家が見えるところまで歩いてきたところで、父と母が家から出てくるところが見えた。散歩かな?
両親の横を抜け、家の鍵を開ける。
「きゃあ!!」
振り向くと母が倒れこんでいた。
急いで母の元へ駆け寄り
「大丈夫? どうしたの?」
と訊く。
「あなた!」
母が叫ぶ。
母の手が車椅子から離れ、父の車椅子が坂を下っていく。
「父さん! 前に倒れて! 車椅子から降りて!」
父も懸命に車椅子から降りようとするけど、なかなか身体が前に倒れない。
追いかける僕と父との距離は縮まってきているのにあと少しで手が届かない。
「父さん!」
すると、国道から自転車が転がってきた。
それと同時に誰かが走ってきて、父の車椅子を受け止めた。
「正義の味方、参上!」
息を切らしながらもふざけた口調は忘れない玄が、父の車椅子を押してきた。
「玄!」
「お前ん家行こうと思ってたら、親父さんが一人で散歩してたから何事かと思ったよ」
玄は軽く笑った後真顔になって
「親父さん、大丈夫か?」
と父に訊いた。
「あぁ、ありがとう玄志君。命拾いしたよ、本当に」
玄が来た方向は国道。
父があのまま坂を下っていたら……
「母さんは? 母さんは大丈夫なのか?」
父に言われてハッと気づき、母の方を振り返る。母はまだ立ち上がれないでいた。
父を玄に任せ、母のところへ急ぐ。
「母さん! 大丈夫?」
母は足首あたりを押さえまま
「ひねったかしら。何かを踏んで滑ったみたいなの」
母が何を踏んだのか、周りを見渡してみたけれど特に何もなかった。とりあえず両親を家まで連れて行き、母の怪我をみてみないと。
玄が父を連れ、僕が母を連れ家に入る。母に冷却用の保冷剤を渡した後、僕はまた先ほどの場所へ戻った。僕は再度周りに何かないかを探してみた。
すると、コンクリートの壁と側溝が交差するくぼみに、ボールが挟まっていた。白くて重いボールで、野球のボールよりも大きめだ。
これを踏んだのかな。
こんなもの、なんであるんだよ!
嫌な予感ばかりしか思い浮かばないから、そのボールを元の場所に戻して家に入った。
家に入った僕は、母の足の具合をみる。
見た感じそんなに腫れてはいないけれど、これからかもしれない。
僕は家にある湿布で母の足首を冷やし、あまり動かないように包帯で固定した。
包帯を巻いている僕を見て
「なあ、お前すごいな! 俺だったらすぐ救急車呼んじゃうよ」
「もちろん病院には連れて行くけど、救急車を呼ぶほどでもないと思うよ」
(救急車を呼べない家なんでね)
とは言わなかったけれど。
「ちょっと勉強したんだ」
と僕が言うと
「そっか」
玄がとても優しい声でそう言った。
こんなことがあり家がバタバタしているので、玄には改めてお礼を言って、今日は帰ってもらうことにした。
両親を一人ずつ寝室に運び、僕は一旦部屋に戻る。
明日は母を病院に連れて行かなくては。夕食を終え、シャワーを浴びて部屋へ戻ると、僕は茜にメッセージを入れた。
(母さんが足をケガしたから病院へ連れていくよ。明日は会えないかもしれない。ごめんね)
でも返信がない。
目を閉じて、今日の茜を思い出す。僕は茜を不安にさせたんだろうか。だからあんな風に気持ちを確かめようとしたのかな。
うん、やはりきちんと伝えよう。そう決意すると、気持ちの整理がついた安心感と今日の疲れで、僕はあっという間に眠りに落ちていった。
次の日、早朝から慌ただしく支度をして、母を病院へ連れて行く。
母の足は昨日よりも大分良くなっていて、痛めた足を引きずりながらでも一応歩くことができるような状態だった。
病院へ行くことにあまり乗り気でない母だったけど、一度は診てもらった方が良いと説得してタクシーで向かった。父には留守番をしてもらい、戸締りに気を付けて家を出てきた。
タクシーの中で電話の履歴を見たけど茜からの連絡はない。どうしたんだろう……少し心がざわつく。
帰宅したら連絡してみよう。
検査の結果、幸い骨折はしておらず捻挫ということで、処置をしてもらい松葉杖を借りて診察は終わった。
会計を済ませると、母がこれから仕事へ行くと言い出した。無理をしないほうが良いと止めたけど、どうしても行くというので仕方なくタクシーで一緒に職場まで行き、僕は電車で帰ることにした。
家に近い駅に降りて電話を取り出す。
やはり茜からの連絡はない。こちらからの連絡にも返信がない。
一体どうしたんだろう。
やっぱり受け入れてもらえなかったんだろうか。
でも。
フラフラしていると、いつのまにか昨日のフラワーショップの近くに来ていた。
そう言えば、茜が好きなハーブの名前、訊いてなかったな。
昨日茜が見ていたあたりの鉢植えを見てみる。昨日と同じ形の葉と、茜の香りがする鉢植え。
ローズマリー?
ローズマリーっていうのか。
見ていると、違う鉢植えを持った店員さんが近付いてきた。
「あ、こちらが入ったばかりのローズマリーです」
そんなバカな。だってこの花は……
「これもローズマリーなんですか?」
僕は訊き直した。
「はい、今出ているものよりも大きくて少し違う環境で育てたものですが、こちらもローズマリーですよ」
確かに同じ香りがした。でも、同じであっちゃいけないんだ。辻褄が合っちゃいけないんだ!
僕はその大きなローズマリーを買って、急いで家に戻った。
家に帰ると玄関のカギが開いていた。
父が居なかった。
一人でどこかに行けるはずがない父が居なかった。
「父さん!」
多分父はいない。
「父さん!」
事実のかけらが確信に変わっていく。
「父さん!」
そうか
そうだったのか
僕は今、たった一つの場所へ向かって全力で走っていた。
嫌な予感が現実になる前に。
速く!速く!!
息ができない程走った先には
「空? 先に来ていたんじゃないのか?」
「父さん!」
「なぜここが?」
「バットが投げ込まれた日、何があったかを考えていたんだ。昨日母さんが転んだ時も、どんなことがあったか。僕はね、投げ込まれたバットが『金属バット』だったとは一言も言っていないんだよ。バットが投げ込まれたあの日……それは、初めて君が僕の家を知った日。母さんがボールを踏んで転んだ日は、君と路地で別れた後だったね。そして、父さんの前に植木鉢が落ちてきた事故……いや、事件。その鉢植えに植えられていた花。薄い青紫の小さな花。冬から春にかけて咲く花『ローズマリー』。君が育てたハーブだったんだね……茜」
さっき購入した開花しているローズマリーの鉢植えを、茜に見えるように差し出した。
茜は一瞬ローズマリーに目をやるとすぐにうつむいた。
「茜……なぜ? いや、君は」
茜は車椅子から手を離し、父の前に回り込んだ。そして
両親の横を抜け、家の鍵を開ける。
「きゃあ!!」
振り向くと母が倒れこんでいた。
急いで母の元へ駆け寄り
「大丈夫? どうしたの?」
と訊く。
「あなた!」
母が叫ぶ。
母の手が車椅子から離れ、父の車椅子が坂を下っていく。
「父さん! 前に倒れて! 車椅子から降りて!」
父も懸命に車椅子から降りようとするけど、なかなか身体が前に倒れない。
追いかける僕と父との距離は縮まってきているのにあと少しで手が届かない。
「父さん!」
すると、国道から自転車が転がってきた。
それと同時に誰かが走ってきて、父の車椅子を受け止めた。
「正義の味方、参上!」
息を切らしながらもふざけた口調は忘れない玄が、父の車椅子を押してきた。
「玄!」
「お前ん家行こうと思ってたら、親父さんが一人で散歩してたから何事かと思ったよ」
玄は軽く笑った後真顔になって
「親父さん、大丈夫か?」
と父に訊いた。
「あぁ、ありがとう玄志君。命拾いしたよ、本当に」
玄が来た方向は国道。
父があのまま坂を下っていたら……
「母さんは? 母さんは大丈夫なのか?」
父に言われてハッと気づき、母の方を振り返る。母はまだ立ち上がれないでいた。
父を玄に任せ、母のところへ急ぐ。
「母さん! 大丈夫?」
母は足首あたりを押さえまま
「ひねったかしら。何かを踏んで滑ったみたいなの」
母が何を踏んだのか、周りを見渡してみたけれど特に何もなかった。とりあえず両親を家まで連れて行き、母の怪我をみてみないと。
玄が父を連れ、僕が母を連れ家に入る。母に冷却用の保冷剤を渡した後、僕はまた先ほどの場所へ戻った。僕は再度周りに何かないかを探してみた。
すると、コンクリートの壁と側溝が交差するくぼみに、ボールが挟まっていた。白くて重いボールで、野球のボールよりも大きめだ。
これを踏んだのかな。
こんなもの、なんであるんだよ!
嫌な予感ばかりしか思い浮かばないから、そのボールを元の場所に戻して家に入った。
家に入った僕は、母の足の具合をみる。
見た感じそんなに腫れてはいないけれど、これからかもしれない。
僕は家にある湿布で母の足首を冷やし、あまり動かないように包帯で固定した。
包帯を巻いている僕を見て
「なあ、お前すごいな! 俺だったらすぐ救急車呼んじゃうよ」
「もちろん病院には連れて行くけど、救急車を呼ぶほどでもないと思うよ」
(救急車を呼べない家なんでね)
とは言わなかったけれど。
「ちょっと勉強したんだ」
と僕が言うと
「そっか」
玄がとても優しい声でそう言った。
こんなことがあり家がバタバタしているので、玄には改めてお礼を言って、今日は帰ってもらうことにした。
両親を一人ずつ寝室に運び、僕は一旦部屋に戻る。
明日は母を病院に連れて行かなくては。夕食を終え、シャワーを浴びて部屋へ戻ると、僕は茜にメッセージを入れた。
(母さんが足をケガしたから病院へ連れていくよ。明日は会えないかもしれない。ごめんね)
でも返信がない。
目を閉じて、今日の茜を思い出す。僕は茜を不安にさせたんだろうか。だからあんな風に気持ちを確かめようとしたのかな。
うん、やはりきちんと伝えよう。そう決意すると、気持ちの整理がついた安心感と今日の疲れで、僕はあっという間に眠りに落ちていった。
次の日、早朝から慌ただしく支度をして、母を病院へ連れて行く。
母の足は昨日よりも大分良くなっていて、痛めた足を引きずりながらでも一応歩くことができるような状態だった。
病院へ行くことにあまり乗り気でない母だったけど、一度は診てもらった方が良いと説得してタクシーで向かった。父には留守番をしてもらい、戸締りに気を付けて家を出てきた。
タクシーの中で電話の履歴を見たけど茜からの連絡はない。どうしたんだろう……少し心がざわつく。
帰宅したら連絡してみよう。
検査の結果、幸い骨折はしておらず捻挫ということで、処置をしてもらい松葉杖を借りて診察は終わった。
会計を済ませると、母がこれから仕事へ行くと言い出した。無理をしないほうが良いと止めたけど、どうしても行くというので仕方なくタクシーで一緒に職場まで行き、僕は電車で帰ることにした。
家に近い駅に降りて電話を取り出す。
やはり茜からの連絡はない。こちらからの連絡にも返信がない。
一体どうしたんだろう。
やっぱり受け入れてもらえなかったんだろうか。
でも。
フラフラしていると、いつのまにか昨日のフラワーショップの近くに来ていた。
そう言えば、茜が好きなハーブの名前、訊いてなかったな。
昨日茜が見ていたあたりの鉢植えを見てみる。昨日と同じ形の葉と、茜の香りがする鉢植え。
ローズマリー?
ローズマリーっていうのか。
見ていると、違う鉢植えを持った店員さんが近付いてきた。
「あ、こちらが入ったばかりのローズマリーです」
そんなバカな。だってこの花は……
「これもローズマリーなんですか?」
僕は訊き直した。
「はい、今出ているものよりも大きくて少し違う環境で育てたものですが、こちらもローズマリーですよ」
確かに同じ香りがした。でも、同じであっちゃいけないんだ。辻褄が合っちゃいけないんだ!
僕はその大きなローズマリーを買って、急いで家に戻った。
家に帰ると玄関のカギが開いていた。
父が居なかった。
一人でどこかに行けるはずがない父が居なかった。
「父さん!」
多分父はいない。
「父さん!」
事実のかけらが確信に変わっていく。
「父さん!」
そうか
そうだったのか
僕は今、たった一つの場所へ向かって全力で走っていた。
嫌な予感が現実になる前に。
速く!速く!!
息ができない程走った先には
「空? 先に来ていたんじゃないのか?」
「父さん!」
「なぜここが?」
「バットが投げ込まれた日、何があったかを考えていたんだ。昨日母さんが転んだ時も、どんなことがあったか。僕はね、投げ込まれたバットが『金属バット』だったとは一言も言っていないんだよ。バットが投げ込まれたあの日……それは、初めて君が僕の家を知った日。母さんがボールを踏んで転んだ日は、君と路地で別れた後だったね。そして、父さんの前に植木鉢が落ちてきた事故……いや、事件。その鉢植えに植えられていた花。薄い青紫の小さな花。冬から春にかけて咲く花『ローズマリー』。君が育てたハーブだったんだね……茜」
さっき購入した開花しているローズマリーの鉢植えを、茜に見えるように差し出した。
茜は一瞬ローズマリーに目をやるとすぐにうつむいた。
「茜……なぜ? いや、君は」
茜は車椅子から手を離し、父の前に回り込んだ。そして
