「ほんと参っちゃうよ」
四限終了後、わたしは放課後の教室でダラダラと過ごしていた。
「めっちゃすごいことじゃん!もか」
「あの『雪乃先輩』に呼び出されたんだって?」
「あー私もお話したい!でも見とれちゃって何も言えないかも!」人の気も知らずに甲高い声で話しかけてくるこの子は、わたしの数少ない友人、ケイこと、三好景子(みよしけいこ)だ。

ケイは、学校中の誰とでもそれなりに仲が良く、それなり以上の付き合いはしないタイプ。成績も真ん中、中肉中背で肩にかかる程度の髪の毛で、見た目も平均くらい、性格はまあ……こんなひねくれ気味のわたしとも仲良く話ができるのだから、良い方といっても差し支えないだろうか。

しかし曲者ぞろいの学院の中で、この普通さはわたしにとってある種の救いと言えた。
わたし、如月萌花は(この名前も、自分とはまったく合っていないと思う)
背が少し高いことと、文系科目以外取り柄もない。
(しかも、スポーツが得意なわけでもないから背が高いのはむしろ短所だと言える)
に比べれば三好景子は随分とマシ、と言えるだろう。

わたしのことを「もか」と呼ぶことだけはちょっといやだけど。
「なら、ケイもおいでよ」
この子が一緒にいてくれればちょうどいい盾になるかもしれない。
我ながら、ひどいことを考えているとは思うが、あの魔王雪乃が相手だ。
わたし同様に村人レベルだとしても、一人でも味方は多い方がいい。

そんなわたしの不純な思いには気づかない様子でケイはすかさず
「ええーー⁉︎ちょっと行ってみたい!でもなんか緊張するし無理ぃーいやでもーやっぱ無理!」
早口でいうものだから、結局どっちなの?と思ってしまう。
「司書室って会長の七々瀬(ななせ)先輩とか副会長の暁希(あき)先輩とかもよく来るんでしょ?」
極力思い出さないようにしていたのに、それは言わないでほしい……
「もしも、あの二人まで揃ってたりしたら、凡人の私は窒息しちゃうから」
ケイはプルプルと首を振る。
さっきまでうらやましいと言っていたのに。

「凡人って言うならわたしも同じなんだけど?」
「友達を一人にしてかわいそうって思わないの?」
「いやいや、もかさん、あなたはどっちかっつーと、あの人たち寄りだよ」
「だから大丈夫!私からみたら、もかさんは変人枠ですから」
図書室の主、日ノ宮雪乃をはじめとする司書室の常連である生徒会執行部――
この人たちとの出会い、それにまつわる、さまざまな出来事――
『青りんご赤りんご事件』『中央公園スパイ事件』をはじめとする
数々の謎解きに巻き込まれることになってしまう……
それはまた別の話、別の機会に語ることも……ある——かもしれない。

そんな別世界の——今となってはわたしの大切な人々とのお付き合いが
始まることになるなんて、この時は知る由|《よし》もなかった。

ハァ……と大きくひとつため息をつくと覚悟を決めて立ち上がる。
随分とのんびりしすぎてしまった。あまり待たせると向こうから襲撃してきそうだ。
わたしの通学ルートを把握しているくらいだから、クラスくらいは知っているだろう。

教室に教科書は置きっぱなしなのに妙に重い鞄を手にして、バラの花瓶を胸の前で抱える。鞄は後で取りに来た方がいいだろうか?もしバラをダメにしてしまったら悪い気がして、鞄は机の上に置いていくことにする。
クラスと職員室、それにわたしの所属する部活――文芸部にバラを生けたのだけれど、まだ余りがあるので、図書室で引き取ってもらおうという算段である。
(流石に家にまで持って帰りたくない)

「いってら!夕方まで中間試験の勉強してるから」
急に深刻な顔になってケイがいう。
「マジで英語やばくてさー英語のシスターに朝、捕まっちゃって……」
「三好さん、あなたこのままで良いと思ってらっしゃるの?なーんて言われちゃったよ」
「似てる似てる。そりゃ勉強しないとね」
シスターのモノマネが存外にうまくて笑いを誘ってくる。この子の特技として記憶しておくことにしよう。
「わかったよ。帰りの時間、合わせられそうなら、教室に寄る」
「あとで話聞かせてね?」言葉には出さないが、英語の試験対策にノートを借りたいの!と目が訴えてくる。とりあえず、わたしが戻ってくるまでノートは見てていいよ。と手渡してから、ケイがちゃんと勉強をはじめたのを見届けてから教室を出る。

五月の連休もはるか昔に感じる放課後の廊下は、さらに遠い夏休みを渇望するような、そんなゆるみきった空気に満ちていた。
よく考えたら、ノートと引き換えについてきてもらう交渉ができたのに。
しまったなぁ……そんなことを思いながら、のろのろと気乗りのしない足取りで歩く。

廊下の影をつま先でなんとなくよけながら、階段を登ってゆく。踊り場にはキリスト生誕のシーンを模した像が飾られており、わたしはそれを見るのが好きだった。東方の三博士がよく出来ているのよね。一端(いっぱし)の批評家気分で歩いてゆく。
昇降口前のマリア像もだけれど、ミッション系の静謐(せいひつ)な雰囲気は意外にもわたしの(しょう)にあっている。
中学で第一志望が難しいとわかった後、進路指導でこの学校を勧められた時は、まさかと思っていたのだけれど。一般教室棟から昇降口のある渡り廊下を通ると中等部からの仲良しなのだろう。一年生数人が、歓声を上げながら靴箱に向かっている。

清心館に高校から入ったわたしにはそういう子がいない事と、元々の性格もあって少し孤立しがちだった。それ自体は特に困ることはないのだけれど、友達がいないというレッテルを貼られるのは勘弁して欲しいところだ。

そんなことを考えながら、管理棟との境目の階段を昇り三階にある図書室へと入る。
かぎなれた、古い本の匂いが出迎える。
この少しかびくさい匂いがわたしは本当に大好きで、自分の部屋のようにとても心が落ち着く。
貸し出しカウンターでは図書委員二人が最近見た演劇について熱く語り合っている。
わたしも知っている作品で一瞬話に加わりたくなるのを我慢した。
図書委員としては大きすぎる声量で盛り上がるカウンターの奥
入り口から左手にある司書室――
日ノ宮雪乃と生徒会執行部のプライベート空間から手まねきが見えた。
手の動きに合わせて銀髪が上下に揺れている。

カウンターの右手は二十席程度の座席があり、周囲を大型の本棚が囲んでいる。
そこにはおそらく日ノ宮雪乃のファンの子達が本を読むふりをしながらチラチラと司書室の様子を伺っている。もちろん真面目に本を読んでいる生徒も少なからずいて、見えない火花が飛びかっているようだった。
その子達の全てがわたしに厳しい視線を向けてくる。(わたしは読書家なんだけれど)
もちろんそんな文句を言えるわけもなく、その視線を避けるようにわたしは図書室の主のもとへ歩みを進めるのだった。