私をころすかもしれない彼が今、目の前にいる。
もしもこのまま私が彼に、ころされたら—。
でも―。
「どうしてそんなこと言うの。そんなことできるの」
「これが僕にできることだから」
「なんでそこまで私のために。犯罪者になっちゃうんだよ。それでも君は…」
「君のために生きるよ」
『ただの甘えでしょ。承認欲求がありすぎで、可哀想な子、って思われたいんでしょ』
私の傷のことを広められてしまったあの日。休み時間は全てこのような言葉と私への冷ややかな目線だった。それが私の全てをえぐるように刺さっていく感覚は、今でも鮮明に覚えている。刺さっている。
私のために命を削ってくれた人は今までいただろうか。
私を私で見てくれた人は。私の全部を受け入れてくれる人は。本当の私を、見てくれる人は。
「なんでそこまで私に………」
涙で言葉が詰まる。いつからか人前で涙を流すことがなくなってしまった。でも、今は違う。彼は。彼だけは、違う。
「君は僕が救うんだ」
まっすぐすぎる君の瞳に、言葉に、吸い込まれそうになる。
「助けてほしい…私を…会うのも初めてのこんな私を、君は助けてくれる…?」
「約束」
微笑みながら小指を差し出す彼の顔。初めて会った人に、こんなことを言われたら普通、怖い。でもちっとも怖くなんかないんだ。
「うん、約束」
私がそう言って指を重ねると今までずっと優しい笑顔を浮かべていた彼の顔が、少し曇る。
「コウセイくん、どうしたの」
「絶対、約束するからさ。もう少しこの世界に付き合ってほしい」
「…どういうこと?」
「こんな嫌気がさしちゃうときもある世界だけど、できなかったことを最期にたくさん詰め込もうよ」
「できなかったこと?」
「うん。一日だけ。後悔は絶対させないから、君の最期の今日という一日を、最期の時間を、この世界で、一緒に生きたい」
死にたいと思ったことは今までに一度もない。生きたくなくて、辿り着いたらこんな毎日。「助けて」って言うなんて、絶対にできない。気が付いたら自分で自分を締め付けて、自分で自分を傷つけてきた。でもこんな私と、生きてくれるんだ。
「最期だもんね、私もコウセイくんと一緒に生きてこの世界にサヨナラするよ」
「…ありがとう…一緒に行きたいところある!」
「え?ちょっとまって……」
私の手を引き走る彼。私の少し前を行く彼の首元から、何か小さいものが落ちたように見えた。
「コウセイくん落とした!…ペンダント?」
「あ…ごめん…似合わないよね、でも大事なものだから外せなくて」
「そう?すっごく似合ってるけどな…これ、おうし座?」
「そう、おうし座の形」
「すごい綺麗。ここは明るくてこの周りは…あコウセイくんおうし座なんだ!私もだよ。じゃあ2人とももうすぐ誕生日なんだ…」
「…しってる………」
「え?」
「えあぁ、なんとなく、春とか夏の初めぽいからかなって」
「んー…そっか」
「あちょっと待って」
彼は歩いていた足を止め、小さな鞄から一枚の絆創膏を差し出した。
「暑くない?腕、まくれるようにこれ使って」
「あ…」
今、ほんの少しだけ忘れていた傷。少し手を伸ばしただけで袖から出てしまうので、いつもは絆創膏で隠していた。
「ありがとう」
「うん」
ずっと暑いなんて考えてこなかった私が、初めて長袖の制服の袖を折った日だった。
彼は今日初めて会った。でも私にとって特別な人。だから。
「どこまで歩く?」
「すっごく遠くまでかな…あ…待って」
「…ん?」
「一枚、撮らせて。残したい」
彼はどこからともなく本格的なカメラを出して私達が出会った海辺を撮った。
「どこにそのカメラあったの」
「隠してた」
「へんなのー」
笑いながらカメラをケースにしまう彼。
この光景。私どこかで。
「…あれ…?」
「どうかした?」
「なんか、見たことある気がした。デジャブってやつかな」
「デジャブってね、人間の生きる世界上の、バグなんだって。」
「どういうこと?」
「デジャブが起きるってことは、六夏は、ちゃんと生きてるってこと。」
「なんか…嬉しいかも。デジャブが起きたら、生きてることを確かめられるんだね。…ねえ、コウセイくんのことも教えて」
「僕のこと?」
「そう。全然知らないなって。同じ学校だけど会ったこと無いよね」
「最近は行ってなかったからね」
「そうだったんだ…何かあったの?」
「なんか、行けなくて…」
「そっか…そうだったんだ」
どれくらい歩いただろう。
一緒にくだらない言葉遊びをした。
意見が違うものをお互い語った。
疲れたらじゃんけんで飲み物をかけてみたりした。
その自動販売機をまた、彼は写真に収めた。
また生きてる実感が湧いた。
自分の幼少期の話をした。
好きな食べ物の話をした。
飲み物の話をした。
今夢中なものをお互い紹介したりした。
最後の晩餐に何が食べたいかの話をした。
また疲れてきたら小さなお店に入ってお互いの好きなメニューを頼んだ。
彼はそのお店の看板を撮った。
大袈裟かもだけど生きてて良かったと、思った。
お互いの好きな味を好きになった。
また歩き始めては最近の愚痴をお互いに漏らしたりした。
少しずつ日が傾いてきて涼しくなったら、折っていた袖を戻そうと思って。
もう一度「ありがとう」と言った。
彼はまた「うん」と微笑んだ。
今しか無いこの時間を、二人とも噛み締めるようにゆっくりゆっくり一歩を重ねた。
何気ない会話を重ねた。
そして日が完全に傾き、真っ黒な空に星が光り始めた頃。
「着いたよ。ごめんね、長い散歩に付き合ってもらっちゃって」
「ここって…?」
「一つしかない天文台」
天文台、と言われてもそうと分かる場所ではない。
周りよりも高いこの地に、柵が建てられているだけ。
でも私は知っているような気がする。何度か来たことがあるような。でも、明確な記憶は無い。
「私ここ、来たことあるかな…」
「…」
「コウセイくん?」
「少し、待とう」
そこから二人は今まで話しながら長い距離を歩いてきたとは思えないほどの長い沈黙の中、星を眺めた。その沈黙が心地よかった。
ずっと口を閉ざしていた彼が口を開いた。
「そろそろ綺麗に見えるかな」
「星?」
「…」
「…コウセイくん?」
「もうすぐ、サヨナラだね」
「私をころすってこと…?」
彼は何も答えなかった。その代わりに、聞いたんだ。
「六夏。」
「うん」
「ころされたい?」
「…私…は…」
今日の朝の私なら「うん」とだけ答えていただろう。でも私は。今の私には彼がいるから。大丈夫。もしも大変なことが私を襲って大丈夫じゃなくても、もしかしたら生きられるかもしれない。試してみるだけなら、この世界にいられるのかもしれない。
「今日、コウセイくんが隣にいてくれたから。
はじめてしぬことと隣同士で生きたから、初めてしにたくなんかないんだって思えた。気付けたの。
生きることで、しにたくないんだって。
君が私の私を見てくれたから。
傷をも認めてくれるくらい、君が。
私をころしてくれるくらい、君が。
―すごく酷くてすごくすごく優しいから。
私はこの傷ごと私としてこれからも生きられるかもしれない。分からないけど、まだこの世界にいる。
まだ、生きたい—。」
今日、彼に出会ったときのようにそっと左の傷をなぞる。絆創膏の上から。
これは私の、私だから。
「良かった」
「…」
「ほんとは僕、六夏のこところすなんてできない」
「…どういうこと…?」
「人って、大事なものを失ってから気付くから。失うまではできないけど、失う直前で気付いてほしかった。
六夏に、生きてほしいんだ」
「…うん…そうだったんだ…」
あの言葉は、彼の精一杯の嘘で、私への支えだったんだね。
「でも生きられるのか、不安になる日があるよね。幸せいっぱいのはずの日々の中でさえ、あると思う。
―僕にも、あった。」
「え…?」
「優しい彼女と過ごす日々は、文句なんてつけられないくらい幸せだった。でもふと、不安と恐怖に襲われる夜があるんだ。そんな時に、思い出の詰まったここに来た。」
「ここ…?」
「そうだよ。きっとまだ思い出せないよね。もしも六夏が望んで忘れているのなら、それが一番かもしれない。でももし、少しだけ思い出したくなった日が来たら」
「ちょっとまって…どういうこと?」
「このカメラの写真を見返してくれると嬉しいよ。これが、最期の一枚」
そう言いながら天文台と呼ぶここからの眺めを収めようとシャッターを押す彼。その姿を見た瞬間、何かが開いたような感覚になった。
「…え…?」
声にならない声が、あふれ出る。
「…わた…し…私」
—思い出した。
「思い出した…君は…コウセイくんは…私の…彼は」
瞬きをするのも惜しくなる。だって今見えている君は、真っ黒の空に赤橙色の星が輝いている寒い夜。そう、牡牛座の中で最も明るい赤橙色の星、アルデバランが輝いている夜にここで自殺した、私の世界で一番大切な人だ—。
もしもこのまま私が彼に、ころされたら—。
でも―。
「どうしてそんなこと言うの。そんなことできるの」
「これが僕にできることだから」
「なんでそこまで私のために。犯罪者になっちゃうんだよ。それでも君は…」
「君のために生きるよ」
『ただの甘えでしょ。承認欲求がありすぎで、可哀想な子、って思われたいんでしょ』
私の傷のことを広められてしまったあの日。休み時間は全てこのような言葉と私への冷ややかな目線だった。それが私の全てをえぐるように刺さっていく感覚は、今でも鮮明に覚えている。刺さっている。
私のために命を削ってくれた人は今までいただろうか。
私を私で見てくれた人は。私の全部を受け入れてくれる人は。本当の私を、見てくれる人は。
「なんでそこまで私に………」
涙で言葉が詰まる。いつからか人前で涙を流すことがなくなってしまった。でも、今は違う。彼は。彼だけは、違う。
「君は僕が救うんだ」
まっすぐすぎる君の瞳に、言葉に、吸い込まれそうになる。
「助けてほしい…私を…会うのも初めてのこんな私を、君は助けてくれる…?」
「約束」
微笑みながら小指を差し出す彼の顔。初めて会った人に、こんなことを言われたら普通、怖い。でもちっとも怖くなんかないんだ。
「うん、約束」
私がそう言って指を重ねると今までずっと優しい笑顔を浮かべていた彼の顔が、少し曇る。
「コウセイくん、どうしたの」
「絶対、約束するからさ。もう少しこの世界に付き合ってほしい」
「…どういうこと?」
「こんな嫌気がさしちゃうときもある世界だけど、できなかったことを最期にたくさん詰め込もうよ」
「できなかったこと?」
「うん。一日だけ。後悔は絶対させないから、君の最期の今日という一日を、最期の時間を、この世界で、一緒に生きたい」
死にたいと思ったことは今までに一度もない。生きたくなくて、辿り着いたらこんな毎日。「助けて」って言うなんて、絶対にできない。気が付いたら自分で自分を締め付けて、自分で自分を傷つけてきた。でもこんな私と、生きてくれるんだ。
「最期だもんね、私もコウセイくんと一緒に生きてこの世界にサヨナラするよ」
「…ありがとう…一緒に行きたいところある!」
「え?ちょっとまって……」
私の手を引き走る彼。私の少し前を行く彼の首元から、何か小さいものが落ちたように見えた。
「コウセイくん落とした!…ペンダント?」
「あ…ごめん…似合わないよね、でも大事なものだから外せなくて」
「そう?すっごく似合ってるけどな…これ、おうし座?」
「そう、おうし座の形」
「すごい綺麗。ここは明るくてこの周りは…あコウセイくんおうし座なんだ!私もだよ。じゃあ2人とももうすぐ誕生日なんだ…」
「…しってる………」
「え?」
「えあぁ、なんとなく、春とか夏の初めぽいからかなって」
「んー…そっか」
「あちょっと待って」
彼は歩いていた足を止め、小さな鞄から一枚の絆創膏を差し出した。
「暑くない?腕、まくれるようにこれ使って」
「あ…」
今、ほんの少しだけ忘れていた傷。少し手を伸ばしただけで袖から出てしまうので、いつもは絆創膏で隠していた。
「ありがとう」
「うん」
ずっと暑いなんて考えてこなかった私が、初めて長袖の制服の袖を折った日だった。
彼は今日初めて会った。でも私にとって特別な人。だから。
「どこまで歩く?」
「すっごく遠くまでかな…あ…待って」
「…ん?」
「一枚、撮らせて。残したい」
彼はどこからともなく本格的なカメラを出して私達が出会った海辺を撮った。
「どこにそのカメラあったの」
「隠してた」
「へんなのー」
笑いながらカメラをケースにしまう彼。
この光景。私どこかで。
「…あれ…?」
「どうかした?」
「なんか、見たことある気がした。デジャブってやつかな」
「デジャブってね、人間の生きる世界上の、バグなんだって。」
「どういうこと?」
「デジャブが起きるってことは、六夏は、ちゃんと生きてるってこと。」
「なんか…嬉しいかも。デジャブが起きたら、生きてることを確かめられるんだね。…ねえ、コウセイくんのことも教えて」
「僕のこと?」
「そう。全然知らないなって。同じ学校だけど会ったこと無いよね」
「最近は行ってなかったからね」
「そうだったんだ…何かあったの?」
「なんか、行けなくて…」
「そっか…そうだったんだ」
どれくらい歩いただろう。
一緒にくだらない言葉遊びをした。
意見が違うものをお互い語った。
疲れたらじゃんけんで飲み物をかけてみたりした。
その自動販売機をまた、彼は写真に収めた。
また生きてる実感が湧いた。
自分の幼少期の話をした。
好きな食べ物の話をした。
飲み物の話をした。
今夢中なものをお互い紹介したりした。
最後の晩餐に何が食べたいかの話をした。
また疲れてきたら小さなお店に入ってお互いの好きなメニューを頼んだ。
彼はそのお店の看板を撮った。
大袈裟かもだけど生きてて良かったと、思った。
お互いの好きな味を好きになった。
また歩き始めては最近の愚痴をお互いに漏らしたりした。
少しずつ日が傾いてきて涼しくなったら、折っていた袖を戻そうと思って。
もう一度「ありがとう」と言った。
彼はまた「うん」と微笑んだ。
今しか無いこの時間を、二人とも噛み締めるようにゆっくりゆっくり一歩を重ねた。
何気ない会話を重ねた。
そして日が完全に傾き、真っ黒な空に星が光り始めた頃。
「着いたよ。ごめんね、長い散歩に付き合ってもらっちゃって」
「ここって…?」
「一つしかない天文台」
天文台、と言われてもそうと分かる場所ではない。
周りよりも高いこの地に、柵が建てられているだけ。
でも私は知っているような気がする。何度か来たことがあるような。でも、明確な記憶は無い。
「私ここ、来たことあるかな…」
「…」
「コウセイくん?」
「少し、待とう」
そこから二人は今まで話しながら長い距離を歩いてきたとは思えないほどの長い沈黙の中、星を眺めた。その沈黙が心地よかった。
ずっと口を閉ざしていた彼が口を開いた。
「そろそろ綺麗に見えるかな」
「星?」
「…」
「…コウセイくん?」
「もうすぐ、サヨナラだね」
「私をころすってこと…?」
彼は何も答えなかった。その代わりに、聞いたんだ。
「六夏。」
「うん」
「ころされたい?」
「…私…は…」
今日の朝の私なら「うん」とだけ答えていただろう。でも私は。今の私には彼がいるから。大丈夫。もしも大変なことが私を襲って大丈夫じゃなくても、もしかしたら生きられるかもしれない。試してみるだけなら、この世界にいられるのかもしれない。
「今日、コウセイくんが隣にいてくれたから。
はじめてしぬことと隣同士で生きたから、初めてしにたくなんかないんだって思えた。気付けたの。
生きることで、しにたくないんだって。
君が私の私を見てくれたから。
傷をも認めてくれるくらい、君が。
私をころしてくれるくらい、君が。
―すごく酷くてすごくすごく優しいから。
私はこの傷ごと私としてこれからも生きられるかもしれない。分からないけど、まだこの世界にいる。
まだ、生きたい—。」
今日、彼に出会ったときのようにそっと左の傷をなぞる。絆創膏の上から。
これは私の、私だから。
「良かった」
「…」
「ほんとは僕、六夏のこところすなんてできない」
「…どういうこと…?」
「人って、大事なものを失ってから気付くから。失うまではできないけど、失う直前で気付いてほしかった。
六夏に、生きてほしいんだ」
「…うん…そうだったんだ…」
あの言葉は、彼の精一杯の嘘で、私への支えだったんだね。
「でも生きられるのか、不安になる日があるよね。幸せいっぱいのはずの日々の中でさえ、あると思う。
―僕にも、あった。」
「え…?」
「優しい彼女と過ごす日々は、文句なんてつけられないくらい幸せだった。でもふと、不安と恐怖に襲われる夜があるんだ。そんな時に、思い出の詰まったここに来た。」
「ここ…?」
「そうだよ。きっとまだ思い出せないよね。もしも六夏が望んで忘れているのなら、それが一番かもしれない。でももし、少しだけ思い出したくなった日が来たら」
「ちょっとまって…どういうこと?」
「このカメラの写真を見返してくれると嬉しいよ。これが、最期の一枚」
そう言いながら天文台と呼ぶここからの眺めを収めようとシャッターを押す彼。その姿を見た瞬間、何かが開いたような感覚になった。
「…え…?」
声にならない声が、あふれ出る。
「…わた…し…私」
—思い出した。
「思い出した…君は…コウセイくんは…私の…彼は」
瞬きをするのも惜しくなる。だって今見えている君は、真っ黒の空に赤橙色の星が輝いている寒い夜。そう、牡牛座の中で最も明るい赤橙色の星、アルデバランが輝いている夜にここで自殺した、私の世界で一番大切な人だ—。



