4
「うー、今日はちょっと寒いな」
雪乃は独りごちた。場所は清心館女学院の寄宿舎の前、時刻は日没時間。
英国の洋館を移築したレンガと漆喰の瀟洒な外観に、日没の最後の光がその居場所を求めている。
まだ外は暗くなりきってはおらず、澄み切った菫色の空にエメラルドの覆いがかかっているようだった。
その上には金剛石の輝きを持つ一番星がひとつ。
木立の隙間からは、燃えるような夕日が雪乃の銀色の髪を照らしている。
もっとも夜の闇の中でもその銀色を隠すことはできなかったかもしれないのだが。
ここは校舎からも少し離れた場所で静かでいいところだな、お祖母様の元へ遊びに行った時に似たような建物を見たな、そんなことを考えながら雪乃が周囲を見渡していると
「ゆ、雪乃さん、ようこそ。きてくれて嬉しいです。寄宿は初めてですか?」
待ち合わせをした生徒は憧れの生徒に会えた嬉しさでそわそわとしながらすこし離れた場所から語りかけてくる。
「ありがとうございます。そうなんです、寄宿舎生活、憧れているんですが家の許可がおりなくて。今回はお招きいただいてとても嬉しいです」
両手を体の前で合わせると深々と礼をする雪乃。
「お話の準備、できてますので。談話室はすごく素敵なところですよ、あ、ごめんなさい。私一年C組の佐倉茉莉花と言います」
「中等部時代に奇術部だった子や、今の生徒会役員の子たちをよく知ってる子からお話を聞きたいんですよね?」
「そうなんです、今追ってる件と少し関わりがあるかもしれなくて」
中等部時代から雪乃の学内での評判に詳しいと見える茉莉花は特に詮索もせずに
「では、早速ですけど、こちらにどうぞ」
まだ施錠されていない玄関ドアを開けると中に招き入れた。
歴史を感じさせる厚い木製のドアをくぐると、玄関の土間は大理石で右手の靴箱には綺麗に靴が納められている。
靴箱の上には楕円に切り抜かれた生徒の名札がかけられている。
赤と黒が表裏になっていて、赤は外出のようで、今は数枚だけが赤だ。
その横には病院の受付のような宿直室があるが、カーテンがかけられていて今は誰もいない。
普段は寮母の鋭い監視の目が光っているに違いない。左手にもドアがあるが施錠されているようだった。
玄関を上がると厚手のふかふかとした絨毯がまっすぐの廊下に敷かれており、左右にいくつかのドアがついている。
茉莉花に案内されて談話室へと足を運ぶ。
清心館女学院寄宿舎の談話室は非常に居心地の良さそうな場所だった。
部屋は四十畳程度の広さで、四人がけの大きめのソファが部屋の中心に複数置かれている。
その下には秋冬用の厚手の絨毯が敷かれている。今も何人かの学生がゆったりと部屋着でくつろいでいる。
雪乃の姿をみると一瞬ざわめくが、寄宿舎の生徒はほとんどが生え抜きのため、そのまま何事もなかったように話に戻る。
「本当は寄宿生以外は応接室までしか入れないんです。玄関の左の部屋です。仲のいいシスターに頑張って交渉したんですよ。ぜひここを見ていただきたくって。それに応接室はこの時間寒いですから。制服に靴で行かなければいけませんしね」
茉莉花は寄宿のルールを説明してくれる。随分と骨を折ってくれたらしい。
「それは、ご苦労をおかけしてしまいましたね茉莉花さん。ありがとうございます」
名前を呼ばれて赤面しながら雪乃を案内してくれる。
茉莉花は手際よく話を進めてくれていたようで、部屋の隅の二人掛けソファ二つが並べられた席に案内された。
手作りの『予約席』のプレートをサッと回収すると
「雪乃さんがご訪問されると聞いたから、良いお茶を用意させていただいたんです」
「凍頂烏龍茶と紅茶のブレンドで、お口に合うといいんですが」
茉莉花は嬉しそうに人数分のカップを用意する。雪乃は客人らしく丁寧にお礼を言うと、ソファに浅く座った。
「お食事の代わりにはならないですが簡単なお菓子も用意してますから」
繊細な白磁——力を入れて触れたらすぐに割れてしまいそうな大皿に乗せられているのは色とりどりの包み紙で知られる有名な高級チョコレートだった。包み紙を開くと、ビー玉大のボール状のチョコレートが現れる。
これ大好き。中も美味しいけれど、外の包み紙が色鮮やかでとっても美味しそうに見えるのよね。
と、一口に放り込むと丁寧に包み紙を畳んでからスカートのポケットにしまう。
口の中に広がるまったりとした甘さとブレンドティーの烏龍茶のわずかな渋みが心地よいハーモニーを生む。
「寄宿舎、最高ですね。私も、やっぱりもう一度、家と交渉しようかしら」
ふかふかのソファを手で押し返しながら、雪乃は黄色のライトに照らされた暖かな室内を眺める。
魔法学校を舞台にした映画の談話室を想起させる豪奢さに目を奪われているようだ。
「談話室はいいんだけどね、寮長がうるさくてさ。結構息苦しいところもあるよ」
「それに冬がね、お湯のストーブがあるんだけどさ、毎朝すごい音なんだよ」
気づけば上級生らしき一人が隣に立って声をかけたと思うと、向かいのソファに大義そうに腰をかけた。
「中等部の頃のことを聞きたいんだってね」
サバサバとした印象のいかにもショービジネスに向いた印象だ。
「私は中等部の頃、奇術部だったんだけど、今は外で本格的にやってるんだ。七々瀬のおかげでね。あの子はすごい子だよ。当時私たちの部活はあんまりパッとしなくてね、でも七々瀬が色々なテクニックを教えてくれて。もちろんそういうことが気に食わない人たちもいたけどさ。まあ、そんな風にいろんな考え方を持った人間たちがいろんないざこざを起こして、部は無くなっちゃったんだけど」
「暁希?ああ、あの子は演劇部だったんだけど、私たちの手伝い、そう、司会とかね、やってくれてる子でね。部がない時に演劇のいい練習になるからって時々来てくれてたんだ。特にナレーションっていうか口上とかがうまくて助かってたんだよ。演劇部もまあ色々あって無くなっちゃったんだけど」
「あの子ったら、その件で何か言いたいことがあったのか、七々瀬に会うために生徒会室に行ったと思ったら、そのまま生徒会役員になっちゃった」
「七々瀬はまあそういうところのある子なんだ。魔性っていうのとも違うけれど、人の才能を見抜くっていうのかな?それもちょっと違うか」
「あの子にあったでしょ?なんていうかな、なんでも知ってるから、話してる相手の知らない相手のことも知ってしまえるっていうか……ちょっと抽象的すぎるか」
「いえ、なんとなくわかる気がします」
雪乃は相手の話を遮らないように慎重に相槌を打った。
「私さ、七々瀬に会う前はほんとに地味だったんだよ。写真見る?ほらこれ。全然違うでしょ?今とは。あの子はさ、見えないひと、文字通り見えないわけじゃないよ?誰からも注目されない人ね。そう言う人が、あなたや七々瀬みたいな誰からも見える人、見てもらえる人、まあ、君らほどじゃないかもだけどさ、それでも、変えてくれるんだよ。暁希もそうなんじゃないかな。あの子は私よりも……いやこれは本人がいないところでいうことじゃないか」はにかみながらそう言った。
「なるほどです。先輩のお話、大変参考になりました」
「年下だけれど、ずっと年上みたいな、尊敬に値するって感じかな」
「私、来年から見習いだけどショーに出演するんだ。雪乃さんもぜひ観にきてよ」
「それはすごい、もちろん伺います」
「名刺を置いていくね。そう、作ってもらったんだ。あ、名乗ってなかったね」
「御手洗茜だよ。二年生。でもショーネームの方ね、そっち覚えておいて」
「ええ、もちろん」
雪乃は名刺を両手で受け取ってから、にこやかに言う。
「じゃ、そろそろ次の用事あるから」
話したい事を話すと茜は立ち上がった。
少し考えをまとめていると、次に話を聞く予定の生徒が声をかけてきた。
茉莉花の調整能力に感心しながら、雪乃はこういう人が助手に欲しいな、でももうちょっと私に対してフラットな態度のほうがいいんだけれど……そんなことを考える。
「支倉さんと志崎さんのことを聞きたいって?」
目にかかる前髪からの鋭く刺すような視線に、口を開いた瞬間から敵意としか言いようのないピリピリとした空気が伝わってくる。
「茜とは親友だったのに、支倉さんのせいで、部はバラバラになっちゃった。最近やっと前みたいに話せるようになってきたけど、まだ仲直りできない子達もいるの。あの子——支倉七々瀬のせいで」
先ほどとは真逆の評価。
雪乃の不思議そうな顔が伝わってしまったのか
「そうなんです、七々瀬さんってこういうふうに人によって評価が分かれるの。不思議なんですけど」
茉莉花がそっと耳打ちする。
「もともと私たちの奇術部は、ショー的なものよりは創作トリックを作って研究していく部活だったの。
みんなでいろいろ考えてね。和気藹々とやっていたのに、あの子が、支倉さんが一度うちの公演をみた時にね、一から十までタネを考えてくれていろいろアドバイス——余計な助言をくれたのよ」
「それがダメだったんですか?」
「ダメだったの」
「茜みたいに心酔して、真剣な創作ではなくて娯楽的なマジックショーに憧れる子もいたわ。もちろん私たちみたいに今まで通りに一生懸命創作に勤しむ子たちもいた」
「それまでずっと仲が良かったのに、あの子が私たちの居場所を真っ二つに割ってしまったの」
「暁希さんは?」
「あの子も支倉さんに唆されてしまったのよ。茜から聞いた?あの子は元々演劇部で、そっちでもきっと支倉は何かやらかしたのよ」
唆すとは随分な言われようね七々瀬さんも、雪乃はそっとそんな事を考える。
「奇術部が廃部になってから半年くらいで演劇部もなくなっちゃった」
「演劇部は最近復活したと言うお話を聞いたことは?」
「いえ、知らないわ」
「そうですか、ありがとうございます」
こちらもひとしきり言いたいことを言うと、名前を名乗ることもせずに立ち上がって自室へと引き上げていった。
茉莉花があの人は加藤詩織だとそっと教えてくれる。
「私たちは暁希と結構仲がいいんだけど、あの子に何かあったの?ちょっと聞こえてきちゃって。
ごめんね。盗み聞きする気はなかったんだけれど」
これからどうするか雪乃が考えていた矢先に、二年生らしき二人が声をかけてくる。
声の中に揶揄うような響きがある。気に入らないな、雪乃は反射的にそう思った。
「雪乃さん、いまさら中等部の頃の話を聞いて回っているんだって?何を聞きたいの?」
「そうですね……実は何を聞きたいのか、まだ自分でもはっきりしないんです」
「暁希さんの消失マジックについては、まあ大体のところはわかりました」
一瞬、動揺の表情を見せる二人の上級生。
「なので……少し雑談をしませんか?」
雪乃はチョコレートを口に放り込むと、少し意地悪な微笑みでそう切り返した。
「うー、今日はちょっと寒いな」
雪乃は独りごちた。場所は清心館女学院の寄宿舎の前、時刻は日没時間。
英国の洋館を移築したレンガと漆喰の瀟洒な外観に、日没の最後の光がその居場所を求めている。
まだ外は暗くなりきってはおらず、澄み切った菫色の空にエメラルドの覆いがかかっているようだった。
その上には金剛石の輝きを持つ一番星がひとつ。
木立の隙間からは、燃えるような夕日が雪乃の銀色の髪を照らしている。
もっとも夜の闇の中でもその銀色を隠すことはできなかったかもしれないのだが。
ここは校舎からも少し離れた場所で静かでいいところだな、お祖母様の元へ遊びに行った時に似たような建物を見たな、そんなことを考えながら雪乃が周囲を見渡していると
「ゆ、雪乃さん、ようこそ。きてくれて嬉しいです。寄宿は初めてですか?」
待ち合わせをした生徒は憧れの生徒に会えた嬉しさでそわそわとしながらすこし離れた場所から語りかけてくる。
「ありがとうございます。そうなんです、寄宿舎生活、憧れているんですが家の許可がおりなくて。今回はお招きいただいてとても嬉しいです」
両手を体の前で合わせると深々と礼をする雪乃。
「お話の準備、できてますので。談話室はすごく素敵なところですよ、あ、ごめんなさい。私一年C組の佐倉茉莉花と言います」
「中等部時代に奇術部だった子や、今の生徒会役員の子たちをよく知ってる子からお話を聞きたいんですよね?」
「そうなんです、今追ってる件と少し関わりがあるかもしれなくて」
中等部時代から雪乃の学内での評判に詳しいと見える茉莉花は特に詮索もせずに
「では、早速ですけど、こちらにどうぞ」
まだ施錠されていない玄関ドアを開けると中に招き入れた。
歴史を感じさせる厚い木製のドアをくぐると、玄関の土間は大理石で右手の靴箱には綺麗に靴が納められている。
靴箱の上には楕円に切り抜かれた生徒の名札がかけられている。
赤と黒が表裏になっていて、赤は外出のようで、今は数枚だけが赤だ。
その横には病院の受付のような宿直室があるが、カーテンがかけられていて今は誰もいない。
普段は寮母の鋭い監視の目が光っているに違いない。左手にもドアがあるが施錠されているようだった。
玄関を上がると厚手のふかふかとした絨毯がまっすぐの廊下に敷かれており、左右にいくつかのドアがついている。
茉莉花に案内されて談話室へと足を運ぶ。
清心館女学院寄宿舎の談話室は非常に居心地の良さそうな場所だった。
部屋は四十畳程度の広さで、四人がけの大きめのソファが部屋の中心に複数置かれている。
その下には秋冬用の厚手の絨毯が敷かれている。今も何人かの学生がゆったりと部屋着でくつろいでいる。
雪乃の姿をみると一瞬ざわめくが、寄宿舎の生徒はほとんどが生え抜きのため、そのまま何事もなかったように話に戻る。
「本当は寄宿生以外は応接室までしか入れないんです。玄関の左の部屋です。仲のいいシスターに頑張って交渉したんですよ。ぜひここを見ていただきたくって。それに応接室はこの時間寒いですから。制服に靴で行かなければいけませんしね」
茉莉花は寄宿のルールを説明してくれる。随分と骨を折ってくれたらしい。
「それは、ご苦労をおかけしてしまいましたね茉莉花さん。ありがとうございます」
名前を呼ばれて赤面しながら雪乃を案内してくれる。
茉莉花は手際よく話を進めてくれていたようで、部屋の隅の二人掛けソファ二つが並べられた席に案内された。
手作りの『予約席』のプレートをサッと回収すると
「雪乃さんがご訪問されると聞いたから、良いお茶を用意させていただいたんです」
「凍頂烏龍茶と紅茶のブレンドで、お口に合うといいんですが」
茉莉花は嬉しそうに人数分のカップを用意する。雪乃は客人らしく丁寧にお礼を言うと、ソファに浅く座った。
「お食事の代わりにはならないですが簡単なお菓子も用意してますから」
繊細な白磁——力を入れて触れたらすぐに割れてしまいそうな大皿に乗せられているのは色とりどりの包み紙で知られる有名な高級チョコレートだった。包み紙を開くと、ビー玉大のボール状のチョコレートが現れる。
これ大好き。中も美味しいけれど、外の包み紙が色鮮やかでとっても美味しそうに見えるのよね。
と、一口に放り込むと丁寧に包み紙を畳んでからスカートのポケットにしまう。
口の中に広がるまったりとした甘さとブレンドティーの烏龍茶のわずかな渋みが心地よいハーモニーを生む。
「寄宿舎、最高ですね。私も、やっぱりもう一度、家と交渉しようかしら」
ふかふかのソファを手で押し返しながら、雪乃は黄色のライトに照らされた暖かな室内を眺める。
魔法学校を舞台にした映画の談話室を想起させる豪奢さに目を奪われているようだ。
「談話室はいいんだけどね、寮長がうるさくてさ。結構息苦しいところもあるよ」
「それに冬がね、お湯のストーブがあるんだけどさ、毎朝すごい音なんだよ」
気づけば上級生らしき一人が隣に立って声をかけたと思うと、向かいのソファに大義そうに腰をかけた。
「中等部の頃のことを聞きたいんだってね」
サバサバとした印象のいかにもショービジネスに向いた印象だ。
「私は中等部の頃、奇術部だったんだけど、今は外で本格的にやってるんだ。七々瀬のおかげでね。あの子はすごい子だよ。当時私たちの部活はあんまりパッとしなくてね、でも七々瀬が色々なテクニックを教えてくれて。もちろんそういうことが気に食わない人たちもいたけどさ。まあ、そんな風にいろんな考え方を持った人間たちがいろんないざこざを起こして、部は無くなっちゃったんだけど」
「暁希?ああ、あの子は演劇部だったんだけど、私たちの手伝い、そう、司会とかね、やってくれてる子でね。部がない時に演劇のいい練習になるからって時々来てくれてたんだ。特にナレーションっていうか口上とかがうまくて助かってたんだよ。演劇部もまあ色々あって無くなっちゃったんだけど」
「あの子ったら、その件で何か言いたいことがあったのか、七々瀬に会うために生徒会室に行ったと思ったら、そのまま生徒会役員になっちゃった」
「七々瀬はまあそういうところのある子なんだ。魔性っていうのとも違うけれど、人の才能を見抜くっていうのかな?それもちょっと違うか」
「あの子にあったでしょ?なんていうかな、なんでも知ってるから、話してる相手の知らない相手のことも知ってしまえるっていうか……ちょっと抽象的すぎるか」
「いえ、なんとなくわかる気がします」
雪乃は相手の話を遮らないように慎重に相槌を打った。
「私さ、七々瀬に会う前はほんとに地味だったんだよ。写真見る?ほらこれ。全然違うでしょ?今とは。あの子はさ、見えないひと、文字通り見えないわけじゃないよ?誰からも注目されない人ね。そう言う人が、あなたや七々瀬みたいな誰からも見える人、見てもらえる人、まあ、君らほどじゃないかもだけどさ、それでも、変えてくれるんだよ。暁希もそうなんじゃないかな。あの子は私よりも……いやこれは本人がいないところでいうことじゃないか」はにかみながらそう言った。
「なるほどです。先輩のお話、大変参考になりました」
「年下だけれど、ずっと年上みたいな、尊敬に値するって感じかな」
「私、来年から見習いだけどショーに出演するんだ。雪乃さんもぜひ観にきてよ」
「それはすごい、もちろん伺います」
「名刺を置いていくね。そう、作ってもらったんだ。あ、名乗ってなかったね」
「御手洗茜だよ。二年生。でもショーネームの方ね、そっち覚えておいて」
「ええ、もちろん」
雪乃は名刺を両手で受け取ってから、にこやかに言う。
「じゃ、そろそろ次の用事あるから」
話したい事を話すと茜は立ち上がった。
少し考えをまとめていると、次に話を聞く予定の生徒が声をかけてきた。
茉莉花の調整能力に感心しながら、雪乃はこういう人が助手に欲しいな、でももうちょっと私に対してフラットな態度のほうがいいんだけれど……そんなことを考える。
「支倉さんと志崎さんのことを聞きたいって?」
目にかかる前髪からの鋭く刺すような視線に、口を開いた瞬間から敵意としか言いようのないピリピリとした空気が伝わってくる。
「茜とは親友だったのに、支倉さんのせいで、部はバラバラになっちゃった。最近やっと前みたいに話せるようになってきたけど、まだ仲直りできない子達もいるの。あの子——支倉七々瀬のせいで」
先ほどとは真逆の評価。
雪乃の不思議そうな顔が伝わってしまったのか
「そうなんです、七々瀬さんってこういうふうに人によって評価が分かれるの。不思議なんですけど」
茉莉花がそっと耳打ちする。
「もともと私たちの奇術部は、ショー的なものよりは創作トリックを作って研究していく部活だったの。
みんなでいろいろ考えてね。和気藹々とやっていたのに、あの子が、支倉さんが一度うちの公演をみた時にね、一から十までタネを考えてくれていろいろアドバイス——余計な助言をくれたのよ」
「それがダメだったんですか?」
「ダメだったの」
「茜みたいに心酔して、真剣な創作ではなくて娯楽的なマジックショーに憧れる子もいたわ。もちろん私たちみたいに今まで通りに一生懸命創作に勤しむ子たちもいた」
「それまでずっと仲が良かったのに、あの子が私たちの居場所を真っ二つに割ってしまったの」
「暁希さんは?」
「あの子も支倉さんに唆されてしまったのよ。茜から聞いた?あの子は元々演劇部で、そっちでもきっと支倉は何かやらかしたのよ」
唆すとは随分な言われようね七々瀬さんも、雪乃はそっとそんな事を考える。
「奇術部が廃部になってから半年くらいで演劇部もなくなっちゃった」
「演劇部は最近復活したと言うお話を聞いたことは?」
「いえ、知らないわ」
「そうですか、ありがとうございます」
こちらもひとしきり言いたいことを言うと、名前を名乗ることもせずに立ち上がって自室へと引き上げていった。
茉莉花があの人は加藤詩織だとそっと教えてくれる。
「私たちは暁希と結構仲がいいんだけど、あの子に何かあったの?ちょっと聞こえてきちゃって。
ごめんね。盗み聞きする気はなかったんだけれど」
これからどうするか雪乃が考えていた矢先に、二年生らしき二人が声をかけてくる。
声の中に揶揄うような響きがある。気に入らないな、雪乃は反射的にそう思った。
「雪乃さん、いまさら中等部の頃の話を聞いて回っているんだって?何を聞きたいの?」
「そうですね……実は何を聞きたいのか、まだ自分でもはっきりしないんです」
「暁希さんの消失マジックについては、まあ大体のところはわかりました」
一瞬、動揺の表情を見せる二人の上級生。
「なので……少し雑談をしませんか?」
雪乃はチョコレートを口に放り込むと、少し意地悪な微笑みでそう切り返した。
