ようじside
あの人に会うと、一瞬であの時の気持ちが蘇る。ドキドキと胸が高鳴り、きゅーっと身体の奥の方が締め付けられる感覚。嫌じゃないけどどうしたらいいかわからなくて、あの人を避けるようになった。大好きなお兄ちゃんなのに、近付けなくてもどかしかった。
ーーーたけるにいちゃんは俺の初恋の人
ーーあの日、まっすぐ家に帰りたくなくて公園で時間をつぶしていた。気付けば西の空はオレンジ色に染まり陽が沈みかけていた。真っ暗になる前に帰ろう。ベンチに放置していたランドセルを背負って公園を出たところで声をかけられた。
「ようじ、こんな時間まで遊んでたのか?」
「………」
叱られると思って黙っていたらたけるにいちゃんがポケットから飴を出して俺にくれた。口に放り込むと甘酸っぱいレモンの味がひろがって小さな幸せを感じた。
「かえろっか」
たけるにいちゃんと並んで住宅街の坂を登る。空はオレンジから紫色に変わり、あちこちで街灯が灯り始めた。
「……たけるにいちゃんはキスしたことある?」
「え……?」
「女子と」
「えーっと、どうだったたかな〜」
「たまに一緒に帰ってる人、あれ彼女でしょ? その人とキスした?」
「いや、それは……まぁ、……うん」
「その時、どんな気持ちだった? うれしかった?」
「うれしかったというか、ドキドキしてたかな。緊張でドキドキしてあんまり覚えてないけど」
「そう……でも、嫌じゃなかったでしょ?」
「嫌ではないよ。好きな子だし」
「だよね……」
たけるにいちゃんと別れる道まで来た。右に曲がればすぐにたけるにいちゃんの家、俺の家はもう少し奥に行ったところ。じゃあバイバイと手を振ると、暗いから家まで送るとまた並んで歩く。
「最近学校でなにが流行ってんの? 〇〇レンジャー? 仮面ラ〇ダー?」
「俺はもうみてない」
「そうなんだ? じゃあ、ゲームか? マ〇オとか、カー〇ィとか?」
「たけるにいちゃん、」
立ち止まると、たけるにいちゃんが振り返って「どうした?」と不思議そうにしている。
「俺、今日クラスの女子とキスした」
「……え?」
「全然うれしくなかった。嫌だった」
「……そうか」
「たけるにいちゃんは俺のこと好き?」
「……好きだけど、」
「キスしてって言ったらしてくれる?」
「……へ?」
眉根を寄せて困惑しているたけるにいちゃんをみて、自分が今おかしなことを言っていると自覚し、恥ずかしくなった。
「ごめん、やっぱ今のなし。じゃあね」
自宅に向かって走り出そうとしたらたけるにいちゃんに腕を掴まれる。
「大丈夫か?」
膝を折り俺と同じ目線になって顔をのぞき込まれる。
「どうした?」
心配そうに眉を下げるたけるにいちゃんの顔をみていると、鼻の奥がツンと痛くなって目が潤んできた。
「うん?」
とうとう堪えきれず目から涙が溢れ出し、たけるにいちゃんに抱きつく。
「……ぅっ……ふっ……」
嗚咽混じりに泣き出す俺を、たけるにいちゃんは抱き留めてゆっくり頭を撫でてくれる。その手が大きくて温かくて優しくて、次から次に涙が溢れて止まらない。
「大丈夫……大丈夫だよ」
優しい声に安心する。
「……っ、その子のこと……嫌いじゃないけど……急に来たから、びっくりして……ぅっ、唇当たって、気持ち悪くて」
「そうか、そりゃあびっくりするよな」
「ずっと、モヤモヤしてて……っ、このまま家に帰りたくなくて」
「それで公園にいたんだ」
なかなか泣き止まない俺を、落ち着くまで宥めてくれた。言葉にできなかったモヤモヤした気持ちを吐き出したら、心がスーッと軽くなっていった。
「ありがとう……もう大丈夫」
ようやく落ち着いて涙が止まった。たけるにいちゃんは指の腹で頬についた涙の跡を拭ってくれた。
「ようじ、またなんかあったらにいちゃんに言えよ?」
「うん」
「じゃあ、お母さん心配してると思うから家に入りな」
「うん、たけるにいちゃんありがとう! バイバイ!」
「バイバイ」
別れ際に頭を撫でてレモンの飴をくれた。俺はしばらくその飴を食べることができなかった。
たけるにいちゃんが中学2年生、俺が小学5年生。自覚はなかったけど、この日がたけるにいちゃんを意識するきっかけになったんだと思う。
***
「ようちゃん起きて!」
中学を卒業して4月から高校生になる。束の間の春休みに早朝に部屋に上がり込んできたしゅん。布団を引き剥がされて叩き起こされる。
「んぅ〜なんだよ……まだ7時じゃん」
「いいから、早く着替えて。今日7時半の電車でたけるにいちゃん行っちゃうから」
「たけるにいちゃん?」
「引っ越すんだって。行くだろ? 見送り」
「……俺はいいや」
「行くぞ」
「おまえ1人で行けよ」
「会いたくても会えなくなるんだぞ……いいの?」
べつに今までだって顔を合わせてもまともに話せなかったし、見送りに行って今更なにを話せばいいのかわからないし……
「あーもう! うだうだ考えるのは後! とにかく着替えて!」
スウェットを脱がされて適当に服を着せられ、寝癖がついたボサボサ頭のまま自転車に乗るよう急かされる。住宅街の坂を自転車で下る。少し冷たい風が頬を撫で、ぼんやりした頭が冴えていく。
どうせならもっとおしゃれしてくれば良かった。餞別のプレゼントや手紙を用意すればよかった。朝ごはんも食べてないし髪も肌もボロボロだし、最悪だ。
ぐるぐる後悔しているうちに駅前に着いた。駐輪場に自転車を停めて駅に向かって走り出す。前を走るしゅんに早く来いと促されて必死に後を追う。改札の前でたけるにいちゃんの姿をみつけた。ちょうど両親兄弟に別れを告げて、改札をくぐるところだった。
「たけるにいちゃーん!! まってー!!」
走りながらしゅんが叫ぶ。たけるにいちゃんは大きな荷物が改札に引っかかってあたふたしていた。
「おっ!? しゅん!?……あー! ようじも!?」
引っかかっていた荷物を持ち上げてなんとか改札を通り、たけるにいちゃんは改札内に入った。柵を隔ててたけるにいちゃんと顔を見合わせる。まっすぐにたけるにいちゃんと向かい合うのは久しぶりで照れくさい。
「来てくれたんだな」
「たけるにいちゃん友達いないからかわいそうだなと思って」
「いるよ! さっきまでしゃべってたし!」
「たけるにいちゃん…」
「ようじと話すの久しぶりだな」
「うん、元気でね」
「おまえもな」
「大学デビュー失敗すんなよ」
「うっ、わかってるよ。うるさいな」
「ひひっ、帰ってきたら小遣いちょーだい」
「しゅんが良い子にしてたらな」
「やったー!」
「じゃあな、2人とも元気でな」
「バイバイ」
「おう」
軽く手を振り、大きな荷物を抱えて、たけるにいちゃんはホームへと行ってしまった。隣にいたしゅんがいつの間にか券売機へ移動し切符を買っている。
「これ」
俺に切符を手渡した。駅の入場券だ。
「しゅんは? 行かないの?」
「うん、俺はいい。ようちゃん行ってこいよ。伝えたいこと言えなかっただろ?」
「……ありがとう」
迷っている時間はなかった。入場券を改札に通し、走ってたけるにいちゃんの後を追う。階段を上りホームに出るとたけるにいちゃんの後ろ姿を発見した。
「たけるにいちゃん!」
「え? ようじ?? どうした?」
後ろを振り返ったたけるにいちゃんに駆け寄る。息を整えてからゴクっと唾を飲み込み、たけるにいちゃんをまっすぐに見つめた。
「ずっと避けててごめん……本当はもっとたけるにいちゃんと話したかったし、たけるにいちゃんといろんなことしたかったのに……」
「そういう時期だから仕方ないよ。俺もあったもん、反抗期。でも嫌われてなくてよかった」
「そうじゃない。思春期とか反抗期とか、そういうんじゃなくて……」
「うん?」
『間もなく2番線に電車が参ります。黄色い線の内側に下がってお待ちください』
「俺は……俺はたけるにいちゃんのことがーーーー」
勢いで放ってしまった二文字の言葉は、ホームに到着した電車の音に掻き消された。たけるにいちゃんは穏やかに笑ってポンポンと頭を撫でてくれる。変わらない優しくて温かい大きな手。
やばい、泣きそう……
みるみるうちに涙がたまり、ポロッと一粒頬を滑り落ちた。
「泣くなよ〜」
笑いながらそっと抱きしめてくれる。
好きだ。たけるにいちゃんが好き。
『ドアが閉まります、ドアが閉まります』
「うわっ! やばっ」
たけるにいちゃんは大きな荷物を抱えて慌てて電車に飛び乗った。すぐにドアが閉まり、窓の向こうで安堵してため息をつくたけるにいちゃんの様子がみえた。
「そそっかしいんだから……」
ガタンゴトンと音を立て、ゆっくりと電車が走り出す。たけるにいちゃんは優しく笑って手を振ってくれる。俺も無理矢理に笑顔を作り手を振った。ホームから発車した電車が見えなくなるまでずっと手を振った。
「はぁ……いっちゃった」
ホームを歩き階段を下りゆっくりと改札に向かう。入場券を通して改札を出ると、しゅんがスマホをいじりながら待ってくれていた。
「おわった?」
「おう」
まじまじと顔を覗きこまれて鼻で笑われた。
「なんだよ」
そっと手が伸びて目元を拭われる。
「……ぁりがとぅ」
「うん」
二人並んで、駐輪場に向かって歩き出す。
「俺、ようちゃんと同じ高校いくわ」
「え? なんで? ウチのダンス部弱いみたいだけど……」
「ダンスができればどこでもいいから」
「どうせなら強いとこに行けばいいのに」
「いいの! もう決めたから」
「あっそう」
「腹へった〜牛丼食いにいこ〜」
「ああ、やばい。腹減りすぎて死ぬ……」
「ようちゃんおごって」
「なんでだよ」
「入場券買ったら金なくなった」
「あ……ごめん、財布忘れてきた」
「はぁ?!」
この時、しゅんが一緒にいてくれてよかった。背中を押してくれたおかげでたけるにいちゃんへの想いを吹っ切れた。本人には伝わらなかったけど、それでいい。好きになってほしいとかつき合いたいとか、そんなんじゃない。たけるにいちゃんには嫌われたくなかったんだ。
***
屋台の食べ物って特別おいしいわけじゃないのに特別感があってすき。初詣やお祭りのイベントを楽しみながら食べるからっていうのもあるし、学校の帰りやなんでもない日曜日に食べると日常が特別になってワクワクする。しゅんとつき合うようになって、そういう幸せを共有できるのがうれしい。おいしい物を食べた時にしゅんの顔が浮かんで、あいつにも食べさせてあげたい、一緒に食べたらもっとおいしいだろうなって最近よく思うようになった。
「甘酒飲むの久しぶりだな。あ、大判焼も買っていこうかな……カスタードとあんことーー」
公園を出て神社に向かっていると、前方から歩いてくる人物に目が釘付けになった。どくんと心臓が大きく脈打ち身体が熱くなっていく。ふとその人と目が合って、お互い数秒間固まってしまった。
「……もしかして、ようじ?」
変わらない優しい声、髪がベージュに染まり服装もおしゃれになって垢抜けていた。
ずるいよな、かっこよくなって急に目の前に現れるんだもん。
「たけるにいちゃん久しぶり」
「やっぱりようじか! 身長伸びてかっこよくなってるから一瞬わかんなかった」
「たけるにいちゃんもかっこよくなったね、びっくりした」
「あ、そういえばさっきーー」
ポンと肩に手を置かれた。たけるにいちゃんの視線が俺の後方に移った。
「あれ? しゅん? 今日会うの3回目だな」
「たけるにいちゃん、タイミング悪い」
「え?」
肩をポンポン数回叩かれてしゅんの方へ視線を移すと、眉間を寄せて怪訝な顔をしていた。
「本当に2人で来てたんだな」
「うん」
不意に手を握られる。しゅんはチラと俺に視線を寄越してから、たけるにいちゃんへとまっすぐ向き直った。
「たけるにいちゃん、」
握った手にぎゅっと痛いくらい力が込められて、しゅんがゴクっと唾を飲み込んだ。
「俺たち、つき合ってるから」
え……しゅんの奴なにを……
たけるにいちゃんは驚いて目を丸くしている。
「え?……しゅんとようじが?」
「そう」
「それって、恋人同士ってこと?」
「だからそうだって言ってるだろ」
「えー……あー……そうか」
たけるにいちゃんは俺たち二人を交互にみて、困惑しながらも頷いている。
「……なに言ってんだよしゅん。変な冗談やめろよ。たけるにいちゃんびっくりしてるだろ」
俺は咄嗟にしゅんの手を離して、会話に口をはさんだ。
「冗談? うそ?」
「うそに決まってるじゃん……」
「うそかよ! 俺はてっきりーー」
たけるにいちゃんのスマホが鳴りおばさんから早く帰って来いと言われたらしく、両手に家族全員分のタコ焼きとイカ焼きを抱えて小走りで帰って行った。
「なんでたけるにいちゃんにあんなこと言ったんだよ」
「ようちゃんこそ、なんでうそだって言うんだよ」
「急にあんなこと言われたら誰だってびっくりするだろ」
「じゃあいつならよかった? 5年後? 10年後? 50年後?」
「そうじゃなくてーー」
「いつ言っても同じだろ。なんで隠すの?」
「わざわざ言う必要もないだろ。今までだって誰にも言ってこなかったし」
「たけるにいちゃんには言っておきたかった。たけるにいちゃんだから言った」
「俺は……たけるにいちゃんには言わないでほしかった」
「なんで? まだたけるにいちゃんに気持ちがあるから?」
「ちがう……俺たちが普通のカップルだったらいいよ。たけるにいちゃんも祝福してくれると思う。でもさ、さっきのたけるにいちゃんの反応見ただろ? 困惑してた」
「それくらい俺にもわかってるし、たけるにいちゃんの反応も予想してた」
「じゃあなんで? なんで言ったんだよ」
「それはーー」
言葉につまり黙り込んでしまった。思わずため息がもれて、しゅんは気まずそうにうつ向いてしまった。
「……しゅん」
ごめん、ごめんな……
「甘酒買いにいこう」
しゅんの手を引いて歩き出すも、すぐに離される。
「ようちゃん1人でいって…今日は帰る」
すぐに背を向けて走って行ってしまった。
「はぁ……1人で行っても意味ないだろ」
なんでこううまくいかないんだろう……ごめんな、弱い恋人で。俺もお前みたいに強くなりたいよ。
***
しゅんside
ようちゃんは他人の目を気にする。手をつないで歩いていても友達やクラスメイトに会うとすぐに手を離されて距離を取られる。最初はショックだったけどようちゃんが知られたくないなら俺も気をつけようってつき合っていることは誰にも言わなかった。でも、たけるにいちゃんには言ってしまった。たけるにいちゃんにようちゃんを取られるかもしれないという焦りから。だってたけるにいちゃんに再会した時のようちゃんの顔、あの頃と一緒だった。
ようちゃんが嫌がることをしてしまったのは悪いと思ってるけど、後悔はしていない。ようちゃんは俺の恋人だって主張できたんだから。でも、ようちゃんはそれを冗談やうそという言葉で否定した。それにすごく腹が立つし悲しかった。今まで過ごした幸せな時間やようちゃんを好きだという気持ちを全否定されたみたいで辛かった。
「しゅん、入るぞ?」
コンコンと控え目なノックの音が聞こえてすぐさま布団の中に潜り込んだ。ガチャとドアが開いてようちゃんが部屋に入ってくる。
「昨日のタコ焼きとかイカ焼きとか、公園に忘れてっただろ? 一緒に食べようと思って持ってきた」
ガサゴソとビニール袋の音がしたと思ったらボスっとベッドが軋む。ようちゃんがベッドに座ったらしい。
「しゅん? 起きてるだろ?」
布団を引っ張られたので引き剥がされないように布団の中で身体を丸める。ようちゃんが無理矢理に布団を引き剥がそうとするので必死にそれをつかんだ。結局、ようちゃんの馬鹿力には勝てなくて布団を剥ぎ取られてしまった。勝ち誇ったように笑っているようちゃん。
「俺、怒ってるんだけど」
ベッドの上で胡座をかいてようちゃんを睨みつける。
「めずらしくめっちゃ怒ってる」
ようちゃんからは笑みが消え、ため息をついて目を伏せる。
「……うん……ごめん」
視線を上げ、申し訳なさそうに俺をみる。
「……お前の気持ち考えないでひどいこと言って……本当にごめんなさい」
今回は絶対に許さない! と思っていたのに、あまりにも素直にすんなりと謝ってきた。拍子抜けし、こちらも怒っているのがバカらしくなった。
「……俺も悪かった。ごめん」
頭を下げると、ようちゃんは安心したように息をついた。
「でも、まだ許さないから」
「え?」
ようちゃんに向かって両手を広げると、ようちゃんは数回瞬きをしてから苦笑し、ゆっくりと俺の胸の中に入ってきた。ようちゃんを包み込むように抱きしめて肩口に顔をうめる。
「たけるにいちゃんに久しぶりに会ってどうだった?」
「どうって……べつに、どうもないけど」
「うそだ、ときめいたんだろ?」
「……ないって」
「ふ〜ん」
ようちゃんを引き剥がし、じーっと視線をおくるとふいっと顔をそらした。
「はいクロ!」
勢いよくベッドに押し倒す。
「ようちゃんのアホ、ボケ、バカ、マヌケ……」
驚いているようちゃんを見下ろし、頬をゆっくりと撫でた。
俺だけをみて……他の奴なんかみるな。
頬にある俺の手にようちゃんの手が重なる。
「ほんと、かわいいねおまえは」
「はぁ?」
「……駆け落ちでもする?」
「な、なに言ってんだよ!?」
「……ふふっ、冗談だよ」
目を伏せて寂しそうに笑うから、胸の奥が苦しくなる。
「……ようちゃんを俺だけのものにできるなら」
本心だった。誰の目も届かないところにようちゃんを隠して独り占めしたい。俺だけをすきでいてほしい。日に日に増してゆく独占欲が俺を焦らせる。
「さらう勇気もないくせに」
俺の手に頬ずりしながらどこかうれしそうに目元を緩めるようちゃん。瞬きするたびに長いまつ毛が揺れる。
「ようちゃんだって、さらわれる勇気ないくせに」
嫉妬とか焦燥とか執着とか独占欲とか。駆け落ちして2人だけの世界になったら、こんな煩わしくて汚い感情もなくなるのかな。でも、俺はそれも引っくるめて大事に持っていたい。
恋を諦めたくない。ようちゃんを離したくない。どうしようもなくすきなんだ。
あの人に会うと、一瞬であの時の気持ちが蘇る。ドキドキと胸が高鳴り、きゅーっと身体の奥の方が締め付けられる感覚。嫌じゃないけどどうしたらいいかわからなくて、あの人を避けるようになった。大好きなお兄ちゃんなのに、近付けなくてもどかしかった。
ーーーたけるにいちゃんは俺の初恋の人
ーーあの日、まっすぐ家に帰りたくなくて公園で時間をつぶしていた。気付けば西の空はオレンジ色に染まり陽が沈みかけていた。真っ暗になる前に帰ろう。ベンチに放置していたランドセルを背負って公園を出たところで声をかけられた。
「ようじ、こんな時間まで遊んでたのか?」
「………」
叱られると思って黙っていたらたけるにいちゃんがポケットから飴を出して俺にくれた。口に放り込むと甘酸っぱいレモンの味がひろがって小さな幸せを感じた。
「かえろっか」
たけるにいちゃんと並んで住宅街の坂を登る。空はオレンジから紫色に変わり、あちこちで街灯が灯り始めた。
「……たけるにいちゃんはキスしたことある?」
「え……?」
「女子と」
「えーっと、どうだったたかな〜」
「たまに一緒に帰ってる人、あれ彼女でしょ? その人とキスした?」
「いや、それは……まぁ、……うん」
「その時、どんな気持ちだった? うれしかった?」
「うれしかったというか、ドキドキしてたかな。緊張でドキドキしてあんまり覚えてないけど」
「そう……でも、嫌じゃなかったでしょ?」
「嫌ではないよ。好きな子だし」
「だよね……」
たけるにいちゃんと別れる道まで来た。右に曲がればすぐにたけるにいちゃんの家、俺の家はもう少し奥に行ったところ。じゃあバイバイと手を振ると、暗いから家まで送るとまた並んで歩く。
「最近学校でなにが流行ってんの? 〇〇レンジャー? 仮面ラ〇ダー?」
「俺はもうみてない」
「そうなんだ? じゃあ、ゲームか? マ〇オとか、カー〇ィとか?」
「たけるにいちゃん、」
立ち止まると、たけるにいちゃんが振り返って「どうした?」と不思議そうにしている。
「俺、今日クラスの女子とキスした」
「……え?」
「全然うれしくなかった。嫌だった」
「……そうか」
「たけるにいちゃんは俺のこと好き?」
「……好きだけど、」
「キスしてって言ったらしてくれる?」
「……へ?」
眉根を寄せて困惑しているたけるにいちゃんをみて、自分が今おかしなことを言っていると自覚し、恥ずかしくなった。
「ごめん、やっぱ今のなし。じゃあね」
自宅に向かって走り出そうとしたらたけるにいちゃんに腕を掴まれる。
「大丈夫か?」
膝を折り俺と同じ目線になって顔をのぞき込まれる。
「どうした?」
心配そうに眉を下げるたけるにいちゃんの顔をみていると、鼻の奥がツンと痛くなって目が潤んできた。
「うん?」
とうとう堪えきれず目から涙が溢れ出し、たけるにいちゃんに抱きつく。
「……ぅっ……ふっ……」
嗚咽混じりに泣き出す俺を、たけるにいちゃんは抱き留めてゆっくり頭を撫でてくれる。その手が大きくて温かくて優しくて、次から次に涙が溢れて止まらない。
「大丈夫……大丈夫だよ」
優しい声に安心する。
「……っ、その子のこと……嫌いじゃないけど……急に来たから、びっくりして……ぅっ、唇当たって、気持ち悪くて」
「そうか、そりゃあびっくりするよな」
「ずっと、モヤモヤしてて……っ、このまま家に帰りたくなくて」
「それで公園にいたんだ」
なかなか泣き止まない俺を、落ち着くまで宥めてくれた。言葉にできなかったモヤモヤした気持ちを吐き出したら、心がスーッと軽くなっていった。
「ありがとう……もう大丈夫」
ようやく落ち着いて涙が止まった。たけるにいちゃんは指の腹で頬についた涙の跡を拭ってくれた。
「ようじ、またなんかあったらにいちゃんに言えよ?」
「うん」
「じゃあ、お母さん心配してると思うから家に入りな」
「うん、たけるにいちゃんありがとう! バイバイ!」
「バイバイ」
別れ際に頭を撫でてレモンの飴をくれた。俺はしばらくその飴を食べることができなかった。
たけるにいちゃんが中学2年生、俺が小学5年生。自覚はなかったけど、この日がたけるにいちゃんを意識するきっかけになったんだと思う。
***
「ようちゃん起きて!」
中学を卒業して4月から高校生になる。束の間の春休みに早朝に部屋に上がり込んできたしゅん。布団を引き剥がされて叩き起こされる。
「んぅ〜なんだよ……まだ7時じゃん」
「いいから、早く着替えて。今日7時半の電車でたけるにいちゃん行っちゃうから」
「たけるにいちゃん?」
「引っ越すんだって。行くだろ? 見送り」
「……俺はいいや」
「行くぞ」
「おまえ1人で行けよ」
「会いたくても会えなくなるんだぞ……いいの?」
べつに今までだって顔を合わせてもまともに話せなかったし、見送りに行って今更なにを話せばいいのかわからないし……
「あーもう! うだうだ考えるのは後! とにかく着替えて!」
スウェットを脱がされて適当に服を着せられ、寝癖がついたボサボサ頭のまま自転車に乗るよう急かされる。住宅街の坂を自転車で下る。少し冷たい風が頬を撫で、ぼんやりした頭が冴えていく。
どうせならもっとおしゃれしてくれば良かった。餞別のプレゼントや手紙を用意すればよかった。朝ごはんも食べてないし髪も肌もボロボロだし、最悪だ。
ぐるぐる後悔しているうちに駅前に着いた。駐輪場に自転車を停めて駅に向かって走り出す。前を走るしゅんに早く来いと促されて必死に後を追う。改札の前でたけるにいちゃんの姿をみつけた。ちょうど両親兄弟に別れを告げて、改札をくぐるところだった。
「たけるにいちゃーん!! まってー!!」
走りながらしゅんが叫ぶ。たけるにいちゃんは大きな荷物が改札に引っかかってあたふたしていた。
「おっ!? しゅん!?……あー! ようじも!?」
引っかかっていた荷物を持ち上げてなんとか改札を通り、たけるにいちゃんは改札内に入った。柵を隔ててたけるにいちゃんと顔を見合わせる。まっすぐにたけるにいちゃんと向かい合うのは久しぶりで照れくさい。
「来てくれたんだな」
「たけるにいちゃん友達いないからかわいそうだなと思って」
「いるよ! さっきまでしゃべってたし!」
「たけるにいちゃん…」
「ようじと話すの久しぶりだな」
「うん、元気でね」
「おまえもな」
「大学デビュー失敗すんなよ」
「うっ、わかってるよ。うるさいな」
「ひひっ、帰ってきたら小遣いちょーだい」
「しゅんが良い子にしてたらな」
「やったー!」
「じゃあな、2人とも元気でな」
「バイバイ」
「おう」
軽く手を振り、大きな荷物を抱えて、たけるにいちゃんはホームへと行ってしまった。隣にいたしゅんがいつの間にか券売機へ移動し切符を買っている。
「これ」
俺に切符を手渡した。駅の入場券だ。
「しゅんは? 行かないの?」
「うん、俺はいい。ようちゃん行ってこいよ。伝えたいこと言えなかっただろ?」
「……ありがとう」
迷っている時間はなかった。入場券を改札に通し、走ってたけるにいちゃんの後を追う。階段を上りホームに出るとたけるにいちゃんの後ろ姿を発見した。
「たけるにいちゃん!」
「え? ようじ?? どうした?」
後ろを振り返ったたけるにいちゃんに駆け寄る。息を整えてからゴクっと唾を飲み込み、たけるにいちゃんをまっすぐに見つめた。
「ずっと避けててごめん……本当はもっとたけるにいちゃんと話したかったし、たけるにいちゃんといろんなことしたかったのに……」
「そういう時期だから仕方ないよ。俺もあったもん、反抗期。でも嫌われてなくてよかった」
「そうじゃない。思春期とか反抗期とか、そういうんじゃなくて……」
「うん?」
『間もなく2番線に電車が参ります。黄色い線の内側に下がってお待ちください』
「俺は……俺はたけるにいちゃんのことがーーーー」
勢いで放ってしまった二文字の言葉は、ホームに到着した電車の音に掻き消された。たけるにいちゃんは穏やかに笑ってポンポンと頭を撫でてくれる。変わらない優しくて温かい大きな手。
やばい、泣きそう……
みるみるうちに涙がたまり、ポロッと一粒頬を滑り落ちた。
「泣くなよ〜」
笑いながらそっと抱きしめてくれる。
好きだ。たけるにいちゃんが好き。
『ドアが閉まります、ドアが閉まります』
「うわっ! やばっ」
たけるにいちゃんは大きな荷物を抱えて慌てて電車に飛び乗った。すぐにドアが閉まり、窓の向こうで安堵してため息をつくたけるにいちゃんの様子がみえた。
「そそっかしいんだから……」
ガタンゴトンと音を立て、ゆっくりと電車が走り出す。たけるにいちゃんは優しく笑って手を振ってくれる。俺も無理矢理に笑顔を作り手を振った。ホームから発車した電車が見えなくなるまでずっと手を振った。
「はぁ……いっちゃった」
ホームを歩き階段を下りゆっくりと改札に向かう。入場券を通して改札を出ると、しゅんがスマホをいじりながら待ってくれていた。
「おわった?」
「おう」
まじまじと顔を覗きこまれて鼻で笑われた。
「なんだよ」
そっと手が伸びて目元を拭われる。
「……ぁりがとぅ」
「うん」
二人並んで、駐輪場に向かって歩き出す。
「俺、ようちゃんと同じ高校いくわ」
「え? なんで? ウチのダンス部弱いみたいだけど……」
「ダンスができればどこでもいいから」
「どうせなら強いとこに行けばいいのに」
「いいの! もう決めたから」
「あっそう」
「腹へった〜牛丼食いにいこ〜」
「ああ、やばい。腹減りすぎて死ぬ……」
「ようちゃんおごって」
「なんでだよ」
「入場券買ったら金なくなった」
「あ……ごめん、財布忘れてきた」
「はぁ?!」
この時、しゅんが一緒にいてくれてよかった。背中を押してくれたおかげでたけるにいちゃんへの想いを吹っ切れた。本人には伝わらなかったけど、それでいい。好きになってほしいとかつき合いたいとか、そんなんじゃない。たけるにいちゃんには嫌われたくなかったんだ。
***
屋台の食べ物って特別おいしいわけじゃないのに特別感があってすき。初詣やお祭りのイベントを楽しみながら食べるからっていうのもあるし、学校の帰りやなんでもない日曜日に食べると日常が特別になってワクワクする。しゅんとつき合うようになって、そういう幸せを共有できるのがうれしい。おいしい物を食べた時にしゅんの顔が浮かんで、あいつにも食べさせてあげたい、一緒に食べたらもっとおいしいだろうなって最近よく思うようになった。
「甘酒飲むの久しぶりだな。あ、大判焼も買っていこうかな……カスタードとあんことーー」
公園を出て神社に向かっていると、前方から歩いてくる人物に目が釘付けになった。どくんと心臓が大きく脈打ち身体が熱くなっていく。ふとその人と目が合って、お互い数秒間固まってしまった。
「……もしかして、ようじ?」
変わらない優しい声、髪がベージュに染まり服装もおしゃれになって垢抜けていた。
ずるいよな、かっこよくなって急に目の前に現れるんだもん。
「たけるにいちゃん久しぶり」
「やっぱりようじか! 身長伸びてかっこよくなってるから一瞬わかんなかった」
「たけるにいちゃんもかっこよくなったね、びっくりした」
「あ、そういえばさっきーー」
ポンと肩に手を置かれた。たけるにいちゃんの視線が俺の後方に移った。
「あれ? しゅん? 今日会うの3回目だな」
「たけるにいちゃん、タイミング悪い」
「え?」
肩をポンポン数回叩かれてしゅんの方へ視線を移すと、眉間を寄せて怪訝な顔をしていた。
「本当に2人で来てたんだな」
「うん」
不意に手を握られる。しゅんはチラと俺に視線を寄越してから、たけるにいちゃんへとまっすぐ向き直った。
「たけるにいちゃん、」
握った手にぎゅっと痛いくらい力が込められて、しゅんがゴクっと唾を飲み込んだ。
「俺たち、つき合ってるから」
え……しゅんの奴なにを……
たけるにいちゃんは驚いて目を丸くしている。
「え?……しゅんとようじが?」
「そう」
「それって、恋人同士ってこと?」
「だからそうだって言ってるだろ」
「えー……あー……そうか」
たけるにいちゃんは俺たち二人を交互にみて、困惑しながらも頷いている。
「……なに言ってんだよしゅん。変な冗談やめろよ。たけるにいちゃんびっくりしてるだろ」
俺は咄嗟にしゅんの手を離して、会話に口をはさんだ。
「冗談? うそ?」
「うそに決まってるじゃん……」
「うそかよ! 俺はてっきりーー」
たけるにいちゃんのスマホが鳴りおばさんから早く帰って来いと言われたらしく、両手に家族全員分のタコ焼きとイカ焼きを抱えて小走りで帰って行った。
「なんでたけるにいちゃんにあんなこと言ったんだよ」
「ようちゃんこそ、なんでうそだって言うんだよ」
「急にあんなこと言われたら誰だってびっくりするだろ」
「じゃあいつならよかった? 5年後? 10年後? 50年後?」
「そうじゃなくてーー」
「いつ言っても同じだろ。なんで隠すの?」
「わざわざ言う必要もないだろ。今までだって誰にも言ってこなかったし」
「たけるにいちゃんには言っておきたかった。たけるにいちゃんだから言った」
「俺は……たけるにいちゃんには言わないでほしかった」
「なんで? まだたけるにいちゃんに気持ちがあるから?」
「ちがう……俺たちが普通のカップルだったらいいよ。たけるにいちゃんも祝福してくれると思う。でもさ、さっきのたけるにいちゃんの反応見ただろ? 困惑してた」
「それくらい俺にもわかってるし、たけるにいちゃんの反応も予想してた」
「じゃあなんで? なんで言ったんだよ」
「それはーー」
言葉につまり黙り込んでしまった。思わずため息がもれて、しゅんは気まずそうにうつ向いてしまった。
「……しゅん」
ごめん、ごめんな……
「甘酒買いにいこう」
しゅんの手を引いて歩き出すも、すぐに離される。
「ようちゃん1人でいって…今日は帰る」
すぐに背を向けて走って行ってしまった。
「はぁ……1人で行っても意味ないだろ」
なんでこううまくいかないんだろう……ごめんな、弱い恋人で。俺もお前みたいに強くなりたいよ。
***
しゅんside
ようちゃんは他人の目を気にする。手をつないで歩いていても友達やクラスメイトに会うとすぐに手を離されて距離を取られる。最初はショックだったけどようちゃんが知られたくないなら俺も気をつけようってつき合っていることは誰にも言わなかった。でも、たけるにいちゃんには言ってしまった。たけるにいちゃんにようちゃんを取られるかもしれないという焦りから。だってたけるにいちゃんに再会した時のようちゃんの顔、あの頃と一緒だった。
ようちゃんが嫌がることをしてしまったのは悪いと思ってるけど、後悔はしていない。ようちゃんは俺の恋人だって主張できたんだから。でも、ようちゃんはそれを冗談やうそという言葉で否定した。それにすごく腹が立つし悲しかった。今まで過ごした幸せな時間やようちゃんを好きだという気持ちを全否定されたみたいで辛かった。
「しゅん、入るぞ?」
コンコンと控え目なノックの音が聞こえてすぐさま布団の中に潜り込んだ。ガチャとドアが開いてようちゃんが部屋に入ってくる。
「昨日のタコ焼きとかイカ焼きとか、公園に忘れてっただろ? 一緒に食べようと思って持ってきた」
ガサゴソとビニール袋の音がしたと思ったらボスっとベッドが軋む。ようちゃんがベッドに座ったらしい。
「しゅん? 起きてるだろ?」
布団を引っ張られたので引き剥がされないように布団の中で身体を丸める。ようちゃんが無理矢理に布団を引き剥がそうとするので必死にそれをつかんだ。結局、ようちゃんの馬鹿力には勝てなくて布団を剥ぎ取られてしまった。勝ち誇ったように笑っているようちゃん。
「俺、怒ってるんだけど」
ベッドの上で胡座をかいてようちゃんを睨みつける。
「めずらしくめっちゃ怒ってる」
ようちゃんからは笑みが消え、ため息をついて目を伏せる。
「……うん……ごめん」
視線を上げ、申し訳なさそうに俺をみる。
「……お前の気持ち考えないでひどいこと言って……本当にごめんなさい」
今回は絶対に許さない! と思っていたのに、あまりにも素直にすんなりと謝ってきた。拍子抜けし、こちらも怒っているのがバカらしくなった。
「……俺も悪かった。ごめん」
頭を下げると、ようちゃんは安心したように息をついた。
「でも、まだ許さないから」
「え?」
ようちゃんに向かって両手を広げると、ようちゃんは数回瞬きをしてから苦笑し、ゆっくりと俺の胸の中に入ってきた。ようちゃんを包み込むように抱きしめて肩口に顔をうめる。
「たけるにいちゃんに久しぶりに会ってどうだった?」
「どうって……べつに、どうもないけど」
「うそだ、ときめいたんだろ?」
「……ないって」
「ふ〜ん」
ようちゃんを引き剥がし、じーっと視線をおくるとふいっと顔をそらした。
「はいクロ!」
勢いよくベッドに押し倒す。
「ようちゃんのアホ、ボケ、バカ、マヌケ……」
驚いているようちゃんを見下ろし、頬をゆっくりと撫でた。
俺だけをみて……他の奴なんかみるな。
頬にある俺の手にようちゃんの手が重なる。
「ほんと、かわいいねおまえは」
「はぁ?」
「……駆け落ちでもする?」
「な、なに言ってんだよ!?」
「……ふふっ、冗談だよ」
目を伏せて寂しそうに笑うから、胸の奥が苦しくなる。
「……ようちゃんを俺だけのものにできるなら」
本心だった。誰の目も届かないところにようちゃんを隠して独り占めしたい。俺だけをすきでいてほしい。日に日に増してゆく独占欲が俺を焦らせる。
「さらう勇気もないくせに」
俺の手に頬ずりしながらどこかうれしそうに目元を緩めるようちゃん。瞬きするたびに長いまつ毛が揺れる。
「ようちゃんだって、さらわれる勇気ないくせに」
嫉妬とか焦燥とか執着とか独占欲とか。駆け落ちして2人だけの世界になったら、こんな煩わしくて汚い感情もなくなるのかな。でも、俺はそれも引っくるめて大事に持っていたい。
恋を諦めたくない。ようちゃんを離したくない。どうしようもなくすきなんだ。



