校門に掲げられている校名は“聖ローズアンドリリー高等学校”。高貴であり厳か、女性らしい雰囲気の漂う校名に桃色の桜の花びらがよく似合う。
 その名の通り、校門をくぐる生徒は女子ばかりだ。白のブラウスに紺のワンピース、胸元には朱色のリボンが揺れるその制服は可愛いと有名だ。その制服を着ることを目当てにこの学校を目指す女子も多いと聞く。
 そんな女子生徒ばかりの中、泉薫(いずみかおる)は彼女たちに続いて校門をくぐると敷地内に入っていく。
 女子の制服と同じく、男子の制服も紺、白、朱が基調となっている。紺のブレザーに朱色のネクタイ。白のワイシャツに紺のシングルベストを重ねる制服は珍しい。
 あまりにお洒落な制服に平凡な黒髪短髪の自分は服に着られているのではないか、と泉は朝からずっと悩んでいるところだ。
 周囲の女子たちがちらちらと泉を見ていることに泉は気付いていた。
 女子ばかりの中にぽつんと男子生徒はいたく目立つ。そうなるとわかって泉はこの学校への進学を決めたのだ。

 聖ローズアンドリリー高等学校。二年前までは女子高だったこの学校は昨年から共学になっている。
 共学になったといってもこの乙女めいた校名が変わることはなく、未だ女子高というイメージが強い。願書提出前に行われた学校説明会も、合格後の入学説明会も男子の姿はほぼないに等しかった、と泉は思い出した。
 そして共学二年目となる今年も、女子が九割を占めると聞いている。

 女子たちの視線を感じながら泉はどうにか昇降口までたどり着くことができた。
 クラス分けが書かれた紙が貼られている昇降口前は酷く混みあっていた。
 後ろからも続々と新入生が集まり、クラス分けを見ようと皆が前へと詰めていく。やはりそこにも自分と同じ男の姿は見えなかった。
 泉は女子たちがごった返す中に割り込んでいく勇気がなかった。目の前の光景はまるで満員電車。女子ばかりの満員電車の中に男一人が入っていくということはお互いにとってあまりよくない。下手すれば冤罪対策として両手を上げて入って行かなければならないかもしれない。
 女子たちの中に両手を上げて一人混じる自分の姿を想像して泉は小さくため息をついた。
 幸い泉の身長はそこまで低くはない。目も一番後ろの席から黒板の文字が読める程度には良い。
 泉は前へ詰めることを諦め、彼女たちの一番後ろからクラス分けを見ることにした。
 一組に男子の名前は三人。しかしそこに自分の名前はない。
 二組、五十音順で並ぶ名簿で“泉”の苗字を二番目に見つけた。泉の後ろには可愛らしい名前が続き、後半になってようやく“新橋京之介(にいばしきょうのすけ)”“岬光太郎(みさきこうたろう)”“八巻真一(やまきしんいち)”という男らしい名前を見つけた。
 どうやら泉のクラスには泉を含めて男子が四人もいるらしい。そのことに泉は安堵のため息をついた。
 クラス分けを見て隣の友達と手を合わせて喜ぶ彼女たちを横目に泉は早々に校舎内へと入っていく。一年二組の下駄箱に自分の名前を見つけてまた安堵し、持ってきていた上履きに履き替える。
 一年二組の教室へと向かう途中にあった男子トイレのマークに泉はまた安堵する。ここまで来る間に男子の姿は一切なく、本当に共学なのか疑いたくなっていた泉だったが、確かにこの学校は共学であっているらしい。

 一年二組の教室の前まで着くと泉は一度足を止めた。
 ふう、と一度大きく深呼吸をし、そしていよいよ教室の中に足を踏み入れた。
 廊下まで聞こえていた喧噪に泉自身も包まれる。
 香水なのか女子本来の香りなのか分からないが甘くて良い香りがする。ぺちゃくちゃと話し声は甲高く、キーンと耳に響く。
 教室内も相変わらずの女子率を占めていた。
 女子たちでごった返す中、泉は教室の一番後ろの窓際の隅に男子三人が固まっているのが目に入った。彼らの方も教室に入ってきた泉の姿に気付いたらしい。彼らの内の一人、黒縁のウェリントン型の眼鏡を掛けた男が高く手を上げ、こちらに向かって大きく手を振った。
「おーい! 男子~!」
 と彼は大声を上げた。キャーキャーと甲高い声で騒がしい教室内でひと際低いその声は意外にもよく通って聞こえる。
 泉は慌てて後ろを振り返った。しかしそこに泉以外の男子生徒の姿はなく、教室に続々と入ってくるのは女子生徒ばかりだ。彼女たちは教室の入口で立ち止まっている泉を怪訝そうに見て行った。
「お前だよ、お前!」
 眼鏡の彼よりも一層通る声で赤髪の彼が呼んだ。おまけに指差し、手招きも含まれていた。
 泉が赤髪の彼の方に目を向けると彼の隣に立つのっぽと目が合った。目が合った彼は他の二人のように声を上げることはなく、うん、と頷いて見せた。
 そこでようやく泉は彼らが呼んでいるのは自分のことなのだと気が付いた。
 机と机の間の通路を埋める女子生徒たちに謝りながら彼女たちを掻き分けると、泉は教室の一番後ろへと向かう。
「まだ男子がいたんだな!」
 と最初に声を掛けてきた眼鏡が嬉しそうに言った。
「名簿を見て、このクラスの男は俺たちだけだと思ってた」
 と言う赤髪は白い歯を見せてにこにこと笑っていた。
「まあ今時名前だけでは男か女かなんてわからないし」
 と言ったのはのっぽだ。癖なのか、彼は背中を酷く丸めていた。
 最初に声を掛けてきた眼鏡は八巻真一。よく通る声をした赤髪は岬光太郎。のっぽは新橋京之介と自己紹介する。
「俺は泉薫です。よろしく」
 泉が小さくぺこりと頭を下げて挨拶をすると、えー! と赤髪の光太郎が声を上げた。
「お前が薫ちゃんだったのか」
 そう言った光太郎はがくんと肩を落として見せる。どうやら彼はクラス分けで泉の名前を見て、可愛らしい名前の響きからきっと可愛い子に違いない、と思っていたらしい。
 話を聞くと光太郎の想像上での“泉薫”は黒髪ロングのポニーテールをした背の高い凛とした女の子だったらしい。そのあまりに想像豊かな彼に泉は怒ることなく思わず笑ってしまった。
「男で悪かったな」
 中性的な名前のせいで名前を見ただけで女子と間違えられることは少なくない。しかしそれももはや慣れている。それでも最初は文句を言っておかなければと泉は口をとがらせて言った。
 ごめんっ」
 顔の前で両掌を合わせて謝る光太郎を泉はまた笑った。彼は随分素直な奴らしい。
 泉が特に怒っているわけではないとわかると光太郎は奥の八重歯を見せて笑った。それを真一も京之介も笑って見ている。
 彼らを見て、良いクラスメイトに恵まれた、と泉は思った。
 教室内は先ほどよりも一層ざわついていた。黒板の上の掛け時計を見ると登校時間も過ぎている。どうやら教室に新たに入ってくる生徒はもういないようだ。
「他に男子はいないみたいだな」
 そう言いながら真一は得意げに眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げた。
「一年二組の男子は俺たち四人」
 京之介が、一、二、三、四……と自分たちを指差して数える。
「一年間よろしくな!」
 光太郎が率先して拳を突き出すと真一と京之介が揃って拳を合わせる。
 少数精鋭といったところだろうか。このクラスにいる男子はこの四人だけだ。
「よろしく」
 最後に薫が拳を出すと四人の拳がこつんとぶつかった。
 赤髪と眼鏡とのっぽ、そして平凡な自分。
 これから三年間何事も起こらなければいいな、と泉は思った。
 それで、と話を切り出したのは京之介だ。彼は猫背の背を更に丸めて泉たちに顔を寄せた。
「なんでお前らは元女子高なんかに入ったんだ?」
 その問いに泉の心臓がバクバクと厭な音を立てる。
 女子率九割の元女子高に入りたがる男子はそうそういない、と言う京之介に、確かに、と光太郎が笑った。
「俺は放送部に入りたくて! ここの放送部の顧問が凄い人なんだよ。全国大会常連校!」
 先陣を切って答えた光太郎の答えに泉は頷く。確かに彼の声はとても良い声だ。女子たちの話し声に負けることなく凛と響く声はとても魅力的だと思う。
「次は俺だな。ここは学力のレベルが高い」
 真一の言う通り、聖ローズアンドリリー高等学校は高い偏差値で有名な学校だ。それは共学になってからも尚変わらない。
「俺は姉ちゃんが三年にいる」
「へー! 京之介に似てるの?」
「他人には似てると言われるけど、姉ちゃんに似てるって言うとボコられる」
「同じ学校に兄姉がいると心強いな。試験の過去問や傾向が知れる」
 三人それぞれの進学理由を聞いて泉は思わず一歩後ずさってしまった。しかしそんな泉に気付くことなく、次は、と三人の視線が泉に集まる。
「泉はなんでわざわざ元女子高を選んだんだ?」
 ワクワクが隠し切れない光太郎の目、眼鏡の奥の目を光らせる真一、泉の話をよく聞き取ろうと背を丸める京之介。三人の視線が痛い。
 泉は目線を泳がせると、ええっと、としばらく言い淀み、そしてようやく口を開いた。
「か、彼女が欲しくて……?」
 泉の言葉に一瞬その場が固まった。
 まずい。明らかに答えを間違えた。そう思いつつもその答えは真理だ。他に彼らに言う進学理由が見つからなかったのだ。
 何かフォローの言葉を付け加えなければ、と泉が考え始めた時、光太郎が大声で笑い出した。
「あはははは! マジで!? 欲望に忠実でいいじゃん!」
「彼女が欲しいという理由で目指せる偏差値ではない」
「選び放題……」
 三人の反応は悪くないものだった。そのことに泉は小さく安堵のため息をつく。
「……俺、中学が男子校だったからさ」
「男子校!? 女子が恋しくなったってこと?」
「……そんなとこかな」
 その言葉に嘘はない。中学三年間、男しかいない空間にいて思うことはたくさんあったのだ。
 三年間の男子校生活を思い出すと泉の表情は思わず沈む。泉のその表情を見て三人は、余程女に飢えているらしい、と思ったらしい。ポン、と両肩に置かれた手は同情の気持ちが込められていた。
 その時教室の入口の方から低い声が聞こえてきた。
「お前たち、入学おめでとう! 俺は一年二組担任の伊藤春太。一年間よろしくな! 入学式が始まるから出席番号順に廊下に並んでくれ」
 人の良さそうな笑顔を浮かべた彼を女子生徒たちが揃って、伊藤くん、とふざけて呼ぶ。格好良い、彼女いるの、と言う生徒たちをさらりと受け流す彼はどうやら女子生徒の扱いに随分慣れているらしい。
 その時、伊藤先生と泉の目が合った。教室の隅に男四人が固まっていることに気付いた伊藤先生の口が、おお、と開いたのが見える。そして伊藤先生は四人に向かって大きく手を振った。
「男子四人! 同じ男、肩身が狭い同士よろしくな!」
「よろしくお願いしま~す!」
 光太郎が手を振り返すと伊藤先生がニッと笑った。
 それから四人は伊藤先生の話題で盛り上がるクラスメイト達に続いて廊下へと向かった。

 入学式が行われる体育館へと向かう途中で見えた男子生徒の姿に真一が、あっ、と思わず声を上げた。
 一年の教室から出てきた彼らは自分たちと同じ貴重な男子新入生だ。
 真一たちに気付いた彼らも、あっ、と声を上げる。その声は心なしか嬉しそうに聞こえた。やはり彼らも既に肩身の狭い思いをしているらしい。
 彼らの教室から出てきた男子生徒は三人。どうやら他のクラスも一クラスあたり二、三人の男子生徒がいるらしい。
 彼らと目が合って自然と手を振り合う。それは数少ない男同士頑張ろう、という合図だ。



 体育館に入ると既に二、三年生が並んでいた。
 左に三年生、右に二年生が並び、真ん中の通路を新入生が入場していく。泉はそちらにちらちらと左右に視線を送った。
 左側にいる三年生は共学になる前だったため女子生徒しかいない。見渡す限り女子しかいない光景は圧巻だ。
 右側の二年生から男子生徒を取り始めてはいるが初年度の男子入学人数は極端に少なかったと聞いている。女子生徒たちに交じって、点々々、と三人の男子生徒が見えた。きっと彼らが二年生唯一の男子生徒たちなのだろう。
 その中で、可愛らしい女子生徒たちに四方を囲まれているひと際身長の高い先輩の姿が目に入った。
 周囲を囲む女子たちよりも頭一つ分以上飛び出している高身長。少しパーマがかった茶色の髪の毛。キリリとした眉。制服を纏った身体のラインは細身だが決して貧弱ではない。
 彼はどう見てもイケメンに分類される人物だ。
 珍しい男の先輩、しかも格好良い。泉は自然と先輩を見つめてしまっていた。
 その時先輩と目線が合う。泉がまずいと思うよりも早く、その先輩は泉から目線を反らしていた。そのあまりにもあからさまな態度に泉は疑問を感じつつ、隣の女子生徒に声を掛けられて慌てて前を向いた。

 入学式は厳かに進み、新入生の点呼へと進んでいた。
 一年一組の名前が呼び終わり、いよいよ泉の一年二組の番が回ってきた。
 五十音順で並んでいる出席番号で泉薫は二番にあたる。一番目の女子生徒、逢沢が呼ばれ可愛らしい声で返事を返す。そしていよいよ泉の番だ。
「泉薫」
「はい」
 伊藤先生に名前を呼ばれ、泉は返事を返すと席から立ち上がった。
 直後、先輩たちがざわついたのを感じた。どんな理由で彼女たちがざわついているのか泉には大方見当がついている。
 小さな声で聞こえてきたのはやはり、可愛い名前だから女の子とだと思った、というものだ。それは先ほどクラスで光太郎たちに疾うに言われたもので、泉はその言葉に慣れているため気にもならなかった。
 全クラス分の点呼も終わり、式次第は恙無く終了した。新入生はまた先輩たちの間の通路を通って退場していく。
 その時あの格好良い二年の先輩と泉はまた目が合った。
 今度は泉が彼のことを見ていたのではない。彼が泉のことを見ていたのだ。
 先ほどは泉と目が合った瞬間不自然なまでに目を反らした彼だったが今度は違っていた。
 泉と目が合ったと分かると彼は泉に向かって手を振ってきたのだ。その表情は優しい笑みを浮かべている。
「えっ……」
 手を振っている先が本当に自分であっているのか不安になった泉は思わずきょろきょろと周囲を見回す。しかし周りの生徒たちは皆先輩の方など見ておらず、見回す泉を不思議そうな目で見ていた。
 もう一度視線を先輩の方へと戻すと泉の視線が戻ってきたことに気付いた先輩はまた手を振ってくる。
 知らない先輩に手を振られ、どうすればいいか分からず泉はとりあえず手を振り返すことにした。
 泉が控えめに手を振り返せばそれを見て先輩がまた優しく笑ったのが見えた。
 よく見ると左の目尻にほくろがあることに泉は気付く。笑みで細まった目に目尻のほくろがとても大人っぽい。
 クールに見える澄ました顔も格好良かったが笑った顔は彼を少しだけ幼く見せる。可愛らしく見えるそのギャップにきっと彼はとてもモテるのだろう、と泉は思った。
 そして自分もそのギャップにやられそうになっていることに気が付くと泉は振っていた手を止めてしっかり前を向いて歩きだした。



 入学式が終わり教室に戻ると先ほどまで静かにしていた分、堰を切ったように女子たちが一斉に話し始め、教室内はまた騒がしくなっていた。
 皆がまだ自分の席に戻らず友人の元にいるのを見て、泉も自分の席ではなく教室の一番後ろの窓際へと向かった。そこには既に光太郎、真一、京之介の三人が集まっていた。
「お疲れ~」
 泉が三人の元へと着くと真一が眼鏡のブリッジを上げて泉に視線を向けた。
「泉、お前佐久間先輩のこと知っているのか?」
「佐久間先輩……?」
 泉は首を横に振る。佐久間、という苗字に聞き覚えはなく、先輩となると猶更知り合いはいない。
「えっ、でも泉、さっき佐久間先輩に手振ってたよね」
 光太郎の言葉を聞いて先ほど手を振ってきた先輩がその“佐久間先輩”なのだと泉はようやく知った。
「あの先輩、佐久間先輩っていうんだ? 凄く格好良い先輩だね」
 素直に佐久間の第一印象を答えると光太郎は明らかに動揺していた。無口な京之介さえ一層口を噤んでしまうほどだ。
「えっと……」
 泉の言葉を聞いて一瞬にして場の空気が変わってしまったことに泉は気付くと真一に視線を向けて助けを求めた。そもそも佐久間先輩の話を泉に振ってきたのは彼なのだ。
「二年の先輩で佐久間由比(さくまゆい)
「佐久間由比先輩……」
 ゆい、という名前の響きが自分の名前のように女性的で可愛らしい名前だ、と泉は思った。
「佐久間先輩は男嫌いの女好きと有名だ」
 と続けて真一が言った言葉に泉は思考を止めた。
 その時廊下の方からひと際盛り上がる声が聞こえた。そちらに目を向けると二年の先輩たちが体育館から教室へと戻っているところだった。
 ふわふわのウェーブヘアーをした可愛らしい子、クールな目元をした黒髪ショートの子、派手な金髪にばっちりメイクをした子。様々なタイプの女の子に囲まれてその真ん中に佐久間の姿が見えた。
「ねえ、由比」
 一人が佐久間の腕に自身の腕を絡めるとそれに対抗するかのようにもう片方の腕も他の女の子に絡められる。その状態のことをハーレムというのだろう。それは今まで男子校に通っていた薫とは無縁のものだ。
「ほら見ろよ」
 真一が羨ましそうな声を上げた。
「凄い……」
「羨ましい……」
 光太郎と京之介も思わずそんな言葉を漏らしていた。
 健全な男子高校生にとって今の佐久間の状態は非常に羨ましい光景らしい。らしい、と泉が思ってしまったのは今の自分は佐久間の状況を全く羨ましいと思えなかったからだ。
 佐久間を羨ましいと思えない自分に、やっぱり、という落胆の色が滲んでいく。
 四人があまりにも彼を見ていたので視線を感じたのか彼女たちに向けて目線を下げていた佐久間がふと顔を上げた。
 不意に泉と佐久間の目が合った。
 今度の佐久間は泉に手を振る事はなかったが、ふ、と微笑んだのが見えた。
 やはり顔が良い。
 泉がそう思っていると、隣から男三人の盛大なため息が聞こえた。
「余裕の笑み……」
「嘲笑……」
「勝ち組……」
 三人を見て泉はぎょっとした。彼らの目は明らかに嫉妬に燃えていた。京之介に至っては憎しみのあまり爪を噛んでいる。
「ちょ、ちょっと三人とも……!」
 その時、廊下の方から大きな舌打ちが聞こえた。また佐久間関係かと泉は慌ててそちらに視線を向けた。
 佐久間が通り過ぎた後、男子生徒が二人通り過ぎていくのが見えた。どうやら先ほど聞こえた舌打ちは彼らのものらしい。彼らの表情は泉の隣に並ぶ三人によく似ていた。
 一年ではない、彼らは二年の先輩だ。
 共学開始の年となった今の二年生で入学した男子生徒はたったの三人だと聞いている。佐久間がそのうちの一人とするとあそこにいる二人で男子の先輩は全員なのだろう。彼らは明らかに佐久間に向かって悪態をついていた。
 二年の男子生徒二人に嫌われているのだとしたら佐久間は男子の中で確実に孤立しているのだろう。
「佐久間先輩の男嫌い、女好きの噂話はたくさんあるよ」
 光太郎が言った。そして、聞きたい? と聞いてくるので泉は頷いた。
 噂話が好きなわけではないが、男子生徒が少ない中今後も佐久間と関わることがあるかもしれない。そのことを考えると少しでも彼の情報を入れておいて困ることはない。
「男とは話そうともしない。さっきの二年生の先輩とも全然話さない。というか無視してる」
「それは……」
 男子生徒が三人しかいない中で一年の時はどうしていたのだろうか。力仕事など男子に任せられることもあっただろうし、行事で女子と男子を分けることもあっただろう。嫌でも関わらなければならない時がある。そういう時に佐久間がどのように二人と接していたのか少し気になる。
「彼女がいっぱいいる」
 それは見た限り本当なのかもしれない。右隣の子も左隣の子も、いうなら前を歩いてわざわざ振り返って話している子も、後ろを控えめに歩く子も皆彼の彼女だと言われても納得できる。
「クラスの女子と日替わりで楽しんでる」
 何を楽しんでいるとは言わないがその言葉の意味は健全な男子高校生にとって余裕で想像ができる。下世話な話だが、彼は決して童貞ではないだろうと思う。
「いつも女子に囲まれてる」
 京之介の言ったそれはただの僻みだ。どうやらその通りだったらしく、後に「羨ましい」と彼は呟いた。
「女の子に囲まれたくて元女子高に入ったらしい」
「うっ」
 真一が言う噂話は泉に酷く刺さった。泉は思わずよろける。
 中学では男子校に通っていた泉が進学先として元女子高を選んだのは女子が多いからという理由だ。“女の子に囲まれたくて”という部分は泉に共通するところがある。
「自分以外の奴がちやほやされているのを見るのが嫌で、女子高から共学になったばかりのうちに入ったって聞いたことがある」
「女子を独り占めする気か」
 さすがに話を盛りすぎている噂もありそうだがどれもありうると思ってしまう。
 泉が佐久間のことを知ったのはつい先ほどのことだが見た限り佐久間は女子に囲まれているし、二年の男の先輩に疎まれているようだった。
「男嫌いの女好き……」
 とんだプレイボーイがいたものだ。
「泉も気を付けろよ。もしかしたら名前だけ見てお前を女だと思って近づいてくるかも」
 光太郎が大真面目な顔をしてそんなことを言ってくるのだから泉は噴き出して笑った。
「何に気を付けるんだよ」
「女の子だと勘違いされて、佐久間先輩の五十人目の彼女に……」
 五十人目、という大層な数字に真一と京之介も笑いだす。
「名前だけだと確かに間違えられるかもしれないけど、いざ会ったらちゃんとした男だよ。きっと男に幻滅して終わりだよ」
 名前が女みたいという理由だけで男嫌いで女好きの先輩がそれ以上関わってくるはずがない。
 いくら男子の人数が少ないと言っても同学年の先輩とも関わろうとしていないのだ。それなら猶更他学年と関わることはないだろう、と泉は思っていた。
「席につけー」
 その時担任の伊藤先生がようやく教室へと入ってきた。
 友人の席でお喋りをしていたクラスメイトたちが自分の席へと戻って行く。
「じゃ、また後で話そう」
 そう言って四人もそれぞれ自分の席へと戻って行く。窓際一番後ろの席から最も離れた席へ戻るのは泉だ。
 対角線上の向こう側、一番廊下側の前から二番目の席に泉は座る。前後左右斜め、全てが女子だ。
 周りから聞こえてくる女の子らしい高い声、決して汗臭くない甘い香りは男子校に通っていた中学時代には決してなかった光景だ。
「それじゃあ自己紹介から」
 目の前の席に座る逢沢が立ち上がる。次は”泉“薫の番だ。