5
次の土曜日――ちょうど一週間後の放課後、わたしはまた図書室を訪れた。
雪乃先輩にどうしても確認したいこと、聞きたいことがあったのだ。
先輩は、なんとなくわたしが来ることがわかっていたような困ったような微笑みで出迎えてくれた。
その表情とは裏腹に、心の中を感じさせない丁寧な所作でお茶を淹れてくれる。
先日とは違うティーカップと茶葉、今日はスパイシーで目の覚めるような香りだ。
なかなか話を切り出せずにいると、先輩が水を向けてくれる。
「私に、聞きたいことが……あってきたんでしょう?」
やはりなんでもお見通しのようだ。
その気持ちに答えて、率直な言葉でわたしは問いかける。
「先輩……わたしに嘘っていうか、隠し事……してますよね?」
「えへへ、やっぱりバレちゃった?名探偵もかちゃんにはかなわないな」
冗談めかした言い方についカッとなってしまう。
「そんな言い方やめて!」
「……本当のこと……教えて……ください」
慌てて敬語で付け加える。
わたしの剣幕にも表情を動かさず
「どうして、嘘ついてるってわかったの?」
本当に仕方ないなあ、という様子の先輩。
「わたしにだって、少しくらいは……人を見る目はあります……」
「あの時、わたし楽しかったんです。あの時の先輩、いつも遠くから見てた印象と全然違ってて、すごく楽しそうで……」
「でも……最後の最後だけ、うわべを取り繕うような、そんな顔……してたから」
「わたしのおかげって言った時の先輩の顔——」
「いつも……みんなにしてる顔と一緒だったから」
真正面からわたしの目を見据える先輩の顔は怖いくらい痛ましい。
心の奥底まで見透かして来そうな、射抜くような視線。
これが、雪乃先輩の本当の顔、剥き出しの魂なのだろうか。
いつもの温かい夕暮れのような瞳は、雪原の朝焼けのように凍てついて見える。
「私なりの気づかいのつもりだったんだけどな」
「本当に……本当のことを言ってもいいの?」
やれやれ困ったなという雰囲気で軽く首を振る。
「別れ際の先輩の顔、すごく悲しそうだったから……」
「一人で抱えるの……」
「よくない事だと……思うから」
真相が知りたいのか、先輩と痛みを共有したいのか、自分でも言い表せない気持ちでわたしは答える。
そんな今にも泣き出しそうなわたしに向かって
「もかちゃん、ありがとうね」
そういうと、あのはにかんだ笑顔を向けてくれた。柔くて……心に染み入るような暖かさを感じる。
この笑顔が見れるなら後悔なんてきっとない。冷めはじめたお茶を、わずかに口に含むと先輩は覚悟を決めた瞳をわたしに向けて話しはじめた――
「ほとんどはわたしの推理——推測になるけど――部分的には確認をとってあるわ」
そう前置きすると雪乃先輩は続ける。
「話の始まりは四十年くらい前、あの人が役者としてうまくいかず、人間関係もこじれていた頃……」
「そんな彼女が、転がり込んだのは双子の姉の家だった」
「双子……?どういうことですか?」
最後まで聞くつもりが、いきなり話が飲み込めなくて質問をしてしまう。
「いい、もかちゃん」
「何かを見たり聞いたりした時、その事実とおりに受け取るのは本当に難しい事なの」
「もし、どんなに姿形が似ていても性格が全く別の人がいたら、それは同じ家にもう一人
住んでるって考える方が自然じゃない?」
「一人暮らしのおばあちゃん……でも、実際の家族構成を知っている人がどれだけいるのかしら?あの辺は比較的新しくできた住宅が多いからなおさらよね?」
「二人を一度に見なければ、気持ちにムラのあるお婆さんが一人で住んでると思っちゃうかもしれない」
「同じように……仕事をしてない人がバラに囲まれたお屋敷に住んでいたら、それはお金持ちが遺産で暮らしていると誰もが思い込んでしまう」
「まず私はそこから仮定をスタートしてみることにしたの」
先輩は話を続ける。最初の前提が違うといつ気づいたのだろうか?
「もかちゃん言ったよね?お屋敷に住みはじめると同時に役者も辞めてしまったって」
「それを聞いて私、少し不思議な感じがしたの」
「もし最初から遺産があるなら、お屋敷を売って、あるいは住み続けて役者を続けることもできるからね」
テレパシーでもあるかのようにわたしの疑問に答える。
「もちろん、もかちゃんが考えたように、もう引退してずっと引っ込んでるって可能性もあるけれどね。でも、それが事実だと思っちゃうと……色々な可能性を見逃してしまうから……」
「あのお屋敷は自分のものではないんじゃないかって私は考えたのよ。遺産ではなくて居候、もっというと召し使いのような存在」
「お屋敷はお姉さんのもので、だから役者を辞めることが住まわせる条件だったんじゃないかな」
急に喋りすぎたのか、先輩は軽く咳き込むと紅茶で喉を湿らせる。澄んだ琥珀色の液体を慎重に一口、二口と口に含む。
カップのふちに触れる唇、こくん、と紅茶が滑り落ちる喉を黙って見つめる。
こほこほと咳をする様子が苦しそうで、同時に不思議な艶かしさを感じてしまう。
なんだか変な目で先輩のことを見ている自分に気づいてしまう。今はそんなことを考えている時じゃない。
軽く頭を振って先輩の思考をトレースしようと試みる。
ボヤで助けられたっていうのは本当のことなのだろう。お屋敷自体は不要だった……
ということは、お金がなくてやはりお屋敷が人手に渡るというところまではあっているのだろうか?
つまり、おばあちゃんはお金と自由目当てで今回の事件を起こしたことになる。
もしあそこに一人で住んでたなら、自分のお家を燃やしちゃうのはありえない……
ここまでは大丈夫よね?自分に問いかける。
一つ大きく深く息を吐くと、先輩は続ける。
「お姉さんはあの家を生前分与で相続してから、ずっと独身だったみたい」
「この辺はちゃんと確認を取ってるところだから、質問はなしね」
「身持ちを堅く、親の言うままに――婚期も逃して一人過ごしていた姉の元に、奔放な暮らしをしていた妹が転がり込んでくる」
「人に騙されて無一文な上に、女優も引退となると年齢も若くなかったんじゃないかな」
「これまでさんざん芸術の世界に生きてきて、今から普通の仕事につくのも難しい……ということでそれからの数十年、姉の世話をしながら住み込みの家政婦さんのように生きていく」
「さっき説明しそびれたけど、最初から実家に戻らなかったのは、お姉さん以上にご両親とは仲が悪かったのかもしれないね」
「そうやって我慢して過ごした数十年、姉が投資で大失敗をしたことを知ってしまう」
「我慢って言うけど、お姉さんからしたら自分の方が我慢した一生だったんでしょうね」
「それでお姉さんはすごく怒りっぽい人になっちゃった……んでしょうか?」
恐る恐る質問を挟む。
「多分ね」
そっけない口調とは裏腹にとても悲しそうな目で言う。
「お気に入りの食器や色々なものを売ってしのぐわけだけど、いよいよお屋敷も危ない」
「花瓶も高いものはとうの昔に手放してたのかもしれないね」
「どうしよう、どうしようと考えている時に千載一遇のチャンスがやってきたの」
「遠方に住む、彼女の母親が施設に入ることになったの」
話がどんどん飛躍していって、ついていけない感じがする、でも先輩はわたしの話を聞いてこの結論を出しているのだ。自分で話した事を一生懸命思い出す。
「あのいろんな封筒ですか?どこかから届いた達筆の封筒……とかの」
「そうだね」
短く言葉を切りながら話を続ける先輩。
「あのおばあちゃんにとって、このお屋敷以外にはよるべがない」
「でも、母親が家を引き払って施設に入るなら話は別なのよ」
「住み慣れた我が家を懐かしく思う気持ちも、あったんじゃないかな?」
「ひょっとしたら実家のお家もバラが綺麗だったのかも。この辺はほとんどが私の推理。施設に入るとこは本当だけれど」
雪乃先輩はそう説明してくれた。
「ずっと独り暮らしをしていた老人が火事で亡くなる」
「その保険金の受取を自分自身にする、偽名なのか本名で母親と同居してることにしてたのかも」
「遠縁の親戚ということにしていたんじゃないかなって私は思ってるけどね」
「母親と彼女たち以外には親戚もいなかったようだから、連絡がいく心配もない」
「ここも事実確認をしてあるわ」
先輩は、ひとしきり説明を終えると、疲れた様子で力を抜いてソファにもたれかかる。
うつむいて、乱れた前髪がその表情を覆い隠している。
「わたしがお話ししてたおばあちゃんは妹さんの方でいいんですよね?」
「本当はね、誰彼構わず怒鳴り散らしてくる、お姉さんが企んだ事件」
「そう言ってあげたいけれど」
「もかちゃんにこれ以上嘘はつきたくないから……」
大きく、深く長いため息をつくと先輩はそう言った。
「あの優しいおばあちゃんが保険金目当てに」
「お姉さんを殺そうと……したってことですか?」
いつもバラの話を楽しそうにしていた、あんな優しげな人なのに。
「そんな……ことって」
わたしはうまく感情が整理できないまま口をついた言葉を反芻する。ゆっくりと息を吐きながら先輩は窓の外を見ながら話はじめた。
「羽をもがれた小鳥……鳥籠の中でどんな気持ちだったのかな」
「ずっと暮らした姉を殺してでも……いや、ずっと暮らしてたからこそかな?」
「残りの人生を華やかに過ごしたかった」
話続ける先輩は、まだ少し呼吸が浅い。
「それでも、大好きなお花は燃やしたくはなかった」
ひとことひとこと、区切りながら話す。苦しいのは体?それとも心だろうか?
「肉親を殺したいほどに恨みが深くても」
「美しい薔薇のことは心から愛していた」
「その気持ちがわかる、とは私には言えないけど」
先輩はそれだけ言うと黙り込んでしまった。
もし同じ立場だったら……わたしならどうしただろう?
答えが出ない先輩も同じだろうか?それとも先輩は自分ならこうするという考えがあるんだろうか?
「これで話はおしまい。ね、聞かない方がよかったでしょ?」
「それとね——もうここには……来ないで欲しいかも」
話をのみ込むのに精いっぱいのわたしに、先輩は困ったような笑顔を向けながら言う。
わたしは、雪乃先輩のお願いには答えず、自分の疑問を口にする。
「あのおばあちゃん……どうなりますかね?」
「そうね、未遂だったからね、一応、私の方からいろいろ頼んでおいた」
「だから、多分大丈夫。こう見えて、ほんの少しだけど警察の方と知り合いなの」
電話をかけていたのは、その知り合いの警察官なのだろう。
それで事件を未然に防いだ……
「あの二人はそれぞれに別々に……幸せに過ごしてくれたらいいけど」
先輩は静かに言った。その声には、言い知れぬ悲しみがこもっていた。
「だから、もかちゃんには聞かせたくなかった」
「優しいおばあちゃんの思い出を持ち続けてもらいたかったから……」
朝から雲に閉ざされた空も、いつの間にか晴れ間が見えていた。
雲間から差し込める光が銀色の髪に届いて柔らかなコントラストを作り出している。
窓の外から少し湿り気を帯びた、梅雨の前触れのような空気が風と共に入ってくる。遠くで雨が降っているのだろうか?
ひんやりとした湿気に乗って鳥のさえずりが聞こえた気がした。
次の土曜日――ちょうど一週間後の放課後、わたしはまた図書室を訪れた。
雪乃先輩にどうしても確認したいこと、聞きたいことがあったのだ。
先輩は、なんとなくわたしが来ることがわかっていたような困ったような微笑みで出迎えてくれた。
その表情とは裏腹に、心の中を感じさせない丁寧な所作でお茶を淹れてくれる。
先日とは違うティーカップと茶葉、今日はスパイシーで目の覚めるような香りだ。
なかなか話を切り出せずにいると、先輩が水を向けてくれる。
「私に、聞きたいことが……あってきたんでしょう?」
やはりなんでもお見通しのようだ。
その気持ちに答えて、率直な言葉でわたしは問いかける。
「先輩……わたしに嘘っていうか、隠し事……してますよね?」
「えへへ、やっぱりバレちゃった?名探偵もかちゃんにはかなわないな」
冗談めかした言い方についカッとなってしまう。
「そんな言い方やめて!」
「……本当のこと……教えて……ください」
慌てて敬語で付け加える。
わたしの剣幕にも表情を動かさず
「どうして、嘘ついてるってわかったの?」
本当に仕方ないなあ、という様子の先輩。
「わたしにだって、少しくらいは……人を見る目はあります……」
「あの時、わたし楽しかったんです。あの時の先輩、いつも遠くから見てた印象と全然違ってて、すごく楽しそうで……」
「でも……最後の最後だけ、うわべを取り繕うような、そんな顔……してたから」
「わたしのおかげって言った時の先輩の顔——」
「いつも……みんなにしてる顔と一緒だったから」
真正面からわたしの目を見据える先輩の顔は怖いくらい痛ましい。
心の奥底まで見透かして来そうな、射抜くような視線。
これが、雪乃先輩の本当の顔、剥き出しの魂なのだろうか。
いつもの温かい夕暮れのような瞳は、雪原の朝焼けのように凍てついて見える。
「私なりの気づかいのつもりだったんだけどな」
「本当に……本当のことを言ってもいいの?」
やれやれ困ったなという雰囲気で軽く首を振る。
「別れ際の先輩の顔、すごく悲しそうだったから……」
「一人で抱えるの……」
「よくない事だと……思うから」
真相が知りたいのか、先輩と痛みを共有したいのか、自分でも言い表せない気持ちでわたしは答える。
そんな今にも泣き出しそうなわたしに向かって
「もかちゃん、ありがとうね」
そういうと、あのはにかんだ笑顔を向けてくれた。柔くて……心に染み入るような暖かさを感じる。
この笑顔が見れるなら後悔なんてきっとない。冷めはじめたお茶を、わずかに口に含むと先輩は覚悟を決めた瞳をわたしに向けて話しはじめた――
「ほとんどはわたしの推理——推測になるけど――部分的には確認をとってあるわ」
そう前置きすると雪乃先輩は続ける。
「話の始まりは四十年くらい前、あの人が役者としてうまくいかず、人間関係もこじれていた頃……」
「そんな彼女が、転がり込んだのは双子の姉の家だった」
「双子……?どういうことですか?」
最後まで聞くつもりが、いきなり話が飲み込めなくて質問をしてしまう。
「いい、もかちゃん」
「何かを見たり聞いたりした時、その事実とおりに受け取るのは本当に難しい事なの」
「もし、どんなに姿形が似ていても性格が全く別の人がいたら、それは同じ家にもう一人
住んでるって考える方が自然じゃない?」
「一人暮らしのおばあちゃん……でも、実際の家族構成を知っている人がどれだけいるのかしら?あの辺は比較的新しくできた住宅が多いからなおさらよね?」
「二人を一度に見なければ、気持ちにムラのあるお婆さんが一人で住んでると思っちゃうかもしれない」
「同じように……仕事をしてない人がバラに囲まれたお屋敷に住んでいたら、それはお金持ちが遺産で暮らしていると誰もが思い込んでしまう」
「まず私はそこから仮定をスタートしてみることにしたの」
先輩は話を続ける。最初の前提が違うといつ気づいたのだろうか?
「もかちゃん言ったよね?お屋敷に住みはじめると同時に役者も辞めてしまったって」
「それを聞いて私、少し不思議な感じがしたの」
「もし最初から遺産があるなら、お屋敷を売って、あるいは住み続けて役者を続けることもできるからね」
テレパシーでもあるかのようにわたしの疑問に答える。
「もちろん、もかちゃんが考えたように、もう引退してずっと引っ込んでるって可能性もあるけれどね。でも、それが事実だと思っちゃうと……色々な可能性を見逃してしまうから……」
「あのお屋敷は自分のものではないんじゃないかって私は考えたのよ。遺産ではなくて居候、もっというと召し使いのような存在」
「お屋敷はお姉さんのもので、だから役者を辞めることが住まわせる条件だったんじゃないかな」
急に喋りすぎたのか、先輩は軽く咳き込むと紅茶で喉を湿らせる。澄んだ琥珀色の液体を慎重に一口、二口と口に含む。
カップのふちに触れる唇、こくん、と紅茶が滑り落ちる喉を黙って見つめる。
こほこほと咳をする様子が苦しそうで、同時に不思議な艶かしさを感じてしまう。
なんだか変な目で先輩のことを見ている自分に気づいてしまう。今はそんなことを考えている時じゃない。
軽く頭を振って先輩の思考をトレースしようと試みる。
ボヤで助けられたっていうのは本当のことなのだろう。お屋敷自体は不要だった……
ということは、お金がなくてやはりお屋敷が人手に渡るというところまではあっているのだろうか?
つまり、おばあちゃんはお金と自由目当てで今回の事件を起こしたことになる。
もしあそこに一人で住んでたなら、自分のお家を燃やしちゃうのはありえない……
ここまでは大丈夫よね?自分に問いかける。
一つ大きく深く息を吐くと、先輩は続ける。
「お姉さんはあの家を生前分与で相続してから、ずっと独身だったみたい」
「この辺はちゃんと確認を取ってるところだから、質問はなしね」
「身持ちを堅く、親の言うままに――婚期も逃して一人過ごしていた姉の元に、奔放な暮らしをしていた妹が転がり込んでくる」
「人に騙されて無一文な上に、女優も引退となると年齢も若くなかったんじゃないかな」
「これまでさんざん芸術の世界に生きてきて、今から普通の仕事につくのも難しい……ということでそれからの数十年、姉の世話をしながら住み込みの家政婦さんのように生きていく」
「さっき説明しそびれたけど、最初から実家に戻らなかったのは、お姉さん以上にご両親とは仲が悪かったのかもしれないね」
「そうやって我慢して過ごした数十年、姉が投資で大失敗をしたことを知ってしまう」
「我慢って言うけど、お姉さんからしたら自分の方が我慢した一生だったんでしょうね」
「それでお姉さんはすごく怒りっぽい人になっちゃった……んでしょうか?」
恐る恐る質問を挟む。
「多分ね」
そっけない口調とは裏腹にとても悲しそうな目で言う。
「お気に入りの食器や色々なものを売ってしのぐわけだけど、いよいよお屋敷も危ない」
「花瓶も高いものはとうの昔に手放してたのかもしれないね」
「どうしよう、どうしようと考えている時に千載一遇のチャンスがやってきたの」
「遠方に住む、彼女の母親が施設に入ることになったの」
話がどんどん飛躍していって、ついていけない感じがする、でも先輩はわたしの話を聞いてこの結論を出しているのだ。自分で話した事を一生懸命思い出す。
「あのいろんな封筒ですか?どこかから届いた達筆の封筒……とかの」
「そうだね」
短く言葉を切りながら話を続ける先輩。
「あのおばあちゃんにとって、このお屋敷以外にはよるべがない」
「でも、母親が家を引き払って施設に入るなら話は別なのよ」
「住み慣れた我が家を懐かしく思う気持ちも、あったんじゃないかな?」
「ひょっとしたら実家のお家もバラが綺麗だったのかも。この辺はほとんどが私の推理。施設に入るとこは本当だけれど」
雪乃先輩はそう説明してくれた。
「ずっと独り暮らしをしていた老人が火事で亡くなる」
「その保険金の受取を自分自身にする、偽名なのか本名で母親と同居してることにしてたのかも」
「遠縁の親戚ということにしていたんじゃないかなって私は思ってるけどね」
「母親と彼女たち以外には親戚もいなかったようだから、連絡がいく心配もない」
「ここも事実確認をしてあるわ」
先輩は、ひとしきり説明を終えると、疲れた様子で力を抜いてソファにもたれかかる。
うつむいて、乱れた前髪がその表情を覆い隠している。
「わたしがお話ししてたおばあちゃんは妹さんの方でいいんですよね?」
「本当はね、誰彼構わず怒鳴り散らしてくる、お姉さんが企んだ事件」
「そう言ってあげたいけれど」
「もかちゃんにこれ以上嘘はつきたくないから……」
大きく、深く長いため息をつくと先輩はそう言った。
「あの優しいおばあちゃんが保険金目当てに」
「お姉さんを殺そうと……したってことですか?」
いつもバラの話を楽しそうにしていた、あんな優しげな人なのに。
「そんな……ことって」
わたしはうまく感情が整理できないまま口をついた言葉を反芻する。ゆっくりと息を吐きながら先輩は窓の外を見ながら話はじめた。
「羽をもがれた小鳥……鳥籠の中でどんな気持ちだったのかな」
「ずっと暮らした姉を殺してでも……いや、ずっと暮らしてたからこそかな?」
「残りの人生を華やかに過ごしたかった」
話続ける先輩は、まだ少し呼吸が浅い。
「それでも、大好きなお花は燃やしたくはなかった」
ひとことひとこと、区切りながら話す。苦しいのは体?それとも心だろうか?
「肉親を殺したいほどに恨みが深くても」
「美しい薔薇のことは心から愛していた」
「その気持ちがわかる、とは私には言えないけど」
先輩はそれだけ言うと黙り込んでしまった。
もし同じ立場だったら……わたしならどうしただろう?
答えが出ない先輩も同じだろうか?それとも先輩は自分ならこうするという考えがあるんだろうか?
「これで話はおしまい。ね、聞かない方がよかったでしょ?」
「それとね——もうここには……来ないで欲しいかも」
話をのみ込むのに精いっぱいのわたしに、先輩は困ったような笑顔を向けながら言う。
わたしは、雪乃先輩のお願いには答えず、自分の疑問を口にする。
「あのおばあちゃん……どうなりますかね?」
「そうね、未遂だったからね、一応、私の方からいろいろ頼んでおいた」
「だから、多分大丈夫。こう見えて、ほんの少しだけど警察の方と知り合いなの」
電話をかけていたのは、その知り合いの警察官なのだろう。
それで事件を未然に防いだ……
「あの二人はそれぞれに別々に……幸せに過ごしてくれたらいいけど」
先輩は静かに言った。その声には、言い知れぬ悲しみがこもっていた。
「だから、もかちゃんには聞かせたくなかった」
「優しいおばあちゃんの思い出を持ち続けてもらいたかったから……」
朝から雲に閉ざされた空も、いつの間にか晴れ間が見えていた。
雲間から差し込める光が銀色の髪に届いて柔らかなコントラストを作り出している。
窓の外から少し湿り気を帯びた、梅雨の前触れのような空気が風と共に入ってくる。遠くで雨が降っているのだろうか?
ひんやりとした湿気に乗って鳥のさえずりが聞こえた気がした。
