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「わたし、今日は変に早く目が覚めちゃったんです」
「天気も良かったから少し散歩しながら学校に行こうかなって」
これが本当の紅茶なのだと、わたしでも分かる丁寧な手順で淹れられた紅茶を飲みながら答える。
緊張しながらお茶を飲むわたしを、見つめながら先輩はいう。
「お茶のお味はどう?好みにあっていたらいいのだけれど」
気になることがあると、じっと見ながら話しかけてくるのが癖のようだ。
「あ、すごく……美味しいです……なんだか不思議な香り」
人から見つめられることに慣れていないわたしは、その瞳にどぎまぎしながら答える。
「中国紅茶にバラとライチの香りをつけたフレーバーティーなの」
「アイスティーで入れても美味しいのよ。水出しで夜のうちに作っておいてね、朝いただくの。もし気に入ったなら、お土産に少し持って帰る?」
「もう一種類、モーニンググローリーっていうお茶と悩んだの」
「ほら、今日の朝、初めてお話ししたでしょう?」
「でも今日は少し暑かったから、こんな日は爽やかなお茶の方が合うかなって?今くらいの季節の午後には……ちょうどいいお茶がね、たくさんあるからすごく悩んだのだけれど。でも、もかちゃんの薔薇をみて声をかけたわけだから」
「やっぱり薔薇のフレーバーかなって♪」
少し早口で話し終える先輩。お茶マニアなのだろうか。
わたしの家でも紅茶はよく飲むけれど、いつもティーバッグだ。
一番手軽で美味しいのよ、と母は口癖のように言っている。
そんなわたしだから当然、その日に合わせた紅茶選びなんてしたことがない。
お嬢様ばかりの清心館女学院だけれど(わたしは数少ない例外)
さらにその頂点というだけあってやっぱり一味違う人だと思い知らされる。
でも、こんなおもてなしをされたのは初めてで、まんざらでもない気分だった。
お茶だけでなく、出してくれたカップはわたしでも知っているアンティークで戸棚の中の調度品は名前は知らなくとも上等とわかるものばかり。先輩の私物だろうか?
お茶を飲んだことでわたしにも少し周囲を見渡す余裕ができたのだろうか?
そんなことを考えながら話を続ける。
「今日は、通学路の途中にある、お花が綺麗なお家を巡りながら登校してたんです。あそこの、先輩の言うとおり三丁目のおうちのおばあちゃんに急に声をかけられて。まだ七時前なのに、寄っていかないかって」
「ちょっと困っちゃったんですけど、おばあちゃんがあんまり言うものだから」
「それでおうちに上がったの?」
先輩が疑問を投げかけてくる。
「そうなんです。普通、通学中の学生を家にあげます?」
「あまりあげないよねぇ」
話に引きこまれているのか、気さくな口ぶりで相槌をうつ先輩。
「でもあそこから学校までなら二十分もあれば着くかなって。おばあちゃんも熱心に誘ってくるものですから……それでお家でお茶と、せっかくだからってバラを頂いて……一度帰ろうと思ったんですけど、思ったよりも長居をし過ぎてしまって、それでそのまま学校に来ることになったんです」
「ただそれだけの話なので……これ以上何も面白い話はないんですけど……」
何か……何か他にも不思議な事があれば、もう少し先輩と話ができるのに、そんなことを考えている自分に驚く。
他に何か無かったか考えながら、ふと目を上げると、アンティークの食器棚のガラス越しにチラチラと見てくる子たちの視線とぶつかる。入学した当初のことを思い出して、いたたまれない気持ちがまた首をもたげてくる。
さっきまでの気持ちもどこへやら、である。そんなわたしの気持ちを察したのか、雪乃先輩は
「私一人の時はもう少し大人しいんだけど。ごめんね」
言いながら高級な洋菓子店のスイーツを勧めてくる。
「ちょうどバラのマカロンを差し入れでいただいてたの。一緒に食べましょう?」
「今日はバラづくしだね」慣れた手つきでマカロンを味わう先輩。
わたしもおそるおそる一口かじる。鼻に抜ける薔薇の香りと口に広がる上品な甘味。
「あ、美味しい……」
つい素直すぎる感想が、口からこぼれてしまう。
雪乃先輩は満足げに頷きながら
「この薔薇のお花、すごく色々な種類があるよね」
「そうですね、毎年新しい品種作りにチャレンジしたり色々研究してるっておばあちゃん言ってました」
バラ研究家か、難しそうだがやりがいのありそうな仕事だなと思う。
何より綺麗な花に囲まれて毎日楽しそうだ。バラの世界的な賞なんかもあった記憶がある。そんな賞を取って、インタビューされたりして……いけない、今日は妄想がひどすぎる。どちらかといえばバラを手に持ってインタビューを受けるのが似合うのは目の前の雪乃先輩だろう。
「ほかに変わったことはなかった?」
「私、ちょっと変わった話が好きなの」
「ほら推理好きの変人だ、ってみんなも言ってるんでしょ?」
「変人だなんて、そんなことはないですよ」
「みんな……先輩のこと好きですよ」
「こんな見た目だからね……それを見て、好きっていってくれる人は」
「……確かに多いかなあ……」
冗談めいた口調は、どことない自嘲と、言い知れぬ寂しさを帯びている。
なんとなくその言葉に、勇気を出してもう少しだけ話していこう。そう思い直す。
その時、少し不思議に感じたことを思い出した。
「そういえば……」
「ちょっと気になることを思い出したんですけど、せっかくなので聞いてもらっても良いですか?」
気になることがある、と言った瞬間、雪乃先輩の目はキラキラと輝く。
「ええ、もちろんよ」
「そのために来てもらったんだから。もっともっとお話ししましょう?」
弾むような声と表情はクリスマスの朝にプレゼントと出会った幼な子のようだ。
「あ、ちょっと待って!もかちゃんは推理物の本は読む?」
「せっかくの機会だから、もかちゃんのお話を聴きながら、もかちゃんが気になったことの推理……をしていくのはどう?推理っていうと言い過ぎかな?」
また早口で言いながら、急に身を乗り出して顔を寄せてくる。近い近い近い。どうやら好きな話題になると本人も自覚なしにこのようになってしまうらしい。
興奮した様子の先輩に気づかれないようにゆっくりと身を引く。頬の熱は温かい紅茶のせいだと思うことにする。
「推理もの……ミステリ小説ですか?少しは読みますけど。要するに安楽椅子探偵ごっこをしたい、ってことですよね?」
安楽椅子探偵とは、言葉の通りで、事務所の椅子から動かずに事件の話を聞いただけで謎を解決する探偵物のことだ。わたしもいくつかは読んだ事がある。
「ごっこ遊びっていうと流石に子供っぽくないかしら?推理ゲームってことにしない?」
頬を膨らましながら先輩はそんなことを言う。どちらでも変わらないと思うのだけど。
不可解な出来事を話しながら読み解いていく推理小説の内容を思い出してみた。そんな物語で読んだような出来事が始まるわけはないと思いつつも
「ちょっと……楽しそうです」
また、なんのひねりもない感想を言ってしまう。
「ふふ、今日初めて笑顔見た気がする。もかちゃんの笑顔、とっても素敵ね」
内心、ワクワクしていたのは本当だが、笑顔……笑顔が出ていただろうか?
無意識に緩んでいた頬をむにむにと引っ張りながら考える。
変人という噂は先輩への揶揄と思っていたけれど本当の事かもしれない。美人にありがちな八方美人な見た目とは裏腹の冷血な心。
図書室にいる手下を引き連れた魔王というわたしが抱いていたものとは違う素顔。そして、どちらかというと悪口としての噂話が本当だったこと。それが、逆にわたしの先輩に対する好印象につながっていることに気づいてしまう。
「じゃあ改めて初めからお話よろしくね。一度話したことも遠慮なくね」
少し腰を浮かせてから、スカートを綺麗に巻き込んで座り直すと先輩はそう言った。先輩の所作も改めて観察するといちいち美しい。軽やかで、それでいて優雅なのに嫌味がない。少し芝居がかったきらいはあるものの、それがまた動きに華やかさをあたえている。
こう見えるのも、わたしが先輩に抱いていた先入観が薄れてきたからだろうか?
「実はわたしも散歩が好きでよく歩くんですけど。その時に庭でバラの剪定をしているおばあちゃんと仲良くなっちゃって、それで……」
「実はその家にはこれまでにも何度かあがらせてもらったことがあるんです」
その言葉を聞くと先輩はしげしげとわたしを見つめながら言う。
「こういうこと言うの失礼かもだけど、おばあちゃんのお誘いを断れずにお邪魔しちゃうタイプなんだ」
「ちょっと思ってたイメージと違ってた」
口元を隠しながら、くすくすと可笑しそうに笑う。
「おばあちゃんっ子だったんですよ……悪いですか……」
口の中で、もごもごとつぶやく。
わたしにどんなイメージを持ってるのか。そもそも初対面なのに……それに、押しに弱いから今日ここにこうして来ていると言うのに。自分も雪乃先輩に勝手なイメージを押し付けていたことは棚にあげながら、非難の目を向けると、ニコニコとした笑顔を正面から見てしまい慌てて目をそらす。
気付けば、また前髪を引っ張りながらわたしは次の言葉をさがす。
「もちろん、今日みたいな登校中は初めてですけど」
「下校中とかお休みの日の散歩の途中に招かれることが何度かあって」
「それで、気になったことっていうのが……」
気になることがあるとはいったものの、大したことじゃないと思えてくる。
「ね、どんな小さなことでもいいから」
先を促すような先輩の言葉。
「庭のバラが満開なのに」
「部屋の中の花瓶が空だったんです」
やはり、くだらない話すぎただろうか?二人とも黙ったままの時間が続く。
「薔薇屋敷の花瓶が全て空なんて……これは……薔薇屋敷の怪事件ね」
先輩は急にそんな事を言い出した。事件は何も起こっていないのだけど……?
「それって……今回が初めて?今までにも同じようなことはあった?」
自分で言ったことに少し照れた様子でコホン、と一つ咳払いをして先輩がいう。
「覚えている限りでは……そうですね。毎回バラの季節にお呼ばれしていたので」
「しかも花瓶の数が一つや二つじゃないんですよ」
「部屋の数はそうでもないんですけど。部屋の中に花瓶たくさんあるんです。その全てが空なことってあります?」
「お花好きな人って、お庭が満開なら必ずお家の中もお花で埋め尽くすよね」
「こういうのって決めつけかな?」
真剣な顔で考えている先輩。よほどこの推理ゲームが楽しいのだろうか?
「たまたま、お花の入れ替えタイミングだったっていうのじゃダメですよね?」
我ながら、つまらない答えだ。
「お花を生けるときって花瓶のお掃除をして新しいお花と入れ替えるんじゃないかな?」
わたしの答えを言葉を選びながら却下して
「せっかくだし、色々、考えてみようか」
わたしの意見を引き出していこうとする。
「そうですよね……なるべくありえないことを考えてみます」
「まず、朝六時に花瓶のお花を全て片付けるかが問題ですね」
「前日にお花を入れ替えるなら……次の日の朝、つまり今朝は花瓶はいっぱいよね」
確かにその通りだと思う。
「それにあの地域ってゴミの日は月水金だよね」
お嬢様はゴミの日なんて把握してないと思っていたが違うようだ。
「今日は土曜です。もし昨日お花入れ替えてるなら、やっぱりちょっと変ですよね?」
「庭に埋めるかもしれませんけど……そういうのもお年寄りには結構大変ですから」
「枯れたバラはゴミの日に出している。っていうのはとりあえずそれでいいですけど」
わたしはどうしてもお花を捨てるのが苦手なのだ。
それで、切り花の類はなるべく買わないようにしている。
その気持ちが表に出過ぎていたのか、先輩は言った。
「ゴミ箱にお花を捨てるのって少し抵抗あるよね。わかる。ごめんね」
ちょっとしょんぼりした様子で、うんうんわかるよ……と頷きながら、先輩は推理を続ける。
「つまり、お花は昨日のうちに花瓶から出した……」
「けれど新しいのを生けることはしなかったっていうことね」
「古いお花は片付けたけど、新しいのを生けなかった……はやっぱり変だよね?」
はっきりと変だとは断言し難いけれど、自分から切り出した話なのでなるべく真剣に考えてみる。
「でも、もし切るのが億劫なら、わたしにくれるためにわざわざ剪定しませんよね」
「じゃあどうしてなんででしょう?」
「人に持っていってもらう分には良いけど、お家には飾れない……」
「真っ先に思いつくのは……お家を何日か開けるから?」
雪乃先輩の言葉も意外に普通の答えだ。でも確かにそれが一番ありうることだとも思う。
なんとなく天才的な名探偵が言うような、突拍子もない答えが出てくると勝手に期待していた自分に気づいてしまう。
そもそも、何の変哲もないことを謎に仕立てているだけなのだからそんな答えがあるわけはないのに。
「それはありえますね」
「お家を開けるから、花瓶に花を生けなかったということにしますか」
「外出の理由ですけど、一日二日なら、花も持つんじゃないですか?」
「なるべく新鮮な花を飾りたいって思うかもだけど」
「どういう理由でどのくらいの日数出かけるんでしょうか?」
「最低でも一週間以上の外出かしら?……ちょっと情報が足りないね」
「この部分の検討は後にしようか?」
雪乃先輩は続ける。
「他には何かある?」
何かあったか……変わったこと変わったこと……こんなに頭を使うのはテスト中に苦手な数学の公式を思い出すときか……あるいは、推しにいくら課金するか考える時。
それ以外だと、本屋に行って欲しい本が複数あるのに、お金は一冊分しかない時……そのくらいだ。
「うーん……そうだ!」
やっと思い出せた喜びから敬語を忘れてしまう。
「これは本当に変だってことがあったんですよ。うん、これは変なはずです」
「うんうん、そうやってお話ししているうちに新しい事が出てくるのは楽しいね」
「お茶、もう一杯いかが?すぐ淹れ直すから。その間にどんどんお話ししてね?ちゃんと聞いてるからね?」
先輩はいそいそと立ち上がり新しいティーポットを用意してくれる。
それを横目に見ながらわたしは続けた。
「お茶をご馳走になったって言いましたよね?」
「その時、紅茶が湯呑みで出てきたんですよ」
「これって、絶対変じゃないですか?」
その場では、ものすごく違和感だったのに、人間の記憶はずいぶん曖昧だなと思う。
登校中に先輩が話しかけてきたせいで衝撃が上書きされていたということにしておこう。
それがなければちゃんと覚えていられたはずだ。
茶葉を計量している先輩の手が止まる。
振り返ってわたしを見つめている瞳は少し怖いくらい輝き、ほんの僅かに眉根を寄せた。
謎に対する好奇心と何か別に気になることがあるのか。
そんな気持ちが混ざり合ったような表情。
「洗い物が片付いてなくてっていうんですけど、紅茶を湯飲みで出します?」
「以前行った時はちゃんとティーカップで、来客用だと思うんですけど……」
「品のいい豪華なやつで出たんです」
先輩が聞きたそうなことは先回りして言っておくことにする。
「以前に見たものがどんなものだったか覚えてる?」
何度もお邪魔した家のことなのに意外と思い出せない。必死に記憶の糸をたぐり寄せる。
「そうですね……こんな感じの、すごく高級そうな」
目の前のティーカップをよく観察しながら、驚きの声をあげてしまう。
「あっ!ひょっとしたら……これと同じ?もの……だった……かもしれません」
そんなことってあるだろうか?自分で言ったものの、にわかには信じられない。
「確証は持てませんけど……」
どんどん弱気になってそう付け足す。
「でも、なんだか見覚えあるなって、これを見た時に思ってたんです」
そうはいうものの、全く自信がない。まあいいのだ、これは遊び、推理ゲームなのだし。
そもそもこの手の食器は似たようなデザインが多すぎるし、絵は好きだけど、わたしの中学時代の美術の成績はお察しというやつなのだ。(高校では音楽を選択した)
「これ、結構高いんじゃないですか?」
わたしの質問に対して、紅茶をこぼさないようにカップを目の高さまで持ち上げて、まじまじと観察しながら先輩はいう。
「実は、最近……骨董店で手に入れたものなのだけど……」
「さすがに、まさか……だよねえ?」
カップの縁を指先でなぞりながら雪乃先輩は考え込む。
「えっ、と、ひょっとしてお屋敷にあったカップとほんとに同じ?」
「なんてこと……ないですよね?」
事実は小説より奇なりっていうけれど、そんな事がありうるだろうか?
先輩は無言でカップを見つめている。沈黙に耐えきれず、わたしは続ける。
「ま、まあ、面白い方に考えていくのがいいんじゃないですか?」
漠然とした不安を誤魔化すように口に出す。少し自分の声が震えているのがわかる。
なんだか、話が思ってもみない方に進んでいる気がしてくる。
「もし、このティーセットがおばあちゃんが手放したものだとすると……」
答えが出せずに考え込んでしまうわたし。
「ものだとすると?」
先輩の問い。
少し考えてから
「おばあちゃんの家、お金に困っていた?ってことですかね?」
「あるいは断捨離っていうか、終活的な感じでしょうか」
「今時はそういうのも流行ってるっていいますし」
なるべく、大ごとにならない方向で自分の考えを伝えてみる。
「でも、あれだけのお屋敷で1セットもティーセットがないなんてことがあるかしら?」
「自分が使う分の食器まで処分するかなあ?お気に入りだけはとっておくんじゃない?」
先輩は納得いっていないようだ。
「じゃあやっぱり終活ってやつですかね?元気なうちに人に譲るっていう」
「そうかもしれないね」
上の空で合いの手を入れてから
「ちょっとごめんね」
断りを入れると先輩はスマホを取り出すとポチポチと一本指で打ちはじめる。
いや、正確にいうと、ぽち……ぽち………ぽち……という感じで一文字ずつ考え込みながら打っている。その姿が少し面白くて、思わず吹き出してしまう。
「わ、笑わないで……?こういう電子機器を持たせてもらうの高校から……だから慣れてなくって……」
「で、電話はちゃんとできるからね?」
照れて紅潮した頬が白い肌に際立つ。電子機器という言葉の選び方や照れる仕草が
びっくりするほどかわいいな……と思いつつ文字を打ち終わるのを待つ。
むしろ最近の子は電話をしないんじゃないだろうか?
「ふう、お待たせ。家に連絡して、このセットを購入した時のことを確認してたの」
ひと仕事を成し遂げた顔で先輩は言う。
「しばらくしたら返事が来ると思うから、少し待っててね」
その間にわたしは自分の考えを話しておくことにした。
「どうして断捨離というか終活するかは、わからないんですけど」
「毎日わたし、通学路でおうちの前を通るんですけど、怒鳴り声がする時があるんですよ。あんなやさしそうなおばあちゃんなのに」
「それっておばあちゃんご本人なの?」
「声が同じでしたよ?あと、あそこずっと一人暮らしってうちの親も言ってたので」
「ふーん、なるほどねぇ……」
聞いているのか聞いてないのかわからない、ぼんやりした口調で先輩は相槌を打つ。
「わたしも怒られた事が何度かあって」
「全部、二階からで遠目でしたけど、顔はあのおばあちゃんでした。向こうもこっちの顔がはっきりと見えないかもですから、バラ泥棒と思われたのかもしれないんですけど」
「もかちゃんがおこられちゃったの?」
あいかわらず、何かを考えているのか上の空の様子。どうしたのだろうか?
「わたしの時もあるし、近所を歩いている人の時もって感じです。ほら歳をとると性格が変わってきちゃったり怒りっぽくなるっていうから、そういうのかなあ……って。普段は優しいからお話をしてても楽しいんだけど……」
息をつかずに続ける。
「それで、ちょっと怖いのもあって、しばらくは話をしないようにしてたんですよ」
「あまり庭のバラも見ないようにしてて。でも、今日は朝早いから大丈夫だと思ってたら、急に声かけられちゃって……」
「他におうちにあげてもらったときに気になったことってある?」
「そうですねぇ……変わったことかはわかんないですけど、いつもはとても片付いたお家なのに今日だけは、部屋がすごく散らかってましたね?特にチラシ類がテーブルの上にどっさりありました。アヒルのマーク?の封筒とか老人ホームっていうんですかね、そういうところからの封筒とか。新聞も何日分もありました。あとお年寄りの人が書きそうな、達筆な封筒とかもあったと思います」
「もかちゃんよく見ててすごいね。観察力の鬼だね」
「褒めても何も出ませんけど、学校一の有名人に褒められて悪い気はしませんね」
ずっと二人でおしゃべりをしている間に思った以上に打ち解けてしまったのか、気付けば、先輩相手に軽口をたたいている自分がいる。
「褒めたら名推理が出るんじゃないかしら?」
先輩は楽しそうにくすくすと笑う。
「思い出せるのはこれで最後なんですけど……おばあちゃんの身の上話を聞いたことがあります」
「簡潔に説明だけしますけど」
「昔は役者として活動していたこと」
「若い頃はモテたこと。あの歳まで身綺麗にしてるからこれはちょっとわかります」
「なのに、結局結婚はせずにこの歳まで来たこと」
「役者をやめた時から住みはじめて、何十年も前からあの屋敷で暮らしていること」
「紅茶が大好きで色々集めていたこと」
おでこに指を当てて思い出す……
ポコン♪ポコン♪と立て続けに通知音がなる。
先輩は険しい顔で画面を見つめている。
「どう……でした?」
何も言わない先輩に向かって問いかける。
「やっぱりこの食器を売ったのはおばあちゃんみたい」
画面を見つめたまま、眉を寄せて今までに見たことがないほど難しい顔をしている。
その顔にさっきの不安が蘇ってきたわたしはおそるおそる聞いてみる。
「じゃあ、洗い物がっていうのはやっぱり嘘ってことですよね」
「推論ばっかりになっちゃうけど……ちょっと、整理してみようか」
口元に手を当てて考え込みながら先輩は続ける。
「前に生けていた花はおそらく金曜に処分した」
「花瓶に生けるのが面倒だったわけではない」
「これはもかちゃんにわざわざお花をプレゼントしてることからもわかるよね」
「そして、自分の持ち物も含めて、お屋敷のものを、なんらかの理由で手放していっている。これは私の家で手に入れたティーセットが証明しているわよね」
「つまり……何かの理由で身辺整理をしている、というのは確かみたい」
先輩は何かに気づいているのだろうか?わたしには何がなにやらさっぱりだ。
「ここから導き出されることは……導き出されること……」
やっぱり何も思いつかない。
その時、音もなく雪乃先輩が立ち上がった。
部屋の隅に向かいながら、電話をかけようとしている。
電話は簡単に出来る、と言っていたのにやはり操作がおぼつかない様子で
何度かやり直してからようやくどこかにつながる。
ひそひそ声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「ええ、生…課の……さんお願いします。はい、いらっしゃいますか?」
「わたくし、日ノ宮、はい、日ノ宮雪乃と、はい……申します」
一体どこに電話をしているのだろうか??
「ええ、ええ、お願いします。はい三丁目の」
「はい、失礼いたします……」
丁寧な挨拶をしてから電話を切る。
先輩は部屋の隅から戻ってくると、困ったような顔をして黙り込んでしまった。
また無言の時間が流れる。落ち着かないわたしは、空になったカップを何度も手に取ってはお茶が入っていない事に気づいてはテーブルに置き直してしまう。
先輩もそれに気づかないのか、お茶を淹れ直そうか?という提案もない。
気付けば図書室は二人だけになっていた。時計を見ると午後三時を回っている。
まだ高い陽が室内に濃い影を落としている。
少しずつ、ぽつ、ぽつとたわいもない会話を続ける。
先輩の生い立ちのこと、ずっと療養をしていて中学の頃はほとんど学校にも行けず…… 最近食事制限が解けてね、と嬉しそうに教えてくれた。
それからわたしの部活のこと、文芸部の部誌にのせる小説の題材に悩んでいること。ケイにも小説を書いていることは話したことはなかったのに。先輩には話してしまっている。
初対面の学生同士が話すようなゆったりとした自己紹介のようなやりとり。遠くからは運動部の掛け声。
そんな話をしながら、どのくらい経ったろう?
ようやく電話がなると、今度は座ったまま通話をはじめる先輩。
「……そう……ですか」
ホッとしたような顔。
「ええ、ではお願いいたします」
電話の相手に向かってお辞儀をすると通話を終了する。
部屋の中の緊張が解けるのを感じる。
「もかちゃんのおかげね」
一つ大きく息を吐くと先輩は話しはじめる。
「おばあちゃん、無事保護されたって」
「え、え?なんの話ですか?」
急に出て来た言葉にうろたえてしまい、言葉を続けられない。
「おばあちゃん、おうちに火をつけたけれど、大ごとにならずに済んだみたい」
「はぁ……よかった……」
その口調とは裏腹に先輩の表情はまだ翳っている。
「もかちゃんもぼんやりとわかっていたんじゃない?」
かいかぶりすぎだ、全くわかっていない。
「答え合わせって言う感じじゃなくなっちゃったけど……」
わたしは結果からさかのぼる形だが、自分の推理を先輩に話すことにした。
朝早くにも関わらず、わたしを家に招き入れたのは最後に誰かと話したかったから。
どんどん老いを感じる上に、経済的な苦しさもある。
ひょっとしたらお屋敷も抵当に入ってしまって手放さなければいけないところまでいってしまったんじゃないか?ということも。家ごと自殺を図ったということはそういうことかもしれない。
それでも、結婚しておらず、家族もいない彼女は
自分の子供のように育ててきたバラを燃やすのは心が痛んで、だから……
満開のバラの庭があるのに、室内に生ける事をしなかった……と。
「つまりは、こういう話だった……ってことでしょうか?」
「すごいね、もかちゃん。もかちゃんのおかげで一人の命が助かったね」
先輩は、いつもの、あの誰にでも向けるアルカイックスマイルでそう言った。さっきまでの親しみが嘘のような笑顔。何だかその顔を向けられると知らない世界の先輩になってしまったようで寂しくなってしまう。
「今日はこれでおしまいにしようか。私のせいで変な話になっちゃってごめんね」
急に話を切り上げようとする先輩。
「ぜひまた来てね」
言葉とは裏腹にもう来て欲しくない、そんな口調。
「いえ、でもおばあちゃん無事でよかったです……じゃあ……失礼します」
一つの事件が何事もなく解決したというのに、来たときとは別の重い気持ちを抱えながらわたしは図書室を出る。
重い足取りで教室に戻ると、ケイは先に帰っていた。英語のノートに付箋が貼り付けられている。感謝の言葉が書かれていたが綴りが間違っていて、あの子の追試が心配になる。
長く伸びてきた影をたどりながら、昇降口へと向かった。
校門から図書室を振り返ると、窓の外を見つめる先輩が目に入った。
わたしは、その姿を忘れる事ができなかった。
先輩の話を確認したくて帰り道、お屋敷の前を通ることにする。
遠くからでもわかる数台の消防車、現場検証をしている警察や消防の人たちが見えた。
近所の人たちが心配そうに窓から顔を出したり路上で話をしている。
まだどこか信じられなかった先輩との推理ゲームが
急に現実の中の出来事となってわたしを押しつぶしていた。
「わたし、今日は変に早く目が覚めちゃったんです」
「天気も良かったから少し散歩しながら学校に行こうかなって」
これが本当の紅茶なのだと、わたしでも分かる丁寧な手順で淹れられた紅茶を飲みながら答える。
緊張しながらお茶を飲むわたしを、見つめながら先輩はいう。
「お茶のお味はどう?好みにあっていたらいいのだけれど」
気になることがあると、じっと見ながら話しかけてくるのが癖のようだ。
「あ、すごく……美味しいです……なんだか不思議な香り」
人から見つめられることに慣れていないわたしは、その瞳にどぎまぎしながら答える。
「中国紅茶にバラとライチの香りをつけたフレーバーティーなの」
「アイスティーで入れても美味しいのよ。水出しで夜のうちに作っておいてね、朝いただくの。もし気に入ったなら、お土産に少し持って帰る?」
「もう一種類、モーニンググローリーっていうお茶と悩んだの」
「ほら、今日の朝、初めてお話ししたでしょう?」
「でも今日は少し暑かったから、こんな日は爽やかなお茶の方が合うかなって?今くらいの季節の午後には……ちょうどいいお茶がね、たくさんあるからすごく悩んだのだけれど。でも、もかちゃんの薔薇をみて声をかけたわけだから」
「やっぱり薔薇のフレーバーかなって♪」
少し早口で話し終える先輩。お茶マニアなのだろうか。
わたしの家でも紅茶はよく飲むけれど、いつもティーバッグだ。
一番手軽で美味しいのよ、と母は口癖のように言っている。
そんなわたしだから当然、その日に合わせた紅茶選びなんてしたことがない。
お嬢様ばかりの清心館女学院だけれど(わたしは数少ない例外)
さらにその頂点というだけあってやっぱり一味違う人だと思い知らされる。
でも、こんなおもてなしをされたのは初めてで、まんざらでもない気分だった。
お茶だけでなく、出してくれたカップはわたしでも知っているアンティークで戸棚の中の調度品は名前は知らなくとも上等とわかるものばかり。先輩の私物だろうか?
お茶を飲んだことでわたしにも少し周囲を見渡す余裕ができたのだろうか?
そんなことを考えながら話を続ける。
「今日は、通学路の途中にある、お花が綺麗なお家を巡りながら登校してたんです。あそこの、先輩の言うとおり三丁目のおうちのおばあちゃんに急に声をかけられて。まだ七時前なのに、寄っていかないかって」
「ちょっと困っちゃったんですけど、おばあちゃんがあんまり言うものだから」
「それでおうちに上がったの?」
先輩が疑問を投げかけてくる。
「そうなんです。普通、通学中の学生を家にあげます?」
「あまりあげないよねぇ」
話に引きこまれているのか、気さくな口ぶりで相槌をうつ先輩。
「でもあそこから学校までなら二十分もあれば着くかなって。おばあちゃんも熱心に誘ってくるものですから……それでお家でお茶と、せっかくだからってバラを頂いて……一度帰ろうと思ったんですけど、思ったよりも長居をし過ぎてしまって、それでそのまま学校に来ることになったんです」
「ただそれだけの話なので……これ以上何も面白い話はないんですけど……」
何か……何か他にも不思議な事があれば、もう少し先輩と話ができるのに、そんなことを考えている自分に驚く。
他に何か無かったか考えながら、ふと目を上げると、アンティークの食器棚のガラス越しにチラチラと見てくる子たちの視線とぶつかる。入学した当初のことを思い出して、いたたまれない気持ちがまた首をもたげてくる。
さっきまでの気持ちもどこへやら、である。そんなわたしの気持ちを察したのか、雪乃先輩は
「私一人の時はもう少し大人しいんだけど。ごめんね」
言いながら高級な洋菓子店のスイーツを勧めてくる。
「ちょうどバラのマカロンを差し入れでいただいてたの。一緒に食べましょう?」
「今日はバラづくしだね」慣れた手つきでマカロンを味わう先輩。
わたしもおそるおそる一口かじる。鼻に抜ける薔薇の香りと口に広がる上品な甘味。
「あ、美味しい……」
つい素直すぎる感想が、口からこぼれてしまう。
雪乃先輩は満足げに頷きながら
「この薔薇のお花、すごく色々な種類があるよね」
「そうですね、毎年新しい品種作りにチャレンジしたり色々研究してるっておばあちゃん言ってました」
バラ研究家か、難しそうだがやりがいのありそうな仕事だなと思う。
何より綺麗な花に囲まれて毎日楽しそうだ。バラの世界的な賞なんかもあった記憶がある。そんな賞を取って、インタビューされたりして……いけない、今日は妄想がひどすぎる。どちらかといえばバラを手に持ってインタビューを受けるのが似合うのは目の前の雪乃先輩だろう。
「ほかに変わったことはなかった?」
「私、ちょっと変わった話が好きなの」
「ほら推理好きの変人だ、ってみんなも言ってるんでしょ?」
「変人だなんて、そんなことはないですよ」
「みんな……先輩のこと好きですよ」
「こんな見た目だからね……それを見て、好きっていってくれる人は」
「……確かに多いかなあ……」
冗談めいた口調は、どことない自嘲と、言い知れぬ寂しさを帯びている。
なんとなくその言葉に、勇気を出してもう少しだけ話していこう。そう思い直す。
その時、少し不思議に感じたことを思い出した。
「そういえば……」
「ちょっと気になることを思い出したんですけど、せっかくなので聞いてもらっても良いですか?」
気になることがある、と言った瞬間、雪乃先輩の目はキラキラと輝く。
「ええ、もちろんよ」
「そのために来てもらったんだから。もっともっとお話ししましょう?」
弾むような声と表情はクリスマスの朝にプレゼントと出会った幼な子のようだ。
「あ、ちょっと待って!もかちゃんは推理物の本は読む?」
「せっかくの機会だから、もかちゃんのお話を聴きながら、もかちゃんが気になったことの推理……をしていくのはどう?推理っていうと言い過ぎかな?」
また早口で言いながら、急に身を乗り出して顔を寄せてくる。近い近い近い。どうやら好きな話題になると本人も自覚なしにこのようになってしまうらしい。
興奮した様子の先輩に気づかれないようにゆっくりと身を引く。頬の熱は温かい紅茶のせいだと思うことにする。
「推理もの……ミステリ小説ですか?少しは読みますけど。要するに安楽椅子探偵ごっこをしたい、ってことですよね?」
安楽椅子探偵とは、言葉の通りで、事務所の椅子から動かずに事件の話を聞いただけで謎を解決する探偵物のことだ。わたしもいくつかは読んだ事がある。
「ごっこ遊びっていうと流石に子供っぽくないかしら?推理ゲームってことにしない?」
頬を膨らましながら先輩はそんなことを言う。どちらでも変わらないと思うのだけど。
不可解な出来事を話しながら読み解いていく推理小説の内容を思い出してみた。そんな物語で読んだような出来事が始まるわけはないと思いつつも
「ちょっと……楽しそうです」
また、なんのひねりもない感想を言ってしまう。
「ふふ、今日初めて笑顔見た気がする。もかちゃんの笑顔、とっても素敵ね」
内心、ワクワクしていたのは本当だが、笑顔……笑顔が出ていただろうか?
無意識に緩んでいた頬をむにむにと引っ張りながら考える。
変人という噂は先輩への揶揄と思っていたけれど本当の事かもしれない。美人にありがちな八方美人な見た目とは裏腹の冷血な心。
図書室にいる手下を引き連れた魔王というわたしが抱いていたものとは違う素顔。そして、どちらかというと悪口としての噂話が本当だったこと。それが、逆にわたしの先輩に対する好印象につながっていることに気づいてしまう。
「じゃあ改めて初めからお話よろしくね。一度話したことも遠慮なくね」
少し腰を浮かせてから、スカートを綺麗に巻き込んで座り直すと先輩はそう言った。先輩の所作も改めて観察するといちいち美しい。軽やかで、それでいて優雅なのに嫌味がない。少し芝居がかったきらいはあるものの、それがまた動きに華やかさをあたえている。
こう見えるのも、わたしが先輩に抱いていた先入観が薄れてきたからだろうか?
「実はわたしも散歩が好きでよく歩くんですけど。その時に庭でバラの剪定をしているおばあちゃんと仲良くなっちゃって、それで……」
「実はその家にはこれまでにも何度かあがらせてもらったことがあるんです」
その言葉を聞くと先輩はしげしげとわたしを見つめながら言う。
「こういうこと言うの失礼かもだけど、おばあちゃんのお誘いを断れずにお邪魔しちゃうタイプなんだ」
「ちょっと思ってたイメージと違ってた」
口元を隠しながら、くすくすと可笑しそうに笑う。
「おばあちゃんっ子だったんですよ……悪いですか……」
口の中で、もごもごとつぶやく。
わたしにどんなイメージを持ってるのか。そもそも初対面なのに……それに、押しに弱いから今日ここにこうして来ていると言うのに。自分も雪乃先輩に勝手なイメージを押し付けていたことは棚にあげながら、非難の目を向けると、ニコニコとした笑顔を正面から見てしまい慌てて目をそらす。
気付けば、また前髪を引っ張りながらわたしは次の言葉をさがす。
「もちろん、今日みたいな登校中は初めてですけど」
「下校中とかお休みの日の散歩の途中に招かれることが何度かあって」
「それで、気になったことっていうのが……」
気になることがあるとはいったものの、大したことじゃないと思えてくる。
「ね、どんな小さなことでもいいから」
先を促すような先輩の言葉。
「庭のバラが満開なのに」
「部屋の中の花瓶が空だったんです」
やはり、くだらない話すぎただろうか?二人とも黙ったままの時間が続く。
「薔薇屋敷の花瓶が全て空なんて……これは……薔薇屋敷の怪事件ね」
先輩は急にそんな事を言い出した。事件は何も起こっていないのだけど……?
「それって……今回が初めて?今までにも同じようなことはあった?」
自分で言ったことに少し照れた様子でコホン、と一つ咳払いをして先輩がいう。
「覚えている限りでは……そうですね。毎回バラの季節にお呼ばれしていたので」
「しかも花瓶の数が一つや二つじゃないんですよ」
「部屋の数はそうでもないんですけど。部屋の中に花瓶たくさんあるんです。その全てが空なことってあります?」
「お花好きな人って、お庭が満開なら必ずお家の中もお花で埋め尽くすよね」
「こういうのって決めつけかな?」
真剣な顔で考えている先輩。よほどこの推理ゲームが楽しいのだろうか?
「たまたま、お花の入れ替えタイミングだったっていうのじゃダメですよね?」
我ながら、つまらない答えだ。
「お花を生けるときって花瓶のお掃除をして新しいお花と入れ替えるんじゃないかな?」
わたしの答えを言葉を選びながら却下して
「せっかくだし、色々、考えてみようか」
わたしの意見を引き出していこうとする。
「そうですよね……なるべくありえないことを考えてみます」
「まず、朝六時に花瓶のお花を全て片付けるかが問題ですね」
「前日にお花を入れ替えるなら……次の日の朝、つまり今朝は花瓶はいっぱいよね」
確かにその通りだと思う。
「それにあの地域ってゴミの日は月水金だよね」
お嬢様はゴミの日なんて把握してないと思っていたが違うようだ。
「今日は土曜です。もし昨日お花入れ替えてるなら、やっぱりちょっと変ですよね?」
「庭に埋めるかもしれませんけど……そういうのもお年寄りには結構大変ですから」
「枯れたバラはゴミの日に出している。っていうのはとりあえずそれでいいですけど」
わたしはどうしてもお花を捨てるのが苦手なのだ。
それで、切り花の類はなるべく買わないようにしている。
その気持ちが表に出過ぎていたのか、先輩は言った。
「ゴミ箱にお花を捨てるのって少し抵抗あるよね。わかる。ごめんね」
ちょっとしょんぼりした様子で、うんうんわかるよ……と頷きながら、先輩は推理を続ける。
「つまり、お花は昨日のうちに花瓶から出した……」
「けれど新しいのを生けることはしなかったっていうことね」
「古いお花は片付けたけど、新しいのを生けなかった……はやっぱり変だよね?」
はっきりと変だとは断言し難いけれど、自分から切り出した話なのでなるべく真剣に考えてみる。
「でも、もし切るのが億劫なら、わたしにくれるためにわざわざ剪定しませんよね」
「じゃあどうしてなんででしょう?」
「人に持っていってもらう分には良いけど、お家には飾れない……」
「真っ先に思いつくのは……お家を何日か開けるから?」
雪乃先輩の言葉も意外に普通の答えだ。でも確かにそれが一番ありうることだとも思う。
なんとなく天才的な名探偵が言うような、突拍子もない答えが出てくると勝手に期待していた自分に気づいてしまう。
そもそも、何の変哲もないことを謎に仕立てているだけなのだからそんな答えがあるわけはないのに。
「それはありえますね」
「お家を開けるから、花瓶に花を生けなかったということにしますか」
「外出の理由ですけど、一日二日なら、花も持つんじゃないですか?」
「なるべく新鮮な花を飾りたいって思うかもだけど」
「どういう理由でどのくらいの日数出かけるんでしょうか?」
「最低でも一週間以上の外出かしら?……ちょっと情報が足りないね」
「この部分の検討は後にしようか?」
雪乃先輩は続ける。
「他には何かある?」
何かあったか……変わったこと変わったこと……こんなに頭を使うのはテスト中に苦手な数学の公式を思い出すときか……あるいは、推しにいくら課金するか考える時。
それ以外だと、本屋に行って欲しい本が複数あるのに、お金は一冊分しかない時……そのくらいだ。
「うーん……そうだ!」
やっと思い出せた喜びから敬語を忘れてしまう。
「これは本当に変だってことがあったんですよ。うん、これは変なはずです」
「うんうん、そうやってお話ししているうちに新しい事が出てくるのは楽しいね」
「お茶、もう一杯いかが?すぐ淹れ直すから。その間にどんどんお話ししてね?ちゃんと聞いてるからね?」
先輩はいそいそと立ち上がり新しいティーポットを用意してくれる。
それを横目に見ながらわたしは続けた。
「お茶をご馳走になったって言いましたよね?」
「その時、紅茶が湯呑みで出てきたんですよ」
「これって、絶対変じゃないですか?」
その場では、ものすごく違和感だったのに、人間の記憶はずいぶん曖昧だなと思う。
登校中に先輩が話しかけてきたせいで衝撃が上書きされていたということにしておこう。
それがなければちゃんと覚えていられたはずだ。
茶葉を計量している先輩の手が止まる。
振り返ってわたしを見つめている瞳は少し怖いくらい輝き、ほんの僅かに眉根を寄せた。
謎に対する好奇心と何か別に気になることがあるのか。
そんな気持ちが混ざり合ったような表情。
「洗い物が片付いてなくてっていうんですけど、紅茶を湯飲みで出します?」
「以前行った時はちゃんとティーカップで、来客用だと思うんですけど……」
「品のいい豪華なやつで出たんです」
先輩が聞きたそうなことは先回りして言っておくことにする。
「以前に見たものがどんなものだったか覚えてる?」
何度もお邪魔した家のことなのに意外と思い出せない。必死に記憶の糸をたぐり寄せる。
「そうですね……こんな感じの、すごく高級そうな」
目の前のティーカップをよく観察しながら、驚きの声をあげてしまう。
「あっ!ひょっとしたら……これと同じ?もの……だった……かもしれません」
そんなことってあるだろうか?自分で言ったものの、にわかには信じられない。
「確証は持てませんけど……」
どんどん弱気になってそう付け足す。
「でも、なんだか見覚えあるなって、これを見た時に思ってたんです」
そうはいうものの、全く自信がない。まあいいのだ、これは遊び、推理ゲームなのだし。
そもそもこの手の食器は似たようなデザインが多すぎるし、絵は好きだけど、わたしの中学時代の美術の成績はお察しというやつなのだ。(高校では音楽を選択した)
「これ、結構高いんじゃないですか?」
わたしの質問に対して、紅茶をこぼさないようにカップを目の高さまで持ち上げて、まじまじと観察しながら先輩はいう。
「実は、最近……骨董店で手に入れたものなのだけど……」
「さすがに、まさか……だよねえ?」
カップの縁を指先でなぞりながら雪乃先輩は考え込む。
「えっ、と、ひょっとしてお屋敷にあったカップとほんとに同じ?」
「なんてこと……ないですよね?」
事実は小説より奇なりっていうけれど、そんな事がありうるだろうか?
先輩は無言でカップを見つめている。沈黙に耐えきれず、わたしは続ける。
「ま、まあ、面白い方に考えていくのがいいんじゃないですか?」
漠然とした不安を誤魔化すように口に出す。少し自分の声が震えているのがわかる。
なんだか、話が思ってもみない方に進んでいる気がしてくる。
「もし、このティーセットがおばあちゃんが手放したものだとすると……」
答えが出せずに考え込んでしまうわたし。
「ものだとすると?」
先輩の問い。
少し考えてから
「おばあちゃんの家、お金に困っていた?ってことですかね?」
「あるいは断捨離っていうか、終活的な感じでしょうか」
「今時はそういうのも流行ってるっていいますし」
なるべく、大ごとにならない方向で自分の考えを伝えてみる。
「でも、あれだけのお屋敷で1セットもティーセットがないなんてことがあるかしら?」
「自分が使う分の食器まで処分するかなあ?お気に入りだけはとっておくんじゃない?」
先輩は納得いっていないようだ。
「じゃあやっぱり終活ってやつですかね?元気なうちに人に譲るっていう」
「そうかもしれないね」
上の空で合いの手を入れてから
「ちょっとごめんね」
断りを入れると先輩はスマホを取り出すとポチポチと一本指で打ちはじめる。
いや、正確にいうと、ぽち……ぽち………ぽち……という感じで一文字ずつ考え込みながら打っている。その姿が少し面白くて、思わず吹き出してしまう。
「わ、笑わないで……?こういう電子機器を持たせてもらうの高校から……だから慣れてなくって……」
「で、電話はちゃんとできるからね?」
照れて紅潮した頬が白い肌に際立つ。電子機器という言葉の選び方や照れる仕草が
びっくりするほどかわいいな……と思いつつ文字を打ち終わるのを待つ。
むしろ最近の子は電話をしないんじゃないだろうか?
「ふう、お待たせ。家に連絡して、このセットを購入した時のことを確認してたの」
ひと仕事を成し遂げた顔で先輩は言う。
「しばらくしたら返事が来ると思うから、少し待っててね」
その間にわたしは自分の考えを話しておくことにした。
「どうして断捨離というか終活するかは、わからないんですけど」
「毎日わたし、通学路でおうちの前を通るんですけど、怒鳴り声がする時があるんですよ。あんなやさしそうなおばあちゃんなのに」
「それっておばあちゃんご本人なの?」
「声が同じでしたよ?あと、あそこずっと一人暮らしってうちの親も言ってたので」
「ふーん、なるほどねぇ……」
聞いているのか聞いてないのかわからない、ぼんやりした口調で先輩は相槌を打つ。
「わたしも怒られた事が何度かあって」
「全部、二階からで遠目でしたけど、顔はあのおばあちゃんでした。向こうもこっちの顔がはっきりと見えないかもですから、バラ泥棒と思われたのかもしれないんですけど」
「もかちゃんがおこられちゃったの?」
あいかわらず、何かを考えているのか上の空の様子。どうしたのだろうか?
「わたしの時もあるし、近所を歩いている人の時もって感じです。ほら歳をとると性格が変わってきちゃったり怒りっぽくなるっていうから、そういうのかなあ……って。普段は優しいからお話をしてても楽しいんだけど……」
息をつかずに続ける。
「それで、ちょっと怖いのもあって、しばらくは話をしないようにしてたんですよ」
「あまり庭のバラも見ないようにしてて。でも、今日は朝早いから大丈夫だと思ってたら、急に声かけられちゃって……」
「他におうちにあげてもらったときに気になったことってある?」
「そうですねぇ……変わったことかはわかんないですけど、いつもはとても片付いたお家なのに今日だけは、部屋がすごく散らかってましたね?特にチラシ類がテーブルの上にどっさりありました。アヒルのマーク?の封筒とか老人ホームっていうんですかね、そういうところからの封筒とか。新聞も何日分もありました。あとお年寄りの人が書きそうな、達筆な封筒とかもあったと思います」
「もかちゃんよく見ててすごいね。観察力の鬼だね」
「褒めても何も出ませんけど、学校一の有名人に褒められて悪い気はしませんね」
ずっと二人でおしゃべりをしている間に思った以上に打ち解けてしまったのか、気付けば、先輩相手に軽口をたたいている自分がいる。
「褒めたら名推理が出るんじゃないかしら?」
先輩は楽しそうにくすくすと笑う。
「思い出せるのはこれで最後なんですけど……おばあちゃんの身の上話を聞いたことがあります」
「簡潔に説明だけしますけど」
「昔は役者として活動していたこと」
「若い頃はモテたこと。あの歳まで身綺麗にしてるからこれはちょっとわかります」
「なのに、結局結婚はせずにこの歳まで来たこと」
「役者をやめた時から住みはじめて、何十年も前からあの屋敷で暮らしていること」
「紅茶が大好きで色々集めていたこと」
おでこに指を当てて思い出す……
ポコン♪ポコン♪と立て続けに通知音がなる。
先輩は険しい顔で画面を見つめている。
「どう……でした?」
何も言わない先輩に向かって問いかける。
「やっぱりこの食器を売ったのはおばあちゃんみたい」
画面を見つめたまま、眉を寄せて今までに見たことがないほど難しい顔をしている。
その顔にさっきの不安が蘇ってきたわたしはおそるおそる聞いてみる。
「じゃあ、洗い物がっていうのはやっぱり嘘ってことですよね」
「推論ばっかりになっちゃうけど……ちょっと、整理してみようか」
口元に手を当てて考え込みながら先輩は続ける。
「前に生けていた花はおそらく金曜に処分した」
「花瓶に生けるのが面倒だったわけではない」
「これはもかちゃんにわざわざお花をプレゼントしてることからもわかるよね」
「そして、自分の持ち物も含めて、お屋敷のものを、なんらかの理由で手放していっている。これは私の家で手に入れたティーセットが証明しているわよね」
「つまり……何かの理由で身辺整理をしている、というのは確かみたい」
先輩は何かに気づいているのだろうか?わたしには何がなにやらさっぱりだ。
「ここから導き出されることは……導き出されること……」
やっぱり何も思いつかない。
その時、音もなく雪乃先輩が立ち上がった。
部屋の隅に向かいながら、電話をかけようとしている。
電話は簡単に出来る、と言っていたのにやはり操作がおぼつかない様子で
何度かやり直してからようやくどこかにつながる。
ひそひそ声が途切れ途切れに聞こえてくる。
「ええ、生…課の……さんお願いします。はい、いらっしゃいますか?」
「わたくし、日ノ宮、はい、日ノ宮雪乃と、はい……申します」
一体どこに電話をしているのだろうか??
「ええ、ええ、お願いします。はい三丁目の」
「はい、失礼いたします……」
丁寧な挨拶をしてから電話を切る。
先輩は部屋の隅から戻ってくると、困ったような顔をして黙り込んでしまった。
また無言の時間が流れる。落ち着かないわたしは、空になったカップを何度も手に取ってはお茶が入っていない事に気づいてはテーブルに置き直してしまう。
先輩もそれに気づかないのか、お茶を淹れ直そうか?という提案もない。
気付けば図書室は二人だけになっていた。時計を見ると午後三時を回っている。
まだ高い陽が室内に濃い影を落としている。
少しずつ、ぽつ、ぽつとたわいもない会話を続ける。
先輩の生い立ちのこと、ずっと療養をしていて中学の頃はほとんど学校にも行けず…… 最近食事制限が解けてね、と嬉しそうに教えてくれた。
それからわたしの部活のこと、文芸部の部誌にのせる小説の題材に悩んでいること。ケイにも小説を書いていることは話したことはなかったのに。先輩には話してしまっている。
初対面の学生同士が話すようなゆったりとした自己紹介のようなやりとり。遠くからは運動部の掛け声。
そんな話をしながら、どのくらい経ったろう?
ようやく電話がなると、今度は座ったまま通話をはじめる先輩。
「……そう……ですか」
ホッとしたような顔。
「ええ、ではお願いいたします」
電話の相手に向かってお辞儀をすると通話を終了する。
部屋の中の緊張が解けるのを感じる。
「もかちゃんのおかげね」
一つ大きく息を吐くと先輩は話しはじめる。
「おばあちゃん、無事保護されたって」
「え、え?なんの話ですか?」
急に出て来た言葉にうろたえてしまい、言葉を続けられない。
「おばあちゃん、おうちに火をつけたけれど、大ごとにならずに済んだみたい」
「はぁ……よかった……」
その口調とは裏腹に先輩の表情はまだ翳っている。
「もかちゃんもぼんやりとわかっていたんじゃない?」
かいかぶりすぎだ、全くわかっていない。
「答え合わせって言う感じじゃなくなっちゃったけど……」
わたしは結果からさかのぼる形だが、自分の推理を先輩に話すことにした。
朝早くにも関わらず、わたしを家に招き入れたのは最後に誰かと話したかったから。
どんどん老いを感じる上に、経済的な苦しさもある。
ひょっとしたらお屋敷も抵当に入ってしまって手放さなければいけないところまでいってしまったんじゃないか?ということも。家ごと自殺を図ったということはそういうことかもしれない。
それでも、結婚しておらず、家族もいない彼女は
自分の子供のように育ててきたバラを燃やすのは心が痛んで、だから……
満開のバラの庭があるのに、室内に生ける事をしなかった……と。
「つまりは、こういう話だった……ってことでしょうか?」
「すごいね、もかちゃん。もかちゃんのおかげで一人の命が助かったね」
先輩は、いつもの、あの誰にでも向けるアルカイックスマイルでそう言った。さっきまでの親しみが嘘のような笑顔。何だかその顔を向けられると知らない世界の先輩になってしまったようで寂しくなってしまう。
「今日はこれでおしまいにしようか。私のせいで変な話になっちゃってごめんね」
急に話を切り上げようとする先輩。
「ぜひまた来てね」
言葉とは裏腹にもう来て欲しくない、そんな口調。
「いえ、でもおばあちゃん無事でよかったです……じゃあ……失礼します」
一つの事件が何事もなく解決したというのに、来たときとは別の重い気持ちを抱えながらわたしは図書室を出る。
重い足取りで教室に戻ると、ケイは先に帰っていた。英語のノートに付箋が貼り付けられている。感謝の言葉が書かれていたが綴りが間違っていて、あの子の追試が心配になる。
長く伸びてきた影をたどりながら、昇降口へと向かった。
校門から図書室を振り返ると、窓の外を見つめる先輩が目に入った。
わたしは、その姿を忘れる事ができなかった。
先輩の話を確認したくて帰り道、お屋敷の前を通ることにする。
遠くからでもわかる数台の消防車、現場検証をしている警察や消防の人たちが見えた。
近所の人たちが心配そうに窓から顔を出したり路上で話をしている。
まだどこか信じられなかった先輩との推理ゲームが
急に現実の中の出来事となってわたしを押しつぶしていた。
