前に少し話したね。
僕には父親の記憶が、僕の人生の中で抜け落ちている期間があるって。
小学校一年生の時だった。
その時のことを僕はハッキリと覚えていないんだけど、気が付いたら父がいなくなっていた。
僕は母に何度か父のことを訊いたけど、母は
「空が大きくなったら戻ってくるからね」
と言うばかりで、何も教えてはくれなかった。
そして、僕たち度も引っ越すことになるんだ。
最初は小一。そう、父がいなくなった年だった。
その次は小三だったかな。
同じクラスに好きな子ができてさ。
そう、茜みたいに明るくて可愛い子だったよ。
でも、何も言えないままそこからも離れることになった。
何故そんなに引っ越しが多いのか、母は自分の仕事の都合だと言っていたけれど、今考えてみたらおかしな話だよね。
母は転勤族でもなんでもないのに。
小五で父が帰ってきた。そのタイミングでも引っ越しをしたよ。
仲の良い友達がいてさ。
「ずっと友達だぞ!」
って言ってくれた。
でも、引っ越しを重ねるうちに連絡が来なくなってしまった。
それからも何度引っ越したかわからない。
六年生の時、また父がいなくなった。そして戻ってきた時、父は車椅子に座っていた。
動けなくなった父を連れて更に僕たちは何度も引っ越した。
そんな中で僕は、荷物を減らし、友達を失くし、家計費を助けるため、学費が安い学校へどこへでも入れるよう勉強をした。そして中三への進級に合わせて、この場所へ引っ越してきたんだ。
「私と出会う前にそんなことがあったの……」
茜が静かに口を開いた。
「苦労したんだね、空……すごく辛い思いをしたんだね」
茜が少しうつむいた。
「続けて?」
僕は促されるまま、話を続けた。
その後は特に何もなく、僕は高校を受験し、旭高に入学した。
超進学校の旭高を受験したのは前話した通り、交通費が要らない程近くにある唯一の高校だったから。そして入学式の後、帰宅途中で、茜、君と出会った。
(あの日からずっと、僕は夢を見ているみたいだよ
幸せな幸せな夢を見ているよ
できれば覚めないでいたい
ずっと、ずっと……)
まだだ。まだ伝えなければいけないことがある。
僕は茜のほうに向き直って、また話し始めた。
「茜? 茜と付き合い始めてからすぐ、家にバットが投げ込まれて窓が割れたことあったの、覚えてる? 父と母の部屋にバットが投げ込まれて窓ガラスが割れたから家具の配置換えをするんだって話、この場所でしたよね? 実はその前にも、植木鉢が父さんの前に落ちてきたことがあってね。で、あのバットさ……あのバットには、ある事件のことが書かれた新聞記事のコピーが貼りつけられていたみたいなんだ。そしてその記事の内容が、二つの事件がイタズラではなく、父さんを狙って行われたことだという根拠になるんだ」
「植木鉢と金属バット?」
「うん。茜、だからね……茜……」
話す声が震える。茜が僕の手に自分の手を添えた。
「ゆっくりでいいよ」
優しい茜の声を聴き、僕は大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐く。
九月二十七日、大川市に住む会社員、吉田正さん(三十六歳)に暴行を加えたとして現行犯逮捕された同市に住む会社員、東方修容疑者(三十六歳)を、吉田さんが十月四日に死亡したため、傷害致死罪で再逮捕した。
僕が記事を読み上げると、茜の肩が一瞬痙攣したように震えた。
「東方修は僕の父だよ。父さんは人を殺し、五年服役した。そして出所してから自殺を図り失敗して、足が動かなくなったんだ。父さんが居なかったのは服役していたから。繰り返した引っ越しは身元がバレてそこに居辛くなったから。車椅子になったのは自殺に失敗したからだった。僕に何度も何度も謝っていた。すまないと。申し訳ないと」
茜は何も言わない。
ただうつむいていた。
「茜、ごめんね。僕は、殺人犯の息子なんだよ」
茜の身体が一瞬沈んだように見え、重なっていた手が離れる。
そのまま二、三歩後ろに下がった茜は俯いたまま
「空のせいじゃない、おじさんも罪を償った。わかってる。わかってるけど」
茜が更に後ずさる。
「ちょっと整理がつかなくて。少し時間をちょうだいね。また連絡する!」
茜は一度も僕の顔を見ないまま、来た方向へ走っていった。
はは。
僕は笑っていた。
笑いながら泣いていた。
体操座りで、頭をひざにつけて。
なあ
これ以上
どう頑張ろうか
これ以上
まだ頑張らなければいけないのかな
僕には父親の記憶が、僕の人生の中で抜け落ちている期間があるって。
小学校一年生の時だった。
その時のことを僕はハッキリと覚えていないんだけど、気が付いたら父がいなくなっていた。
僕は母に何度か父のことを訊いたけど、母は
「空が大きくなったら戻ってくるからね」
と言うばかりで、何も教えてはくれなかった。
そして、僕たち度も引っ越すことになるんだ。
最初は小一。そう、父がいなくなった年だった。
その次は小三だったかな。
同じクラスに好きな子ができてさ。
そう、茜みたいに明るくて可愛い子だったよ。
でも、何も言えないままそこからも離れることになった。
何故そんなに引っ越しが多いのか、母は自分の仕事の都合だと言っていたけれど、今考えてみたらおかしな話だよね。
母は転勤族でもなんでもないのに。
小五で父が帰ってきた。そのタイミングでも引っ越しをしたよ。
仲の良い友達がいてさ。
「ずっと友達だぞ!」
って言ってくれた。
でも、引っ越しを重ねるうちに連絡が来なくなってしまった。
それからも何度引っ越したかわからない。
六年生の時、また父がいなくなった。そして戻ってきた時、父は車椅子に座っていた。
動けなくなった父を連れて更に僕たちは何度も引っ越した。
そんな中で僕は、荷物を減らし、友達を失くし、家計費を助けるため、学費が安い学校へどこへでも入れるよう勉強をした。そして中三への進級に合わせて、この場所へ引っ越してきたんだ。
「私と出会う前にそんなことがあったの……」
茜が静かに口を開いた。
「苦労したんだね、空……すごく辛い思いをしたんだね」
茜が少しうつむいた。
「続けて?」
僕は促されるまま、話を続けた。
その後は特に何もなく、僕は高校を受験し、旭高に入学した。
超進学校の旭高を受験したのは前話した通り、交通費が要らない程近くにある唯一の高校だったから。そして入学式の後、帰宅途中で、茜、君と出会った。
(あの日からずっと、僕は夢を見ているみたいだよ
幸せな幸せな夢を見ているよ
できれば覚めないでいたい
ずっと、ずっと……)
まだだ。まだ伝えなければいけないことがある。
僕は茜のほうに向き直って、また話し始めた。
「茜? 茜と付き合い始めてからすぐ、家にバットが投げ込まれて窓が割れたことあったの、覚えてる? 父と母の部屋にバットが投げ込まれて窓ガラスが割れたから家具の配置換えをするんだって話、この場所でしたよね? 実はその前にも、植木鉢が父さんの前に落ちてきたことがあってね。で、あのバットさ……あのバットには、ある事件のことが書かれた新聞記事のコピーが貼りつけられていたみたいなんだ。そしてその記事の内容が、二つの事件がイタズラではなく、父さんを狙って行われたことだという根拠になるんだ」
「植木鉢と金属バット?」
「うん。茜、だからね……茜……」
話す声が震える。茜が僕の手に自分の手を添えた。
「ゆっくりでいいよ」
優しい茜の声を聴き、僕は大きく息を吸い、そしてゆっくりと吐く。
九月二十七日、大川市に住む会社員、吉田正さん(三十六歳)に暴行を加えたとして現行犯逮捕された同市に住む会社員、東方修容疑者(三十六歳)を、吉田さんが十月四日に死亡したため、傷害致死罪で再逮捕した。
僕が記事を読み上げると、茜の肩が一瞬痙攣したように震えた。
「東方修は僕の父だよ。父さんは人を殺し、五年服役した。そして出所してから自殺を図り失敗して、足が動かなくなったんだ。父さんが居なかったのは服役していたから。繰り返した引っ越しは身元がバレてそこに居辛くなったから。車椅子になったのは自殺に失敗したからだった。僕に何度も何度も謝っていた。すまないと。申し訳ないと」
茜は何も言わない。
ただうつむいていた。
「茜、ごめんね。僕は、殺人犯の息子なんだよ」
茜の身体が一瞬沈んだように見え、重なっていた手が離れる。
そのまま二、三歩後ろに下がった茜は俯いたまま
「空のせいじゃない、おじさんも罪を償った。わかってる。わかってるけど」
茜が更に後ずさる。
「ちょっと整理がつかなくて。少し時間をちょうだいね。また連絡する!」
茜は一度も僕の顔を見ないまま、来た方向へ走っていった。
はは。
僕は笑っていた。
笑いながら泣いていた。
体操座りで、頭をひざにつけて。
なあ
これ以上
どう頑張ろうか
これ以上
まだ頑張らなければいけないのかな
