「十分休憩!」
三巡したところで部長が休憩を宣言するとそれまで静かだった弓道場内が一気に騒がしくなった。今まで静かにしていた分をまるで取り返すかのようにあちこちで話し声が聞こえる。
女子特有の甲高い声から逃れるように泉は弓道場の外に出ると壁沿いのコンクリートの上に座り込んだ。
弓道場を出る時に一緒に持ってきたタオルを首に掛け、スポーツドリンクのペットボトルをちびちびと飲んでいく。
ぼうっとしながら口に運んでいるとふいに隣に誰か並んできたので泉はそちらに目線を向けた。泉の隣に来たのは佐久間だった。
「由比先輩……」
「お疲れ。やっぱり経験者は凄いな」
「由比先輩も今日は調子良さそうですね」
先日初めて佐久間の射を見た時には外していたが、今日の佐久間は半分近く中てていた。
その時遠くから視線を感じた。視線の元、弓道場の入口の方を見ると弓道部の女子部員たちが数人身を乗り出してこちらをじっと見つめていた。
「え、あの由比ちゃんが男子と喋ってる!?」
「頑張れ由比ちゃん」
きゃあきゃあと盛り上がっている彼女たちに佐久間はあからさまに嫌な表情を浮かべて見せた。眉間に飛び切り濃い皺を寄せた佐久間の顔を見て彼女たちは笑う。
「あの子たちは俺といつも一緒にいる子で、俺の事情も知ってるから、薫くんと一緒にいるのが珍しかったみたい」
「そうなんですね」
佐久間の事情、というのは先日泉も聞いた彼がゲイという話なのだろう。泉と話す佐久間を見た彼女たちはどこか嬉しそうに見えた。
「もちろん俺の回りにいる子全員が知ってるわけじゃないよ。ただ俺が男嫌いだと思ってる子ももちろんいる」
とりあえず泉がぺこりと頭を下げると彼女たちはそれだけで黄色い声を上げた。良い子、由比ちゃんにはもったいない、という言葉が聞こえる。
佐久間が、しっしっ、と手で追い払う動作をすると彼女たちは、お邪魔しました、と一言言って弓道場の中へと戻って行った。
邪魔者がいなくなりようやく静かになると、あのさ、と佐久間が話し始めた。
「薫くんは、中学の時は周りに男しかいなかったから自分が男を好きになってしまった、って思ってるんでしょ?」
「……はい」
「それなら、この学校にいれば自然と女子に囲まれる環境になるからとりあえずは第一関門突破かな」
「そう、ですね。当たり前のことなんですけど、女子と話す回数が圧倒的に増えました」
「それはよかった」
その時、渡り廊下の方から「佐久間~」と佐久間を呼ぶ甘ったるい声が聞こえた。見るとあまりにもスカートが短い女子生徒二人が佐久間に向かって手を振っていた。佐久間はそれに手を振り返すと彼女たちは去って行ってしまった。
それで、と佐久間は話を続ける。
「気になる子はできた?」
その問いに泉は焦って頭を左右に何度も振った。
「い、いえ! 入学してからまだそんなに経ってないのに気になる子なんてそんな……」
懸命に否定する泉を佐久間が笑った。
「一目ぼれとかあるじゃん。見た瞬間ビビッと来た子とかいない? 話しやすいと思った子とか、もっと話したいなと思った子とか」
佐久間の言葉に泉は、うーん、と唸る。そして一年二組の教室内を思い浮かべた。
出席番号順の席は前後左右が女子に囲まれている。彼女たちとは朝の挨拶もするし、世間話ももちろんする。しかしそれだけのことで、特別ビビッと来たこともないし、話も十分できていてこれ以上話したいと思ったこともない。
弓道場にちらりと視線を送る。
弓道部に入部した一年は泉を含めて全部で六人。同じクラスの子が一人と他四人は他のクラスだ。
クラスメイトよりも話す機会は多い。二年、三年の先輩は佐久間を除いてみんな女子で、先輩たちは優しく指導してくれる。しかしそれだけだ。
「今のところいない、です」
特別思い浮かぶ子もいないことに泉は正直に答えた。そんな泉を見て佐久間は肩をすくめて見せる。
「そっか~」
そして今度は佐久間が、うーん、と頭を悩ませる番だ。
「薫くんは年上も大丈夫? よかったら俺のクラスの女の子、紹介しようか?」
うっ、と泉は思わず声を漏らした。
俺のクラスの女子、と言われて泉が思い浮かべるのは入学式の日に佐久間を取り囲むように歩いていた女の子たちだ。みんな可愛いとは思う。しかし彼女たちと自分が並んで歩く姿は想像がつかない。
「紹介は……ちょっと緊張するので……」
そうしどろもどろになって答えると佐久間は嫌な顔一つせず、うん、と頷いた。
「わかった。紹介とかじゃなくて廊下ですれ違った時とかにさりげなくでも」
ね、と言って佐久間は泉の頭にポンと手を置いた。その瞬間、少し心臓がどきどきして、ほわりと温かい気持ちになる。
ハッと直ぐに我に返った泉は勢いよく頭を左右に振って目を覚ます。ブルブルと左右に動く頭から佐久間は慌てて手を離した。
「ごめん! 嫌だった?」
どうやら佐久間は泉が頭を触れられたことを嫌がって佐久間の手を引き剥がしたと思ったらしい。
ごめん、と再度謝る佐久間に泉はため息をついた。
「由比先輩ってほんと魔性の男ですね」
泉に言われた”魔性の男“という言葉に佐久間は思わず口元に手をやり、驚いたように目を丸くする。
「えっ、俺魔性出てた?」
「無意識なところが余計に質が悪いです」
その動作でさえもあざとさを含んで見え、泉は、はあ、とため息をついた。
「うわ、ごめん。本当に無意識だった。次からは気を付けるね」
気を付ける、と言った佐久間が立ち上がる。それによって佐久間と身体が離れたことに泉は少し寂しく思った。そしてその気持ちを振り払うように泉は必死になって頭をぶんぶんと左右に振った。
なるほど質が悪い。周囲の男子たちが佐久間を好きになってしまう気持ちもわかる。
「俺も、由比先輩に協力したいです」
「協力?」
「由比先輩の魔性が出そうになったら注意して、男子たちが由比先輩を好きにならないようにします」
「いいな、それ」
泉の提案に佐久間は嬉しそうに笑った。そして自分と泉を佐久間は交互に指差す。
「俺は薫くんに彼女を作る手伝い、薫くんは俺に男子が惚れないようにする手伝い」
はい、と泉が頷くと佐久間もまた頷き返す。
「交渉成立。改めてよろしくね、薫くん」
「よろしくお願いします」
「そろそろ戻ろう」
そう言って佐久間が泉に手を差し伸べる。泉はその手を見ると、次に佐久間の顔をジトっと見つめた。しばらくはその視線を不思議に思っていた佐久間だったが、いつまでも重ならない手に佐久間は泉の視線に意味にようやく気付く。そして慌てて無意識のうちに差し出していた手を引っ込めた。
「あっごめん」
謝り、しょぼんと肩を落とす佐久間を泉が笑った。
三巡したところで部長が休憩を宣言するとそれまで静かだった弓道場内が一気に騒がしくなった。今まで静かにしていた分をまるで取り返すかのようにあちこちで話し声が聞こえる。
女子特有の甲高い声から逃れるように泉は弓道場の外に出ると壁沿いのコンクリートの上に座り込んだ。
弓道場を出る時に一緒に持ってきたタオルを首に掛け、スポーツドリンクのペットボトルをちびちびと飲んでいく。
ぼうっとしながら口に運んでいるとふいに隣に誰か並んできたので泉はそちらに目線を向けた。泉の隣に来たのは佐久間だった。
「由比先輩……」
「お疲れ。やっぱり経験者は凄いな」
「由比先輩も今日は調子良さそうですね」
先日初めて佐久間の射を見た時には外していたが、今日の佐久間は半分近く中てていた。
その時遠くから視線を感じた。視線の元、弓道場の入口の方を見ると弓道部の女子部員たちが数人身を乗り出してこちらをじっと見つめていた。
「え、あの由比ちゃんが男子と喋ってる!?」
「頑張れ由比ちゃん」
きゃあきゃあと盛り上がっている彼女たちに佐久間はあからさまに嫌な表情を浮かべて見せた。眉間に飛び切り濃い皺を寄せた佐久間の顔を見て彼女たちは笑う。
「あの子たちは俺といつも一緒にいる子で、俺の事情も知ってるから、薫くんと一緒にいるのが珍しかったみたい」
「そうなんですね」
佐久間の事情、というのは先日泉も聞いた彼がゲイという話なのだろう。泉と話す佐久間を見た彼女たちはどこか嬉しそうに見えた。
「もちろん俺の回りにいる子全員が知ってるわけじゃないよ。ただ俺が男嫌いだと思ってる子ももちろんいる」
とりあえず泉がぺこりと頭を下げると彼女たちはそれだけで黄色い声を上げた。良い子、由比ちゃんにはもったいない、という言葉が聞こえる。
佐久間が、しっしっ、と手で追い払う動作をすると彼女たちは、お邪魔しました、と一言言って弓道場の中へと戻って行った。
邪魔者がいなくなりようやく静かになると、あのさ、と佐久間が話し始めた。
「薫くんは、中学の時は周りに男しかいなかったから自分が男を好きになってしまった、って思ってるんでしょ?」
「……はい」
「それなら、この学校にいれば自然と女子に囲まれる環境になるからとりあえずは第一関門突破かな」
「そう、ですね。当たり前のことなんですけど、女子と話す回数が圧倒的に増えました」
「それはよかった」
その時、渡り廊下の方から「佐久間~」と佐久間を呼ぶ甘ったるい声が聞こえた。見るとあまりにもスカートが短い女子生徒二人が佐久間に向かって手を振っていた。佐久間はそれに手を振り返すと彼女たちは去って行ってしまった。
それで、と佐久間は話を続ける。
「気になる子はできた?」
その問いに泉は焦って頭を左右に何度も振った。
「い、いえ! 入学してからまだそんなに経ってないのに気になる子なんてそんな……」
懸命に否定する泉を佐久間が笑った。
「一目ぼれとかあるじゃん。見た瞬間ビビッと来た子とかいない? 話しやすいと思った子とか、もっと話したいなと思った子とか」
佐久間の言葉に泉は、うーん、と唸る。そして一年二組の教室内を思い浮かべた。
出席番号順の席は前後左右が女子に囲まれている。彼女たちとは朝の挨拶もするし、世間話ももちろんする。しかしそれだけのことで、特別ビビッと来たこともないし、話も十分できていてこれ以上話したいと思ったこともない。
弓道場にちらりと視線を送る。
弓道部に入部した一年は泉を含めて全部で六人。同じクラスの子が一人と他四人は他のクラスだ。
クラスメイトよりも話す機会は多い。二年、三年の先輩は佐久間を除いてみんな女子で、先輩たちは優しく指導してくれる。しかしそれだけだ。
「今のところいない、です」
特別思い浮かぶ子もいないことに泉は正直に答えた。そんな泉を見て佐久間は肩をすくめて見せる。
「そっか~」
そして今度は佐久間が、うーん、と頭を悩ませる番だ。
「薫くんは年上も大丈夫? よかったら俺のクラスの女の子、紹介しようか?」
うっ、と泉は思わず声を漏らした。
俺のクラスの女子、と言われて泉が思い浮かべるのは入学式の日に佐久間を取り囲むように歩いていた女の子たちだ。みんな可愛いとは思う。しかし彼女たちと自分が並んで歩く姿は想像がつかない。
「紹介は……ちょっと緊張するので……」
そうしどろもどろになって答えると佐久間は嫌な顔一つせず、うん、と頷いた。
「わかった。紹介とかじゃなくて廊下ですれ違った時とかにさりげなくでも」
ね、と言って佐久間は泉の頭にポンと手を置いた。その瞬間、少し心臓がどきどきして、ほわりと温かい気持ちになる。
ハッと直ぐに我に返った泉は勢いよく頭を左右に振って目を覚ます。ブルブルと左右に動く頭から佐久間は慌てて手を離した。
「ごめん! 嫌だった?」
どうやら佐久間は泉が頭を触れられたことを嫌がって佐久間の手を引き剥がしたと思ったらしい。
ごめん、と再度謝る佐久間に泉はため息をついた。
「由比先輩ってほんと魔性の男ですね」
泉に言われた”魔性の男“という言葉に佐久間は思わず口元に手をやり、驚いたように目を丸くする。
「えっ、俺魔性出てた?」
「無意識なところが余計に質が悪いです」
その動作でさえもあざとさを含んで見え、泉は、はあ、とため息をついた。
「うわ、ごめん。本当に無意識だった。次からは気を付けるね」
気を付ける、と言った佐久間が立ち上がる。それによって佐久間と身体が離れたことに泉は少し寂しく思った。そしてその気持ちを振り払うように泉は必死になって頭をぶんぶんと左右に振った。
なるほど質が悪い。周囲の男子たちが佐久間を好きになってしまう気持ちもわかる。
「俺も、由比先輩に協力したいです」
「協力?」
「由比先輩の魔性が出そうになったら注意して、男子たちが由比先輩を好きにならないようにします」
「いいな、それ」
泉の提案に佐久間は嬉しそうに笑った。そして自分と泉を佐久間は交互に指差す。
「俺は薫くんに彼女を作る手伝い、薫くんは俺に男子が惚れないようにする手伝い」
はい、と泉が頷くと佐久間もまた頷き返す。
「交渉成立。改めてよろしくね、薫くん」
「よろしくお願いします」
「そろそろ戻ろう」
そう言って佐久間が泉に手を差し伸べる。泉はその手を見ると、次に佐久間の顔をジトっと見つめた。しばらくはその視線を不思議に思っていた佐久間だったが、いつまでも重ならない手に佐久間は泉の視線に意味にようやく気付く。そして慌てて無意識のうちに差し出していた手を引っ込めた。
「あっごめん」
謝り、しょぼんと肩を落とす佐久間を泉が笑った。



