手元の入部届の紙を見て泉はため息をつく。
「うちの学校は部活動に必ず入部がルールだからな。各自見学して来週提出だぞ」
 帰り際に伊藤先生に手渡された入部届の紙を手に泉は一人ポツンと廊下に佇んでいた。
 光太郎は入学理由だった放送部に嬉々として行ってしまった。真一は静かに勉強ができると言って文芸部へ、京之介は姉がいるバスケットボール部のマネージャーをやると言うと体育館へ向かった。
 見学をする前から既に部活動を決めている三人とは違い、泉は悩んでいた。
 男子の人数が極端に少ないため男子サッカー部や野球部など団体競技の部活は今のところない。
 自分が創部して人数を集める気も泉にはなかった。そもそも作ってまでやりたい団体競技に泉は打ち込んでもいない。
 三人のうち誰についていこうかとも思ったが、声に自信もなく、そこまで勉強熱心でもなく、先輩に知り合いがいるわけでもない。一応三人の後を追ってそれぞれの部活動を見学してみたが、どれもピンとはこなかった。
「佐久間先輩以外の二年男子の先輩は陸上部らしいぞ。一年の男子も入部する奴が多いらしい」
 その情報をくれたのは真一だ。
 意を決して元女子高に入ったものの、あまりの男子率の低さに困惑した一年男子が男子を求めて陸上部に入部するらしい。
「まあ、女子との出会いを求めて入った泉はわざわざ陸上部を選ばないよな」
 そう言って真一に肩を叩かれた泉はおずおずと頷いて見せた。
 せっかく元女子高に入ったのに男子とつるんでいては意味がないのだ。
 自然と泉の足は陸上部の活動する校庭から離れていく。
 校舎の上の階、開け放たれた窓から聞こえてくる吹奏楽とコーラス。美味しそうな匂いを漂わせているのは料理部だろう。
 部活動の見学に体育館へ向かう他の一年とすれ違う。体育館では確かバレー部と京之介がマネージャーをするというバスケットボール部が活動しているはずだ。
 とにかくどこかに入部しなければならない。
 泉が特に行く当てもなく渡り廊下を歩いていると、廊下の向こう側から名前を呼ばれた。
「薫くん」
「え?」
 泉の名前を呼ぶ声は低かった。それは女の子の声ではない。泉の名前を呼んだ人物がこちらに向かって大股で歩いてくるのが見える。
 学校の制服ではなく白の上衣に紺の袴を身に着けた彼が泉の目の前で立ち止まった。
「えっと……佐久間先輩……?」
 泉は目線を上げた。泉も決して身長が低いわけではない。クラスメイトの女子たちと話す時は目線を下げることも多い。そんな泉が目線を上げなければいけないほど彼は背が高かった。
 少しパーマがかった茶色の髪。邪魔な横髪はピンで留められていた。
 形の良い眉に均等な大きさの目、鼻筋は通り、薄い唇。
 それは噂の佐久間由比先輩だ。
 泉に名前を呼ばれた佐久間は微笑む。きっとその笑みで何人もの女の子の心を射止めてきたのだろう。
「俺の名前知ってるんだ?」
 嬉しい、と佐久間は喜んで見せる。きっとこれが彼の常套手段なのだろう。
「男子が少ないので先輩たちの名前も覚えちゃいました」
 それに佐久間先輩は目立つので、とはさすがに言えない。
 泉が心の中でそう思っていると佐久間が、あはは、と声に出して笑った。
「俺、目立つでしょ」
「えっ?」
 まるで心の中を見透かされたかのような佐久間の言葉に泉は慌てた。上手い返しが見つからない。これでは佐久間の言葉を肯定しているようにしかならない。
 えっと、と言葉を繰り返しながら泉は頭をフル回転させる。その間も佐久間は泉を急かすことなく次の言葉を待っていてくれた。
「むしろ先輩の方こそなんで俺の名前……」
「うちの学校、男子が少ないから一年の名前はほぼ覚えたよ」
 佐久間は先ほどの泉と同じ言葉を返す。あっ、と声を上げた泉に佐久間はしてやったりと笑って見せた。
 それに、と佐久間は続ける。
「女の子みたいで可愛い名前だなと思って」
 女の子みたい、は禁句だ。
「入学式で名前を呼ばれた時はどんな可愛い子が入ってきたのかと思ったら……次に聞こえてきたのは思ったよりも低い声だったから」
 と佐久間は笑った。
 また名前のことか、と泉の表情がみるみる不機嫌になっていく。それでも相手は先輩なのだから、と言い返したい気持ちを泉はグッとこらえる。
 名前で勝手に期待して勝手に落胆されることには慣れている。しかし佐久間に言われるとなぜか怒りの気持ちが抑えられそうになかった。
 一言、なるべく気持ちを抑えて優しい言葉で言い返してやろう。そう思って泉が口を開こうとした瞬間、先に口を開いたのは佐久間の方だった。
「俺の名前“由比(ゆい)”って言うんだ。理由の由に比べるの比で」
 この前真一から聞いてはいたが改めて聞くと男にしては珍しい響きだ、と泉が思っているとまたしても泉の考えを読んだ佐久間が、うん、と頷いた。
 「俺もよく女みたいな名前だって言われてきたから薫くんと同じ嬉しい。だから、薫くんも俺のこと由比って呼んでね」
 そう言った佐久間の表情は相変わらず微笑んでいて、泉のことを馬鹿にしているわけでも、蔑んでいるわけでもないことが泉は直ぐに理解できた。
 同じ、女の子みたいな名前同士。それだけで同志のような気持ちに駆られる。そんな自分をなんて単純なのだろうと思う。
 女の子のような名前という共通点のお陰で少し心を許してくれた泉に佐久間は一安心しているようだった。
「そういえば薫くんは部活もう決めた?」
 その問いに泉は首を横に振って答える。手に持っている入部届の紙は未だ真っ白なままだ。
 泉の手にある真っ白な入部届を一瞥した佐久間が右手をサムズアップさせて佐久間が来た方向を差す。
「よかったらうちの部を見て行きなよ」
 佐久間が身に纏っている白の上衣に紺の袴に泉は覚えがある。だから泉は佐久間がどの部活に泉のことを誘おうとしているのかわかっていた。
「ね?」
 泉の返事を聞く前に佐久間は泉の腕を取って歩き出した。
 佐久間は渡り廊下を渡り切る前に横にずれていく。そこはもう上履きではなく外履きで歩くべき場所だ。よく見ると佐久間はサンダルを履いていた。それに対して泉の真新しい上履きは砂利で少し汚れていった。
 渡り廊下を逸脱して数十歩。一昨年出来たばかりの新しい校舎とは打って変わって飛び切り古い作りのそれは、入口の“弓道場”と書かれている看板さえ色褪せて古ぼけていた。
 玄関をくぐりそれぞれサンダルと上履きを脱ぐ。学校指定の白靴下で床板を踏むとキシキシと板が軋む音が聞こえた。
 上履きを揃え終わり、振り返るとその場にいた生徒たちの視線が泉に集中していた。
 人数は二十人程度。佐久間と同じ白上衣に紺袴。胸元には白の胸当て。そこには女子生徒の姿しかない。
 彼女たちは皆泉が訪れたことに酷く驚いているように見えた。
「え!? 佐久間が男子連れて来た!」
 一人がそう声を上げると堰を切ったように女子生徒たちが泉を取り囲み始める。きゃあきゃあ、と色めき立つ声は甲高い。
 中学時代を男子校で過ごした泉はこんなにもたくさんの異性に取り囲まれるのは初めてのことだった。
「一年生だよね?」
「は、はい」
「クラスは? 名前は?」
「一年二組の泉薫です……」
「可愛い~」
「いつも佐久間を見てるから黒髪が新鮮」
「体験? 即入部?」
 四方六方から投げかけられる問いはお互いに気遣うことなく一斉に問いかけられるため泉は全てを聞き取ることができなかった。
「えっと……男子部員は由比先輩だけなんですね」
「うん。だから仮に薫くんが入部してくれたとしても団体戦には人数が足りなくて出られないんだけど、弓道には個人戦があるから」
 輪の外にいたはずの佐久間はいつの間にか輪の中、泉の隣に取り込まれていた。
 校舎で見た時のように佐久間はここでも女子に囲まれている。その光景は最早珍しくもなんともない。
 この光景を光太郎たちが見たらきっとまた羨ましがるのだろう。しかし女子に囲まれる佐久間に泉は既に慣れつつあった。
「佐久間くん、弓道部の先輩として泉くんにお手本見せてあげたら?」
 そう言ったのは輪に混ざらず、師範席に座っていた黒髪ボブヘアーの女子生徒――弓道部部長だった。
「はい」
 部長の声に佐久間は姿勢を正すと明瞭な声で返事を返す。そして輪の外に出ると射場の後方にある控えの畳の上に坐した。
 そこに置いておいた(ゆがけ)を右手に装着すると弓と矢を手に取った。射場に立つ彼とは入れ違いに女子生徒たちが控えに入り、泉も彼女たちに続いて控えに正座して佐久間を見守る。
 ゆったりとした、しかし決して緩慢ではない所作で矢を番える。
 狙いを定め、矢を放つ。矢が放たれた瞬間、とても心地よい弦音が聞こえた。その音に泉は思わず聞き入ってしまっていた。
 しかし放った矢は的に中ることはなく、的場の上に掲げられている濃い紫色の安土幕に当たって呆気なく地面に落ちてしまった。
 カラン、と高い音を立てて矢が地面に落ちる音がした。
 数秒沈黙が続き、最初に口を開いたのは佐久間だった。
「……あはは」
 振り返ってみんなの方を見ると佐久間は少し恥ずかしそうに笑っていた。
「ここで中てられたら格好良かったんだけどねえ」
 と部長が苦笑いを浮かべて言った。その言葉に佐久間が部長に顔を向ける。
「まだ二年目にそんなに期待しないでくださいよ」
 そう言って佐久間は笑い返す。
「二年目……?」
 聞き間違いでなければ佐久間は”二年目“と言っていた。
「由比先輩は経験者じゃないんですか?」
「うん。高校に入ってから始めたんだよ。俺みたいな初心者でも大歓迎」
 佐久間は慣れたようにウィンクをして見せる。こんなにも自然にウィンクをする人が芸能人でなく一般人でもいるのかと泉は思った。
「薫くんもやってみる?」
 佐久間はそう言うと手に持っている弓と矢を泉に向かって差し出す。泉は差し出されたそれらを見てから佐久間を頭の天辺から足の先まで視線を上下させた。そして少し困ったように、えっと、と話し出した。
「先輩の弓、何キロですか? あと俺、168センチなので伸び寸の弓は使えません」
「え?」
 泉の口から飛び出した専門用語にそこにいる一同は驚く。
 弓道の弓は引く力によってキロ数が違う。佐久間の使っている伸び寸といわれている弓は泉が使うには大きすぎるサイズだ。
 それらの言葉は当然初心者が知っているものではなく、佐久間も弓道部に入学してから知ったものだった。
 泉くん、と部長は師範席から立って泉の元へと来る。
「もしかして、泉くんって弓道経験者?」
 部長の声は嬉しそうに弾んで聞こえた。その質問に泉は首を縦に振って頷く。
「はい、中学の三年間弓道部でした」
 泉がそう答えた瞬間、その場が一斉に湧いた。特に部長は目をキラキラと輝かせると泉の背を押した。
「泉くんに合う弓、貸すからちょっと引いてみない?」
 あっという間に泉に合う弓を見つけると、次には矢の長さを測るために片腕を伸ばさせられる。これがいいんじゃないか、こっちは、と泉を囲む部員たちはみんなわくわくしているようだった。
 道具の準備が整うと泉はブレザーとネクタイを外して胸当てを身に着けた。右手に弽を装着する動きもスムーズで様になっている。たったそれだけで周囲が、ほう、と感嘆の声を上げていた。
 大勢の部員に見守られる中でも泉は一切緊張をしていなかった。
 慣れた所作で弓を番え、引いた。
 カァン、と綺麗な音が静かな弓道場内に響く。
 的を見ると泉が放った矢は的の真ん中に綺麗に中っていた。
「……すごい! 即戦力だわ!」
 部長が興奮気味にそう言った。直後、大きな拍手が鳴り響く。
 たった一射でここまで褒め称えられたことは今までに一度もない。そのあまりに盛大な歓迎にさすがの泉もたじたじとなって慌てて弓と矢を近く部員へと手渡した。
「泉くんが入ってくれたら百人力だよ」
「泉くん、ぜひ弓道部に!」
「泉くん!」
「えっと……」
 弓と矢の装備を解いた泉の周りにまた女子部員たちが集まっていく。周囲を女子に囲まれ、泉は完全に逃げ場を失っていた。このままではうんと言うまでこの場から去ることはできないだろう。
 その時、いつの間に輪に入り込んでいたのか佐久間が泉と部員の間に割って入ってきた。
「はいはい、薫くんが困ってるよ」
 詰め寄る部員と泉の間に入った佐久間は完全に壁となっていた。
 長身の佐久間によって泉を完全に隠されてしまった部員は鋭い目つきで佐久間を睨みつける。
「うるさい、退け佐久間」
「佐久間、邪魔なんだけど」
 あまりにも刺々しい物言いに泉は内心驚いていた。
 大勢の女子の中に顔の整った男子が一人。女子に囲まれてちやほやと、それこそ王子様のように持て囃されているものだと思っていたのだ。
 しかし実際には散々な扱いだ。そんな情けない佐久間の姿を見て泉は思わず吹き出して笑ってしまった。
「薫くん?」
 突然笑い出した泉に佐久間は振り返る。そして泉の手を取ると取り囲む輪を気にすることなく歩き出した。
「俺、薫くんのこと送ってきます~」
 ズンズンと向かってくる佐久間に道が開けていく。泉は黙って佐久間の後に続いた。
「ちょっと佐久間!」
「サボるな初心者!」
「薫くんを送ってくるだけだって」
 泉が上履きを履いたのを見て佐久間はみんなに手をひらひらと振る。
「あの……ありがとうございました」
 律義に頭を下げた泉の肩を佐久間の腕が抱いた。そして佐久間に連れられて泉は弓道場を後にした。
 泉の肩を抱いたまま佐久間は先ほど泉と会った渡り廊下へと入っていく。
「薫くん、今日は他の部活も見る?」
「いえ、もう帰ります」
 今から他の部活動の見学に参加するには中途半端な時間だ。それに加えて特にめぼしい部活動があるわけでもない。
 泉の言葉に佐久間は、わかった、と相槌を打つと足を昇降口へと向けた。
「なんで由比先輩は弓道部に入ったんですか?」
 部活動の決め手となるものが未だ見つからない泉は佐久間にそう尋ねた。
 人気者の彼であれば部活動も引っ張りだこだったろう。それでも初心者の佐久間が弓道部に入部を決めた理由は何なのか。
 否、もしかしたら好きな子が弓道部にいるかもしれない。もしそうであれば佐久間の回答は泉にとって全く宛てにならないものになってしまうが。
 しかし泉のその心配は杞憂で終わった。佐久間の回答はとても意外なものだった。
「校庭から一番遠いから、かな」
「え?」
 佐久間の言う通り確かに弓道場は校庭から離れたところに位置している。昇降口に近づいていっている今、校庭の方からは運動部の威勢の良い掛け声が聞こえているが、先ほど弓道場にいた時には運動部の声は聞こえていなかった。
 しかし校庭から一番遠い、という理由が泉には理解できなかった。
「校庭から遠い方がいい理由って何かあるんですか?」
 掛け声がうるさい、砂埃が舞う、はたまた嫌いな人がいる。
 三つ目の予測に泉は頭を左右に振る。まさか佐久間がそんな子どものような理由で部活動を決めるとは思わない。
 佐久間はまるで見定めるかのように泉を見つめた。そしてしばらくして、ようやく佐久間が口を開いた。
「クラスメイトの男が二人とも陸上部に入ったから」
 佐久間の答えは一番ないだろうと思っていた三つ目の予測であっていた。あまりにも意外な答えに泉は、えっと、と必死に言葉を選ぶ。
「つまり去年のクラスメイト、ってことですよね。男二人ってことは由比先輩の学年の他の男子全員が陸上部に入ったってことですか?」
「そういうこと」
 共学一年目となった現二年の男子生徒は佐久間をいれて三人しかいない。佐久間が言うには佐久間以外の男子は二人とも陸上部に入部したらしい。
「それは、二人とも話を合わせて陸上部に入ったんですよね……?」
 今年の一年の男子生徒の数は現二年よりも多いがそれでも全体の一割程度。女子生徒ばかりの部活動を恐れ、同じ部活動に入ろうと話を合わせている者も多いと聞く。今年よりも極端に人数の少ない昨年、男子三人となると話を合わせることもあったのではないだろうか。
「由比先輩は陸上部に誘われなかったんですか……?」
 泉のその問いはあまりにも残酷だ。そのあまりの残酷さに佐久間が、ははっ、と乾いた笑みを零した。
「もちろん誘われたよ。中学時代は足も速かったし、正直陸上部は候補の一つだった。でも、二人に誘われたから陸上部には入らなかった。それに、二人が陸上部に入ると分かったから陸上部から一番離れたところにある弓道部に入部を決めた」
「それは……」
 そう聞くと佐久間は余程彼ら二人のことが嫌いだったのだろう、と思ってしまう。
 佐久間は男嫌いだという噂がある。唯一の同性のクラスメイトである彼らと同じ部活動に入りたくないほど佐久間は彼らのことを嫌っているようだ。
 どうやら佐久間が男嫌いだというあの噂は本当だったらしい。
「……あれ?」
 その時、泉はあることに気付いた。突然足を止めた薫に佐久間も足を止める。そして泉は隣に並ぶ佐久間の方に顔を向けた。
「由比先輩は男嫌いなのに何で俺にかまってくれるんですか?」
「え?」
 泉の質問に佐久間はぽかんと口を開けた。その表情は先ほどまでの佐久間とは思えないほど素っ頓狂なもので泉はつられてぽかんと口を開けた。
「男嫌い? 俺が?」
「えっ? 違うんですか?」
 首を傾げる泉に鏡のように佐久間も首を傾げて見せる。
 そして佐久間は笑い出した。突然、あはは、と声に出して笑い出した佐久間に泉は目を丸くして驚いていた。
「由比、先輩……?」
 あまりに笑い過ぎて目尻に涙さえ浮かべ始めた佐久間は指先で目尻を拭う。
「あはは。逆、逆。むしろ俺、男大好きだよ」
「え?」
 あまりに予想外の言葉に泉は更に目を丸くした。
 その時向こう側からこちらに向かってくる二人の女子生徒の姿が見えた。その瞬間、佐久間はずっと泉の肩に回していた腕をぱっと解く。すっと軽くなった肩に佐久間にずっと肩を組まれていたことに泉はそこでようやく気付いた。
 楽しそうに話す彼女たちは佐久間に気付くと途端に声量を下げ、佐久間をチラチラと見ているようだった。時折抑えきれなかったはしゃぎ声が漏れ出ている。
 どうやら彼女たちは泉と同じ一年生らしい。彼女たちは噂の佐久間にすっかり夢中になっているようだった。そんな彼女たちに佐久間はにっこりと微笑んで手を振る。佐久間のその動作に彼女たちは黄色い声を上げると控えめに手を振り返す。その場でそわそわとしている態度で彼女たちが佐久間と話したいと待っているとすぐにわかった。
「それじゃあ、薫くん。またね」
 佐久間はそう言うと手を差し伸べた。
「はい……」
 差し伸べられた手を泉が取ると二人はがっちりと握手を交わした。突然の握手に泉は違和感を覚えた。
 先ほどの肩といい、今の握手といい、男嫌いが進んで男に触れてくるだろうか。
 手が離れ、佐久間が踵を返したのを見て泉は下駄箱から靴を取って履いた。
 つま先を地面にトントンと打ち付けてしっかりと履くと、帰る前にもう一度、と佐久間の後姿を見た。
 佐久間は先ほどの女子生徒たちと談笑をしている所だった。弓道着が格好いい、弓道部に入ろうかな、とはしゃぐ彼女たちの声が聞こえてくる。そんな彼女たちに佐久間は、弓道着きっと似合うよ、弓道部入ろうよ、と弓道部への勧誘に余念がない。
 こうやって佐久間は女子たちを落としていくのだろう。短時間で女子生徒と仲良くなるところを見ると彼が女好きと言われても仕方がないような気がする。
 するとそのタイミングで佐久間が振り返った。
 まさか目が合うとは思っていなかった泉は心臓をドキッと高鳴らせた。そんな泉に佐久間はふっと笑みを浮かべる。
「薫くん、明日弓道部で待ってるね」
「え!?」
 いつの間にか泉は弓道部に入部することになってしまったらしい。
 佐久間が動揺している間に佐久間は二人を連れて弓道場の方へと去って行ってしまった。
 そういえば、と泉は慌てて入部届を探す。鞄を開けて中を見ると入部届の紙がそこには入っていた。
 弓道場に入るまでは手に持っていたが、その後その紙をどうしていたか泉は記憶が定かではない。弓道を体験するとなって誰かに預けたような、荷物と一緒に置いておいたような、曖昧な記憶だ。
 誰かの手によって鞄に仕舞われていた入部届に泉は安堵のため息をつく。とりあえず紙を無くしていなくてよかったと思う。
「……あれ?」
 しかし未記入で真っ白だったはずの紙は既に文字で埋まっていた。その筆跡は泉のものではない。その文字には少し斜めで段々と右上がりになっていく癖があった。


 “一年二組 二番 泉薫 弓道部”


 学年、クラス、出席番号、名前、部活動名。
 自分のものではない筆跡で記入欄は全て埋められていた。後はこれを先生に提出するだけだ。
 もしかして、と泉は既に姿の見えない佐久間を探す。

 これはきっと佐久間先輩の文字に違いない。