かなえさんを見送ってからもわたしたち四人はそのまま室内にとどまっていた。
「改めてごきげんよう、萌花さん。評判は聞き及んでるよ」
一息ついたとたんに()けられた声がこれだった。
「ひょ、評判?」
声が裏返っているのが自分でもわかる。
「君が雪乃嬢のハートを射止めた娘だってことだよ」
今、鏡を見たら耳まで真っ赤だろうなと思いながら全力でかぶりを振る。
「からかうのはおよしになって」
普段よりもお嬢様然とした口調で雪乃先輩はティーカップを指先でつまむと口元に運んだ。
副会長はごめんなさいねと言う表情だったけれど、わたしたちの反応を楽しんでいるような瞳の輝きを隠しきれていないようだった。
「ま、まだハートは射止めてはいないかと」
言っている言葉の意味が自分でもうまく認識ができない。

「ははは、流石だね。やっぱりこれくらいじゃないと」
「太宰が『恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う』と言ったけれど、萌花さんを見るとすごくわかる気がするな」

神妙な口ぶりの会長の顔からは、先ほどまでの笑顔は消えていた。
文学少女(自称)のわたしに太宰の引用をするなんて、何かお返しをしたかったけれど何も思いつかないわたしは必死で話題を逸らそうと

「え、演劇見ました。とても素晴らしかったです」
まだ動揺で声が裏返りながらもなんとか副会長に話しかける。
副会長は演劇部の部長でもあって、それは見事な演技なのだ。
いわゆる憑依型とも違う、しかし何かが確実にこの人の中に入ってきているような独特な演技は見るものを魅了する。
白雪姫を翻案(ほんあん)した話では、毒殺される王妃役(今考えても不思議な役どころなのだけれど)を見事に演じ切っていた。

「演劇部に見学に行った時に助っ人の千里君が教えてくれたんだ」
「美術部の事件を君が無事解決したとね。この学校はなんだかいろいろな事件があるけれど、雪乃がいれば安心だ」
「昨年の文化祭の時も——」
そこまで口にしてから、それまで饒舌だった会長は不意に口をつぐんだ。

「去年も何か事件があったんですか?」
「ここにいらっしゃる会長と副会長にまつわるお話なの」
先ほどからかわれたことへの意趣返しのように
「聞きたい?聞きたい?」
楽しげな雪乃先輩の様子に
「さっきの太宰の言葉のような話だよ」
七々瀬会長は観念するようにそう言った。
太宰の言葉……と言うことは恋話だろうか?俄然興味が湧いてくる。
雪乃先輩もニコニコと声を弾ませ表情を輝かせている。

「少し長い話になるから、まずはお茶を淹れ直しましょう」
「やっぱりここは定番のマルコ・ポーロね。なんだか久しぶりに飲む気がするわね」
「あ、手伝います」
いつ扱っても緊張するカップを慎重に流しへ運ぶと、素早く待ち構えていてくれた副会長に手渡す。
慣れた手つきでカップを洗うと一つずつ丁寧にタオルの上に並べてくれる。
仕事ができそうな長い指にうっすらと髪色と合わせるようにクリアブルーのネイルが塗ってあるのがなんだか意外に思えた。
会長は客としての立場を守ると決め込んだようで物思いに耽りながら、窓の外を眺め続けている。
その表情は影になっていて読み取れない。
「きっと今からのお話に合うお茶よ、ゆっくり飲みましょう」
味が濃くならないように二杯目からはアイスティーにできるようにしておいたの。
ガラスの容器を両手で握って傾けると通り抜けた光が淡くガーネットの輝きを帯びる。
「会長はこの話、大丈夫?帰ってもいいよ」
くだけた口調とは裏腹に真面目な表情で雪乃先輩は問いかけた。
「恥ずかしい話ではあるけど、初心に帰る意味でも聞いていこうかな」
淡く青を写す黒髪をかきあげると会長は諦めたように深いため息をひとつ。
「往生際が良くて何より」
「じゃあ、萌花ちゃんも待ちきれないようだし、そろそろ始めましょうか」

「現生徒会副会長、志崎暁希さんが文字通りの意味で消失をしたところから、このお話は始まるの」
「さあ、刺激的なお話の前にまずはもう一口、暖かいうちに紅茶を味わって」
「今日はとても上手に淹れることができたから」
「事件が起こったのは、文化祭の初日、午後二時十五分」
「場所は特別教室棟四階、奇術部の公演内」
目を閉じて紅茶の香りを楽しむと、雪乃はソファに座り直す。
「それじゃあ私たちが高等部一年の頃のお話を聞いてもらいましょうか」