数日後、下校時刻——あの三人を偶然見かけた。休憩中のようでタオルで汗を拭っている。遠目で何を言っているのかも断片的にしか聞こえないが、文句を言いながらなんだかんだ仲良くしている。
詩さんは響にもっと自分のパフォーマンスに集中しろと言い、奏さんは詩さんにもっとおおらかに表現をしろと言っているのがうっすらと聞こえる。どさくさに紛れて奏さんは詩さんと腕を組んでいるが詩さんはそれを黙って許している。
その姿は、元々の三人より魅力的に見えた。詩さんは本当の姉妹のようでもあり恋人同士にも見えた。
響もなんだか楽しそうにサンドイッチを頬張っている。奏さんがこっちに気づいてごめんなさいと頭をさげてくれる。
わたしはなんでもないですよ、という意味を込めて頬をそっと撫でた。

「ところで手紙の差出人って誰だったんですか?」
「なんとなくうやむやになってしまったから気になっていて」
「ん?それは奏さんだよ」
「だって考えてみて、今回のお話は三人が全員私のところに来ないといけないでしょ?」
「響さんが送り主なら、初日にちゃんと三人が話に来たはずだよ。でも来なかった」
「手紙の送り主は自発的に相談に来れるわけだけど」
「必ず他の二人を説得しなきゃね。意味ないでしょ?」
「奏さんだけは、響さんに届いた手紙を手渡してここに来るように言ってから自分にも手紙が届いたと言う。そして詩さんのところにも届いてる事を知ってるわけだしね」
「詩さんが差し出し人って言うのもちょっとね。あの双子を相手に説得は大変でしょ」
「そもそも揉め事を嫌うタイプなわけだし」

「だからね。ま、意味ないは言い過ぎか、でも目的を考えるとね」

「目的ってなんだったんでしょうか?」
わたしはあえて先輩に質問してみる事にした。

「奏さんの本当の目的かぁ……どうだったんだろうね。響さんに気持ちを聞いて欲しかったのか、それとも詩さんと恋人になりたかったのか」

「両方かもね」

雪乃先輩は優しく笑いながらそう言った。
 
「あの三人は、なんとなく大丈夫な気がする。奏さんも気持ちを出し切って明るくなった気がするよね」
「奏さんが詩さんとお付き合いしても不思議には思わないし、今のあの人ならきっといい人が見つかるわ」

わたしもそうなるといいな、と心からそう思うのだった。

「傷はもう大丈夫?あの時はごめんね。私、怖くて動けなくて」

「……絶対に嘘ですよね。ちょっと恨んでます」
「ごめんね」
泣きそうな顔で言う雪乃先輩を見ると一瞬で許してしまう。
「本当は古流柔術を使えるんだけれど。探偵の(たしな)みだから」
わたしが許したことをすぐに察したのか笑顔でそう言う先輩。

「嘘……ですよね?」

「萌花ちゃんが本当に危ない時はちゃんと助けてあげるからね」
どこまでが本気でどこまでか冗談かわからないけれど、わたしの知っている雪乃先輩の噂話、推理好き以外のほとんどが嘘なんじゃないか、そんな気がしてくる。
本当は運動神経抜群で、成績優秀で絵も描けて歌もうまくて、わたしの貧相なイメージで考えられる最強女子高生を想像してみる。
それはとても先輩に似合っていたけれど、決めつけのイメージになってしまっているだろうか。
そうであってほしいという願望はやっぱり駄目だろうか。
考え込みながら歩き続けているうちに、本当に聞きたいことを聞くタイミングを逃してしまう。
 
「もかちゃんってば考え事?」
もう少しでいつもの分かれ道にくる少し前、雪乃先輩が急に切り出してきた。

「なんでもないんです。なんでも」

「なんでもはあるでしょ?」
「あるっちゃあるけど、ないっちゃないってやつかな?」
「もう!茶化さないでください。怒りますよ」
「ほら、なんでも聞いて?お友達じゃない」
「なら、友達として聞きます……」

あの三人を久しぶりに見かけた今日、聞かないと、一生聞けない気がしてしまう。
そして、友達といいながら、やはりどうしても敬語で話してしまう。
十年後——があるのか分からないけれど、その先もずっと敬語で話していそうだ。
高校を卒業した後、どうなっているかはわからない。
もしこの帰り道のように別々になったとしても、いつの日か、同じ道で——一緒にいれたらいいなと思う。
 
聞きますと言ったものの、あの木を通り過ぎたら聞こう、あの横断歩道を渡ったら聞こう、そう考えているうちに時間がなくなってしまった。歩道橋に向かう横断歩道の前で、意を決して問いかける。緊張で白線の数を数えるけれど全く頭に入ってこない。
 
「せ、先輩の初めての友達って」
「……幼稚園とか——小学生の頃の話ですよね?」

「どんな——どんな人でした?」
 
雪乃先輩はびっくりしたような顔をしてわたしの目を見つめる。
どんな夕暮れよりも深い、宇宙(そら)に溶け込むような——
ずっと過去か、あるいはずっと未来。
わたしの知らないどこか別の、世界が本当に美しかった時代。
そんな場所に繋がる扉のような——
その瞳がわたしを見つめ続けていたかと思うと、ぷいと逸らされた。
 
「秘密よ、秘密。初めての友達のことはね」

「秘密なの」
 
雪乃先輩は走り出すと、家には向かわずに歩道橋の上からわたしに向かって手を振りながら何かを言っている。
走る車の音にかき消される声と夕日に浮かびあがるシルエット。
 
かろうじて聞き取れたのは
「私の初めての友達はね!」
満面の笑みの先輩が手を振り続けている。
逆光で銀色の髪が炎のように輝いていて。綺麗だな、と声に出して呟いてしまった。
映画の、あるいはわたしがこれまで読んできた小説の一シーンみたいだ。
わたしは息を切らして走って先輩に追いついた。 
 
明日からは、この帰り道もきっと寂しくない。
 
わたしは頬の絆創膏を剥がすと、うっすらと残った傷をひと撫でする。
この傷もじきに消えていくのだろう。
けれど、頬を撫でるたびにきっと思い出す。
 
わたしの大好きな人との思い出を。
それは、傷が消えてもきっと残る二人だけの思い出。