
 次の言葉をどうにか紡ぎ出そうと泉が必死になっていると、本鈴が鳴った。それと同時に伊藤先生が二人の前へと現れた。
「泉、授業始めるぞ。千葉、お前一年の教室で何やってんだ」
「チッ……」
 千葉はギンッと泉を睨みつけると大きな舌打ちをついて去って行ってしまった。
「泉」
 再度伊藤先生に名前を呼ばれ、泉はゆっくりと教室へと戻って行く。クラスメイトたちは先ほどと同じように泉をじっと見つめていた。その視線たちに居心地の悪さを感じつつ、泉は自分の席につく。窓際後ろの方から光太郎と真一の視線を感じて泉は身体を小さく縮こませた。
 授業が始まっても尚、泉の心臓はバクバクと大きな音を立てていた。
 千葉が佐久間に確かに感じていた好意を自身で「気持ち悪い」と行ったことが泉にはどうしても許せなかった。その気持ちは決して気持ち悪くなんてない。そう言い返してしまったのだ。
 自分らしくもなく、あまりにもムキになりすぎたことに泉は自分自身に驚いていた。

 答えは疾うに出ていたのだ。