スポットライトの数が減った。三重になった影が蒼唯の肌を明るく照らす。カメラが回り出し、Dが不気味とも言える前口上を述べた。
『藤崎紫音がファイナルを辞退しました。ファイナリストは三人。よろしいですか』
「続きから始めよう」
 口火を切ったのは意外にも緋山だ。金城は不気味に黙りこくっていて、そこだけ明かりが暗い気さえした。金城は、一体どうしてしまったんだ? けれど緋山は、金城の様子を気にも掛けずに進めていく。
 
「さっき、紫音から証言があった。蒼唯はプロデューサーのお気に入りだと」
「そんなことはありえないです。ありえません。そんな特別待遇なかった」
 蒼唯は拳を握った。
「……藤崎プロデューサーは全員に分け隔てなかったと思う」
「あり得ないって言えるか?」
 真向かいの、スポットライトの下で照る赤が、目に痛い。
「紫音はプロデューサーの息子だ。紫音の言葉には信憑性がある」
「それだって、紫音の思い込みの可能性があります!」
 蒼唯はカメラを意識して表情を作った。「紫音は父親に認めて貰いたかったんだ」
「じゃあなんでお前の名を出した? 蒼唯。俺でも金城でもなくお前の名前を」
「それは――」

「あのさぁ、二人とも」
 金城が低い声を出した。うつむいていた男の顔がゆっくり、ゆっくりこちらを見た。向かいの空白――紫音のいた席を見つめて、にっこり笑う。
「趣旨変えない?」
「え?」
「話し合いの趣旨変えない?」
 金城は沈み込むような暗闇からぬっと顔を出して微笑んだ。まるで陰りのない向日葵だ。
「ジョーカーを探して、追放することより大事なことがあると思うんだよね」
「何を言っているんだ」
 緋山が呆れたように言う。「ここは、ジョーカーを明らかにして追放する場として――」
「ジョーカーがこの中にいるってしか言われてないし、そもそも追放にだって『キミたちがイヤなら』という前提がついてたじゃん。ねえ緋山旭」
 金城は目を見開いた。
「アイドルにふさわしくない奴を追放するってのはどう」
 緋山の瞳が目に見えて揺れた。蒼唯はそれを見逃さなかった。
「ひ、緋山さん?」
 金城は言葉の圧を緩めない。
「覚えがあるだろ?」
 そしてスマホをかざす。大音量で、音声が流れ出す。

『ゆ、うして』
 水音。なんどもたたきつけられる水の音。被さって聞こえてくる小さな笑い声。
『ゆるして、ゆるして、も、ゆる』
『雑巾がなんか言ってる~! もっと洗ってあげてよ!』
 少女の甲高い声がそういう。くぐもった男子の声がまた、乞うように言った。
『もうさむい、さむい、……さむいから、もう』
 打ち付けられる水の音。水音。水音。
『ゆ』
 水の音。
『して』
 バケツのようなものから水が打ちまけられる音。
『モップもブラシもあるけどどっちがいい?』
『じゃあモップにしとくか。ブラシだと身体に傷が――』

「やめろッ!!」
 緋山は勢いよく立ち上がって机を殴りつけた。その精悍な顔に、玉のような汗が、いくつも、いくつもいくつも浮かんでいた。
「やめろ……」
「はは。本当だったんだ。緋山がいじめに加担してたの」
「えっ!」
 蒼唯は緋山を見つめた。向かいに座っているアイドル候補生はすうっと青ざめた。それだけで蒼唯には充分だった。
「いじ、め……」

「あはは」
 金城はきらきらと笑った。舞台上で輝くように、まるで歌でも歌うように。
「ウケる~」
 手を叩いて笑う振りをする。目だけが。目だけが笑っていない。真っ黒な闇の底を覗くような瞳。蒼唯はぞっとした。
「エンタメじゃん。今の今まで正統派アイドル、兄貴分アイドルで売ってきたのに過去が『いじめっこ』ってさあ。最高で最悪のエンタメじゃんね。ちょう盛り上がるじゃん。これ愉しまなくってさ、損だよね」
 金城のスマホからは男女の笑い声が響き続けていた。緋山は耳を塞ぐように手を当てかぶりを振った。
「なんだその音声は! 気分が悪い……」
「そりゃ悪いだろうよ。俺も気分悪いもん。ねえ緋山旭。お前はどんないじめをしたわけ?」
「いじめなんか……するわけないだろ」
「いきなり顔色変えちゃって、俺から言い逃れできる? ねえ」
 そして金城は黒い目を伏せ、蠱惑的に笑った。

「教えてあげる。この中で虐められてんの、俺だよ。ね? 覚えてる? みんな」

 金城はカメラに向かってウインクした。
「キミたちが虐めてた、デブでチビの金城煌牙でーす! キミたちに復讐しまーす。首洗って待ってろよ。ついでにー、虐め加担者かつアイドルにふさわしくない緋山は蹴落とします」
 緋山がおもむろに顔を上げた。

「D!ディレクター!こんなのは間違ってる!番組の方針的におかしい! 収録を中止した方が!」
『円卓の話し合いはまだ続いていますよ、緋山くん』
 Dの冷たいようでいて愉しむような声が聞こえてきて、蒼唯も、そして緋山も凍り付いた。
「つ、続けるのかよ……」
 蒼唯のつぶやきがスポットライトの重なりの真ん中に落ちていく。金城はあのマイペースで陽気な金城に戻って、頬杖をついて緋山をのぞき込んだ。
「で、緋山は何をしたの?」
「……何もしてない」
「俺みたいなかわいそうないじめられっ子になにをしたんだよ。言えよ」
「してない」
「うっそお、なにもしてなくてこんな投稿上がる? ええっと、……『緋山旭って私と同い年の緋山旭?どの面下げてアイドルなんてやってんの』 この前のファイナリスト決定の時の投稿でーす」
「俺は何も」
「えー? 煙のないところに煙は立たないって言うでしょ。ほら、まだあるよ。検索ワードをH山に変えまーす」

『H山乱暴者だった記憶』
『すぐ切れる身勝手な奴だったような。H山、よく人前に出たな』
『俺、H山に殴られたことある。暴力野郎だよ』

「検索ワード変えればまだまだ出てくるんじゃないかなぁ。俺さ。ずっとお前のこと嫌いだったよ。緋山旭。俺と反対の匂いがするから。お前、殴るか殴られるかだったら、殴る側だもんな」
「……!」
 緋山の顔色は紙のように白くなってゆく。蒼唯は呆然と彼の顔の変化を見つめていた。
「本当なんですか」
「違う」
「……本当にいじめをしたんですか? 金城さんが受けてたみたいな、ひどい」
「違う!! あれは」
「『あれ』? 『あれ』っていったいなに、緋山旭? 心当たりでもあんの?」
 蒼唯は金城に視線を移した。金城は金城で頬杖をついたまま愉しそうに緋山の様子を観察していた。今にも崩れ落ちそうなジェンガを見つめるのに似ていた。
 
 真っ青になってしまった唇が、動く。その目が蒼唯だけを見つめる。
「蒼唯……俺は、アイドルになりたい」
 蒼唯は思わず身を引いた。
「アイドルになりたい。どうしてもなりたい。どうしても、どうしても、だから」
「あははははははは!」
 金城が腹を抱えて笑い出した。
「この期に及んで泣き落としかよ、だっせー!」
「蒼唯、信じてくれ、頼む」
 緋山の目に涙がにじんできた。
『もうあとがないんだ』そう語った声で、蒼唯と何度も呼ばれて、蒼唯は、――ぞっとしていた。
「緋山さん、俺……」
 金城が口をはさむ。
「いいんだぜ清水蒼唯。素直に答えてくれよ。お前の美点は素直なとこだ」
「……緋山さんのこと、もう、信じられない」

 紫音に見せた兄のような顔も、その優しさでさえ信じられない。緋山の過去があらわになったことによって、蒼唯はもう、緋山旭を、信用できなくなっていた。
「蒼唯!」
「今まで緋山さんのこと尊敬してた、上に兄がいたらこんな感じかなとか思ってた。でも今の反応見て、なんだか違うって、なんか違うって思った、今は、緋山さんが、こわい、こわくて仕方ない!」
 カメラを意識するまでもない、偽らざる本音だった。

 金城が吐き捨てるように呟く。

「ばーか。お前には底辺がお似合いだよ。この暴力野郎」