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 顔を覆って緋山が崩れ落ちたところで、乾いた拍手が響き渡った。見ると――望月Dだった。彼はマイクを通した声でこう告げた。
『すばらしい協議でした。円卓会議はこれにて解散といたします。異論はありませんね?』
 終わり。
 終わり?
 終わった?
 本当に?
「――なにがすばらしいですか。こんなのあんまりだ」
 蒼唯はカメラを意識して(演技を続けたまま)答えた。自分がどのように視聴者に映っているか、全く分からない。金城のように全てをひた隠しにできるほど演技が上手いわけじゃない。だけど、この恐怖だけは、最後まで隠しきらないと嘘だ。
 逃げ出したい。ここから今すぐ背を向けて走り去りたい。こんなのあんまりだ。
 蒼唯の前で号泣する緋山、向こうで倒れて動かない金城、舞台からいなくなった紫音。
 こんなのあんまりだ。良心とか以前の問題で、蒼唯の心は先ほどから軋んでいた。もう関わり合いになりたくない。こんな場所にい続けたくない。
 逃げたい。この場から、アイドルの道から逃げたい。こんな汚い世界から今すぐ抜け出して、日常に戻りたい――。
「俺はチャンスを要求します。紫音も、金城さんも緋山さんも、全員が、公平な円卓を望みます。こんな腹の探り合いみたいなことさせて、……狂ってる!」
『ですがもう投票は始まっていますよ』
 Dは丸い体を揺らして合図をした。モニターが蒼唯に向けられる。そこにはすでに「誰がアイドルに最もふさわしいと思うか?」という問いかけが踊り、その下に棒グラフが形成されていた。
 青のグラフが一番伸びている。蒼唯は血の気が引くのを感じながらディレクターを見た。
「……嘘でしょう」
『念のため言っておきますが』望月Dは胸を張った。丸いからだが少し反る。
『番組のほうでの票の操作はいっさいありません。全て、視聴者の意思です。じゃないと、この円卓を用意した意味がない』
「……うそ、」
『投票締め切りまでずいぶん時間がありますが、もう結果は決まったようなものなので、先に申し上げておきましょう』
 芝居がかった口調で、Dは告げた。

『おめでとうございます、清水蒼唯さん』

 緋山が悲痛な声を上げた。抑えようとした悲鳴が喉から引き絞られたような、ちぎれたような叫びだった。
 それは退路も進路も断たれた人間の断末魔だったかもしれない。
「ひや、まさん……」
 掛ける言葉を失った蒼唯は、棒グラフの伸び縮みを見つめていた。棒グラフの隣には、自動で表示されるSNSのつぶやきが滝のように流れていく。

『紫音くんに入れたかった』
『金城と緋山はなしだな』
『蒼唯一択』
『蒼唯』
『間に入った時の蒼唯かっこよかった』
『蒼唯がいいね』
『緋山今どんな顔してる?』
『金城映らなくなった』
『#蒼唯優勝確定』

 冷や汗が頬を伝い落ちる。嘘だろう。あんなに欲しかったアイドルの椅子が目の前にあるのに。手の中にあるのに。
 圧倒的な票数を誇る青いグラフを見て、蒼唯はゆっくり顔を覆った。そして、まだカメラの前だ、ということを思い出した。
 まだ、カメラの前だ。
 まだ、……演じ続けなければ。続けろ。カメラが回る限り。

「ありがとうございます、望月D!」
 蒼唯の目から、涙がこぼれ落ちた。それが演技なのか本心なのか、蒼唯自身にも分からなかった。過去になってしまった一夏の出会いが灰色の脳裏を掠めていった。

 みんなのことが好きだった。
 
「ありがとうございます!」
 スタッフが拍手をした。蒼唯は彼らに礼をして応えた。
「ありがとうございます!」

『蒼唯、こんなんで勝って嬉しいの? 正気疑う』
『まじかよ、ちょっと引く』
『どうせ仕込みだろ』
『台本乙です』

 嬉しいわけないだろ。仕込みな訳ないだろ。台本な訳ないだろ。蒼唯は全てに反論したくなったけれど、笑顔を取り持った。涙は止まらなかった。勝手にうれし涙と解釈してくれれば良いとさえ思った。

 きれいごとだけじゃ生きていけないよ、と言った紫音の言葉が思い出された。あの雨の日。珍しい雨が降った日。何もかもを暴き出すような太陽が雲に隠れた日――。
 あの日が最後だったのかもしれない。「I:CON」から逃げるチャンスがあったとしたら、その日だったのかもしれない。紫音。

 紫音が正しかったよ。

 カメラが止まる。投票数と青いグラフは伸び続けていた。
 視線から解放された蒼唯はがっくりと崩れ落ちて、緋山を見つめた。抜け殻になってしまった緋山を。

「緋山さん」
「……」
「負けないで、ください」
「……うるさい」
「全部に、負けないでください。どんな声にも負けないでください」

 蒼唯は泣きながら緋山をゆすった。殴られても構わなかった。

「俺、待ってますから。ずっと待ってます。このクソみたいな世界でずっと待ってますから」
「……もう無理だよ」
「できます」
「無理だって言ってんだろ!」
「できますよ、なんだって!」

 ふふ、と緋山が笑った。そして、蒼唯をかるく突き飛ばした。

「お前は若いな」
 緋山は泣きはらした目で蒼唯を見た。
「お前は清い。お前には可能性がある。何にでもなれる。ほんとに、……なんにでもなれる。俺とは違って」
「緋山さん」
「俺はこれがダメならもう諦めようと思ってたんだ」
 緋山の目にまた涙がにじんできた。
「もう、やめるよ。……もう潮時なんだと思う」




 アイドルとは何か。
 アイドルとは、いかなるものか。
 アイドルとは、輝く者のことだ。
 アイドルとは、誰にとっても、公平な者のことだ。
 ファンにとっても、そうじゃない連中にとっても、誰にとっても、等しく星のように輝く者のことだ。
 俺はアイドルになりたかった。高校生のときからずっとアイドルになりたかった。だが、もう終わる。終わらない夢などない。いつか瞼を閉じるように、いつか眠りから覚めるように、夢は終わる。
 長い夢をみていた。
 俺には過ぎた夢だったように、思う。
 
 なあ、蒼唯。本当は向いてないと思ったろ、俺のこと。本当の俺はそんなに面倒見が良くないし、本当の俺はすごく短気で、かっとなりやすいんだよ。演技も下手だ。 
 向いてなかったんだ。そういうことにしといてくれ。