3
「またですか⁉︎」
わたしは思わず声に出してしまう。
その一言を慌てて飲み込もうとしたけれど、詩先輩にしっかりと聞かれてしまった。
そこには、一言、
『嘘つきは誰?』
三日目も同じ言葉でそう書かれていた。
目の前で少し不満げな顔をしている三人目、中村詩先輩は確かに見事なものだった。
事前に知らされてなければ三つ子と見間違えたかもしれない。それくらいの完成度だった。
「すごいですね」
雪乃先輩とわたしは同時に声を出す。
「結構好きなものと同一化したいっていうか同じになりたいって思う性質でね」
詩はわたしたちの賞賛を素直に受け止めながらそう言った。
手紙を見せた時の不満顔はすでに消えている。
「詩さんはどこでお二人と知り合ったんですか?」
「ダンス部の動画バズってたやつ見てね。学校特定されたでしょ?」
「それでうちの学校だ!ってなって、すぐ見に行ったんだ」
「名前も似てるでしょ?初めて二人に会った時に三つ子みたいって感動しちゃって」
「こういうの一目惚れっていうのかなあ?運命感じちゃってね」
「双子のダンスとシンクロするのが最初はすごい大変でね」
「人から見たら意味ないって言われるかもだけど、そういうチャレンジが好きなんだよね。自分でもバカみたいだなって思うんだけど」
「まあ、それで二人に思い切って告白っていうか、すごい引かれたけどね最初は」
詩さんはおしゃべりのようでまくしたてるように一気に話すと肩をすくめて締めくくった。
「最初はどんな感じだったんですか?」
「響は最初乗り気じゃなかったけど、奏に説得されてね」
「親しくなって行くとね、響と奏は全然違うタイプでね」
「近くで見てるから気づくこともあるっていうのかな」
「二人はもう会ってるからわかるか」
「奏は結構やきもち焼きでね。私が響と話してると妬いちゃうのよ」
「響は天真爛漫で……すごく自由なのにね」
「ま、でも二人の性格が全然違うところが良いのよね」
「昨日も奏が迷惑かけたんじゃない?そうでもなかった?」
「あの子結構、気になっちゃうと、そのことだけ、ってなっちゃうのよ」
「一途っていう言い方は変だけど、他のことが手につかなくなっちゃうのよね」
「私もほんとは手紙隠しておくつもりだったんだけど、奏に問い詰められてね、届いてるって言ったら怒って絶対相談に行けって」
「見た目が同じ——いえ、とても似ているのに中身が全然違うのというのは、確かにお付き合いという意味では飽きないかもしれませんね」
「そうそう、雪乃さんわかってる」
あっけらかんと笑う詩。
「せっかくご足労いただいたのに時間を無駄にするのも失礼ですね」
「詩さんから見たお二人のこと、もっとお聞きしたいのですが」
「なかなかこんなふうに好意的に興味持って聞いてくれる人いないから嬉しいけれど」
「手紙について思い当たること……響はきっと、あるっちゃあるけどないっちゃない。みたいなこと言ったんじゃない?」
「響らしいよね。まあその通りなんだけどね」
この人は役者の才能があるんじゃないか……そんなことを思ってしまうくらい響に似た口ぶりだった。
その後、すぐに素というか詩本来の話し方なのか
「私たちの関係を不快だって思ってる人はやっぱり多くて。普通の学校ならまた違ったのかもだけどね」
「でもさ、今時のタヨーセイってやつ?を考えてみてもらってさ、好きな人が双子でさ、片方を選べない時ってそのまま諦めないといけないのかな?」
やっぱり演技の才能があると見えて再び響の雰囲気をトレースしながら話を続ける。
「まあ諦める方が——いいんだろうけど、ね」
「わかってはいるけど、わかりたくはないってやつ?」
自嘲気味に詩は笑った。その口ぶりは急に素に戻ったようだった。
「多分あの二人は言わなかったかと思うんだけど、私たち三人はそれぞれを平等に扱うっていう決まり事があってね」
「契約結婚……じゃないか、契約恋愛って言えばいいのかな?」
「そういうふうにいろんな事を話し合って決めてるんだ」
「響はまあ、あんまり気にしない子だから好きに決めてって感じだったけれど」
「という事は三人でというのは奏さんが言い出したんですか?」
「そうだね。たしかそうだったかな」
「詩さんはこの件はどうしたいんですか?」
「私は——響と同じかな。時間に任せて忘れる感じでいいんだけれど」
「雪乃さんなら簡単に犯人みつけちゃうのかもだけど」
なぜだか少しだけ真相がわからないほうがいいような口ぶりだった。
「差し出し人に心当たりはありますか?」
「響にフラれた子ならたくさん知っているけれど……」
「だからと言ってこんなことまでするような子はいないかな」
「カラッと無理って言うからね響は。だから、特にすごく恨んでるみたいな子は聞いたことないな」
「それに響にフラれた腹いせにこんな手紙を出したのか?って」
「そんなことを聞いて回るわけにも……ね」
「響さんはなんていうか良い好かれ方をしそうですもんね」
「あの感じは私もちょっと憧れてしまうかもしれません」
そんなことをいわないで雪乃先輩……貴女の方がモテますよ……わたしが保証します。
わたしの保証の価値は傍に置いておいて、心の中でそう唱える。
「奏さんや詩さん、あなたの方はどうですか?」
「あ、私の事はこんなだから誰も気にも留めないよ。変人だもんね。奏は、そうだね、響に振られた子に告白されることが結構あるって悩んでて」
「逆に聞いちゃって悪いんだけど、雪乃さんはどう思う?」
「ちゃんと話すのも初めてなのに。ごめんね。噂だけ一人歩きしてるから興味あるんだ」
「私ですか?そうですね——」
「奏さんの楚々とした雰囲気は見た目の華やかさといいギャップになっていて」
「響さんとはまた別のタイプで素敵だと思いますけれどね」
「雪乃さんはそう言ってくれるんだね」
判断の難しい返事をする詩。
「こんなことを聞いていいのか失礼に当たったら申し訳ないのですが」
「詩さんはお二人のうちどちらかとだけお付き合いできるとしたら……」
「あはは、それは言っちゃダメだよ」
結局、わたしから見たら特に参考になることはないままに雑談じみた話を終えると詩は部屋を後にした。
またしばらくの沈黙の後、感想を話し始める。
「詩さんは結構気づかいタイプでしたね。もっと一直線タイプかとおもってましたけど」
「あの完成度はすごかったけど。でも、萌花ちゃんも私のためならどんな事もしてくれるんでしょ?」
急に昨日の話を持ち出す雪乃の先輩。
「キ、キスとかは無、無理ですよ」
急にキスなんて言い出した自分にびっくりしてしまう。
パッと考えて無理なような無理じゃないような事が頭に浮かんでしまったのだ。
「犯罪の共犯にはなってくれるのに⁉︎」
「でも……そっか、乙女の中ではどっちが重要かわからないか」
雪乃先輩は少し残念そうにそう言ってから
「ちょっと——試してみようかな……」
わたしの隣にいつもとは違う、わざとドンっと荒々しく座ると先輩は上目遣いでわたしの顔を覗き込んだ。
その目はじっと唇に注がれている。
見つめられるとやっぱりなんでもしてあげたくなってしまう。
め、目とか閉じた方がいいかな……と思ってギュッと力強く目を閉じてしまう。
目を閉じてどれくらいの時間が経ったのか、柔らかい何かがわたしの唇に触れる。
恐る恐る目を開けると、雪乃先輩はわたしの唇を指でフニフニと触り続けている。
目と目が合ってもまだ触り続けている先輩に
「あ、あの、まだ触りますか?」
おずおずと尋ねると、雪乃先輩はゆっくりと指を離してから、今度はいつもの体重を感じさせないなめらかさで立ち上がってから
「さ、帰りましょ」
それだけを告げるとさっと鞄を取って歩き始めた。
途中でシスター達とすれ違って挨拶をする。
忘れがちだけど(実際のところは日々怒られることの多いわたしは忘れることはないのだけれど)
シスターを見るとミッション系であることを思い出す。
わたしは高等部からなので、数か月だけなのに居るのが当たり前に思えてしまうのが人間ってすごいなぁと思わずにはいられない。
「シスターごきげんよう」
先輩はしっかりと立ち止まると靴を揃えて丁寧な礼をする。
「あら、雪乃さん、ごきげんよう」
年配の、確か二年生の英語担当のシスターはにこやかに答える。
「最近はお体も良さそうね。少し明るくなったのじゃない?」
「はい、最近はクラスの方に登校する事も増えたんですよ」
「あら、それは良いことね。行事にも参加していけると良いわね」
雪乃先輩とシスターは顔見知りのようでしばらく話し込んでいた。
わたしは軽く会釈にとどめて、先輩の会話を聞きながら目立たないように一歩下がって先輩の後ろに控える。
五分ほどして、再び雨が落ちてきそうだということでその前に帰途に着くことにする。
「雪乃先輩ってシスターと仲良いんですか?」
「なんだかんだこの学校も長いから……」
「長くいればそれだけね。出来が悪い子ほど……って言うでしょ」
「先輩が出来が悪いなんて思いませんけど」
「そう?こんな風に目立って学校にも通えない子はね」
「一般的には出来が悪いって言うのよ」
そんな事ないって言いたかったけれど、言葉が出なかった。
こんな事ならさっき勢いでキスして告白してしまえば良かった。
そんな気持ちすら湧き上がってくる。そんないい加減な気持ちで先輩が喜ぶはずがないのは、わかっているのに。
結局雨に降られてしまって慌てて二人とも傘を差す。本降りの雨に負けないように、お互いに大きめの傘を差しているから、もう少し近くで話したいのに、コツコツと傘同士が触れ合ってしまう。
二人の距離は遠く、当てつけのように触れ合う傘が、私の唇を触り続けていた雪乃先輩を思い出させる。
「双子って大変そうだなって思いました」
話題を探して、なんとなくわたしは思った事を思ったままに呟いた。
「詩さんがポロッとこぼしてましたけど、顔が同じなら性格が真逆でも付き合いたいんですかね?すっごく失礼な気がするんですけど。一人一人違うはずなのに……」
「響さんも奏さんも双子じゃなかったら、どっちも同じくらい人気があって、一人がもう一人の影みたいな事もなかったんじゃないでしょうか」
「それが幸せなのか、はわかりませんけど」
「もかちゃんはそんな経験ある?誰かの代わりみたいな」
思ってもみない言葉にわたしはちょっとだけ腹を立ててしまう。
「あのですね。先輩、一言はっきり言っておきますけど……」
「わたし告白とかされた事ないですからね」
「えっ、そうなの?」
「なんですか?その反応。わたしそんなモテモテに見えます?」
ちょっと不機嫌になったことが逆にさっきまでの距離を縮めてくれる。
先輩はいつの間にか繊細な持ち手の高級そうな傘を畳むとわたしの傘に滑り込んでいる。
「そうなんだ、ふーん。そうなんだぁ」
雪乃先輩はなんだか感じ入ったように繰り返している。
「初めてされる告白かぁ……いつか、それが素敵なものになるといいね」
雪乃先輩は何か嬉しいことでもあったのか歌でも歌い出しそうだ。
「先輩は数え切れないくらいされてますよね……そういうの」
わたしは少ししょんぼりした気持ちでそう聞いた。
「みんな私を特別扱いするのよね」
「箱にしまって大切にするアンティークのお人形みたいに」
先輩は無表情のまま水溜まりをわざと避けずに踏み締めると、生まれた波紋を見つめながら続けて呟いた。
「これやるとお家ですごく怒られるんだ」
特別扱いされる人間とされない人間、ただ一つの宝石として扱われる人間。
そのスペアのように扱われる人間。わたしはいろいろな事を考える。
「明日三人とお話ししてみましょうか」
先輩は分かれ道で傘をくるくると回すとそれだけを言った。
「またですか⁉︎」
わたしは思わず声に出してしまう。
その一言を慌てて飲み込もうとしたけれど、詩先輩にしっかりと聞かれてしまった。
そこには、一言、
『嘘つきは誰?』
三日目も同じ言葉でそう書かれていた。
目の前で少し不満げな顔をしている三人目、中村詩先輩は確かに見事なものだった。
事前に知らされてなければ三つ子と見間違えたかもしれない。それくらいの完成度だった。
「すごいですね」
雪乃先輩とわたしは同時に声を出す。
「結構好きなものと同一化したいっていうか同じになりたいって思う性質でね」
詩はわたしたちの賞賛を素直に受け止めながらそう言った。
手紙を見せた時の不満顔はすでに消えている。
「詩さんはどこでお二人と知り合ったんですか?」
「ダンス部の動画バズってたやつ見てね。学校特定されたでしょ?」
「それでうちの学校だ!ってなって、すぐ見に行ったんだ」
「名前も似てるでしょ?初めて二人に会った時に三つ子みたいって感動しちゃって」
「こういうの一目惚れっていうのかなあ?運命感じちゃってね」
「双子のダンスとシンクロするのが最初はすごい大変でね」
「人から見たら意味ないって言われるかもだけど、そういうチャレンジが好きなんだよね。自分でもバカみたいだなって思うんだけど」
「まあ、それで二人に思い切って告白っていうか、すごい引かれたけどね最初は」
詩さんはおしゃべりのようでまくしたてるように一気に話すと肩をすくめて締めくくった。
「最初はどんな感じだったんですか?」
「響は最初乗り気じゃなかったけど、奏に説得されてね」
「親しくなって行くとね、響と奏は全然違うタイプでね」
「近くで見てるから気づくこともあるっていうのかな」
「二人はもう会ってるからわかるか」
「奏は結構やきもち焼きでね。私が響と話してると妬いちゃうのよ」
「響は天真爛漫で……すごく自由なのにね」
「ま、でも二人の性格が全然違うところが良いのよね」
「昨日も奏が迷惑かけたんじゃない?そうでもなかった?」
「あの子結構、気になっちゃうと、そのことだけ、ってなっちゃうのよ」
「一途っていう言い方は変だけど、他のことが手につかなくなっちゃうのよね」
「私もほんとは手紙隠しておくつもりだったんだけど、奏に問い詰められてね、届いてるって言ったら怒って絶対相談に行けって」
「見た目が同じ——いえ、とても似ているのに中身が全然違うのというのは、確かにお付き合いという意味では飽きないかもしれませんね」
「そうそう、雪乃さんわかってる」
あっけらかんと笑う詩。
「せっかくご足労いただいたのに時間を無駄にするのも失礼ですね」
「詩さんから見たお二人のこと、もっとお聞きしたいのですが」
「なかなかこんなふうに好意的に興味持って聞いてくれる人いないから嬉しいけれど」
「手紙について思い当たること……響はきっと、あるっちゃあるけどないっちゃない。みたいなこと言ったんじゃない?」
「響らしいよね。まあその通りなんだけどね」
この人は役者の才能があるんじゃないか……そんなことを思ってしまうくらい響に似た口ぶりだった。
その後、すぐに素というか詩本来の話し方なのか
「私たちの関係を不快だって思ってる人はやっぱり多くて。普通の学校ならまた違ったのかもだけどね」
「でもさ、今時のタヨーセイってやつ?を考えてみてもらってさ、好きな人が双子でさ、片方を選べない時ってそのまま諦めないといけないのかな?」
やっぱり演技の才能があると見えて再び響の雰囲気をトレースしながら話を続ける。
「まあ諦める方が——いいんだろうけど、ね」
「わかってはいるけど、わかりたくはないってやつ?」
自嘲気味に詩は笑った。その口ぶりは急に素に戻ったようだった。
「多分あの二人は言わなかったかと思うんだけど、私たち三人はそれぞれを平等に扱うっていう決まり事があってね」
「契約結婚……じゃないか、契約恋愛って言えばいいのかな?」
「そういうふうにいろんな事を話し合って決めてるんだ」
「響はまあ、あんまり気にしない子だから好きに決めてって感じだったけれど」
「という事は三人でというのは奏さんが言い出したんですか?」
「そうだね。たしかそうだったかな」
「詩さんはこの件はどうしたいんですか?」
「私は——響と同じかな。時間に任せて忘れる感じでいいんだけれど」
「雪乃さんなら簡単に犯人みつけちゃうのかもだけど」
なぜだか少しだけ真相がわからないほうがいいような口ぶりだった。
「差し出し人に心当たりはありますか?」
「響にフラれた子ならたくさん知っているけれど……」
「だからと言ってこんなことまでするような子はいないかな」
「カラッと無理って言うからね響は。だから、特にすごく恨んでるみたいな子は聞いたことないな」
「それに響にフラれた腹いせにこんな手紙を出したのか?って」
「そんなことを聞いて回るわけにも……ね」
「響さんはなんていうか良い好かれ方をしそうですもんね」
「あの感じは私もちょっと憧れてしまうかもしれません」
そんなことをいわないで雪乃先輩……貴女の方がモテますよ……わたしが保証します。
わたしの保証の価値は傍に置いておいて、心の中でそう唱える。
「奏さんや詩さん、あなたの方はどうですか?」
「あ、私の事はこんなだから誰も気にも留めないよ。変人だもんね。奏は、そうだね、響に振られた子に告白されることが結構あるって悩んでて」
「逆に聞いちゃって悪いんだけど、雪乃さんはどう思う?」
「ちゃんと話すのも初めてなのに。ごめんね。噂だけ一人歩きしてるから興味あるんだ」
「私ですか?そうですね——」
「奏さんの楚々とした雰囲気は見た目の華やかさといいギャップになっていて」
「響さんとはまた別のタイプで素敵だと思いますけれどね」
「雪乃さんはそう言ってくれるんだね」
判断の難しい返事をする詩。
「こんなことを聞いていいのか失礼に当たったら申し訳ないのですが」
「詩さんはお二人のうちどちらかとだけお付き合いできるとしたら……」
「あはは、それは言っちゃダメだよ」
結局、わたしから見たら特に参考になることはないままに雑談じみた話を終えると詩は部屋を後にした。
またしばらくの沈黙の後、感想を話し始める。
「詩さんは結構気づかいタイプでしたね。もっと一直線タイプかとおもってましたけど」
「あの完成度はすごかったけど。でも、萌花ちゃんも私のためならどんな事もしてくれるんでしょ?」
急に昨日の話を持ち出す雪乃の先輩。
「キ、キスとかは無、無理ですよ」
急にキスなんて言い出した自分にびっくりしてしまう。
パッと考えて無理なような無理じゃないような事が頭に浮かんでしまったのだ。
「犯罪の共犯にはなってくれるのに⁉︎」
「でも……そっか、乙女の中ではどっちが重要かわからないか」
雪乃先輩は少し残念そうにそう言ってから
「ちょっと——試してみようかな……」
わたしの隣にいつもとは違う、わざとドンっと荒々しく座ると先輩は上目遣いでわたしの顔を覗き込んだ。
その目はじっと唇に注がれている。
見つめられるとやっぱりなんでもしてあげたくなってしまう。
め、目とか閉じた方がいいかな……と思ってギュッと力強く目を閉じてしまう。
目を閉じてどれくらいの時間が経ったのか、柔らかい何かがわたしの唇に触れる。
恐る恐る目を開けると、雪乃先輩はわたしの唇を指でフニフニと触り続けている。
目と目が合ってもまだ触り続けている先輩に
「あ、あの、まだ触りますか?」
おずおずと尋ねると、雪乃先輩はゆっくりと指を離してから、今度はいつもの体重を感じさせないなめらかさで立ち上がってから
「さ、帰りましょ」
それだけを告げるとさっと鞄を取って歩き始めた。
途中でシスター達とすれ違って挨拶をする。
忘れがちだけど(実際のところは日々怒られることの多いわたしは忘れることはないのだけれど)
シスターを見るとミッション系であることを思い出す。
わたしは高等部からなので、数か月だけなのに居るのが当たり前に思えてしまうのが人間ってすごいなぁと思わずにはいられない。
「シスターごきげんよう」
先輩はしっかりと立ち止まると靴を揃えて丁寧な礼をする。
「あら、雪乃さん、ごきげんよう」
年配の、確か二年生の英語担当のシスターはにこやかに答える。
「最近はお体も良さそうね。少し明るくなったのじゃない?」
「はい、最近はクラスの方に登校する事も増えたんですよ」
「あら、それは良いことね。行事にも参加していけると良いわね」
雪乃先輩とシスターは顔見知りのようでしばらく話し込んでいた。
わたしは軽く会釈にとどめて、先輩の会話を聞きながら目立たないように一歩下がって先輩の後ろに控える。
五分ほどして、再び雨が落ちてきそうだということでその前に帰途に着くことにする。
「雪乃先輩ってシスターと仲良いんですか?」
「なんだかんだこの学校も長いから……」
「長くいればそれだけね。出来が悪い子ほど……って言うでしょ」
「先輩が出来が悪いなんて思いませんけど」
「そう?こんな風に目立って学校にも通えない子はね」
「一般的には出来が悪いって言うのよ」
そんな事ないって言いたかったけれど、言葉が出なかった。
こんな事ならさっき勢いでキスして告白してしまえば良かった。
そんな気持ちすら湧き上がってくる。そんないい加減な気持ちで先輩が喜ぶはずがないのは、わかっているのに。
結局雨に降られてしまって慌てて二人とも傘を差す。本降りの雨に負けないように、お互いに大きめの傘を差しているから、もう少し近くで話したいのに、コツコツと傘同士が触れ合ってしまう。
二人の距離は遠く、当てつけのように触れ合う傘が、私の唇を触り続けていた雪乃先輩を思い出させる。
「双子って大変そうだなって思いました」
話題を探して、なんとなくわたしは思った事を思ったままに呟いた。
「詩さんがポロッとこぼしてましたけど、顔が同じなら性格が真逆でも付き合いたいんですかね?すっごく失礼な気がするんですけど。一人一人違うはずなのに……」
「響さんも奏さんも双子じゃなかったら、どっちも同じくらい人気があって、一人がもう一人の影みたいな事もなかったんじゃないでしょうか」
「それが幸せなのか、はわかりませんけど」
「もかちゃんはそんな経験ある?誰かの代わりみたいな」
思ってもみない言葉にわたしはちょっとだけ腹を立ててしまう。
「あのですね。先輩、一言はっきり言っておきますけど……」
「わたし告白とかされた事ないですからね」
「えっ、そうなの?」
「なんですか?その反応。わたしそんなモテモテに見えます?」
ちょっと不機嫌になったことが逆にさっきまでの距離を縮めてくれる。
先輩はいつの間にか繊細な持ち手の高級そうな傘を畳むとわたしの傘に滑り込んでいる。
「そうなんだ、ふーん。そうなんだぁ」
雪乃先輩はなんだか感じ入ったように繰り返している。
「初めてされる告白かぁ……いつか、それが素敵なものになるといいね」
雪乃先輩は何か嬉しいことでもあったのか歌でも歌い出しそうだ。
「先輩は数え切れないくらいされてますよね……そういうの」
わたしは少ししょんぼりした気持ちでそう聞いた。
「みんな私を特別扱いするのよね」
「箱にしまって大切にするアンティークのお人形みたいに」
先輩は無表情のまま水溜まりをわざと避けずに踏み締めると、生まれた波紋を見つめながら続けて呟いた。
「これやるとお家ですごく怒られるんだ」
特別扱いされる人間とされない人間、ただ一つの宝石として扱われる人間。
そのスペアのように扱われる人間。わたしはいろいろな事を考える。
「明日三人とお話ししてみましょうか」
先輩は分かれ道で傘をくるくると回すとそれだけを言った。
