一週間後に試験を控え、生徒は今日から少し授業が短縮される。帰宅後勉強するためだけど、僕は今日と明後日は欠席して父と一緒に過ごすことになっている。
母を仕事に送り出した後軽く家事をしてから父の部屋へ。父の部屋で軽い物を移動させたりしながら勉強をしていた。父は僕の勉強の邪魔にならないよう、イヤホンを付けてテレビを観たり本を読んだりしていた。
父に訊きたいことがあった。なぜ警察に相談しないのか? でも、父はそれに答えたくないだろうこともわかっていた。
昼食を食べ、後片付けをしてまた父の部屋へ戻る。僕は勉強をして、父は本を読み、居心地の悪い時間が過ぎていく。
一時間ほど過ぎたころだろうか。チャイムが鳴った。相手はわかっているからそのまま玄関へ行く。
玄関を開けると
「俺!」
玄はそれだけ言ってずんずん入ってきた。
「なぁ、大変だったな」
「ああ」
ベッドや家具を動かす力仕事を母と二人でやるよりも玄とやった方が良いと思い、僕は母が出かけた後玄に連絡していた。
「すぐやれるか?」
「ちょっと待って」
父に玄が来たことを告げ、勉強道具を片付ける。
「玄志君、迷惑をかけて申し訳ないな」
「全然平気っすよ! 俺、空と違って身体には自信あるんで!」
それを言うなら『体力』だろう……なんの自慢だよ。
手早く大きな家具だけは動かしてしまおうと、まず父を車椅子に乗せリビングへ連れて行く。それから父の部屋へ戻り、玄と二人で家具を移動させる。
窓は明かりをとれる程度残して本棚で塞いだ。洋服ダンス、父のベッドと、次々に移動させていく。
ベッドを動かそうと、玄の反対に回ったとき、何か踏んだ気がした。足を上げると、靴下に折れた紙が貼りついている。
ゴミか。
捨てようとしたけれど、中を見る前にゴミと決めつけるのもなんだかなと思い、巻物のように畳まれた紙を広げてみる。
「おい! 腕がもげるから早くそっち持ってくれよ!」
声のほうに目を向けると玄がベッドの頭側を持ち上げ僕を待っている。
「あ、ごめん!」
僕はとっさに紙をカーディガンのポケットに突っ込むと、ベッドの足側を持って作業を続けた。
大きな家具は全て玄と二人で移動することができた。あとは母と小さな物の配置を考えて移動していこう。
協力してくれた玄には申し訳ないが、今はお礼をする時間がないし、また何かがあったら玄も危ない。
「ごめんな、落ち着いたら何かおごるよ」
「脳みそ」
「いやです」
いつものように冗談を言って玄は帰っていった。
「良い友達を持ったな」
リビングから見ていた父が言った。
「うん」
居心地の悪さも玄が持って帰ってくれたみたいで、それからは自然ないつもの家に戻った気がした。
キリの良いところで模様替えを終わらせ、部屋に戻って一息つく。茜に今日のことを話そう。メッセージを送ってみる。
(今日は大変だったんだね。お疲れ様!)
茜から返信がきた。
ポツポツとやり取りが続く。
明日は学校に行くこと、試験が終わるまでは家のこともあるので、学校以外では会えないこと、父の散歩もしばらくはしないことなどを簡単に伝えた。
(そっか……でも私は待ってるから大丈夫だよ! お家のことをまず大事にしてね)
茜の優しさが心に沁(し)みる。
窓の修理が終わっても、父を一人にするのはやはり危険だ。
試験が始まれば昼前には帰宅できるので、結局試験前までは母と僕が交代で休み、試験中は母が午前中休んで僕の帰宅後に交代で仕事に行くことになった。
学校で少し茜と話す時間を取ることができる。でも、茜は受験生だ。一つ一つの試験が重要な時期だろう。
僕は、茜に試験に集中するようにメッセージを送り、試験が終わるまで会わないことに決めた。
「やめっ! 解答用紙を回収する」
試験官の先生の声で筆記用具を置いて大きく息を吐く。
これで全ての試験が終わった。
あれから特に不審な人や不穏な出来事はない。来週から通常授業になるけど……どうするんだろう。
とりあえず今日は早く帰って母と交代しなきゃ。
急いで教室を出ると
「お疲れ様!」
いきなり真正面に茜が現れた。
「あ、ああ、お疲れ様」
「慌てて一緒に帰ろう!」
久しぶりに奪われた左手は、いつにも増して緊張しながらも嬉しそうだった。
速足で歩きながら茜が尋ねる。
「これからお家、どうするの?」
「僕にもわからない。多分今夜にでも話し合うと思う」
「そっか」
「多分、しばらくは父さんのことがあるから家を空けることはできないと思う」
仕方ないよね、と茜は呟いた。
しばらく沈黙が続く。
奪われたままの左手がだんだん熱くなった。そして
「週一のデートは死守する!」
突然茜が叫んだ。
「外でデートできないなら空の家に押しかけるもん!」
茜の顔が急に近づいて、そして離れる。
「拒否権はありません」
いたずらっぽく笑うとサッと身をひるがえし
「お家のこと、わかったらまた連絡して!」
あっという間に遠ざかっていく。
爽やかな香りに唇と左手の温かさを残して。
母の帰宅後、これからどうするかを話し合った。
施錠をしっかりすることと早く帰ること、父を一人にする時間をなるべく少なくすること、そして散歩はやめることが決まった。
かなり言い出しにくかったけれど
「あの、週一くらいで茜を家に呼んでもいいかな」
「もちろん、連れておいで。私は何もできないが」
「ありがとう」
「すまないな、空」
父が申し訳なさそうに言う。
なんて答えて良いかわからず、僕は何も答えないまま自分の部屋へ戻った。
次の週から僕と茜は週に一度僕の家で会うことになった。
一週間に一度、短い時間だったけど、僕たちはお互いのことを話した。
始めのうちは聞き役だった茜も、徐々に自分のことを話してくれるようになった。
お父さんは茜が八歳の時亡くなったことや、近所に住む女の子が、茜の弟さんのことを好きなこととか。
僕と茜には共通点が多いこともわかった。
僕は父の関係で、特に進学希望ではないけれど進学校を選んだ。茜も母子家庭で交通費がもったいないからと、進学希望ではないのに進学校を選んだという。
僕達は出会った時の猛スピードの展開から一転、ゆっくりと、じっくりと、関係を深めていった。
バットが投げ込まれてからずっと、できるだけ警戒しながら生活をしてきた僕達だったけど、あれから特に何もないまま数ヶ月が過ぎた。
ただのいたずらだったんだろうか?
梅雨も明けたことだし、そろそろ警戒を解いても良いのかな。父も散歩に行きたいだろうし、僕も茜と出かけたい。
母に相談してみるか。僕は母のいるリビングに行くため立ち上がった。その時ふとカーテンレールにかかったカーディガンに目が止まった。
母を仕事に送り出した後軽く家事をしてから父の部屋へ。父の部屋で軽い物を移動させたりしながら勉強をしていた。父は僕の勉強の邪魔にならないよう、イヤホンを付けてテレビを観たり本を読んだりしていた。
父に訊きたいことがあった。なぜ警察に相談しないのか? でも、父はそれに答えたくないだろうこともわかっていた。
昼食を食べ、後片付けをしてまた父の部屋へ戻る。僕は勉強をして、父は本を読み、居心地の悪い時間が過ぎていく。
一時間ほど過ぎたころだろうか。チャイムが鳴った。相手はわかっているからそのまま玄関へ行く。
玄関を開けると
「俺!」
玄はそれだけ言ってずんずん入ってきた。
「なぁ、大変だったな」
「ああ」
ベッドや家具を動かす力仕事を母と二人でやるよりも玄とやった方が良いと思い、僕は母が出かけた後玄に連絡していた。
「すぐやれるか?」
「ちょっと待って」
父に玄が来たことを告げ、勉強道具を片付ける。
「玄志君、迷惑をかけて申し訳ないな」
「全然平気っすよ! 俺、空と違って身体には自信あるんで!」
それを言うなら『体力』だろう……なんの自慢だよ。
手早く大きな家具だけは動かしてしまおうと、まず父を車椅子に乗せリビングへ連れて行く。それから父の部屋へ戻り、玄と二人で家具を移動させる。
窓は明かりをとれる程度残して本棚で塞いだ。洋服ダンス、父のベッドと、次々に移動させていく。
ベッドを動かそうと、玄の反対に回ったとき、何か踏んだ気がした。足を上げると、靴下に折れた紙が貼りついている。
ゴミか。
捨てようとしたけれど、中を見る前にゴミと決めつけるのもなんだかなと思い、巻物のように畳まれた紙を広げてみる。
「おい! 腕がもげるから早くそっち持ってくれよ!」
声のほうに目を向けると玄がベッドの頭側を持ち上げ僕を待っている。
「あ、ごめん!」
僕はとっさに紙をカーディガンのポケットに突っ込むと、ベッドの足側を持って作業を続けた。
大きな家具は全て玄と二人で移動することができた。あとは母と小さな物の配置を考えて移動していこう。
協力してくれた玄には申し訳ないが、今はお礼をする時間がないし、また何かがあったら玄も危ない。
「ごめんな、落ち着いたら何かおごるよ」
「脳みそ」
「いやです」
いつものように冗談を言って玄は帰っていった。
「良い友達を持ったな」
リビングから見ていた父が言った。
「うん」
居心地の悪さも玄が持って帰ってくれたみたいで、それからは自然ないつもの家に戻った気がした。
キリの良いところで模様替えを終わらせ、部屋に戻って一息つく。茜に今日のことを話そう。メッセージを送ってみる。
(今日は大変だったんだね。お疲れ様!)
茜から返信がきた。
ポツポツとやり取りが続く。
明日は学校に行くこと、試験が終わるまでは家のこともあるので、学校以外では会えないこと、父の散歩もしばらくはしないことなどを簡単に伝えた。
(そっか……でも私は待ってるから大丈夫だよ! お家のことをまず大事にしてね)
茜の優しさが心に沁(し)みる。
窓の修理が終わっても、父を一人にするのはやはり危険だ。
試験が始まれば昼前には帰宅できるので、結局試験前までは母と僕が交代で休み、試験中は母が午前中休んで僕の帰宅後に交代で仕事に行くことになった。
学校で少し茜と話す時間を取ることができる。でも、茜は受験生だ。一つ一つの試験が重要な時期だろう。
僕は、茜に試験に集中するようにメッセージを送り、試験が終わるまで会わないことに決めた。
「やめっ! 解答用紙を回収する」
試験官の先生の声で筆記用具を置いて大きく息を吐く。
これで全ての試験が終わった。
あれから特に不審な人や不穏な出来事はない。来週から通常授業になるけど……どうするんだろう。
とりあえず今日は早く帰って母と交代しなきゃ。
急いで教室を出ると
「お疲れ様!」
いきなり真正面に茜が現れた。
「あ、ああ、お疲れ様」
「慌てて一緒に帰ろう!」
久しぶりに奪われた左手は、いつにも増して緊張しながらも嬉しそうだった。
速足で歩きながら茜が尋ねる。
「これからお家、どうするの?」
「僕にもわからない。多分今夜にでも話し合うと思う」
「そっか」
「多分、しばらくは父さんのことがあるから家を空けることはできないと思う」
仕方ないよね、と茜は呟いた。
しばらく沈黙が続く。
奪われたままの左手がだんだん熱くなった。そして
「週一のデートは死守する!」
突然茜が叫んだ。
「外でデートできないなら空の家に押しかけるもん!」
茜の顔が急に近づいて、そして離れる。
「拒否権はありません」
いたずらっぽく笑うとサッと身をひるがえし
「お家のこと、わかったらまた連絡して!」
あっという間に遠ざかっていく。
爽やかな香りに唇と左手の温かさを残して。
母の帰宅後、これからどうするかを話し合った。
施錠をしっかりすることと早く帰ること、父を一人にする時間をなるべく少なくすること、そして散歩はやめることが決まった。
かなり言い出しにくかったけれど
「あの、週一くらいで茜を家に呼んでもいいかな」
「もちろん、連れておいで。私は何もできないが」
「ありがとう」
「すまないな、空」
父が申し訳なさそうに言う。
なんて答えて良いかわからず、僕は何も答えないまま自分の部屋へ戻った。
次の週から僕と茜は週に一度僕の家で会うことになった。
一週間に一度、短い時間だったけど、僕たちはお互いのことを話した。
始めのうちは聞き役だった茜も、徐々に自分のことを話してくれるようになった。
お父さんは茜が八歳の時亡くなったことや、近所に住む女の子が、茜の弟さんのことを好きなこととか。
僕と茜には共通点が多いこともわかった。
僕は父の関係で、特に進学希望ではないけれど進学校を選んだ。茜も母子家庭で交通費がもったいないからと、進学希望ではないのに進学校を選んだという。
僕達は出会った時の猛スピードの展開から一転、ゆっくりと、じっくりと、関係を深めていった。
バットが投げ込まれてからずっと、できるだけ警戒しながら生活をしてきた僕達だったけど、あれから特に何もないまま数ヶ月が過ぎた。
ただのいたずらだったんだろうか?
梅雨も明けたことだし、そろそろ警戒を解いても良いのかな。父も散歩に行きたいだろうし、僕も茜と出かけたい。
母に相談してみるか。僕は母のいるリビングに行くため立ち上がった。その時ふとカーテンレールにかかったカーディガンに目が止まった。
